開けた視界に広がったのは、どこまでも続く黄金の大海だった。
見渡す限りの砂、砂、砂。黄赤の大地をキャンバスに、くねくねと波打つ模様が等間隔に伸びていって。奔放に流れる熱砂の面が、ゆったりと大きなカーブを描いて丘となり、稜線をくっきり形作る。一つの壁の奥にもう一つ、さらにその壁の奥にも。積み上げられた砂の山が幾重にも重なり合っていた。目が痛くなるほど鮮やかな青空、その下で、物言わぬままに躍動する姿を見せる砂漠。さながら天地がひっくり返って、逆さまに吊り下げられた海原から、波の揺蕩いだけが落っこちてきてしまったかのようだ。
そんな時間が止まった景色の一角、最も天に近づいた砂丘の頂点。その陰から熱気をかき混ぜる機械音が聞こえてきたかと思うと、激しくタイヤを回転させたキャンピングカーが、勢いよく空中へと飛び出してきた!
「~~~っ! 今、お腹の中がふわふわふわ~ってなりました! ジェットコースターに乗っているみたいです!」
「喋っていると舌を噛んでしまいますよっ!? ふぅっ……! とにかく今は、妨害に集中してください!!」
投げ出された車体がワンバウンドしながら坂道に着地する。エンジンが回転する音、ハンドルを必死に手繰って、車体が砂を蹴り上げる音。……それらの音とは相容れない、空気を震わす遥かに巨大な轟音がすぐ後ろから迫ってきていた。その振動がピークに達した瞬間、百メートル以上の高さはありそうな砂の丘が一瞬にして吹き飛ばされる。日差しを遮りきってしまうほどに巻き上がった砂煙が晴れていくと、その中心には、強烈な威圧感を放つ巨獣が重々しく身をくねらせていた。
太く長く繋がった蛇腹の胴体。鯨の如き大顎に支えられた豪壮の砲門。白く磨かれた装甲の奥から黄昏色の眼光が漏れ、額の中心に刻まれているのは、既に役割を終えた紋章。
「違いを痛感する静観の理解者」。デカグラマトン、第三の
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数時間のこと。
あちらこちらがボコボコに凹んだライトグレーのアスファルトが、直射日光を全身で受け止めて、小さな太陽の表面のように眩く輝いている。隅に積まれたタイヤの山は砂埃を何度も被って、元の黒色は見る影もなくなっていた。何本もヒビが入ったそのゴムの塊を見ていると、指先でチョンとつついただけで、砂粒へと崩れ去ってしまうのではないかと妄想してしまう。
閑古鳥すら飛んでいないガソリンスタンドの屋根の下、ケイはキャンピングカーの側面に寄り掛かって、上の空でじんわりとした暑さに耐えていた。カラカラに乾いて刺々しさすら感じる砂風が、目尻の下の薄い皮膚を切りつけていく。無造作にシャツを掴んで、バサバサと風を起こしたのは何度目だったのか、もう覚えていない。季節はまだ春先だというのに、アビドスの昼は体力を奪うのに十分な熱気に包まれていた。
「うう……ほんの少し外に出ただけなのに、髪がもうパサパサに……」
彼女が立っているのは、数メートル先から始まる砂漠の世界を、思う存分眺められる展望デッキ。なだらかに続く砂の地面の所々から、いつ埋もれたのかも分からない廃墟の頭が見え隠れしている。アビドスの砂漠化は年々進行しているという話だったが、今踏んでいるこの地面も、きっと常世へ向かう待機列の先頭にいるのだろう。
こんな極限の地であっても営業権利を手放さなかったらしいカイザーという企業は、がめついと言うべきか、変わり者と言うべきか。ここまで必死に腕を広げなくとも、事業を継続するだけなら十分な資本は持ち合わせているだろうに。
「ケーイ! 戻りましたよー!」
ピピピッ、と給油の完了を知らせるアラームが響く。それとほぼ同時に、道路の反対側に建っているコンビニの出口から呼び声が届いた。ほどほどに膨んだスポーツバッグを左右に引っ提げて、両腕をピンと斜め下の外側に伸ばした状態で、トテトテとこちらに駆けてくる。
「お店の発電機、ちゃんと動いていますね!」
「ええ。こんな辺鄙な場所でも、最低限の安全規定は守っていて助かりましたよ。車からコードを引っ張り出す羽目にならなくてよかったです」
車体の側面に刺さっていたノズルを元の場所に差し込み、隣で重低音を響かせている箱のボタンを押し込んだ。もし液体燃料の備蓄が不十分であったら、車の動力の殆どを電力に頼らなければならないところだったが、しばらくはハイブリッドな立ち回りでやり繰りできそうだ。
「ここから先は施設のない区間が続きますので、いいタイミングでしたね。アリスの方も大丈夫そうですか?」
「はい! また色々といただいてきました! ……うぅ、腐ってしまっているものも、多かったですけれど」
先程までいた場所の臭いを思い出したのか、アリスの表情が少しだけしかめっ面になる。正常な管理下から離れて十日とちょっとが経過していて、尚且つ気温の変化が激しい土地でもあるのだから無理もないだろう。新鮮な水を継続的に補給できているだけでも、十二分に幸運だと思うべきだった。
カニ歩きで車内へ荷物を運びこもうとしていたアリスを呼び止め、制服に付いた砂を払ってあげる。細かな粒子が顔に飛んだのか、へくちっ、と愛嬌のある小さなくしゃみが漏れ出した。慌てて様子を窺ったが、アリスは照れを交えながらも楽しそうに笑みを零す。不慣れな環境への苦戦はそこそこに、直面する新鮮な体験を一つ残らず、前向きな面持ちで味わっている彼女の笑顔だ。
「よいしょ、っと。次の予定は……」
運転席に乗り込むと、ケイの左手は、車の最前中央に嵌め込まれたディスプレイをおもむろになぞり始める。燃料はしっかり満タン。この日差しなら、冷房を強めに効かせても余裕がありそうだ。ソーラーパネルを屋根いっぱいに展開して……。うん、リアカメラは正常に動作しているし、弾倉のストックも問題なし。測位システムにもズレはない。
「……前から不思議だったのですが。アリスたちの現在地、車のナビには映っていますよね。スマホに入っているアプリは、もう使えないのに……」
ゴロゴロと後ろのソファーに寝転がっていたアリスが、伸ばした二の腕をひざ掛けに乗せて、うつ伏せに顔を沈ませながら疑問を口にした。
「ああ、それは多分、地図データをネットから読み込めていないからでしょう。自分の位置情報を取得するのに必要なのは極論、人工衛星が何機かと、そこから発されている電波を受け取れる装置だけですから」
「人工衛星……! ……まだ、動いているのですか?」
「用途にもよりますが、長生きなものだと十年以上稼働し続けますからね。将来、制御を失ったり、燃料の尽きたものは引力に捕まって、やがて落下していきますが……測位衛星のような、特に高所を飛んでいるものであれば、百年先も宇宙に残っているかもしれませんよ」
体を半回転させて、ポケ―ッと口の開いた顔を天井に向けるアリス。車の外壁を突き抜けて、更にその先の深淵を見つめる瞳の移ろいは、ケイの口から飛び出した時間の尺度を噛みしめているように見えた。遥か彼方の暗黒で、終わりが訪れるまでの長い長い永遠を過ごす、果てしなく孤独な時間。「
「──衛星の方は問題ないとして……現在座標が分かっても地図の情報自体が最新ではないので、ルート選定のためには都度修正が必要なんですが……お、戻ってきましたね。その仕事は、この子達の役目というわけです」
いつの間にか、正面の窓越しから見える空中には、円盤状の小型ドローンが三機並んで浮かんでいた。フリスビーを一回り大きくしたサイズを持つそれらは、ケイがステータスのチェックを終わらせると、障害物の影も形もない寂れた道路の先へとふわふわ戻っていく。大雑把な地形の情報だけを示していたモニターには、いつの間にか新たな線が何本も付け加えられていた。
「よしよし、良い性能です。稼働範囲の起点になっているのが車に積まれたシステムでなければ、
「ん……はーい! アリス隊員、しばしの休憩タイムです!」
レバーを押し下げ、自動運転の機能を有効にすると、マップ上の予測線がピカリと点灯する。二人を乗せた貸切車両は僅かな揺れも伝えることなく、丁寧に走り出しだした。
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人口、建造物が極端に少ないアビドス郊外であれば、遭遇する障害も少ないのではないか。そう考えた二人が目を付けたのが「砂漠横断鉄道」だった。
アビドス盛衰の歴史において、一度は計画されたが最終的に頓挫してしまった広域路線。かつて自治区の一大事業として扱われていたそれは、詳細不明ではあるが隣接学区からの干渉を受けていたようで、一部の線路は自治区を跨いでゲヘナの外れにまで伸びていることが判明した。アビドスを経由してゲヘナまで、と口で言うのは簡単だが、都市部を避けるのであれば砂漠地帯を通過するのは必須。そこで、これらの路線を辿っていけば、大きく迷うことなく進行できるのではないかと思い当たったのだった。
「いざとなったら、砂漠の方にも逃げ込めますよね! 大きな大きな一つの空き地みたいなものですし!」
アリスが言っていたことを思い出す。突発的な砂嵐に巻き込まれる可能性もゼロではないため、むやみやたらに砂漠の深部に突入するのは避けたいものの、ある程度自由の利く逃げ道にどこからでもアクセスしやすいというのは確かに大きな魅力だった。
また、近頃はハイランダーが再開発を推し進めているらしいのだが(連邦生徒会の交通室経由で情報の目星がつけられた理由でもある)、それでもここまで郊外に逸れた路線であれば手つかずの場所も多いだろうと目算を立てていた。細々とした作業現場に阻まれることも、まずないはずだ。
都市部を通らず、障害となる施設も稀。しかも、臨機応変にルートを変えられる柔軟さを持ち合わせている。この土地特有の、時期を問わない酷暑と乾燥を除けば、今の二人にとって理想的な抜け道であった。
一般道を外れて、沿線に設けられた整備用の通路を進んでいく。助手席の窓の向こうには、とうの昔に干上がってしまった、生気を感じられない廃墟ばかりが黙って流れていった。アビドスの中心地から離れて、ゴーストタウンと化した地域の更に外。ここには、人の消失前後で劇的に変わったものはあるのだろうか。もしかしたらこの街並みは、世界が戻れない変化を起こしてしまったことに、未だ気が付いていないのかもしれない。
むしろ、致命的な齟齬を感じ取っているのは、反対側から街を見守る砂漠の方ではないのだろうか。風の流れだけで練り上げられた砂のうねり、当然そこには、意志が込められていない。それなのに、何か鬼気迫ったものを訴えかけてきているように思えてしまうのは、どうしてだろうか。
……とはいいつつも、ここ数日は危険に遭遇することなく、順調に歩みを進められていた。出発前に杞憂していたタイムリミットの兆しも、現状は全く捉えられていない。平和。そう形容しても差し支えのないドライブが、しばらくの間続いていた。
ケイが運転席で手持無沙汰にハンドルを遊ばせていると、しばしば後ろから声が聞こえてくる。「モモイのハイスコアを更新しました!」。自慢げに携帯ゲーム機を見せてくるアリス。「見たことのない大きな鳥が飛んでいますよ!」。窓に顔を張り付けるアリス。「この砂漠の先には、何があるのでしょう……」。澄んだ双眸を見開いて、小さく呟くアリス。
ころころと流れる彼女の興味に手を引っ張られて、ケイもまた、共に世界へ触れていく。
特異な未知に対する不安や緊張は、今でも心の奥底で燻っている。それでも、あの始まりの日から時が離れ始め、現状への理解が蓄積していくにつれて、この旅路に向き合う余裕が膨らんでいったのもまた事実だった。思えば、ミレニアムで生活し始めて以来、遠く離れた土地に赴く機会はあまりなかったような気がする。目新しい経験に心を動かされている面も確かにあったが、何よりも、アリスと一緒に旅をすること自体を、純粋に楽しんでいるケイがそこにはいた。
今にも途切れそうな荒れた道は小さな峡谷へと突入し、地面が砂の下へと埋もれている箇所が目立つようになってきた。少しずつ、街から外れた場所へと向かっているようだ。細かな軌道修正のため自動運転をオフにして、久し振りにハンドルを両手で握る。
その時、出発前にも操作していた端末から、ピロピロと気の抜けた電子音が鳴り始めた。この音のパターンは、数キロメートル前方を先行するドローンから、緊急性の低い連絡が送られてきたことを示している。これまで通り、何かしら通行の難しい地形にぶつかったのだろう。
「アリス、ちょっと対応してくれませんか? 今、手が離せないので……」
「はい! すぐに行きます!」
サボテンのスケッチを描いていた画用紙から手を放して、一直線に助手席まで飛んでくる。えーっと、これがこれで……と拙い手つきでポチポチと操作する音がしばらく続いた……かと思うと、一瞬だけ場がしんと静まり返った後、素っ頓狂な声が隣で上がった。
「ケ、ケイ! これを見てください!! これっ、これって……!」
「ん……どうかしましたか……?」
「ほら、これです! アリス、うまく説明できません……!」
尋常ではない取り乱し方をしながら、アリスはケイの腕を引っ張り始めた。目を向けなくとも、困惑、疑問、恐怖……とても処理し切れない感情の奔流に、彼女が飲み込まれている様子がありありと伝わってくる。一抹の不安を覚えながら慎重にブレーキを踏み、意を決してそちらに向き直ると。大きく口を開けたまま、困り眉のアリスが指したその先には──
「………………これは、一体どういう状況ですか?」
ドローンのカメラが送ってきた映像。その下半分は、地平線までを一色に染め上げる黄砂の大地で埋まっている。そして、上半分。本来であれば晴天の蒼穹が占拠しているはずの空間に、全くもって意味の分からない異物が
地表に刺さったその白い体躯は、一段、また一段と一寸の傾きもなく天へと伸びていた。頂点で空を仰ぐ、光の消えた頭部までの高さは、一般的な高層ビルに匹敵しているだろう。その状態で何かを試みているということもなく、そのまま電源が切れてしまったのかように硬直している。そして何よりも、こうして視覚に入ってきた情報を整理しても、何故そのような光景が出来上がったのか、その道理を一切説明できないことが恐ろしく不気味であった。
詰まるところ、その画面には。「ピンと真っ直ぐに伸ばされたビナーの巨体の大部分が、全く微動だにすることなく、砂漠の地面から空へ向かって垂直に突き出ている」という、夢よりも夢らしい、狂人の絵空事を体現した光景が映し出されていた。