「うわぁーん! 追いかけっこはもうコリゴリですって! アリスたち、ビナーを怒らせてしまったのでしょうか……!?」
遮るものなく四方へ延びる、自由に開けた砂漠の大地。その辺境にて、激しいマフラー音を鳴らす車が、脇目も振らずに激走していた。壮大な自然を楽しみつつ、のんびりと窓に肘を掛け、どちらへ進もうかと優雅に悩んでいるはずだった未来は夢のまた夢。逃げる二人から付かず離れずといった距離には、同様に向こう見ずな前進をする、無機質な巨人の威風が迫ってきている。
どうにか追手を撒けないかと、ゴムボールのように跳ねる車体の中で、ケイは重たくなったハンドルを必死に握りしめていた。
「軽率に踏み込み過ぎてしまったのかもしれません……が、単に目を覚ましたわけでもなさそうです……!」
しかし、現在進行形で後方に見えている蛇の様子はどうだろうか。視界に入るのは、機敏でこなれた身のこなしではなく、乱暴に地形を破壊し猛進する、暴走状態と言っても過言ではない粗雑な動き。進行方向に砂の積もった丘があったとしても、迂回したり上に登ったりすることはなく、進む勢いのまま衝突することで無理やり障害を押し退けている。
そんな光景を目の当たりにして、自然とケイの頭に浮かんだのは、餓死寸前の状態まで追い詰められた盲人のイメージだった。身体のあちこちに痣が付くのも臆することなく、食欲をそそる匂いの元に真っ直ぐ突っ込んでいく様には、自由意志の欠落した、野生的な獰猛さだけが染み付いていて──
「ど、どこまで逃げればいいのでしょうか!? このままでは、いつか追いつかれてしまいます!」
「あの情報」に辿り着いたのがトリガーだったのか? それともまた別の理由が? 今の二人が強制されているのは、一度のミスが命取りになる限界ギリギリの鬼ごっこ。瞬きさえも忘れてしまう緊張の中、ケイは意識のポケットに手を差し込んで、生存に繋がる糸口が隠れていないかと無造作に底を漁る。
フラットに広がる平面の一角、地平線の下から台形状の岩の大地が孤独に顔を出す。これ幸いと全力でハンドルを回し、車体をするりとその陰に潜り込ませた。ビナーの短絡的な行進は止まることなく、一度は胴体を岩肌に叩きつけ、軽く速度を落としたが、空を覆った頭部からの目線は依然としてターゲットを捉えて離さない。首を伸ばした上半身に引っ張られる形で、その先に繋がっている分厚い節々も、ガリガリと岩壁に擦りつけられながら、遅れてその後を追随してくる。
私たちを狙う理由があるにしろ、ただ目に入ったものへ興味を示しているだけにしろ、穏便に追跡を止めてもらえるとは思えない。このまま逃げ切ることも現実的ではない。……であれば、どうにか再び
「……アリス! もう一度攻撃を……そう、例えば走行中の車の屋根に立って、先程みたいにエネルギー弾を打ち込めますか?」
「えっと、えーっと…………い、今はできません! 蓄えていた
サイドミラーに映る追跡者の影。天井に付いたハッチの扉。そして、助手席の肩にストラップを通し、座席の背中後方に立てかけられたレールガン。てきぱきと周囲を見渡していたアリスから、ややパニックになりながらも理路整然とした答えが返ってくる。
硬い装甲を持つ相手に効果的なダメージを負わせるには、ちまちまとした銃撃ばかりでは意味が薄い。故に、求められているのは、溜めに溜め込まれた莫大なエネルギーの一撃。とはいえ、不安定な足場の上で決着を急ごうものなら、十中八九、準備に費やした時間が無駄になる。それならばと車を停めたくなる気持ちが膨らみかけるが、この状況でそんなことをしたら、後ろから覆い被さる砂嵐にたちまち呑み込まれてしまうだろう。
「──何にせよ、時間稼ぎは必要ですね」
右腕に全体重を乗せ固定したステアリングが、袖口から零れる砂利でざらついていく。その間、空いた左手の五指は忙しなく中央モニターを操作していた。すると、助手席上の天井の一部がカチャリと開いて、内壁の裏からケーブルに接続された長方形の機械の箱が降りてくる。同時に席の前方下側からは、中心に厳ついスティックレバーが備えられた、ゲームのコントローラーのようなデバイスがアリスの前に迫り出してきた。
「あっ、これって……!」
「預言者相手にどこまで効くかは不明ですが、ひとまずそのタレットで撃ちまくってください! 防御の薄い……目元のあたりとか! 弾は今まで使っていなかった分、大量に残ってますから!」
「レース担当のケイ、シューティング担当のアリスということですね! 任せてください!」
アリスが素早く身に着けたゴーグルの先は、車後方を映すリアカメラの映像に連動していた。画面を埋める
急速回転し始めた銃身が、外壁に付着する砂埃を吹き飛ばす。人を相手にするだけであれば、十分な速度で飛んでいく銃弾。だが、その大多数は容易く弾かれて、装甲の隙間へと潜り込んだ微小な鉄塊だけが、ビナーの意識を刺激する。それでも強大な相手にとっては、肌がほんのりヒリヒリして若干集中が乱される、程度の影響で済んでいるはずだ。鬼ごっこの始まる前からビナーの周囲を飛んでいたドローン達も、先程からなけなしの武装を用いて豆鉄砲を打ち込んでいるが、その中に有効打が含まれているかどうかは、最早言うまでもないだろう。
(元より攻撃性能は期待していません。あの子達の役割は、他に──)
タレットの反動も加わって、じゃじゃ馬という言葉では収まらなくなってきたハンドルの挙動を、顔に血が上ったケイが無心で受け止めていた。右へ、左へ。両腕をオーバーに傾ける度に、砂まみれのままの制服から鳴る、ジャリジャリとざらついた音が呼吸を削る。
アリスの奇襲は間違いなく、致命的なダメージとして蓄積されているはず。もし、あと一回、同規模の衝撃を与えられれば。……どうにかして、攻撃の隙を作れないか? あの鬼が私達を捕まえてしまうまでの、限られたタイムリミットの中で。
筋肉が痙攣し強張る胴体とは反対に、トップスピードで濁りなく流れ続けるケイの思考。破綻することなく高速を維持するその回転は、彼女の性格を形成している二つの要素──即ち、備えられた膨大な知識が繊細な制御を行い、激しく脈動する生への執着を燃料にすることで実現されていた。モニターに映っているのは、万が一にも行き止まりへ追い込まれないようにと、逐一更新されていく地図画像。アリスは不安を押し込んだ反動で若干興奮気味になっており、標的への攻撃に黙ってのめり込んでいる。二人の背後、仄かに混じりあった淡い色相が、充電最中のレールガンを無言で見守っていた。
「……アリス、これからの作戦を話します。よく聞いてくださいね────」
◆◆◆
アクセルペダルの反発が伝わる足裏に、ジクリと鈍い痛みが広がった。この板に脚を掛け始めてから、一体何分が経ったのだろうか。
一進一退の追い駆けっこがしばらく続き、砂の波に向かってアップダウンを繰り返した回数が、両手両足の指では数え切れなくなってきた頃。一見すると何も変わっていないようビナーの振る舞いが、じわじわと激しさを増しているのをケイは見抜いていた。
しつこく周囲を飛び回るドローン、休みなく打ち込まれるガトリングの弾丸、すぐ目の前にいるはずなのに、中々どうして追いつくことの出来ない鼠。寝ぼけ眼の鯨の顔からは全く表情を読み取れないが、その白い鱗の下には解消できない苛立ちが募ってきているのかもしれない。
「──どうですか! これが、アリスの
以前、タレットの試し撃ちをした時にも実感していたが、アリスの射撃精度は平均以上に正確なものであった。とはいえ本人の技術に併せて、実際の環境への適応も重要な要因だったようだ。この短時間で彼女は、相手の瞳孔や首元といった装甲の薄い、的が小さい箇所であっても、積極的な狙いをつけられるようになっていた。
乱雑な運転に対応するため走行性能がカスタマイズされているとはいえ、一般車に比べて重心が不安定なキャンピングカー。その手綱を引くためにケイは脳のリソースの大半を要求されていたが、そんな中でもビナーとの距離が徐々に離れていることは認識できていた。この調子なら、追いつかれる前に
薄っすら浮かんだえくぼの凹みを、不気味な風がぞわりと撫で去った。
「……? ケイ! ビナーの様子が……な、何かおかしいです!」
これまで複雑な振る舞いをしてこなかった預言者の様子が、明らかに異質な雰囲気へと変貌する。一点突破な邁進は、気づいた時には止まっていた。残存した慣性に引きずられるまま砂原の上を転げながら、嫌々駄々を捏ねる子供のように、細長い身体をビタンビタンと左右に叩きつける。そうして遂には倒れ込んだかと思えば、ズリズリと蛇腹を地面に擦り付け始めていた。
「…………!? まずい! アリス、背中を丸めてレバーに掴まってください!」
「え、でも、今のうちに──」
逃走か、もしくは反撃か。ビナーが初めて見せた隙のある動き。今ならこの膠着状態を打開できるかもしれない。アリスの頭に
ペダルの上で置物になっていた右足を、ノーモーションで左に移す。唐突なストップを突き付けられたエンジンとタイヤが、キリキリと痛々しい悲鳴を上げた。前方へそのまま一回転してしまうのではないかという角度まで車体がつんのめり、ふわりと内臓が浮き上がる感覚が押し寄せた次の瞬間、後輪の着地する衝撃が尾てい骨を大きく痺れさせる。
力任せにレバーを引いてサイドブレーキを効かせたのと同刻。車の背面を直撃したのは、脳髄を芯から揺さぶる猛烈なインパクトであった。
「うわぁぁ!? 急──砂嵐────!?」
「ビナーが、潜行──これ──余波に過ぎ────くぅ……!!」
爆風に呑まれて今にも横転してしまいそうな車体にしがみつき、ひたすらに嵐が過ぎ去るまでを耐える二人。地面に爪を突き立て身を固めていた車も、完全にその場へ留まっていることは出来ず、平行に並んだ深いタイヤ痕を置き去りにして前方へと押し込まれていく。何層にも
このまま最後まで持ち堪えられるのか。果たして車は、私たちは今も無事なのか?
途方もない時間に感じられた抵抗の終わりは、あっけないほど唐突に訪れた。グワングワンと耳鳴りの残る頭を上げると、そこに広がっていたのは、抜けるような青空の下、風の音も聞こえない静寂に支配された赤茶の大地。世界を引き裂いていた混乱は、始めからそんなものはなかったと言わんばかりに、記憶の外側へと消え去っていた。
「……終わり、ましたか? …………ふぅ、よかった──」
アリスが安心して胸を撫で下ろせたのは、一回の息継ぎにも満たない時間だった。助手席からそろりと外の様子を窺い見ている傍ら。訓練で習ったことをなぞるが如きシームレスさで、迷いなく四肢を動かしていたケイは、浅い呼吸のままに既にアクセルを踏み切っていた。
──キャンピングカーの丁度真下。堆積した熱砂の深淵から迫りくる、この身の毛のよだつ地鳴りから逃れるために。
つい先刻まで頭を抱えて縮こまっていた砂原の下から、その大顎をグワリと広げたビナーの巨体が、太陽を丸呑みしに行くのではないかという高度まで真一文字に突き上がった。数十の節で繋ぎ合わされた胴体を後方へ大きく反らすと、頭頂部を起点に何かの音声が発される。それは、獲物への敵意が込もった威嚇の叫びとも、無駄な足掻きを見せる弱者に向けた呆れ声ともつかない言葉。寝起きに漏れる意味を成さない呻き声のような、間の抜けた情けなさすら感じられる、ただの嗚咽としか形容できないものであった。
それだけに、怪物の口腔を隅々まで染め上げている破壊の光、神の存在さえも予感させる眩い威光とは、全く釣り合いが取れていなかった。その不可解な軋轢が生み出していたのは、子どもの無邪気さの中に潜む暴力性にも似た、根源的な
(熱線!? 潜伏の隙に準備なんて、今までは……!!)
潜行による隠匿、死角からの急襲。破滅的な質量攻撃だけは避けなければいけないと運転操作に集中していたケイであったが……一歩先に付け加えられた相手の気まぐれ、そこまでをも想定する余裕は持ち合わせていなかった。シナプスを駆け巡る電気信号が遅延したのは、ゼロを何個も重ね合わせた小数点以下の刹那。それなのに、
「────左です、ケイ!!!」
全身の皮膚に張り付いた汗が、みるみるうちに冷え切っていく。そんな彼女の背中を押したのは、いつだって聞き逃すことのなかった、青く透き通った仲間の一声だった。
ケイが車を急発進させていたタイミング。まだ危機は去っていないと気づいたアリスがゴーグルを被ると、嵐から生還したカメラはビナーの姿をはっきりと映し出していた。真正面から砲撃の予備動作を目視できていたアリスの判断は、ケイの認識よりも数コンマだけ先を進んでいたのだ。
情報を頭の中に詰め込んで、複雑な組み合わせを何通りも試すような熟考とは、真逆。アリスの言葉以外の一切を捨て去って、その情報だけを身の内に巡らせようと、思考を漂白の海に浸す。そうして意識の何もかもが透明になって、目の前に真っ白な虚無だけが残る極点。ハンドルを握る掌の触覚が脳に届くまでの、圧縮された時間の狭間で。本来訪れるはずだった未来を超越し、ほんの数ミリ早く動いた両腕によって、二人にとっての致命的なズレは圧し潰されることとなった。
この世の音という概念を消滅させてしまうのではと錯覚する、極限まで磨かれた鋭利なつんざき。それが、首の後ろから迫ってくる──そう頭が知覚した時には、窓から押し寄せる白光の奔流が、二人を一色へと塗りつぶしていた。空間そのものを震わせる轟音の中で、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられていく彼女達の自我。
独楽のような回転で砂上に投げ出された車は、熱線の軌道から百メートル弱離れた位置でようやく停止した。光の通り過ぎた軌跡上では、液状に熔解した砂がグツグツと煮えたぎっており、周囲の大地を段々と黒く焦がしていく有様は、その場所だけ終末の風景を前借りをしているのだと言われても、疑問に思わず納得してしまうほどに現実離れしたものだった。
「か、間一髪、でした…………」
「──いとも簡単に、大地を熔かしてしまうなんて」
あの光軌の中心は、四桁を超える温度の灼熱であるということだ。現在のキヴォトスに存在する高位の神秘であっても、無傷で受けきることは極めて困難であろう破壊力。もしも、アリスの声掛けがなく、僅かにでも車に掠っていたら……。内に詰まったあらゆる器官を揺さぶられグロッキーになっていたケイの顔が、更に青みを増していく。
反面、身体の中に詰まっていたものを吐き出せてスッキリしたのか、やり切ったように首を垂れていたビナーは、どこか虚ろな目で標的を見つめていた。あれだけ露わになっていた苛立ちはころりと消えて、目覚めた直後と同質の無機質さで追跡を再開しようとする。強大なエネルギーと共に、今までの記憶も放り出してしまったかのようだ。
「……とにかく、もうすぐそこです! また同じことをされる前に、急ぎますよ!」
いくらデカグラマトンの預言者といえども、あの規模の攻撃を連発するのは難しいだろう。それに地下への潜行だって、頻繁には仕掛けてこないはずだ。砂漠の真ん中で彷徨っている小さな虫なんて、始めから砂嵐を起こして翻弄していれば、下手に逃げさせるまでもなく捕食してしまえるのだから。それなのに、ビナーがしてくる行動と言えば、目標に向かって無策に突っ込んでくることだけ。思えば、背に搭載されているミサイル砲も、今回の遭遇では使ってくる素振りすら見せていない。
二人を追跡したいという意欲は間違いなく存在しているというのに、自身の性能を活かした手段で追いつめることはせず、いざ強力な動きをしたかと思えば、ただの思いつきのような振る舞いが目立つ。ビナーがちぐはぐな振る舞いを見せている理由は未だ不明だが、そこに付け入る隙が生まれているのは紛れもない事実だった。
強風吹き晒す天空に、拙く張られた綱の上を、何度も落ちそうになりながら進んでいく。けれどもケイの足先は、鈍ることなく前を向き続けていた。
◆◆◆
誰が相手であっても。どんな場所であっても。鬼ごっこはいつか終わってしまうものだ。
二人を乗せた車が往くのは、サラサラの砂に覆われた大地から、ゴツゴツとした岩肌が露出する道に変化していた。後方につける機械の巨獣にとっては、波打つ砂山に邪魔されることもなくなり、より動きやすい環境になっていたのだろう。起こし気味だった上体を地面に沿わせて、蛇がスルスルと這うような動作で、今日一番の速度を出していた。低姿勢の相手には狙いをつけられないのか、タレットによる攻撃は既に止んでいる。
障害となる要因が減少したことで、二者間の距離は着々と縮まっていた。ビナーの口元に獲物が届いてしまうまで、もう猶予は残されていない。
西の地平線上に浮かぶ太陽は、橙の核を剥き出しにして、燃え尽きる間際の残光を滲ませる。
鬼ごっこが、終わってしまう。いつかは鬼に追いつかれてしまうから。日が空の彼方に沈んでしまえば、お遊びの時間はそこで終わってしまうから。
「────でも、逃げる者が指をくわえているだけなんて、誰が言いましたか?」
継続的に響いていた蛇腹と地べたが擦り合わされる音とは別物の、ガチン! と一際大きく轟いた異音が、確立しきっていた双方の立場にヒビを入れる。仄かな違和感も意に介さず前を向き口を開けていたビナーであったが、その噛みつきが数回空を切った後、ようやく今の自分が置かれている状況を認識したようだ。
その太く長く繋がり伸びる帯状の身体は、左右に切り立つ岩崖が窮屈に並び立ち、キャンピングカーが対向車とすれ違えるかどうかといった幅まで狭まっている一本道へと、いつの間にかに誘導されていた。ケイたちが映像越しにビナーを発見した場所。その峡谷まで戻ってきていたのだ。
「結局、最後まで猪突猛進なままで助かりましたよ。……そうでなければ、こんなに狭苦しいところまで、素直に追って来なかったでしょう?」
斜陽に抱かれて影となった車の死角から、少女がよろよろと姿を現した。額に掛かる前髪はぐちゃぐちゃに乱れて、砂と皺で揉みくちゃになった制服に身を包む。そのシルエットは、人一倍身なりを気にする普段のケイから想像できないほどのみすぼらしさで。けれどもその両目に燃え盛る反抗心だけは、いつも以上に鮮やかな赤紫の炎を滾らせていた。
どうにかして嵌ったトラップから逃れようと、荒っぽく胴体をくねらせるビナー。しかし、一切の
「ここが砂原であれば、無理やり抜け出したり、地面の下へと逃げられたのかもしれませんが……硬い岩盤を貫けていなかったのは逃走中に見ていましたよ。……アリス!」
はい! と車内から聞こえた元気の良い返事に呼び起こされて、休息を経て十分に冷却された銃身が再び回転し始める。ピタリと狙いの定まった弾丸の行先は、ビナーの下顎と胴体の境目にある、目立たない一枚の装甲板。追手に張り付いていた三機のドローンが、砂嵐の暴風に巻き込まれ機能停止になる直前まで把握しようと奮闘していたウィークポイント。ここならば突き崩せると分析された弱点が、その部位の内に秘められていた。
簡単に負傷しないはずの白い外壁が、十秒近く集中した猛攻を受け、バキバキと上がる破砕音と共にひしゃげていく。内側の組織を露わにして首元にぶら下がるその壁は、まるで龍の逆鱗の如く真っ赤に腫れあがっていた。
ビナーも無抵抗のままではなく、たまらず驚嘆を含んだ叫び声を上げる。目の前の機体から発されているのは、砂漠で暴れていた時から変わらない、空っぽな意志から絞り出された本能の気配。ただただ反射的に込み上げただけの、無機質な反応。彼の者は自身を取り囲んでいる障害を──阻む地形と立ち塞がる相手を──根底から焼き払ってしまおうと、真っ暗な闇が充溢する巨大な砲門の奥から、鋭利で眩しい黄昏の光を立ち昇らせようとして。
向き合う両者の視界をいち早く奪ったのは──はちきれんばかりの感情で破裂しそうな、目を眩ませる鮮烈なマゼンタであった。
「──エネルギー充填、百パーセント。アリスの魔力は使い果たされ、あなたのとっておきも間に合わない。……今回ピリオドを打つのは、私の役目になったようです」
精一杯の強がりの言葉は、銃口に空いた白い孔へと吸い込まれていく。煌々と光の靄が流れるレールガンを覚束ない両腕で抱え込み、自身の在り方を誇示するように、震える両脚を前後に大きく開いた。最高潮に至ったモータースピンが、淀んだ空気を一掃する。肉体の疲労はピークに達しているというのに、トリガーに掛かった指先の神経は、かつてないほど明瞭に研ぎ澄まされていた。
この
ならば、きっと貫ける。この私自身が、そう信じているのだから。
「……元はと言えば、私のちょっかいから始まってしまったことですが。八つ当たりの一回くらいは、許してくれますか?」
悠遠の昔に顔を隠した、名もなき神々が
預言者の眼に浮かび上がる曙光。それは瞳孔の奥深くまで照らし上げる、彼女の強烈な意志の表れか。──或いは、それを呼び水にして夢の殻を突き破った、預言者自身の自由意志だったのかもしれない。
「少し痛みますよ、我慢してくださいね……!」
世界を塗り替える、白。
正中で煌めく、生命の息吹。
「光よ────────!!!」
雄叫びに呼応し爆発した紅の閃光が、峡谷の狭間を一直線に迸った! その瞬間を目撃していなければ、ちっぽけな体躯から撃ち出されたとは考えられないだろう、雷鳴を纏った巨大な光球。剥き出しとなったビナーの弱点に到達すると、目を奪われ硬直していた鯨の頭を、後方へと勢い良く弾き飛ばす。グワングワンとよろめきながら、天に向かって慣れ親しんだ咆哮をひとしきり上げた後、そのまま重力に任せて静かに倒れ込んでいった。
丸いバーニアの軌跡を描いて、グルグルと二、三周回転して止まるケイ。反動を受け止めていた瞼を開けて、ゆっくり正面を見据えたら、そこには沈黙する機械の残骸が寝そべっている。朦朧とする意識の中で、ケイが作戦の成功に気が付いたのは、数秒遅れてのことだった。……どうやら、終わったみたいだ。長らく張り詰めていた緊張の糸が切れ、全身の筋肉が弛緩する。
がくりと膝を着いたケイを支えるように、駆け寄っていたもう一人の少女が背の後ろから両手を回す。どんな豪華な褒美であっても匹敵するものはそうそうない、このかけがえのない優しい温もり。二人は言葉を発することなく、しばらくその場で寄り添っていた。
夕暮れに染まる黄金色の高天に、あの瞬間、確かに咲き誇っていた