とある勇者の最後の旅路   作:あさか000

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第05話 進化の秘法

#10  奈落の底――祭壇の間

 

 

 洞くつの深部は、デスコッドへの道のりすら安易と思えるほど、過酷で険しいものだった。

 現れる魔物はもはや、この世のあらゆる邪悪が具現したかのような、おぞましい存在ばかり。

 彼らは一切の感情を交えず、ただただレックへ破滅の刃を振り下ろしてくる。

 

 脅威はそれだけではない。

 迷宮の壁面や床には、呪術めいた忌まわしい文様が刻まれており、そこを歩くだけで、足元から這い上がる呪詛に精神を蝕まれていくかのようだった。

 

 異形の魔物と、呪われた迷宮。

 それだけで、レックにわずかに残った人間性を削り取るに十分なものだった。

 

 それでも、彼に『引き返す』という選択肢はない。

 

 ミルドの言葉は、とても信じられるようなものではなかった。

 彼とて所詮(しょせん)泡沫の村(デスコッド)を彷徨う妄人の一人。

 あの言葉だって、己が信じる蒙昧(もうまい)を、したり顔で語っていただけなのかもしれない。

 

 だが、そんなことすら、もうレックにはどうでもよかった。

 

 足を止めてはならない。

 きっと、この足を止めた時こそ、自分が本当に終わる時だ。

 自分はもはや、片翼をもがれた小鳥に等しい。

 不完全な翼であっても『まぼろし』の空へ羽ばたき続けなければ、待っているのは冷たい底への墜落だけだ。

 

 そんな心と身体を極限まで削り落とすような強行軍の末、ようやく辿りついた最深部。

 そこにあったのは、どこか見覚えのある石造りの祭壇だった。

 

 祭壇の間は禍々しい瘴気で飽和しており、一呼吸するだけで肺腑(はいふ)の奥まで邪悪に侵されてしまいそうな錯覚を覚えてしまう。

 

「…………」

 

 レックは無言のまま、『乙女のたましい』を自らの腕にはめ込み。

 冷たい金属の感触と、身の毛のよだつような悍気(おぞけ)を感じながら、レックは瞳を閉じた。

 そして――深く、念じる。

 

 『どうか、我の望みを叶えたまえ』

 

 そう心の内で唱えた途端、空間全体が不気味な波動を発して振響(しんきょう)し始める。

 その祈りを契機としたように、充満していた瘴気が凄まじい風切り音を立てて一所(ひとところ)へ集い、凝塊(ぎょうかい)し、ひとつの邪悪な影を(かたど)っていった。

 

 やがて、完全な人型へと収斂(しゅうれん)した瘴気は、眼下のレックをゆっくりと見下ろし、言葉を放つ。

 

「わたしを よびさます者は だれだ?

 わたしは はかいと 殺りくの神 ダークドレアムなり」

 

 地の底から響く絶対的な威圧感が、祭壇の空気を凍てつかせる。

 

 破壊と殺戮(さつりく)の神――ダークドレアム。

 ただあるがままに破壊し、あるがままに殺戮する、まさに厄災の魔神である。

 

 魔神の尖った三白眼が、レックと視線を交差する。

 そして、その瞳の奥に(くす)ぶる残火(ざんか)を見定めるや否や、巨大な双頭剣(そうとうけん)が音もなく浮かび上がり、その腕へと収まっていった。

 

「わたしは だれの命令も うけぬ。

 すべてを 無にかえすのみ」

 

 宣告と同時、ダークドレアムの巨体が掻き消える。

 幻想の世界に顕現せし厄災は、空間を跳躍したかのような刹那の瞬きで間合いを潰し、すでに、その必殺の双頭剣をレックへと振り下ろしていたのだった。

 

 


 

 

「――っ!」

 

 (まばた)きすら許さぬダークドレアムの一閃が、レックの右腕を肘の上から一瞬のうちに刈り飛ばす。

 宙を舞った右腕は、重い音を立てて祭壇の石畳へ転がり落ちていった。

 

 ダークドレアムの神速は、レックがこれまで対峙してきたあらゆる魔物のそれを遥かに凌駕し、そして絶望的なまでに勁烈(けいれつ)だった。

 己の肉体を断たれながら、レックは攻撃を受けた瞬間さえ知覚できなかったのだ。

 

「っっ!!」

 

 さりとて、レックもまた数多の死線を踏み越えし歴戦の勇者。

 右腕の燃えるような痛みを精神力だけで押し殺し、即座に反撃へと打って出ていた。

 

「むっ……?」

 

 ダークドレアムの足元で、パチパチと紫電が爆ぜる。

 それは幾重にも重なる放射状の電刃となって魔神の巨体を包み込み、鼓膜(つんざ)く轟音と共に、凄絶な衝撃波を噴出させた。

 

 地獄の雷鳴――ジゴスパーク。

 レックがもっとも得意とする、大破壊の黒き(いなずま)である

 

 炸裂したエネルギーが生み出した白煙は濃密な煙幕となり、周囲の視界を完全に閉ざしていく。

 そのわずかな死角を縫って、レックは残された左手と歯を使い、縄で右腕の断面をきつく縛り上げていった。

 

 このままでは、数刻も保たず失血死に至る。

 それでは、あの魔神を殺すことが出来ないではないか。

 

 利き腕を失うという致命的な欠損を負ってなお、レックの戦意は揺らがない。

 

 たとえこの身がどうなろうと、あの魔神を倒さなければならない。

 さもなくば、自分はいつまでも永遠の迷子のままだ。

 

 血に塗れたレックの左手が、右腕の断面よりわずか上に辛うじて残り、鈍い光を放っていた『乙女のたましい』に触れる。

 

『凄まじい執念だな……。

 それでこそ、私の見込んだ英雄よ』

 

 腕輪の冷たさを指先に感じた刹那、レックの脳裏に直接、ミルドの(しわが)れた声が木霊してきた。

 

『案ずるな。

 貴様がこうなることなど、想定の内だ。

 あの魔神は、どんな英雄であろうと、いかなる勇者であろうと、とても太刀打ちできる存在ではない』

 

 脳裏に響く言霊(ことだま)は、酷薄(こくはく)愉悦(ゆえつ)さえ帯びて、レックへと囁きかける。

 

『ゆえに貴様へ、我が『成果』をくれてやろう。

 光栄に思うがいいぞ。

 お前はこれより、人を超越した存在となるのだからな』

「……っっ!?」

 

 ミルドの言葉が脳裏に突き刺さった途端、レックの右腕の断面から滝のように鮮血がほとばしっていく。

 体内の血液をすべて吐き出さんとするかのような、苛烈な出血。

 脳が灼き切れるほどの激痛に、レックは一度意識を飛ばし、だがその直後、それを上回る激痛によって強制的に覚醒させられる。

 苦痛の連鎖は延々と、果てしなく続くようだった。

 

「あ……あ゛あ゛ぁぁぁあ!!」

 

 レックの絶叫と同期するように、失われた右腕の感覚が、脳へ再びその存在を主張しはじめる。

 宙に噴き出した血液が空中で凝固し、太い筋繊維となって蠢き、脈打つ血管と浮き立たせながら、新たな腕の輪郭を形成し始めたのだ。

 

 進化の秘法による、再生の(わざ)――。

 

 生え変わった右腕(うわん)は、人間のそれではなかった。

 血の腐ったような赤銅(せきどう)色を、ぬらりとした光沢で放つ、異形の怪腕。

 

 その冒涜的な誕生と引き換えに脳を蹂躙する激痛は、とうに正気を手放して然るべきものであったが、レックの超人的な精神力は決して自意識を手放そうとしない。

 

『素晴らしい……』

 

 その光景を千里眼によって覗き見ていたミルドが、初めて心からの感嘆を漏らす。

 その視界には、変質した右腕で再び剣を握りなおすレックの姿が映し出されていた。

 

 その瞳が宿すのは、激痛への恐怖でも、禁忌への驚愕でもない。

 ただひたすら、劫火(ごうか)のように燃え上がる、ダークドレアムへの殺意だけであったのだ。

 

『これまで『進化の秘法』を授けし者たちは、その負荷に耐えきれず、一時(いっとき)も保たずに狂い死ぬのが常であった。

 それを死するどころか、なお奮い立つとは……。

 実に素晴らしいぞ、幻の勇者よ。

 悠久の時を生きながら、これほどの傑物を目の当たりにするは初めてだ……』

 

 レックは剣を構え直し、ダークドレアムへと相対する。

 右腕から伝わる痛みは筆舌に尽くしがたいが、今の彼にとって、その程度はもはや些事に過ぎなかった。

 

 自分は――あの魔神を殺さなければいけない。

 

「強き者と馳せ参じてみれば……なんのことはない。

 ただの木偶であったか」

 

 異形へ堕ちゆくレックを、ダークドレアムはどこか失望の眼差しで見据えていた。

 

「だが、私は破壊と殺戮の神。

 木偶如きに後れをとるつもりはないぞ」

 

 冷ややかにそう吐き捨て、ダークドレアムの巨体が、舞うような流麗さで宙を(おど)る。

 手にした双頭剣が虚空に十字を刻み、その切っ先から放たれた疾風の刃は、空間切り裂く十文字の軌跡となってレックへと迫っていった。

 

 あらゆるすべてを断ち切る、絶対の十字撃――グランドクロス。

 

 耐えがたい苦痛と急激な失血により、辛うじて立っているだけのレックに、それを躱す術など残されているはずもなかった。

 

 鼓膜を突き刺す風切り音と共に、グランドクロスの十字刃がレックの左肘へ直撃する。

 強靭な骨ごと関節を砕かれ、肉を(さい)の目に寸断された左腕は、凄惨な血の花を咲かせ、レックの左半身で無残に弾け飛んだ。

 

『いまさら、その程度で怯む貴様ではあるまい?』

 

 しかし、ミルドの囁きどおり、レックの貌に怯む気配は微塵(みじん)もなかった。

 それどころか、肘から先を失った左腕の残骸を激しく振り回して自ら出血を促し、己へ更なる進化を課し始めたのである。

 

「~~~っっ!!」

 

 千切れた左腕の断面から噴き出す鮮血は、右腕の時と同じように空中で寄り集まり、二本目の怪腕となって、禍々しく再生していったのだった。

 

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