とある勇者の最後の旅路   作:あさか000

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第06話 自壊

#11  奈落の底――祭壇の間

 

 

「これでは、きりがないな……」

 

 半ば諦観したような面持ちで吐息を漏らすダークドレアムを前に、レックは身じろぎひとつせず、自らの両椀をじっと見つめていた。

 どくどくと脈打つ赤銅(あかがね)色の腕には、異形の怪力が(みなぎ)っている。

 この怪腕は、このまま拳を握りしめるだけで、あらゆるものを粉砕できるような――そんな全能感すら与えてくれるのだ。

 

 ――これなら、あの魔神を殺せる。

 

『……何をしているんだ、レック。

 キミはボクと約束をしたはずだろう?』

 

 だが、そのおぞましい陶酔(とうすい)を断ち切るように、レックの脳裏へひとつの声が響いてきた。

 ミルドのしわがれたそれではない。

 もっと透き通るように凛と響く、優しい誰かの声だ。

 

「…………」

『そうだ。

 覚えているよね?

 忘れるなんて、許さないぞ』

 

 それは、かつてどこかで聞いたことのある声音。

 忘れよう筈がない。

 レックとっては懐かしく、そして何より忌まわしい、他でもない自分自身の声だ。

 

『ボクたちが一人になったあの日……。

 キミは確かに約束をしたはずだ。

 ボクの心が消えてしまっても……ターニアを見守ってあげてくれるって』

 

 『レック王子』――大国レイドックの後継者。

 呪いによって寝たきりとなった両親を救うため、わずかな仲間と共にムドーの島へと旅立った、あの心優しき青年の声だ。

 

『それがなんだい?

 父上と母上を捨てて、仲間たちを拒絶して。

 ターニアのことまで……キミは見捨ててしまった』

 

 頭の中を反響して鳴りやまない——自分自身からの呵責(かしゃく)

 それにレックは黙れ、と思う。

 都合のよい御託を並べるな、と思う。

 

 『お前(現実)』にとってターニアは旅の途中で自分を助けてくれた、かわいい妹のような(・・・)存在なのかもしれない。

 だが、『自分()』にとってターニアは、血を分けた、たったひとりの妹なのだ。

 

 『現実の世界(この世界)』にいる彼女は、ターニアであってターニアではない。

 そして、自分が渇望して止まないのは『夢の世界(あの世界)』のターニアなのだ。

 

 一緒にするな。

 一緒にするな。

 決して。

 断じて。

 一緒にするな。

 

『キミがそう思うことは理解できる。

 だが、その結果はどうだ?

 この暗闇の底で、たった独りきり。

 邪悪な者に利用されて、キミはいままさに、人間で在る事さえも捨てようとしているじゃないか!』

 

 煮えたぎるレックの偏狂を前にしても、レック王子は決して途切れることなく、想いを訴えてくる。

 

『お願いだよ……レック。

 今ならまだ間に合う。

 その妄執を捨て、みんなのところへ帰るんだ。

 キミが現実を受け入れれば、きっと『この世界(現実の世界)』だって、キミを受け入れてくれる……』

「……っっ!」

 

 レックは異形の両拳を握りしめる。

 手のひらに食い込んだ爪が赤銅の皮膚を突き破り、どす黒い血を滲ませていった。

 

 ふざけるな。

 なぜ、いまさら、そんなことを言う。

 

 そもそも、この世界に生きていたのはお前なのだ。

 本来の『レック』は、お前のはずだった。

 なのに、どうして。

 自らの意識を、手放すような真似をした?

 

 あの時、泡沫のように消えていたのが自分であったなら――いま、こうして苦しむこともなかったはずなのに。

 

『それは……キミが、ボクの理想だったから……!』

 

 レックの内なる訴えに、『レック王子』が苦悶するように言葉をふり絞る。

 

『ボクは……弱い自分が嫌だった。

 臆病な自分が、嫌いだった。

 だから、ボクは心の中でキミを作り出し……『レック』を託した……!』

 

 かつて『現実の世界』でレック王子が魔王ムドーへ挑み、敗れた時。

 その魔手によって肉体と精神を分離させられる中、レック王子は深い自責の念に囚われていた。

 

 もし、自分がもっと強かったなら。

 もっと、勇敢な人間であったなら。

 

 ムドーを倒し、両親を呪いから救うことができた。

 ハッサンやミレーユ――大切な仲間たちのことだって守ることができた。

 きっと、世界の人々へ光を(もたら)すことができたはずなのだ。

 

 そんなレック王子の無念と悔恨は、裂かれゆく意識の中で理想の自分を夢描かせていた。

 

 勇敢で、逞しくて、まるで伝説の勇者のように強い――自分。

 彼のそんな儚い夢は、引き裂かれた先の精神で、結実を迎えることになる。

 

 ライフコッドの青年――『レック』は、そんな泡沫の夢が生み出した、幻想の自分であったのだ。

 

 そして、その事実はレックにとって、恐怖以外のなにものでもなかった。

 自分が幻だというのなら、どこへ帰ればいいと言うのだ。

 『まぼろし』が還ることの叶う場所は、やはり『まぼろし』の中にしか存在しない。

 

 それなら、自分は――。

 

「ならば、一思いに首を落としてやろう!」

 

 ひとりの男の内で荒れ狂う葛藤など知る由もなく、ダークドレアムは双頭剣を背後に引き絞り、投擲(とうてき)の構えを取っていた。

 その刃身には烈しい紫電(しでん)が奔り、膨大な雷が畜電していく。

 魔神の魔力を帯びた双頭剣は、まさに雷鳴そのものの輝きを放っていた。

 

 ダークドレアムは大きく身体をしならせると、上半身の捻りを解放し、旋風の如く双頭剣を投げ放つ。

 

「ギガスロー!!」

 

 宙を走る雷と化した両刃は、巨大な円弧を描きながら、なお相剋(そうこく)に沈むレックの首元めがけ、激しい回転と共に迫っていく。

 だが、レックはそれに視線を向けることさえしなかった。

 ただ虚空を見据えたまま、持ち上げた異形の片腕で、魔雷まとった双頭剣の刃を無造作に鷲掴んで受け止めたのだ。

 

『レック! たとえ一時(いっとき)、精神と肉体が分かれていたって、ボクらはもともと1人だったんだ!

 キミはボクであり、ボクはキミなんだ!!

 キミが探し求める『帰るべき場所』は、いつだってキミのすぐ側にあった!!』

 

 ➡「いいえ」

 

 レックは鷲掴みにした双頭剣の柄を握りしめると、ためらいなく、その鋭利な切っ先を自らの額へ突き立てる。

 

 もういい。もうたくさんだ。

 これ以上、こいつに口を開かせてはならない。

 この言葉を聞き続けるくらいなら、自分ごと、自分自身を殺してしまったって構わない。

 

 烈しい拒絶に心を裂かれながら、レックは突き立てた剣を思い切り奥へと押し込んだ。

 異形の腕力にとって、人間の頭蓋を貫通させるなど児戯にも満たない。

 剣先が脳髄を破壊しながら貫き、後頭部から無残に突き出ていった。

 

『レック……』

 

 脳内で響いていたレック王子の意識が、急速に遠のいていく。

 それは同時に、レック自身の死を意味していた。

 

 心を失って人は生きられず、そして身体を失っても、当然そうだ。

 自らを、自らの手で殺したレックの凶行は、有体(ありてい)に言えば自殺にほかならなかった。

 

『無駄なことよ……。

 『乙女のたましい』があるかぎり、貴様は不死身。

 安寧の眠りなど、決して許されない』

 

 脳裏の奥深くで、微かにミルドの声が木霊する。

 その言霊と同時、レックの腕に嵌められた『乙女のたましい』に散りばめられた宝石の一つが、ぱちんと乾いた音を立てて砕け散った。

 砕けた宝石の粒子が、血のように赤黒い霧となってレックの中へと吸い込まれていった。

 

 完全に消えゆこうとするレックの意識の奥で、縋るような誰かの声が聞こえる――。

 

『おにいちゃん さよならだね。

 でも きっと――』

 

 黄泉の淵で眠ろうとしていたレックの意識が、絶大な精神の力によって覚醒していく。

 その言葉は彼にとって、救いであると同時に、呪縛でもあった。

 

『――きっと また 会えるよね』

 

 ➡「はい」

 

 どくん、と大気が鼓動する。

 

 その脈動に合わせ、事切れてだらりと垂れさがっていたレックの腕がピクリと震える。

 微かな痙攣は次第に筋肉の躍動へと変じていき、異形の両椀は再び、頭蓋に突き刺さった双頭剣の柄を握りしめていた。

 

「………っ」

 

 肉が裂け、骨の軋む不快な音を立てながら、両腕がズルズルと刃を引き抜いていく。

 ぽっかりと空いた額の空洞からは、血と脳液がびしゃびしゃと零れていった。

 だが、禁忌の秘法はその体液が地へ落ちることすら許さない。

 血肉は宙へ浮かび上がり、空中で禍々しい円を描きながら、頭蓋の亀裂へ蓋をするようにレックの額を埋め尽くしていった。

 

 ビリビリと大気を震わす高濃度の瘴気。

 ()せ返るほどに立ち込める死の匂い。

 

 それらがレックの額で凝縮し、結合して、おぞましき『()』を形作っていく。

 

 『第三の目』――開眼である。

 

「グゴゴゴゴ……」

 

 ピシ、ピシと骨格の軋む音を響かせて、レックの口元から高熱の白煙が蒸気のように噴き出していった。

 

 そこに立つのはもう、レックであってレックではない。

 勇者の亡骸を苗床に増殖し、生物としての段階を超越した、進化のなれ果てである。

 

「ふん……死骸(しがい)風情が。

 その醜い口を開くな」

 

 ダークドレアムが掌を内側へ捻る。

 それに呼応し、怪物(レック)の手中にあった双頭剣が、主の元へ帰還しようと宙に浮かびあがった。

 だが、その剣を、怪物はガシリと掴んで逃がさない。

 

「ゴゴゴゴ……」

 

 怪物はその柄を握りしめたまま、異形の膂力(りょりょく)がそれを圧殺していく。

 さしもの魔神の剣も、その怪腕から与えられる圧倒的な負荷には耐え切れず、断末魔のような金属音を上げて、真っ二つにへし折れてしまった。

 

 一振りの双頭剣が、二振りの大剣へ――。

 怪物は左右の手でそれを握りなおし、構える。

 それはさながら、新たなる所有者の産声に応じて、双頭の(つるぎ)が、巨大な双剣へと進化を遂げたかのようだった。

 

「ゴゴゴ……」

「死骸め……」

 

 ダークドレアムは忌々しく口元を歪めると、拳を固め、静かに臨戦の構えをとる。

 破壊と殺戮の神さえも気圧させるほどの圧倒的な邪悪が、眼前の怪物からは放たれていたのだ。

 

(むくろ)は土に還るが道理。

 貴様には、死を越えた破壊をくれてやる」

 

 ダークドレアムの声音に明確な殺意が宿る。

 それを感じ取った怪物は、ゆっくりと微笑みを浮かべていった。

 極限まで吊り上げられた口角は、自らの頬をビリビリと引き裂き、血のしずくを垂らしながら、凄惨な笑顔を(かたど)っていく。

 

「ターニア……」

 

 それが、まだ辛うじて残っていたレックの残滓(ざんし)が、最期に遺した言葉だった。

 

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