とある勇者の最後の旅路   作:あさか000

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第07話 地獄の帝王

#13 奈落の底――祭壇の間

 

 

 たとえ心が死に絶えようと、その異形には勇者の剣技が深く刻み込まれていた。

 怪物は両椀の双剣を構えると、その二振りの刃に、彼の不気味な赤銅(あかがね)の肌と対極をなすような、眩い白光を帯びさせていく。

 

 聖烈(せいれつ)なる勇者の剣閃――。

 

「ギガ……スラッシュ……!」

 

 ギガスラッシュの閃撃が、聖なる光刃となって、呪われし禁忌の怪腕から打ち放たれた。

 

 右の一閃。

 左の二閃。

 

 交差した双斬撃は巨大な十字を描き、一直線にダークドレアムへと殺到していく。

 魔神はその光刃を、素手でもって正面から受け止めた。

 

死骸(アンデッド)が、聖なる力を使うか……!」

「ギガ……スラッシュ……ギガスラッシュ、ギガスラッシュ、ギガスラッシュ、ギガ――」

 

 怪物の口から漏れ出るのは、感情の伴わない壊れた機械のような呻きだけ。

 己に染み付いた剣技を作動させるように、両腕は無機質にギガスラッシュの連撃を反復し続けていく。

 それはやがて、土砂降りのような光刃の嵐となって、魔神の巨体へ降り注いでいった。

 

「オ……オオォ……?」

 

 怪物によるギガスラッシュの連撃は、およそ20分に渡って続けられた。

 その間に、彼は二千四百発に及ぶギガスラッシュを、ただひたすらに振り下ろしたのである。

 

 絶技の集中砲火に晒されて、呪われし祭壇はもはや跡形もなく崩壊していた。

 激しく抉れた地面は空洞となり、すべての光を吸い込む暗黒の裂け目へと変わっている。

 

 その焦土の中に、ダークドレアムの姿はない。

 祭壇が消滅したことで、召喚の理が崩れ去り無へと還ったのか。

 あるいは、二千四百の光刃によって、欠片も残さず粉微塵(こなみじん)に断ち砕かれてしまったのか。

 

 だが、怪物はそんなことはどうでも良かったし、それを考えるほどの知能も持ち合わせていなかった。

 ただ無心のまま、虚空と化した暗黒を、三つの瞳で見下ろすだけだ。

 

『なにをしている?

 まだ終わってなどいないぞ』

「…………?」

『デスコッドで、私は言ったはずだ。

 ここには、あらゆる時代。

 あらゆる世界、あらゆる宇宙において『厄災』と呼ばれた者たちが顕現すると。

 進化の秘法の精錬(せいれん)は、まさにこれから始まるのだ』

 

 『乙女のたましい』を介して響く、ミルドの言霊(ことだま)

 その言葉を裏付けるように、怪物の吐く息がぱきぱきと音を立てて凍りついていく。

 

「…………?」

 

 地底には新たな魔力が漂い、次なる戦場を形成しようとしていた。

 それは、世界をも凍てつかせるような、絶対的な冷気による死の領域。

 崩落した奈落の底から、それがとめどなく溢れ出してくるのだ。

 

 がたん、と重い音を立てて、怪物の両腕から双剣が滑り落ちていく。

 絶対零度のかがやく息吹が、怪物の指先を一瞬にして壊死(えし)させてしまったのである。

 

「…………」

 

 怪物の額に穿(うが)たれた『第三の目』が、ぎょろりと闇の深淵を覗き込む。

 そこには、漆黒の(ころも)(まと)いし新たな『厄災』が、音もなく姿を現していた。

 

「なにゆえ もがき いきるのか?

 ほろびこそ わが よろこび。

 しにゆくものこそ うつくしい」

「…………」

 

 底冷えするような死の宣告。

 新たな厄災の顕現を前に、怪物は両拳を強く握りしめる。

 そして、腐った指先を自らぐにゃりと握り潰すと、瞬時に再生した指で、地に落ちた双剣を再び構えなおした。

 

 絶望の厄災は、そんな怪物へ両腕を伸ばして告げる。

 

「さあ わが うでのなかで いきたえるがよい!」

 

 


 

 

 それからの戦いは、永劫(えいごう)に思えるほど永き時をかけて続けられた。

 『厄災』はなんど打ち祓おうと、殺し尽くそうと、新たなる厄災となって無限に顕現し続ける。

 

 あらゆる時代。

 あらゆる世界。

 あらゆる宇宙の厄災たち。

 

 際限なき死闘の果てに、怪物の身体は欠損し、崩れ、次第に元の形を失っていった。

 だが、進化の秘法はやはり禁忌の御業(みわざ)であったらしい。

 失われた部位はたちどころに異形となって再生し、怪物に更なる強靭(きょうじん)を与えていく。

 

 過酷な闘争の中で、怪物の身体は(ことごと)く削り取られては()()ぎされ、もはやかつての面影は、頭髪一本たりとも残っていなかった。

 

 しかし、何度その命が尽きようと、腕に嵌められた『乙女のたましい』の宝石たちが、まるで死を肩代わりするかのように砕け散っていく。

 現実を拒絶し、それゆえ死からも拒絶された怪物は、無限の渇望によって動き続けるだけの『厄災』へと変じていたのだ。

 

 そんな狂気の死闘に明け暮れて、幾星霜(いくせいそう)

 その間、怪物は食事も睡眠も、その一切をとっていなかった。

 進化に進化を重ねた彼は、もうそういうものを必要とする生物ではなくなっていたのである。

 

 もはや、彼は何も思い出せない。

 なぜ自分が剣を振るい、戦っているのか。

 なぜこのような暗黒の底にいるのか。

 そもそも、自分が誰であったのか。

 

 異形の進化と引き換えに、何もかもが剥落(はくらく)してしまったのである。

 

 だが、永遠に続くかと思われた死闘にも、ついに終焉の時が訪れる。

 それは、『乙女のたましい』が全て砕け散って久しい頃のこと。

 その時にはすでに、怪物は復活さえ必要としない『究極の生物』へと堕ちていた。

 

「……ワガ……ナハ……。

 ワガ……ココロ……。

 スベテハ……ヤミヘ……」

 

 最後に顕現されたのは『厄災の王』という名を冠する巨大な怪物だった。

 かつてレックだったものは、その王すらも無機質に、一刀のもとに切り伏せる。

 崩れ去っていく厄災の王の輪郭は、なぜか今の彼の姿とよく似ていた。

 

 最後の『厄災』が黒い炭となって消滅しても、怪物が双剣を下ろすことはなかった。

 細胞の隅々まで染み付いた闘争の本能が、理由もわからぬ焦燥が、胸を焦がす渇望が、それを許さなかったのだ。

 

『よくぞやり遂げた、幻の勇者よ。

 貴様の偉業をもって、我が宿願は果たされた』

「…………?」

 

 静寂を取り戻した奈落の底で、ミルドの囁きが響く。

 怪物はもう、その声の主が誰なのかさえわからなくなっていたが、ミルドは意に介さず、抑えきれぬ高揚を滲ませて言葉を続ける。

 

『進化の秘法は完成した。

 我が研究は今日、この時をもって結実を迎えたのだ。

 それも、貴様という英雄があってのこそ。

 貴様は究極の生命を創りだす()となったのだ。

 誇りに思うがよいぞ』

 

 どこかまくしたてるようなその声に対し、怪物は虚空を見据えたまま、静かに口を開く。

 

「……私は、誰だ?」

『むぅ?』

「私はもう……なにも、思い出せない。

 自分が善なのか、悪なのか、それすらもわからぬのだ……」

 

 怪物はそう呻きながら、どこか悲しげに異形の胸へ手を当てる。

 

「だというのに……この(ただ)れた胸の奥で、狂おしいほどの渇望だけが(たぎ)っている。

 教えろ。

 私は、いったい何を求めている?

 私が抱く、この妄執の根源はなんだ?」

『くくく……』

 

 その問いに、ミルドは歪んだ笑みを漏らすと、それまでの興奮を一転させ、ひどく冷ややかな調子で告げた。

 

『そんなもの、この私が知るわけがなかろう。

 私は貴様の名も知らぬのだぞ?』

「…………」

 

 ミルドの言葉に、嘘偽りはない。

 だって彼は本当に、怪物の名前も、その願いも、何も知らないのだ。

 

 千里眼で勇者のなれ果てを見下ろしながら、ミルドは言葉を続ける。

 

『だが、それだけの力を持ちながら、名無しの怪物というのもいささか不憫(ふびん)よ。

 せめてもの情けに、名ぐらいは与えてやろう』

 

 ミルドはしばし沈黙し、やがて相応しい名を思いついたように、それを口にした。

 

『――帝王(ターク)

「ターク?」

地の獄(エスタ)で蠢きし、狂執の帝王(ターク)

 地獄の帝王――エスタークだ。

 これより貴様は、そう名乗るがいい』

「エスターク……」

 

 怪物――エスタークはその名を反芻(はんすう)するようにしばし無言で佇むと、やがて口を開いた。

 

「私はこれから、どうすればいい?」

『貴様の先など、私の関知することではない。

 その胸の渇望とやらを満たすため、好きにすればよい』

 

 それが、ミルドの残した最後の言葉だった。

 それからミルドの気配は完全に途絶え、二度とエスタークに語り掛けることはなかった

のだ。

 

 ミルドはその後、完成した進化の秘法によって自らを身体を変質させ。

 『魔界の王』ミルドラースと、名を改めることになるのであるが――そんなこと、エスタークは知る由も無かったし、関係のないことだった。

 

 だから、エスタークはただ独り。

 決して満たされぬ渇望だけを抱えたまま、奈落の底へ取り残されることになったのである。

 

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