たとえ心が死に絶えようと、その異形には勇者の剣技が深く刻み込まれていた。
怪物は両椀の双剣を構えると、その二振りの刃に、彼の不気味な
「ギガ……スラッシュ……!」
ギガスラッシュの閃撃が、聖なる光刃となって、呪われし禁忌の怪腕から打ち放たれた。
右の一閃。
左の二閃。
交差した双斬撃は巨大な十字を描き、一直線にダークドレアムへと殺到していく。
魔神はその光刃を、素手でもって正面から受け止めた。
「
「ギガ……スラッシュ……ギガスラッシュ、ギガスラッシュ、ギガスラッシュ、ギガ――」
怪物の口から漏れ出るのは、感情の伴わない壊れた機械のような呻きだけ。
己に染み付いた剣技を作動させるように、両腕は無機質にギガスラッシュの連撃を反復し続けていく。
それはやがて、土砂降りのような光刃の嵐となって、魔神の巨体へ降り注いでいった。
「オ……オオォ……?」
怪物によるギガスラッシュの連撃は、およそ20分に渡って続けられた。
その間に、彼は二千四百発に及ぶギガスラッシュを、ただひたすらに振り下ろしたのである。
絶技の集中砲火に晒されて、呪われし祭壇はもはや跡形もなく崩壊していた。
激しく抉れた地面は空洞となり、すべての光を吸い込む暗黒の裂け目へと変わっている。
その焦土の中に、ダークドレアムの姿はない。
祭壇が消滅したことで、召喚の理が崩れ去り無へと還ったのか。
あるいは、二千四百の光刃によって、欠片も残さず
だが、怪物はそんなことはどうでも良かったし、それを考えるほどの知能も持ち合わせていなかった。
ただ無心のまま、虚空と化した暗黒を、三つの瞳で見下ろすだけだ。
『なにをしている?
まだ終わってなどいないぞ』
「…………?」
『デスコッドで、私は言ったはずだ。
ここには、あらゆる時代。
あらゆる世界、あらゆる宇宙において『厄災』と呼ばれた者たちが顕現すると。
進化の秘法の
『乙女のたましい』を介して響く、ミルドの
その言葉を裏付けるように、怪物の吐く息がぱきぱきと音を立てて凍りついていく。
「…………?」
地底には新たな魔力が漂い、次なる戦場を形成しようとしていた。
それは、世界をも凍てつかせるような、絶対的な冷気による死の領域。
崩落した奈落の底から、それがとめどなく溢れ出してくるのだ。
がたん、と重い音を立てて、怪物の両腕から双剣が滑り落ちていく。
絶対零度のかがやく息吹が、怪物の指先を一瞬にして
「…………」
怪物の額に
そこには、漆黒の
「なにゆえ もがき いきるのか?
ほろびこそ わが よろこび。
しにゆくものこそ うつくしい」
「…………」
底冷えするような死の宣告。
新たな厄災の顕現を前に、怪物は両拳を強く握りしめる。
そして、腐った指先を自らぐにゃりと握り潰すと、瞬時に再生した指で、地に落ちた双剣を再び構えなおした。
絶望の厄災は、そんな怪物へ両腕を伸ばして告げる。
「さあ わが うでのなかで いきたえるがよい!」
それからの戦いは、
『厄災』はなんど打ち祓おうと、殺し尽くそうと、新たなる厄災となって無限に顕現し続ける。
あらゆる時代。
あらゆる世界。
あらゆる宇宙の厄災たち。
際限なき死闘の果てに、怪物の身体は欠損し、崩れ、次第に元の形を失っていった。
だが、進化の秘法はやはり禁忌の
失われた部位はたちどころに異形となって再生し、怪物に更なる
過酷な闘争の中で、怪物の身体は
しかし、何度その命が尽きようと、腕に嵌められた『乙女のたましい』の宝石たちが、まるで死を肩代わりするかのように砕け散っていく。
現実を拒絶し、それゆえ死からも拒絶された怪物は、無限の渇望によって動き続けるだけの『厄災』へと変じていたのだ。
そんな狂気の死闘に明け暮れて、
その間、怪物は食事も睡眠も、その一切をとっていなかった。
進化に進化を重ねた彼は、もうそういうものを必要とする生物ではなくなっていたのである。
もはや、彼は何も思い出せない。
なぜ自分が剣を振るい、戦っているのか。
なぜこのような暗黒の底にいるのか。
そもそも、自分が誰であったのか。
異形の進化と引き換えに、何もかもが
だが、永遠に続くかと思われた死闘にも、ついに終焉の時が訪れる。
それは、『乙女のたましい』が全て砕け散って久しい頃のこと。
その時にはすでに、怪物は復活さえ必要としない『究極の生物』へと堕ちていた。
「……ワガ……ナハ……。
ワガ……ココロ……。
スベテハ……ヤミヘ……」
最後に顕現されたのは『厄災の王』という名を冠する巨大な怪物だった。
かつてレックだったものは、その王すらも無機質に、一刀のもとに切り伏せる。
崩れ去っていく厄災の王の輪郭は、なぜか今の彼の姿とよく似ていた。
最後の『厄災』が黒い炭となって消滅しても、怪物が双剣を下ろすことはなかった。
細胞の隅々まで染み付いた闘争の本能が、理由もわからぬ焦燥が、胸を焦がす渇望が、それを許さなかったのだ。
『よくぞやり遂げた、幻の勇者よ。
貴様の偉業をもって、我が宿願は果たされた』
「…………?」
静寂を取り戻した奈落の底で、ミルドの囁きが響く。
怪物はもう、その声の主が誰なのかさえわからなくなっていたが、ミルドは意に介さず、抑えきれぬ高揚を滲ませて言葉を続ける。
『進化の秘法は完成した。
我が研究は今日、この時をもって結実を迎えたのだ。
それも、貴様という英雄があってのこそ。
貴様は究極の生命を創りだす
誇りに思うがよいぞ』
どこかまくしたてるようなその声に対し、怪物は虚空を見据えたまま、静かに口を開く。
「……私は、誰だ?」
『むぅ?』
「私はもう……なにも、思い出せない。
自分が善なのか、悪なのか、それすらもわからぬのだ……」
怪物はそう呻きながら、どこか悲しげに異形の胸へ手を当てる。
「だというのに……この
教えろ。
私は、いったい何を求めている?
私が抱く、この妄執の根源はなんだ?」
『くくく……』
その問いに、ミルドは歪んだ笑みを漏らすと、それまでの興奮を一転させ、ひどく冷ややかな調子で告げた。
『そんなもの、この私が知るわけがなかろう。
私は貴様の名も知らぬのだぞ?』
「…………」
ミルドの言葉に、嘘偽りはない。
だって彼は本当に、怪物の名前も、その願いも、何も知らないのだ。
千里眼で勇者のなれ果てを見下ろしながら、ミルドは言葉を続ける。
『だが、それだけの力を持ちながら、名無しの怪物というのもいささか
せめてもの情けに、名ぐらいは与えてやろう』
ミルドはしばし沈黙し、やがて相応しい名を思いついたように、それを口にした。
『――
「ターク?」
『
地獄の帝王――エスタークだ。
これより貴様は、そう名乗るがいい』
「エスターク……」
怪物――エスタークはその名を
「私はこれから、どうすればいい?」
『貴様の先など、私の関知することではない。
その胸の渇望とやらを満たすため、好きにすればよい』
それが、ミルドの残した最後の言葉だった。
それからミルドの気配は完全に途絶え、二度とエスタークに語り掛けることはなかった
のだ。
ミルドはその後、完成した進化の秘法によって自らを身体を変質させ。
『魔界の王』ミルドラースと、名を改めることになるのであるが――そんなこと、エスタークは知る由も無かったし、関係のないことだった。
だから、エスタークはただ独り。
決して満たされぬ渇望だけを抱えたまま、奈落の底へ取り残されることになったのである。