拝啓、流星の彼方へ   作:ミスター・あまったるい

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第二章 機械たちは過ぎた終幕の夢を見るか?
#13 穴の空いた箱舟


 降り注ぐ光芒に、黄色が混じり始めた暮れ六つ。

 日常の路傍に転がり込んだ、何の変哲もない帰り道。

 

「ねえ先生、勝負しようよ!」

 

 先頭を歩くモモイは振り返り、新緑に茂ったばかりの街路樹の下へ駆けていく。それはどうやら、日の陰だけを踏んで何処まで進んでいけるかを競い合う、ちょっとしたゲームの誘いのようだった。

 誰に言われずとも、そのすぐ後をついていくアリス。指導者らしさの欠片もない、童心に返った素振りで二人の隣に並ぶ先生。いつものことだと慣れた様子で見守るミドリ。楽しげな友達を見て、少し嬉しそうなユズ。

 そんな日常の一ページを、温柔な呆れ顔をした、赤目の白髪少女が書き留めていた。

 

 

 

 あれは、いつの日の記憶だっただろうか。

 目の前の景色のレイヤー上に重なる形で、懐かしい映像が頭をよぎる。彼女たちが陰の中で味わっていたのは、恐らくこのスリルと同種のものだったのだろう。あの日、手で払い除けた感覚を、ケイは予想外のタイミングで学び直す羽目になっていた。

 

「いいですよ! しっかり受け止めますので、思いっきり跳んできてください!」

 

 ──もっとも、この場で踏み外してはならないものが()()()()()()()()でなければ、補習を受ける心持ちにも、ずっと余裕があったのだろうが。

 重心を若干落とし、瞬時に両脚の筋肉を硬直させる。一歩、二歩と狭い足場で助走を作り、三歩目が空中に投げ出されると同時に、バァン! と金属のフレームが甲高い破裂音を響かせた。放物線を描く軌道の先に待ち構えているのは、鋼板の上で両腕を目一杯に広げたアリス。飛び込みの勢いをアイスダンスさながらの回転でいなしながら、軋む車体が生み出す波紋の中心で、ケイの身体と腰にぶら下がった銃を、体幹の傍にがっしりと巻き付けていた。

 

「……ぷはっ! ナイスキャッチです、アリス」

「アクションゲームの主人公みたいなジャンプでした! ──これで、チェックポイント到達ですね!」

 

 車と接している欄干から、陸の小島と化した歩道橋の階段へとよじ登る。靴裏から響くのは、久々に聞こえたザリザリとコンクリートを擦る乾いた効果音(SE)

 世界が変わってしまってから、今日で六日目。アリスとケイは、D.U.中心のほど近い場所に走る、片側三車線の広々とした幹線道路に立っていた。……本来であれば、()()()()()はずだった。

 太陽が眩しさを増すお昼前、普段であれば忙しなく通行車両が行き交っているはずのその地区は、大通りから逸れた小道に至るまで、見渡す限りの川面に沈んだ水の都に変貌していた。どんよりと鉛色に濁った水のかさは、ビルの一階部分の半分を沈めてしまう高さにまで積み重なっており、水中からは放置された車両のルーフが点々と顔を出している。視界の内に浮かぶのは、出自の見当がつかない木の幹、プラスチックの椅子や木製の丸テーブル、細々(こまごま)とした日用雑貨、ゴミとしか形容できないアンノウン……様々な場所から流れ着いた品々が自由奔放に散らかっていた。その光景は、灰色のキャンバス目掛けてカラフルな筆を何度も何度も振り下ろし、大量の絵具の飛沫を無作為に飛ばした作品の如き混沌さを体現している。

 コンクリートジャングル、と揶揄されることの多い大都会とはいっても、まさか熱帯雨林に流れる大河までもが出現するとは。じっくりと目を凝らさなければ動きが分からない、非常に鈍い水流もまたそれらしい。名は体を表すとは正にこのことかと、非現実な風景への適応を大方終えた脳みそは、日和見の冗談を飛ばしていた。

 

「ふぅ……サンクトゥムタワーまで行くだけだったはずなのに、足場を乗り継ぐアスレチックステージがあるなんて思ってもいませんでした……」

 

 収集車が訪れる直前の共同ゴミ捨て場のような、顔をしかめたくなる水臭さが鼻を突く。その空気を極力吸い込むまいと、アリスは鼻をつまみながら水分補給をしていた。二人は歩道橋のてっぺんに座り込み、「次のステージ」に挑む準備に励む。

 

「数日前の大雨の影響を軽視しすぎましたね……ある程度の冠水は予想していましたが、まさかここになっているとは」

 

 どこか濡れてしまっている箇所がないかと、身に付けているジャージのあちこちを触って確認する。拠点に戻った後の洗濯で、この臭いを落とし切れるだろうか。リュックサックから消臭スプレーを取り出しながら、ケイはそんなことを考えていた。

 D.U.という大都市の特徴は? と聞かれた時、キヴォトスのどの都市よりも発達した地下鉄網の存在を挙げる人は多いだろう。野外の天候の影響から無縁に見える地底世界は、D.U.内を縦横無尽に駆け巡るだけでは留まらず、キヴォトスの各地へその手足を伸ばすまでに拡大している。

 では、地面の下に幾つもの穴が空けられた都市において──例えば電力供給が途絶えたりして──排水ポンプを始めとした下水処理設備が長らく機能を止めたとしたら、一体何が起きるだろうか? 地下に流れ込む雨水は放出が追いつくことなく溜まっていき、側溝のキャパシティを超えた液体が次第に道路を浸していく。加えて、特にサンクトゥムタワーが位置する中央区域を代表とした、周囲を河川と海岸に囲まれている土地での影響は、殊更大きなものとなっていた。高地であれば一日足らずで解消される規模の浸水であっても、海抜がゼロメートルに近しい(或いは下回っている)場所で発生したのであれば話は変わってくる。少なくとも、二、三日の快晴が続いた程度では、事態終息への貢献は少なかったようだ。

 

「知っていますか、ケイ? 今、目の前に広がっているような、水没した都会を舞台にしたゲームもあるのですよ。アリス、その中でも車を伝って川を渡ったことがあります!」

「……ええと、災害に見舞われた都市で生き抜くゲームでしたよね、それ」

 

 二人で手すりに寄り掛かり、少しでも気を紛らわそうと、どちらからともなく雑談が交わされる。肌に張り付く、ねっとりとした湿気のせいで食欲は皆無に等しいが、ブロックタイプの栄養食を無理やりにでも嚙み砕くケイ。朝の八時頃から浸水地帯に突入し、そろそろ二時間が経過しようとしていた。前方に伸びる川の長さに鑑みるに、ようやく半分まで進めたというところか。

 

「そうです! いきなり大火事のビルが倒れてきたり、水につま先を入れた途端に感電してしまったりで、沢山ゲームオーバーになった思い出があります……そう思うと、今のアリスたちの方がまだ安全かもしれません」

「まあ、廃墟同然の街とはいえ、大地震が起きていたり、ペロ……あー、何でしたっけ? あのゲームのボスのような巨大怪獣に蹂躙されたわけではありませんし」

 

 今でこそ極限状態のサバイバルじみた行軍をしているが、都市部に突入してから目的地まで向かう道中で、歩みを妨げられる事態にはほとんど遭遇しなかった。それこそ、前日の午後、そろそろ日が沈みそうだというタイミングで遭遇した、タワーをぐるりと囲むこの()()()()くらいなものだろうか。

 ガードレールや建物の壁に突っ込んでいる車、グシャッと握られた数珠のように車列が乱れた玉突き事故の光景は、そこかしこに見ることができた。街中を進むにつれて数は多く、規模は大きくなっていたが、されど車両の放棄から経過した期間は一週間弱。煙を吹かしていたり、未だに炎上していたりといった近寄りがたい現場は珍しいもので、念のために遠回りを選んだ回数は片手で数えられるほどに収まっていた。彼女達を挟んで立て掛けられた二挺のレールガンも、ここしばらくは力を発揮することなく、どことなく退屈そうに空を見上げている。

 

「確かに……昨日休ませてもらったホテルにも、電気が付かない以外に変なところはありませんでした! ……あ、お店のアイスは溶けていましたっけ」

 

 歩道橋の両脇に直立する鉄筋のビル群は、異常なことは一切起きていないと勘違いさせてくる静粛さで、二人のことを見下ろしている。根元の見えない街灯の頭には、この惨状を然程気にしていないのか、能天気に頭を傾げるカラスが一匹留まっていた。

 

「日常を支える人類の技術は、大前提として私たちの生活の質の向上を目的に発展してきましたが……同じか、それ以上に『もしもの場合』のための備えも重要視されてきたのですよ」

 

 ガスの制御を失い燃え盛る厨房は、大火事に変貌する前段階で消化され、電圧が高まり続けた設備の漏電は、ブレーカーが自動的に落ちることでシャットアウトされる。水没した車のバッテリーは絶縁状態に隔離される仕組みになっているため、いっそのこと沈んだままの方が安全とさえ言えるだろう。道具の使い手が一斉に姿を消したとしても、長い時を費やして練り上げられた生活空間には、穏やかな不時着を試みることのできる理性が残されていた。

 

「──とはいえ、私たちが置かれているのは、想定を遥かに上回った状況なわけですが。はぁ……小型のボートで通過できないほど障害物が多くて不運だったと捉えるべきか。無理なく乗り継いで行けるほどの足場が用意されていて幸運だったと捉えるべきか……」

「うぅん……特攻装備(アビ・エシュフ)を身に着けてきていれば、ケイを抱えてこんな道もひとっ飛びだったのですけど……」

 

 これを使ってください、とアルコールティッシュをアリスに渡したケイは、そのまま彼女の後ろに回って、激しい動きで汚さないようサイドで二つ結びにされたロングヘアーから埃を払う。アリスの()()であれば、多少の汚染を受けても翌日には何事もなく清潔を取り戻すのだろうが、だからと言って杜撰な扱いをする気には全くなれなかった。

 

「……アリスだけならともかく、二人の体重を長時間支えられる飛行能力はもう残っていないはずでしょう? 装備を取りに戻る時間は惜しいですから……ここまで来たんです、最後まで歩いていきましょう」

 

 意気揚々とメーターを回し始めたキャンピングカーの旅は、残念ながら、いきなりのお預けを喰らっていた。下道をグルグルと彷徨いながら、D.U.郊外のシャーレにまでは何とか到達できたが、その先はとてもじゃないが車を入れ込める道路状態ではなく……深刻なボトルネックとなっていたのは、中心街を囲む巨大な河川に架かった大橋の上。その混み様は、アリスがのんびり歩いて百メートルを進む時間と、ケイが脂汗を垂らしながら一台の車と必死にすれ違う時間が同等になるほどの窮屈さ。その実験が決定的となり、ナビに「到着まで一時間」と表示された場所まで、わざわざ徒歩で向かうことになったのだった。

 

 ケイの世話焼きで毎日梳かされていたサラサラの髪が、ビルの隙間を抜け出した微風を受けてふわりと揺れる。手の甲をくすぐる馴染みの深い感触によって、これまでの旅路を思い起こしていた意識は、一層深く過去の時間へ沈んでいく。

 シャーレに到着するまでに、一日。

 シャーレを出発してから街を進み、大河の前で足踏みをするまでに、一日。

 目を覚まし、水面を揺らしながら跳び回っているのが、数時間。

 始まったばかりの、私たちの足取り。日記のページを机に広げて、一枚一枚()じていって。──そうして最後に残っていたのは、あの日の果ての、透き通った記憶だった。

 

 

 

 シャーレには、誰も居なかった。

 空っぽのオフィスに満ちていたのは、一面の窓から差し込んだ、蜂蜜色の夕日の残照。

 正面に見える机の上には、その日の仕事が終わる間近だったのだろうか、数枚を残して綺麗に整えられた書類の山のシルエットが、熱の消えた虚空にぼんやりと張り付いていて。いつまでも訪れない、最後の仕上げを待ち続けているボールペンの先端は、何十年も時が過ぎた後のように干からびている。置きっ放しのコーヒーカップから漂う、仄かな退廃を想起させる()()()香りに目を惹かれると、視界の隅には、とうの昔にバッテリーが切れたスマートフォンと、神秘の残滓を微塵も感じられない、只の抜け殻となったタブレット(シッテムの箱)が、底の見えない深淵を湛えていた。

 椅子の背からのっぺりと伸びる冷たい影が、入口で立ち尽くしていた二人の足首を覆い隠す。大事にここまで運んできた、心のどこかで有り得ないことだと思っていても、最後まで捨てられなかった希望が、指の隙間を通り抜けてポロポロと崩れ落ちていく。感情は粉々になった悪夢で幾重にも切りつけられて、ジグジグと蠢く傷口の、そこから滴る血液の温度は、二人の喉を焼いてしまう鮮烈さで燃え滾る。

 いつだって気丈に振舞っていた彼女は、何も言わずに肩を震わせ、非対称に歪んだ、固く結んだ唇を下に向けていた。喜怒哀楽と手を取り合って、思うがままに感情を表現していた朗らかな子が、今では内側から体を引き裂こうと暴れ回る激情を、必死に押さえつけて耐えている。どうしようもなく悲痛で虚しいその姿。……自分はもっと、酷い顔をしているのだろう。何もかもから目を逸らして、いつまでも、たとえ自我が消えつくしてしまう瞬間まで、この場で立ち続けていても疑問に思えないほどに、私の理性は熱に浮かされていたのだから。

 

 ──それでも。

 限りない熱さに支配された両の腕を、未だ熔けていない感情()で無理やり持ち上げる。床に散らばる宝石の破片をかき集め、手の平が血だらけになるのも構わずに、その煌めきを握り込む。

 

「アリス、私は約束したんです。『先生がこの世界を見捨てないのならば、私も最後まで諦めない』、と」

 

 まだ、崩れただけだ。消えたわけじゃない。それなら。

 情動の膜に囚われていた手を握られて、固まっていた頭をゆっくりとケイの方へ向ける。一時遅れて役割を思い出した眼球が、じわりじわりと濡れた光を溜め込んでいく。

 

「ぅ……ケイ……」

「あの人が何処へ行ってしまったのか? そんなことは、他の人と同じで、もう分かることではありません」

 

 この煌めきは、手放さない。手放してたまるものか。絶望の炎に呑まれた内で、より鋭利で、より頑強な形へと鋳出(いだ)されつつあったケイの闘志は、ただひたすらに叫び続ける。

 

「それでも、私はここにいます。かつての日々の記憶を受け継いで、彼方の未来まで抗おうとしている生きた私は、まだ消えていない。……だから、その約束を忘れないでいれば。どんな手を使ってでも、私たちが生き残ってさえいれば! ……可能性は残り続けるのです。だって──」

 

 だって、昔日の水底から掬い上げられた私に、透き通った夜空に流れる蒼星(アリス)を見せてくれた先生を──

 

「──どこまでも信じていますから。何処かで無事に、きっと生き延びていると。再会できる日が、いつか必ず訪れるのだと」

 

 言い終えると同時に脳裏を埋め尽くしたのは、騒がしく過ぎ去った日常の思い出。悟られずに私の背を支えてくれていた、さり気ない柔らかさを帯びた温度が、触れられないと気が付いてから一際恋しくなっていく。

 

「……っ。アリスも、アリス、も……!」

 

 顔を合わせて、小さなマッチに燃ゆる残り火で暖を取るように優しく抱き合う。焼け跡に残った夢の形を、確かに覚えておくために。

 

 その日の夜、アリスとケイはいつまでもいつまでも一緒に泣き続けた。小さな体躯にこの数日でパンパンに溜め込んだ不安、恐怖、寂しさを全部吐き出してしまう勢いで、アリスは仮眠室のベッドの上で泣きじゃくる。その感情の大波を胸で受け止めながら、ケイもまた、呼応して枕を濡らす。部屋に満ち渡るは涙の洪水。嵐が過ぎ去り、泣き疲れてプカプカと浮かぶだけだった心が、春風の吹く山頂へ流れ着いた頃、ようやく二人は眠りに落ちていった。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「……よし。もう動いていいですよ、アリス。休憩はもう十分ですか?」

「ありがとうございます! アリスも準備万端です!」

 

 髪を大きくなびかせて、真っ白な歯を上がった口角から覗かせる。シャーレで夜を明かした翌日、彼女達の両目の周りに広がっていた赤い腫れは、もうすっかりなくなっている。また先生に会えると信じます、アリスが信じたいから信じるのです! と起き抜けのアリスは澄んだ表情で微笑んでいた。両目に籠った微かな光は、もう落とさないようにと丁寧に繋げられた欠片が、未来への期待を照り返したものだったのだろう。

 

「それでは。──先を急ぎましょうか」

 

 最後に残った大きな未練に、いってきますと笑顔で告げた。清々しい別れの後は、前を向いて進むだけだ。

 

 広く開けた河川の先には、目指べき塔が悠々と待ち構えていた。他の神秘と同様に、サンクトゥムタワーが本来持っているはずの「権能」も案の定失われてしまっている。それは遠目から見ても間違いのない事実のはずなのに、物理法則を無視して聳えるオベリスク、キヴォトスで最高度の建造物が発する威光は、見かけの上では記憶の中の印象と変わらない。それはまるで、精巧に造られた等身大のミニチュアを目にしているようだった。

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