拝啓、流星の彼方へ   作:ミスター・あまったるい

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#16 時計仕掛けのスリープウォーカー

「……えいっ! お届け物ですよ、ケイ!」

 

 砂漠の熱気で塗り固められた首筋が、唐突な冷気に反応してビクリと跳ねる。一瞬だけ、肌が縮み上がり鳥肌が立つ怖気。それが過ぎると、キンキンに冷えた温度の気持ちよさが、徐々に身体の芯まで広がっていく。反射的に背筋を伸ばし、驚いた顔を上げてみると、白色のつば広帽子をかぶったアリスが、水滴の滴るボトルをケイの首元に押し当てていた。

 

「~~~!? あ、アリス! びっくりしたじゃないですか、もう!」

「えへへ~! 気持ちよかったですか?」

 

 思い通りの不意打ちが成功した嬉しさから、帽子の頭を押さえて悪戯っぽく笑う。真夏の太陽さえも翻弄できてしまえそうな笑顔を前に、つられてケイも気を緩ませた。けれども、そんな微笑ましいやり取りの最中でも、すぐ隣から放たれている不気味な圧迫感は、変わらずその場の主役を譲らない。

 

「どうですか? なにか、わかりましたか?」

「…………うーん。むしろ、分からないことが増えたといいますか……」

 

 折り畳み式のアウトドアチェアから立ち上がり、頼りない日傘の影から体を晒す。ごわごわとした砂の上を十歩ほど歩くと、もうそこには物々しい機械の壁が立ち塞がっていた。残されたアリスが不思議そうに見つめているのは、ちんまりとしたアルミ机の上の、ハンディファンに囲まれたノートパソコン。それから伸びた数本のコードを引きずるケイは、先端に付いたシート状の端子を、難しそうな顔でペタペタと張り付けていく。

 その頭上では、先ほどまで道案内をしていたドローンたちが、今度はその固い装甲の内から少しでも情報を得ようと、グルグルと塔の周りを旋回していた。

 

「はぁ……こんなことになると知っていたら、もっと長めのケーブルを選んでおいたのに……」

 

 じりじりと大地を焼き上げる熱波の勢いは、その日の最高潮に達しようとしていた。三十五度ですよ、今の気温! と、団扇を仰いで迎えてくれるアリスを尻目に、ぐったりとした足取りで間に合わせの研究室へ戻ってくる。乱暴に掴んだファンの微風、頼りなく揺れる手の平にも囲まれて、身体の熱を少しでも排出しようと深い息を吐き出すケイ。彼女が溜め込んでいるのは外気から押し付けられた温度ばかりではなく、どちらかと言えば、脳の思考が生み出した廃熱が大部分を占めていた。

 

「ひとまず判明したのは……この機体は、完全に機能を停止しているわけではない、くらいのことでしょうか。微弱ながらも、何かしらの電気信号は流れているようですし……」

「……! では、このビナーはまだ生きているのですね!」

「捉え方次第ですが……まあ、その認識で合っているとは思います。……だからどうした、という話ではあるのですけど」

 

 この場所を訪れるまでの経緯。奇妙な体勢が果たす目的。ここまで一切の動きを見せない理由。疑問を打破するきっかけは中々掴めず、根拠の乏しい妄想ばかりが感情を振り回す。自力でここまで動いた後に沈黙したのか? それとも、何者かによって抵抗できない状態で連れてこられたのか? 

 

「むむ……ビナーだけが特別だったのでしょうか……」

 

 そもそも、この旅路の途中でデカグラマトンの預言者に遭遇すること自体、想定外であったはずなのだ。

 信号の発信源が鋼鉄大陸跡地だということを知り、始めに危惧したのは、当然デカグラマトンに起因する存在の関与。ミレニアム敷地内での確認例があり、且つオリジナルの個体が残存している可能性のあった「ケセド」と「ホド」の動向を気に掛けるのは、当然のことであった。しかしながら予想に反して、出発に日までホドの活動痕跡は何処にも見当たらず、「廃墟」の方も普段と変わらない静粛さを保ったままだった。

 生徒を含むキヴォトスの住民が、世界から姿を消している。ともすれば、()()()()()預言者たちも「住民」として扱われて、同様に消失しているのではないか。或いは、その機械の身体から意志だけが抜け去り、例えば見知らぬ地下のどこかで、例えば「廃墟」の最奥で、ただのガラクタと化しているのではないか。安楽椅子上の推論は、預言者たちは直接的にこの特異現象に携わっていない、少なくとも表立った活動はしていないから、目的地に接近するまで妨害を受ける可能性は低い。そんな、目に見えないしこりの残る結論を導き出していた。

 

「『ビナーの寝相は壊滅的に悪い』。……報告書にそう付け足すだけで済ませられないのは、確実ですね」

 

 一時間前まで封のしてあった制汗シートは、既に若干のたわみが出来ていた。画面上を流れていく波動を薄目で追いながら、どうにか付け入るスキはないかと苦悶する。下手に刺激を与えないよう、外の外から針を縫うように中心部へ向かっているとはいえ、外壁を好き勝手に触られている間もグラフは全然揺らぎを見せない。まるで、深い眠りの殻の中で、穏やかな夢に溺れているかのような、あまりに潔癖すぎる落ち着いた波長。

 慎重に事を進められている安堵感は、確かに実感できていた。されどその陰では、何かを見落としてしまっているのではないか、そのせいで、いつか足を掬われてしまうのではないか、という疑念が何処からか絶え間なく湧いてくる。

 顎に手を当てたケイが冷ややかな汗を垂らす一方で、アリスはというと。日差しに晒されたビナーの装甲に指を沿わそうとして、あちちっ、と手首を振り回していた。

 

「ケイ。もう一度、ビナーと話すことはできないのですか?」

「……残念ですが、それは不可能です。私たちの住む世界の技術とデカグラマトンに関係した技術は体系からして全く異なりますから、意思疎通のための前提を擦り合わせるだけでも、年単位の研究が必要になるでしょう。……あの時でさえ、イレギュラーな環境(力に満ちた鋼鉄大陸)と、イレギュラーな触媒(制約の外れたシッテムの箱)が揃っていて、何とか短いやり取りを交わせたくらいですから」

 

 無理を承知での提案であったことは把握していたのであろうが、やはりしょんぼりとした表情になるのを抑えられないアリス。気づかぬうちに刺さっていた針が、少しだけチクリと心を刺した。いつかの日に矛を交えた存在達と、もしもう一度話すことができたのなら。果たして自分は何を伝えるのだろうか。

 少しばかり感傷的になりかけた焦点を、冷静に目の前の景色を見据えることで落ち着かせる。身も蓋もない視点ではあるが、あの場所で出会ったビナーと、ここにいるビナーは異なる個体なのだ。消滅前にデータの同期を行っていたのか、どの程度情報を共有していたのかは不明で。それ故に、意識を取り戻した後、私たちの味方をしてくれるとは決して限らない。

 それ以前に、車に積んできた機材を最大限動員しても、非常に限定的な調査しか行えていないのが現実だ。例えるならば、ガラス張りの教室に閉じ込められている赤子の心拍を、外壁に耳を押し当てどうにかして聞き出そうとしているような、先の見えない無茶を通す試みが続いていた。

 

「──だからといって、『何も分かりませんでした』で終わらすには惜しい存在です。何せ、初めて私たち以外の()()()()が見つかったのかもしれないのですから」

「その通りですね、ケイ! ……はっ! もしここで重要キャラとフラグを立てられれば、旅のエンディングも大きく変わるかもしれません!」

 

 役目を終えた機材と空になったボトルを持たせて、アリスに何度目かのお使いを頼む。「これも換えてきますね!」と、ケイが遠慮がちに隠していたフェイスタオルも去り際に抜き取って、踏み均された車への道を走っていく。

 何はともあれ、ここに重要な情報が眠っている可能性は非常に高い。それこそ、この特異現象の真相に繋がる手掛かりも出てくるかもしれない。アリスが表現した通り、その情報を知っているか否かで、目的地に辿り着いた際の行動が大きく変わることだってあり得るのだ。

 日陰の下で風に吹かれていたのにもかかわらず、十分に熱されていた黒色のキーを、熟考の速度に合わせて押下する。並の銃弾では傷もつけられないほど頑丈な外装と同じく、内部のセキュリティも恐ろしく隙がない。ひたすら強固なプロテクトが何層にも重ねられている、というよりかは、どう崩せばいいのか直感的に掴めない、柔らかくも固くもない不可思議のシートに包まれているかのような異質な守り。持ち合わせている手段を片っ端から忍び足で運び込み、牛歩ながらも着実なピッキングを進めていく。

 

 

 

 拭われることなく大量に滴り続けた汗の雫は、数十分もの間ケイが極度の集中状態を維持していることを証明していた。あと一歩だけ踏み出せば。あと一センチだけでも手を伸ばせば、辿()()()()()かもしれない。進んでいる方向が合っているかもすら不明瞭なのに、不思議と、そう遠くない未来に視界が開けるビジョンばかりが鮮明になっていった。

 

 その予感は、何の前触れもなく実現する。

 

 画面上の変化はドット単位のズレに収まっているというのに、何か重要なラインを超えた/超えてしまった直感が、頭頂から足先までを貫いた。直後、その領域の外縁に記録されていたのであろうデータが、画面の端からじわじわと描画されていく。ケイはその光景を、信じられないものを見る目で凝視していた。驚くべきことに、その情報は彼ら独自の法則ではなく、人間が理解可能な言語で記述され始めていたのだ。そんな変換技術は、ビナーも持ち合わせていないはずなのに。

 ──その因果は、至極当然のものであった。

 残り数秒、ケイが「とある確信」に至ろうとしていた寸前。パソコンが叫び声のような異音を上げ、唐突にフリーズしたのが始まりの合図だった。腰掛けている椅子が、手の付いた机が、肌に触れる熱の膜が、ケイを取り巻く世界の全てが、甚だしい震動によってぐちゃぐちゃにかき混ぜられていく。

 

「……!? 揺れが……!? まさか、目覚めて……!」

 

 ブチブチとコードが切れていくのもお構いなしに、咄嗟にノートパソコンを抱えてその場から逃れようと地面を蹴る。白の巨体が身体の振動を始めてから、二秒も経たずに行われた非常に俊敏な判断。それでも、条理を無視した尋常ならざる胎動の前では、非情にも遅すぎる行動だった。足元の砂があたかも打ち寄せる大津波のように激しく揺れ動き、思い通りに足を進められない。数歩しか動けないままに取り返しのつかないほど震えは大きくなっていき、遂にケイは耐えきれず、バランスを崩して尻餅をついてしまった。

 

(しまっ…………)

 

 何かを支えにする隙もなく、いつの間にか、地中に砂を吸い込む蟻地獄の中心に鎮座していたビナーに向かって、否応もなく流されていく。一心不乱に藻掻き続けようとも、身体が沈んでいくスピードは一向に遅くならない。脇に挟んでいたパソコンは、もう二度と人の目に触れない場所まで沈んでしまっていた。

 両腿までもが砂中に覆われ、いよいよ脚の動きが鈍くなってくる。溢れ出したアドレナリンに後押しされて、必死に解決法を模索している熱狂の前を、場違いに冷え切った思考がゆっくりと横切った。描き出された最悪の結末が、ケイの喉元を容赦なく締め上げる。反抗の感情で染まり切った脳裏にこじ開けられた、ほんの僅かな隙間。その奥底から、根源的な恐怖が芽を出し始めようとしていた。

 

 そんな、深淵への不可逆な落下が始まろうとしていた最中。熱砂に塗れた蒼穹の彼方から轟いたのは、その場の狂乱を丸々かき消してしまう、甲高い雷鳴の如き大声だった。

 

 

 

「────貫け! バランス崩壊!!!」

 

 

 

 神々しい日輪の威容を隠してしまうほど鮮烈な閃光が、真上で刹那煌めいたかと思うと、砂の大地を根元から揺さぶる巨大な慟哭に、身体が宙へと突き上げられた。驚いて呆然としている暇はないと、瞬時に理解した脊髄に引っ張られるまま、無我夢中で砂の渦壁を駆け上る。ブルブルと蠢いていた機械の塔は、何が起きたのかも理解し切れていないのか、麻痺したようにすっかりその動きを止めていた。

 

「ケイ! ケガはありませんか!?」

「ふぅ、ふぅ……っ! ナイスです! 助かりました、アリス!」

 

 少し離れた位置に停めていたお陰か、キャンピングカーは五体満足でケイの帰還を待っていた。その隣に立つアリスの姿は、レールガンの廃棄熱によって生まれた陽炎の後ろで、グニャリと揺らめいている。その幻覚に近しい歪みの中、頬の緩んだ彼女のホッとした顔だけは、明瞭に浮かび上がっているように見えた。

 車に乗ってください、と走りながらのジェスチャーを受け取ると、サムズアップを見せてからそそくさと扉を閉める。十数秒の間収まっていた揺れは、次第に元の大きさに戻りつつあった。

 

「よっし……。とにかくまずは、ここから離れますよ!!」

 

 ダッシュの慣性を維持したまま勢いよく扉を開けて、跳ね返りの反動に弾かれる形で運転席へとダイブした。非常時はここにいるようにと伝えていた通り、アリスは既に助手席に座り、シートベルトをしっかりと巻き付けている。その姿を確認すると、周りを確認することもなく、躊躇なくアクセルを踏み込んだ。グンと背中が叩きつけられる衝撃と共に、窓の外の景色は振り返る間もなく置き去りとなっていく。

 先程まで天を仰いで身震いし、根元を起点にグルングルンと円錐を形作る軌道で身体を振り回していたビナー。その様子とは打って変わって、今度は頭をこちらに向けて、走り去った車をじっと黙って見つめていた。

 ──目に、光が戻っている。その変化を認識した時には、この世のものとは思えない低く鈍重な唸り声を二人に向かって浴びせ掛け、自身の咆哮の行先を追いかけるように、迷いなくキャンピングカーへと突っ込んでいった。

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