拝啓、流星の彼方へ   作:ミスター・あまったるい

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巡礼のはじまり①

 こんなに荒れている空模様を目にしたのは、大分久し振りのことだった気がする。

 

 大粒の液体がステンレス製の軒先をトトトンと叩く音、雨どいから溢れてビタビタと地面に零れ落ちる音が法則性のないリズムの中で調和して、一種の音楽のように響いている。壁を目掛けて斜めに降りこむ雨風は、戦車でも通れそうなほど大きなシャッターの全面を使って、パチパチと小気味のいい拍手音を鳴らした。まるで、誰にも妨げられずに進行していくコンサートを、世界自身が観客となって楽しんでいるようだ。

 一方、会場からたった数センチメートルの厚さの仕切りで隔てられている室内では、カタン、カタとスチールのステップを踏み降りる足音だけが呑気に反響していた。外から漏れ聞こえる演奏に興味はないと言わんばかりに、()()を背にして額の汗を拭い、大振りの動作で背伸びをするケイ。おまけに小さな欠伸を付け加えたのは、軽食を取ってからしばらく経ち、眠気が顔を出し始める昼下がりだったからだろう。

 

(中での作業は一旦このくらいにしておいて……次は「あれ」を片付けておきましょうか)

 

 物を退かせばバスケットボールの試合を二組で出来そうなガレージの中央を、泰然自若な足取りで横切っていく。目線の先には、水の流れる音が雨降るそれと同化している、開けっ放しの蛇口があり、何個にも連結されたポリタンクの中に大量の水が注ぎ込まれていた。端っこにある一個に近づき、懐から取り出した、妙にゴテゴテとしたスポイトで水を採取する。

 

(……ふむ、異常なしですね。念のため、ろ過装置でも噛ませようかと思っていましたが、この分だと必要ないでしょう)

 

 眉間にしわを寄せ、「平静」のまま微動だにしない検査装置に目を凝らしながら、面倒ごとが増えなくて良かったと胸を撫で下ろす。電力インフラが沈黙してから一日以上が経過していたが、浄水場に備えられた非常発電装置は、きちんと正常に役目を果たしているようだ。三日……いや、最低でも二日は綺麗な水を利用できるはずだという想定を基に計画していた、出発前に可能な限り清水のストックを蓄えておこうという目論見は果たせていた。

 

(ええと、先に積み込んでおきたい荷物は……)

「ただいまです、ケイ! 持ってきましたよ!」

 

 片膝のついた足を伸ばし、声が聞こえてきた入口の方を向く。そこに見えたのは、つま先が外に向けられたスニーカーに、裾野から細い脚が伸びる紺色のスカート。そして……底にチョコンと見える小さな手で支えられた、ケイの背丈を優に超えるほどに積み上げられた段ボールのタワーだった。

 

「集めてきた食べ物と、部室から持ってきたものと……とにかく、アリスの持ち物はこれで全部です!」

 

 一直線に伸びる塔の影から、アリスはひょっこりと顔を覗かせる。自身の体重以上の重さは確実にありそうな荷物だが、その笑顔は普段通り天真爛漫に輝くばかりで、一切の疲れは混じっていない。

 

「お疲れ様です、アリス。荷物は一旦、こちらのスペースにまとめましょうか。……バランスを崩したら危ないですから、ゆっくりでいいですよ」

「はい! よいしょ……っと」

 

 積み重なった荷物を二人で崩し、中身に応じて仕分けていく。

 もし、「この家に帰ることはもうないから、持っていきたい物をまとめてね」と告げられることがあったのなら、どれ程の量の荷物が用意できれば()()()()()()()と言えるのだろうか。頼んでおいた食料品や衣類、医薬品が詰められた箱が大半を占める中、アリスの個人的な荷物は一、二箱の段ボールと、背中に背負われたリュックサックだけのようだ。きっと中には、携帯ゲーム機やぬいぐるみをはじめとした、お気に入りの品々が入っているのだろう。

 

「アリス、持ち物はこれで全部ですか? 載せられる重量には余裕がありますし、遠慮しなくてもいいのですよ」

「いえ、何度も確認しましたから、『たいせつなもの』は全部持って来れたと思います! ……そう言うケイは、どうですか?」

「私ですか? 荷物はこちらにありますが……ここで暮らしていた期間はまだ短いですから、持ち出したいものはあまり多くないのですよね」

 

 キョロキョロと箱を物色する顔の前で、二人を囲む荷物群の一角を指差した。

 

「うーん……そうなのですか? アリスのものと同じくらいあるように見えますが……」

「ああ、中身の大半は替えの服だったり、いつも使っているボディケア用品だったり、コスメだったり……入浴や洗濯の出来なくなるタイミングが、いつ訪れるか分かりませんから。いかなる時でも、アリスの前でみっともない姿を見せるわけにはいきませんし」

「なるほど……? アリスは、どんなケイでも気にしないのですが……」

「──アリスが気にしなくても、私が気にするのです!」

 

 強情な態度で顔を赤くするケイを、優しく首を傾けながら、口元を緩めて眺めるアリス。目の前の相手に、思うがままに過ごしてほしいという気持ちは、どうやらお互いに変わらないようだ。

 

 ……色々考えはしましたが、まあ。目の前にある箱を見ただけじゃ、結局何も分からないか。仕分けを手伝いながら何気なく宙に浮かべていた疑問は、談笑の間にクルクルと回って、最終的には無難な結論へ着地する。心の奥に仕舞い込んでいる、目に見えない大切なもの。それがどれだけ詰め込まれているのか、どれ程彩られているのかは、たとえ自分自身であっても測り切れないのだから。

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「……ふう、これで荷物は終わりです! ケイの作戦通りでした。雨が降ってくる前に、早起きして探索を済ませておいて正解でしたね!」

「参考にしたのは数日前に出た天気予報だったのですが、大きなズレはなかったようで安心しましたよ」

 

 テレビやラジオは変わらず沈黙を続けている。パブリックネットワークへの接続は、不安定ながらも可能な領域は残されているが、データセンターが完全に機能を停止するのも時間の問題だろう。これから先は、備わった五感だけに頼って情報を集めなければいけない。

 

「でも、本当によかったのでしょうか? アリス、結局お金を払わずにショップから色々な食べ物を持ってきてしまいましたが……みなさんが帰ってきた後、店員さんにバトルを挑まれたり、泥棒さんと呼ばれてしまったらどうしましょう……!?」

「……気持ちは分かりますが、こんな『非常事態』ですから割り切らなければいけないこともあります。飲食を疎かにして目的地まで辿り着けなかった、なんてことになったら元も子もないですから」

「うっ……そうですね……」

 

 良心の呵責を受ける部分はありつつも、「仕方のないことだ」とその気持ちを無理やり飲み込もうとしている様子が、大人し気に伏せられた目元から伝わってくる。この世界で生き抜くために非日常へ適応していく行為は、同時に、大事な日常の景色を忘れていってしまうことの残酷さにも繋がっていく。その景色を散逸させないためにも、いつか私たちの未来が帰ってくると信じ続ける勇気は、二人が抱えていかなければならない感情の一つなのだろう。

 

「──ですが、まあ。ミレニアムまで戻ってこられた暁には、お世話になった場所に二人でお礼を言いに行きましょうか。もし怒られるようなことがあっても、私も一緒に謝ります。……どうです?」

「……! はい! アリスもそうしたいです! お金だって、後でちゃんと払って感謝します!」

 

 小さく震えていた瞳孔は見る見るうちに光を取り戻し、気づけば、これから登る山の頂を期待を込めて見上げるような眼差しに変わっている。この現象を解決したら、アリスと一緒にアルバイトへ挑戦してみるのもいいかなと、この場に似つかわしくない想像が、当たり前のことのように浮かんでいた。

 

「さて。それじゃあ、荷物を()の中に運んでいきますよ」

「あ、もう乗れるようになったのですね! 入り口は……こっちですか?」

「ええ、足元に気を付けてくださいね」

 

 両手で荷物を抱えて、ガレージの中央に歩を進める。そこには、外装を白一色で塗られ、車体の左後方にミレニアムのロゴが描かれた、所謂「キャンピングカー」と呼ばれる車両が悠然と鎮座していた。

 一般的な小型トラックの荷台部分を改装し車室空間として利用しているタイプのキャンピングカーで、後方に載せられた直方体のシェルから、平べったい空間がまるで鶏冠のように運転席の上部へ付きだして覆っていた。傍まで近づいてみると、アリスやケイの身長を倍にした程の高さを持つ車体に、少しばかり威圧感を覚える。四隅で支えるタイヤはそこまで大きいものではないが、不安定な印象を一切与えることなく、しっかりと倉庫の床を握り締めていた。

 車両左側面に細長く空いている入口。そこに掛かっているスチールのステップをワクワクした足取りで登っていくアリス。その後ろ姿を追いながら、ケイはまた一歩、新たな境界を踏み越える感覚に。今度は闇の淀んだ深海に沈んでいくのではなく、暖かな陽光で蜂蜜色に染まった水面へ浮かんでいく感覚に身を浸していた。

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