拝啓、流星の彼方へ   作:Mr. Sugary

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#20 ロッシュ限界でビター・ハグを

 ここは無音の廃都の外れ、パラパラと住居が立ち並ぶ。ペンキの所々が剥がれ落ち、内部のコンクリートが斜陽に浸る、こぢんまりとした三階建ての集合住宅。シュー、シューッ……と潜水士の発する呼吸のような音を引き連れて、一人の少女がその屋上へと降り立った。

 

「──っと。目的地に到着しました! ……しま、したよね?」

 

 カチャカチャと機械の羽を折り畳み、おもむろに周囲を見渡してみるアリス。ハテナマークを頭に浮かべていると、敏捷性抜群の装備(アビ・エシュフ)に身を包んだ彼女の横へ、ふわりとフリスビー型のドローンが飛んでくる。

 

「はい。ここが音の発生源のはずです」

 

 ケイの淡々と落ち着いた声色は、スピーカー越しであっても変わらぬ響きのままであった。

 

「少し待ってくださいね、色々調べてみますから……」

 

 同時刻、街の入口付近で待機するキャンピングカーの窓からは、ほんのりとブルーライトの光が漏れ出ていた。忙しなく両指を躍らせるケイの正面には、現場の映像が映し出された大きなモニターがセットされている。

 

 中央に見える床面の破砕。僅かに残された焦げ跡。「何か」がこの場所に墜落したのか、或いは打ち込まれたのか。そこまでは推察していた通り。けれどその先、目まぐるしくセンサーを切り替えようとも、「真犯人」に繋がる情報は何故か一つも浮かび上がってこない。

 

「……ダメですね。肝心な部分が……。アリスからはどう見えますか?」

「ええと。重要そうなもの(キーアイテム)は見当たりませんが……」

 

 一室の教室にも満たない屋上の四方を、錆と埃で汚れた手すりが取り囲む。その一角に腰を寄りかけ、ふぅと息をつくアリスの両肩には、奥へ奥へと続いていく街並みが圧(の)し掛かっていた。

 

 音の発生からここに至るまで、およそ一時間弱。この短時間で証拠品のほとんどは持ち去られてしまった、ということなのだろうか。外枠は組み上がったものの、主題を構成するピースが悉(ことごと)く抜けたパズルを目にしている時のような、じれったい感情が心をくすぐる。それでも冷静さを保って事へ挑めているのは、数日前、この件以上に突拍子もない出来事に遭遇していたせいでもあるのだろう。

 

「わぁ!? ダメですよ、ここは高くて危ないです!」

 

 ふと急に騒がしくなった方へ目(カメラ)を向けると、もう一つの探し物が自分の存在を元気よく主張しているところだった。クリアに透けたショルダーバッグがもぞもぞと波打ち、内で転げ回る小さな毛玉を、アリスがいそいそと宥めている。

 

「アライグマは隙さえあればすぐ逃げ出そうとしますから、注意してくださいね。……空気の通り道だって、そこまで広く開けておかなくても──」

「さっきも聞きました、ケイ! この子は少しやんちゃなだけなんです。大丈夫ですよ」

「……あと、なるべく肌にも触れさせないように」

 

 分かっています! と無邪気に答えるアリスの顔は、ペットケージ代わりのカバンに釘付けのまま。上機嫌でじゃれつく赤子が、ビニルにグリグリと鼻を擦りつける。出会ってからまだちょっとの時間しか経っていないのに、お互いすっかり愛着が湧いてしまったようだ。しゃがみ込んで優しく丸まった姉の背中を、ケイは一人、喉に何かが突っかかったような表情で見守っていた。

 

「きっとすぐに見つかります! アリスたちにお任せください!」

 

 そんなやり取りの間も、車内を照らす画面上では着々と生息域が絞られていく。あぜ道に置き去られた足跡、街角に溜められたフンの状態。アリスを追随するドローン以外にも、街中を飛び回る他の数機が広域観測の任務を遂行していた。この情報収集のペースであれば、家族との再会はそう遠くないだろう。

 

 闇雲に徒歩で探し回るよりも効率的だ、ケイがサポートでアリスが実動役でいこう、それなら臨機応変に対応しやすい装備で……と、トントン拍子で決まった作戦だったが、無事に機能しているようで一安心といったところか。

 

 とはいえ、反してもう一方。──異音の正体に繋がる続報。それを何(いず)れの機体も発見できていない現状が、本件に這い寄る判然としない不気味さをジワジワと助長しているのも事実だった。

 

「……ここで出来ることは、もうなさそうですね。あの音にしろ、アライグマにしろ、引き続き情報を集めてみます。アリスも自由に街を探索してみてください」

「ラジャーです! 前作ぶりのアーマード・アリス、偵察を継続します!」

 

 脇の深くに抱えたバッグと共に、ピョンと手すりを飛び越えて、ふわりと地表へ着地した。スラスターから噴き出す気流が地面に跳ね返り、腰回りを飾るスカートの裾をひらひらと揺らす。アリスの纏う装甲(スーツ)は汚れ一つなく、しばらく押入れで出番を待っていた分、意気揚々と張り切るように輝いていた。

 

(……?)

「ケイ! 早くしないと置いていってしまいますよ!」

 

 

◆◆

 

 

 久々に歩くからっぽの町からは、旋毛(つむじ)風の音がいやに五月蠅(うるさ)く響いていた。

 

 市街地の奥までこんなに踏み込んだのは、サンクトゥムタワーを目指していた時以来だったろうか。薄っすらと積もった砂埃の膜が、足跡を浮かび上がらせる道中。彼女たちにとっては、とっくに見慣れた崩壊の景色。

 

 それなのに、長らく網膜に焼き付いていたこの世界は、気づけばカラカラに乾いてしまったようにも思えて。

 

「足元、気を付けてください」

 

 街の一角、アリスは小さな公園を散策していた。敷地の周囲をぐるりと囲む、随所に銃痕がこびりついた遊歩道は、伸び放題となった雑草に両脇から侵されて、大部分が緑の中へ取り込まれている。

 

 外路に出ると、完全に火の気を失い、無造作に放棄された車両がちらほらと目に入る。割れた窓ガラスから車内を覗き込んでみると、シートには青臭い水溜まり。派手な赤色で塗装されたボンネットは、水滴の染みや鳥のフンで汚されていた。ゴミ捨て場のガラクタ同然に褪せたそれらを見ていると、かつて元気に走っていた姿も何かの拍子に忘れてしまいそうだ。

 

「これでは、いつでも誰でも入り放題です」

 

 人がせっせと積み重ねてきた「内と外」の二項対立は、今や珍しい概念と成り果てている。道路に面した小さなスーパーマーケット。自動ドアがあったはずの四角い空間は大きく歪み、二枚分のガラス破片と共に、外されたドア枠が地面に放り出されていた。

 

 大通りの先には、レンガ壁にぽっかり大穴の空いたビルが建っていた。最初の数日間に整備不良のガス管でも爆発したのだろうか。辺り一面に構造物の残骸が散らばっていて。一部は風に持ち去らされて、残された土塊(つちくれ)も刺々しい異物感を手放し、壁や地面に自然と溶け込んでいるように見える。総じて、元の状態からかけ離れた景観だというのに、どういう訳か、そこには不思議な調和が生まれていた。まるで、この混沌こそがあるべき姿なのだと語っているかのように。

 

「なぜでしょうか。挑んでいるのは前と同じダンジョンのはずなのに。アリスの気づいていない(モニターに映っていない)ところで、何かが変わっていっているような……」

 

 温もりも冷たさも感じ取れない、モノクロの足音。どこからともなく、「あなたたちは相(・)応(・)し(・)く(・)な(・)い(・)」と無機質に指を指されている錯覚。

 

「──ここは、アリスの知っているキヴォトス、なんですよね」

 

 赤橙に滲む夕焼けが、少女の形をした洞(うろ)を一つ、アスファルトに落としていた。

 

 

 

「自然の力ですよ、それが」

 

 その言葉とは対極にある物体(機械)が、アリスの背後で音を漏らす。

 

「いつも私たちの傍にあった……当たり前のことすぎて、意識する機会もなくなっていた自然本来の在り方が、人の営みを覆い尽くしつつあるのです」

 

 それは世界が誕生した時から宿していた──いや、世界そのものと言っていい──強大なう(・)ね(・)り(・)だった。ヒトに崇められ、恐れられ、神の雛形さえも希求された至高の現象(ことわり)。気も遠くなるほど長い歴史の中で人間と闘争し、共生してきた隣人は、釣り合う錘(おもり)の消えた天秤から足を踏み出し、あるがままの流れに沿って走り出していた。

 

「まだ、一か月も経っていないのに」

「驚くのも無理はありません。……エントロピーに従って圧力を増す野性、それを堰(せ)き止めながら存続してきた人間社会。両者が共に大きな力を秘めていて、だからこそ片方が失われた時の変容は……濁流のように激しいのでしょう」

 

 声に乗った感情すらも、今の世界においては異分子だった。数歩先の街路樹にも届くことなく、形を保てず霧散していく。それでも、人の目が静止画とも捉えてしまうこの景観は、あるものにとっては今まで通りの生き生きとした鼓動を響かせている。

 

「あなた達は、こんな日常を生きてきたのですね。……これまでずっーと」

 

 小さな獣は、アリスの顔を只々不思議そうに見つめ返していた。そこにかかった陰りの理由も知らないままに。

 

「その子を連れていくこと、最初は悩んでいましたよね。困っている動物を見逃せなくなって、そのまま彼らの社会に手を差し伸べるのが習慣になってしまって……ある時その行為が、野生で生きる能力を奪うことに繋がってしまうかもしれない。……そんな未来の始まりになってしまうのではないかと、杞憂していたからなんです」

 

「アリスには……そんなことするつもりも、する力もありませんよ……?」

 

「ヒト一人が持つ影響は些細だとしても、『きっかけ』くらいであれば幾らでも生み出せてしまえるのですよ」

 

 平静を貫いているように見えたケイの声色に、僅かばかりであったが、初めて揺らぎが混じり込む。

 

 人間と自然が互いを破壊しないよう維持してきた距離。ひとたび閾値を超えてしまえば、癒えることない傷が穿たれる限界。共感、尊重、協同。アリスの根幹に秘められた行動原理は、この不安定な世界の均衡を焼き切ってしまうには十分すぎるほどに眩しかった。

 

 自然を哀れむのは人の傲慢? 霊長の視座から見下しているだけ? ──理路整然とした哲学論議は今の二人に意味を為さない。自身の行為で生まれた悲惨な結果を、仮にアリスが受け止めねばならない時が来たとしたら。いくら慰めの言葉をかけようとも、彼女はその因果に「責任」の存在を見出し、目を瞑(つむ)らずに背負っていくことだけは確かなのだから。そんな顛末を、ケイが望んでいるはずはなかった。

 

「──逆に言えば、それは限りなく気楽な関係だと言えるかもしれません。私たちが手を差し伸べなくとも世界は変わらず回っていく、ということでもありますから」

 

「それは……この子も一緒に、という意味ですか?」

 

「ええ。私たちだけの話ではありません。たとえ、今みたいに人類が一人残らず消え去ったとしても同じことです。街が自然に呑み込まれる傍らで、動物たちは変化に適応しながら生活を続け、何十年、何百年と種を繋げていく。いつかは姿を消す種もあるかもしれません。でもそうしたら、空いた隙間を別の生物が補って。……その繰り返しが何千年、何万年──宇宙そのものが死を迎えるまで続くのです」

 

 ケイが語っていたのは、今この瞬間にも迫っているバッドエンドの可能性。そして、もしかすると遠い未来でこの方舟(キヴォトス)が辿り着くかもしれない終着駅、その向こう側に広がる風景の一篇(いっぺん)だった。

 

 

 

 果たして、私(・)た(・)ち(・)にとってリアルな結末でありうるのかどうか。その確率の算出すらも到底不可能な光景は、誰もがいなくなった未来から、二人の間に数刻の沈黙を運んできていた。

 

「…………すみません、その、アリスの選択を責めるつもりはなかったのです。今回は例外から始まったことですし、実際、この子を放置していたらどうなっていたか──」

「大丈夫です。ケイの気持ちは、ちゃんと伝わっていますよ」

 

 アリスは後ろを振り返る。ツインテールが淑やかになびいて、眩い夕陽が顔を白で遮った。最初に見えたのは陰となった口元の端、そこに浮かぶ柔らかなな微笑み。

 

「この旅でアリスは知りました。毎日が危険と隣り合わせで、頼れる仲間も少なくて、明日どうなっているかも分からない。そんなハードモードもびっくりな世界で生きていく大変さを。──本当にすごいことだと思います! も(・)し(・)も(・)ア(・)リ(・)ス(・)が(・)ひ(・)と(・)り(・)ぼ(・)っ(・)ち(・)だ(・)っ(・)た(・)ら(・)。そう考えてしまう時は何度もありましたが……どんな時だって、頭に浮かんだのはゲームオーバーの画面でしたから」

 

 カバンに触れる凪いだ手つき。儚げで、心地よさそうな鳴き声が、きゅうきゅうと黄昏の海に溶けていく。アリスの表情が、胸中が、ゆっくりと水面へ浮かび上がっていく。

 

「それに……この世界が将来どこまで続いていくのか……今のアリスには想像もつかないことです! 自然は、その中で生きている動物たちは、そこまで力強いものだったなんて!」

 

 一歩一歩を確かめながら紡がれる言葉に、嘘、欺瞞は何処にもなく、少女の本心だけが乗せられる。それ故に、鼓膜を揺さぶる感情は、息が詰まるほどに鮮烈で。

 

「──でも。大きすぎる宇宙の前ではアリスはちっぽけな存在で、この子と出会った今日の思い出も、いつかは土に埋もれてしまうのだとしたら。……そうしてずっとずっと遠くの未来、今とそっくりな星空の下。アリスたちが生きていたことを、誰も覚えていない世界が広がっているのだとしたら」

 

「アリス……」

 

「心の隅っこで、そんなことも想像してしまいました」

 

 

 

 白光の中、藍(哀)を抱き締める少女の瞳は、蜃気楼のようにゆらりゆらりと揺蕩っていた。

 

「────少し、さみしいお話ですね」

 

 

◆◆

 

 

「あの先……ですか、うん。その角を曲がれば、ゴールのはずです」

「わかりました! ……ほら、もうすぐ家族と会えますよ!」

 

 道なりに四十五分。中心街を突っ切って、一人と一機(そして一匹)は街の反対側まで行きついていた。街の規模もそこまで大きなものでなかったお陰で、あちらこちらに寄るまでもなく、在処の特定にまで漕ぎ着くことができていた。

 

(ただ、もう一つの方は……)

 

 思案に耽ろうとしたところで、曲がり角の向こうの景色が現れる。道は程なくして途切れ、その終点にて待ち構えていたのは、いかにも「廃屋」な外観をした小さな平屋の倉庫だった。

 

 ガタガタの外壁に空いた穴から隙間風がひゅるりと通り抜け、宙ぶらりんになったトタン屋根の端切れがキィキィと手を振っている。この損耗具合からして、管理は年単位で及んでいなさそうだ。見渡せばこの一帯は、そんな寂れた空気が漂う街の終端だった。

 

「そのドア……そこから入れませんか?」

 

 コクリと頷いたアリスは、閉じられた両開きの木製扉──面の大半が腐り落ち、ピッチリと噛み合っていた姿は見る影もない板切れ──を、もぎ取らないよう慎重に押し開けた。西の空からもうじき光が消え落ちそうといった時分。室内は暗闇に包まれているかと思っていたが、天井に出来た隙間から数枚の光の帳が下ろされており、舞い散る埃の粒子をキラキラと飾り込んでいる。

 

「──わぁ! ……ふふ、嬉しそうです」

 

 カバンのジッパーを緩めてやると、開け口にガシガシと押し付けられていた頭が、元気よく外へと飛び出した。迷子だったその子は一直線に駆け寄っていく。パラパラと砂粒が落ちる天井の下、廃屋の隅っこに集まっている、見覚えのある大家族の元へ。

 

 また食事中だったのだろうか、山盛りの食パンの欠片に群がっていたアライグマたちが一斉にこちらを向いた。その姿を見て次々と甲高い鳴き声を上げ、同じ背格好の子どもたちがぎゅうぎゅうに身体をぶつけ合う。彼らの言語に馴染みはなく、細かい意志までは汲み取れなかったが、その一挙手一投足に込められている感情は、二人にとっても身近な温もりで。

 

「ミッションコンプリート──ですね、ケイ!」

「……はい」

 

 アリスはしばらく、何も言わずにその様子を見つめていた。清らかで、少しだけ眉を斜にした表情の内側では、どんな記憶を回想し、どんな未来を夢想しているのだろう。単色では表せないグラデーションの情景が、彼女の面貌の上を走馬灯のように流れ去っていった。

 

 

◆◆

 

 

「それで……『音』の方はどうなんですか?」

 

 部外者が居座り続けるのも良くないだろう、ということで、二人は建物から少し離れた道端まで戻ってきていた。一難去ってまた一難。この街に寄り道を決めたもう一つの目的、次はそのことについて話さなければならない。

 

「相も変わらず『発信源』の素性はさっぱりです。……ただ」

「ただ?」

「……この街に来てからずっと、何かに付き纏われているのは確かなんです。正体不明の違和感、と言えばいいのでしょうか」

 

 街の路地を流れる自然の潮流が、人の気配を着実に攫(さら)っていく。ともすると、そんな風景の中で一際異彩を放つものと言えば。──新たに刻まれた人(・)為(・)的(・)な産物の他にないだろう。

 

「例えば……アリスは気づきましたか? あの動物たちが食べていたもの──」

「え? 確か、パンの……どこかのお店から漁ってきたもの、でしょうか?」

「最初は私もそう思っていました。ですが、仮にそうだったとすると……あまりにも『お行儀が良すぎる』とは思いませんか?」

 

 獣の四肢と顎で分割したにしては、均等すぎる大きさの欠片。それが一か所に山の形でまとめられていて、方々に白い屑が散らばっている訳でもない。おまけに、破かれた包装袋も見当たらないときたものだ。何に使うのかも分からない機材たちが、グチャグチャに掻き回したサラダボウルのように散乱している倉庫内で、その周囲だけが取って付けたような小綺麗さに染まっていた。

 

「それは……誰(・)か(・)が(・)ア(・)ラ(・)イ(・)グ(・)マ(・)に(・)エ(・)サ(・)を(・)あ(・)げ(・)て(・)い(・)た(・)、ということですか!?」

「可能性の話です。強引に紐づけようと思えば、他にも不可解なものはありましたが」

 

 あの会話の前に通り過ぎたスーパーマーケット。異常事態とはいえ、交通事故の跡地でもない場所にある建物のドア枠が根元から外されているというのは、いくら何でも不自然だ。それに、周囲に散らばっていたガラス片の量もそ(・)っ(・)く(・)り(・)そ(・)の(・)ま(・)ま(・)であり……。それはつまり、割られたのがつい最近である可能性を示唆していた。

 

 当の事件現場だってそうだ。何も残されていないと思っていた屋上区画。外周を取り囲む鉄柵は、あんなにも錆や埃で汚れていたというのに、そこに寄り掛かっていたアリスの服は何故汚れていないのか? ……言い換えるのならば、何故その箇所だけ汚れが付着していなかったのか? ピンポイントで汚れを拭った「誰か」が過去その場にいたというのか。

 

「「…………」」

 

 姿はどこにも見えないというのに、影だけが耳元でひっそり囁きかけてくる。そんな薄気味悪い状況を前に、自分たち以外の生存者に会えるかもしれない小さな期待と、未知の存在から滲み出る大きな恐怖の間で、二人の心境はふらついていた。

 

「……まあ、とはいえもう日が沈む時間です。詳しい調査は明日に回しましょう。なるべく早めに……気をつけて戻ってきてください」

 

 解決に進んでいるかも不確かな現状だったが、何はともあれ私たちのやることは変わらない。手掛かりは着実に集まっているし、夜間もドローンの目が光り続ける。悪い事態にはならないはずだ。そう自分に言い聞かせながら、ケイはマイクに話しかける。

 

「あ、はい。分かりました! ……そうでした。その前に一つ──」

 

 

 

 あの轟音が始まりのチャイムだったのだとしたら、きっと今度は終わりを伝えにきたのだろう。

 

「──この音」

 

 映像を小刻みに揺らす鈍い震動。数秒も経たぬ内、それが廃屋から響いているのだと認識できた時には、今度はすぐ近くから小さな爆発音が届けられる。背に負ったブースターを急速に稼働させ、アリスが弾かれたように飛び出していったのだ。

 

「ちょっ、アリス…………っ!!」

 

 一手遅れてケイのドローンが後を追う。柱か、天井か、はたまた構造物全体か。とにかく、老朽化の進んだ建物が倒壊しそうな兆しがあって、あの場にいる動物たちをその危機から救わなければならない。彼女はそれを反射的に判断したのだろう。

 

(無茶な飛び方を! ……中はどうなって!?)

 

 この短時間で微小だった重低音は指数関数的に増大し、その上にバキバキと木目が割れる高音が重なり合う。もう間もなくで臨界点か。そんなギリギリの瀬戸際で、画面に映るのはアリスが扉をぶち破っていく瞬間。ケイも続いて、ノイズに塗れ、激しく割れた風切り音に両耳を刺されながら、粉塵の舞う扉の奥へと突入して──

 

 

 

 そして、地平線の彼方へ日が落ちる刹那。

 

 一陣の風が、流星のように瞬いた。

 

 

◆◆

 

 

 文字通り、ありとあらゆるものが静止していた。

 

 木っ端みじんに吹き飛んで、宙に欠片を浮かせた入口の扉。今にも抜けてしまいそうな、バラバラになりかけの黒い天井。蜘蛛の子を散らすように、四方の壁に空いた穴へと逃げこんでいる獣。取り残されたものたちの上に覆い被さり、全身を使って庇おうとしているアリス。

 

 映し出された天地の全てが。……映像だけではない。ケイ以外の世界の全てが、写真に閉じ込められた像のように動きを止める。モノクロのペンキを浴びせ掛けられた「リアル」が、無音の美術館に展示されている。

 

 ──なればこそ、この瞬間だけは。視界の中央に立つ彼(・)女(・)は、この世のどんな生命よりも輝いていて。

 

「ん……次元が、凍結(フリーズ)した?」

 

 前後に伸びる楕円体の巨大な帽子。流線型のしなやかで華奢な躯体、それを背後から覆う清澄な長髪。所々が煤や錆で汚れていても、全身を染める無垢の白さは失われていなかった。黒のバイザーの下に隠された双眸には、トパーズの宝石が嵌め込まれている。

 

「────どうして」

 

 かつて、彼女はこう呼ばれていた。十番目の、全ての預言者を導く最後の預言者。「世界の果てに到達せし王国の巡礼者」。

 

 そして今は、ただの「マルクト」。あの日、ミレニアムからキヴォトスの空へと飛び立った彼女が、記憶の最後にある姿のまま、落下寸前だった天井板に片手を添えていた。

 

 

 

 ……いったい何が起きているのだろうか? 目の前の出来事に理解が全く追いついて来ない。まるで、出口のない白昼夢に引きずり込まれてしまったような感覚。しかし思考を回せば回すほど、拍動は高鳴り、巡る血潮が熱を帯びる。自身の肉体に、これは紛れもない現実だと警告される。

 

「その声、記憶(ストレージ)に……もしかして、ケイ、ですか?」

 

 小さな嗚咽が届いていたのか、彼女がこちらへと振り向いた。支えていた巨大な屋根板を軽々と地面に下ろし、ドローンの傍へと向かってくる。両手を伸ばせば、もう抱き着けてしまえそうな距離にまで。

 

「ここから遠隔で……意識だけが……成程。──また、会うことができましたね」

「え……ええ。お久しぶり、です。再会を労うには、少し奇妙な状況ですけれど」

 

 まじまじとカメラを覗き込む瞳。僅かな抑揚に含まれた喜びを、拾い上げられるほどに近づいた声。他愛のない挨拶に染み込んだ日常の匂いに釣られて、段々と口が緩んでしまう。

 

「え……っと、一体何から話せばいいのやら……。今までどこにいて……あ、もしかしてこの街に轟音発てて墜落したのも、動物にエサをあげていたのもマルクト、だったんですか? いやそもそもこの状況……というよりキヴォトスが何故こうなってしまったのかあなたは知って──」

「その、ケイ……」

 

 はっとして顔を上げると、面を食らったマルクトの姿が瞳に映る。聞きたいことが次々と溢れてきたせいで、気づけば捲(まく)し立ててしまっていたようだ。

 

「……焦りすぎですね、私。アリス以外の人と話したのは、久々だったので……」

 

 無言でケイの独白を受け止めていた彼女が、静かに周囲を振り返った。未だに静止したままの動物たちとアリスをさらりと、けれどしっかりと見据えるように一瞥して、そして再びケイの目線へと向き直る。その瞳がどんな感情を湛(たた)えていたのか、上手く汲み取ることはできなかった。それほどまでに、数多の鮮烈な感情が小さな器に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれて渦巻いていた。

 

「きっと、疑問に思うことが沢山あるのでしょう。長く問答ができればよかったのですが……やはり、維持は困難ですね」

 

 何時(いつ)から、何処(どこ)から聞こえているのか。曖昧模糊(あいまいもこ)なホワイトノイズの存在に、今となって気づかされる。少なくとも、無性に耳障りに思えるそれは、この空間を外側から狭めていくように、だんだんと音量を増していることだけは真実のようだった。

 

「この音……!?」

「あなた達が我の痕跡を収集し、我があなた達の記したログを見つけたように……互いの行動が『反映』されることはあっても、こうして意思疎通を図る機会が設けられたのは想定外の挙動(イレギュラー)だったようです」

(ログ……? ……ミレニアムの部室に残してきた、あれですか!)

 

 もう大声でないと聞き取れない雑音の壁。そして聴覚だけでなく、画面も、ケイ自身の視界そのものも、白黒の砂嵐に襲われ始める。

 

「──マルクト! であれば事情は把握しているはずです!! この『特異現象』の情報を……解決するための手掛かりを、あなたは持っていないのですか!?」

 

 刻々と迫るタイムリミットを前に、これだけは問わなければならないと声を張り上げる。キヴォトス全域を巻き込んだ異変の正体とは。消えた人々は、果たして戻ってくることが可能なのか。真相に迫る、降って湧いた絶好のチャンスだった。何故なら彼女も、あの場所(鋼鉄大陸)とは切り離せない因縁があるのだから。

 

「…………我は、全てを断言できる立(・)場(・)にはありません。ですので……伝えられる助言は、一つだけです」

 

 一呼吸置いて、口を開く。

 

 マルクトの顔つきは、ケイが求めていたものとはまるで違っていた。例えば、黒幕チックな嘲り。例えば、親友を気遣う微笑み。彼女の表情が、自身の立ち位置を一端でも示すものでありさえすれば、話はとても単純だったのに。

 

 

 

「──進(・)み(・)続(・)け(・)な(・)さ(・)い(・)、天童ケイ」

 

 じゃあ、あなたの見せるその顔は、何を意味しているというのですか……?

 

「あなた達がどのような道を歩き、そして歩んでいくのか、我の認知が及ぶ所ではありません。ですが、その足先は正しい方向へと進んでいるはずです」

「そ、れって」 

 

 彼女の顔の輪郭が認識できないレベルに、モノクロの粒になって散逸していく。皮膚を突き刺すノイズが喉を締め、とうとう自分の声すらも見当たらない。

 

「時間ですね。……ヒトが微睡(まどろ)みで漂う夢。『夢の中の夢』というのは、この邂逅のよう──ものかも────」

「マルクト、待っ────」

 

 二人が引き剥がされる最後の最後。

 

「旅の終──つての決戦の地──鋼鉄大────待っていま──我────た──が──────

 

 際限のない白い闇(ホワイトアウト)が、五感の全てを抉り取った。

 

 

◆◆◆

 

 

 それが、本日の特筆すべき一番最後の出来事だった。閉じた日記帳をサイドテーブルに置き、ゆっくりと運転席にもたれかかる。両の手のひらに乗りかかる頭の重さを感じながら、フロントガラスの先に浮かぶ月を仰いでいた。もうすぐ、満月だろうか。

 

 

 

「マ……『マルクトと話した』、って……本当ですか!?」

 

 自分に襲い来るはずだった天井が、突然ワープしたかのように隅へと片付けられていたのだ。それだけでも困惑に足る経験だというのに、上乗せの形で突拍子のない告白をされれば、その驚きようは天を突く勢いに達していた。

 

「幻視体験……いえ、とてもそうには思えないほど鮮明でした」

 

 あの後、時を置かずに帰投したアリスは、机から身を乗り出してケイの言葉を余さず聞き取ろうとしていた。体感時間にして一分にも満たない対峙、アリスは当然覚えていないし、ドローンの記録にだって何も残されていない。現実の間に挟み込まれた、嘘みたいな白昼夢の経験談。

 

「うーん。まるで推理ゲームに出てきそうな、意味深なヒントをくれる重要人物みたいですね。……でも、無事なのが分かっただけでも嬉しいです!」

 

 助けてくれたお礼を言えればよかったのですが、と付け加えながら、安堵の溜息と共に座り直す。

 

 結局その後も、彼女の姿を目撃することはできなかった。日の暮れた暗闇の中でも哨戒は引き続いていたが、享受するのは自然の静寂のみ。タイミングにして、ケイが「夢」から目を覚ました直後に記録されていた、嵐の如き突風音。何かがレッドウィンター領の方向へ飛んでいく音を最後に、正体不明だった違和感は綺麗さっぱり払拭されていた。

 

 しばらく二人で頭を悩ませ、そろそろ話せることも尽きてきたところで場をまとめたのは、アリスの快活な宣言だった。

 

「今日は色々な出来事(イベント)がありましたが……それでも、アリスたちの目指す場所は変わりません! 鋼鉄大陸のあった場所。そこにきっと、大事な何かがあるのです! アリスは……マルクトを信じています!」

 

 

 

 曇りのない眼でそう話していた彼女は今、ケイの頭上にある空間ですやすやと寝息を立てていた。実際ケイにも、マルクトの言葉は信じるに値するものだという直感がある。今の彼女の人となり、真摯な態度……当たり障りのない根拠はいくらでも挙げられたが、それ以上に、さながら宵の空に浮かぶ一番星のように、一段と目を奪われたものがあった。

 

 ──彼女が助言を絞り出す時に見せた表情。あの眼差しには単なる親切心には収まらない、もっと切実な何かが。そう、今思えばあそこには、喜怒哀楽の全てを捧げた果てに残る──純朴な「祈り」だけが籠められていたような気がしたから。

 

「んぅ……モモィ……ミョリ…………」

 

 あまり口には出さなくとも、アリスがホームシックを患っていることには勘づいていた。久方ぶりの新たな出会いもあって、今日は特にその感情を刺激されたのだろう。振り返ってみると、進んできた道は大分長くなっていた。世界は依然として何も語らず、悪役が目の前で演説を始めることもない。ただただ、自然体で佇んでいるだけだ。

 

 予感があった。私たちの歩みは最後まで、これまで通りに続いていくのだと。

 

「ュズ……せんせぇ……」

 

 あの様子。マルクトは恐らく、他(・)に(・)も(・)何(・)か(・)知(・)っ(・)て(・)い(・)た(・)。それを言わなかった……言えなかったのは、自身の発言が何かの「きっかけ」になってしまうことを危惧していたからなのだろうか。

 

 であるのなら。彼女の秘密と旅の終点には、どんな関係があるのだろう。私たちを待つ運命は、何を思って待ち受けているのだろう。……こうして頭に浮かぶ疑問が全て晴れ切ったら、再びみんなに会えるのだろうか? いつかはそんな日が、本当に──

 

(……綺麗ですね、こんな夜でも)

 

 胸に浮かんだ感情を噛みしめるように、瞳を儚げに細める。その両の瞼(まぶた)を、青白い月光が優しく撫で下ろした。旅はもう、佳境だ。

 

 

◆◆

 

 

 翌朝、出発の時間。朝日を全身に浴びるキャンピングカーは、街の反対側まで周ってきていた。アリスの忘れ物を届けるために。

 

 エンジン音を聞きつけたのか、それとも覚えたての匂いが近づいてきたからか、アライグマの家族たちは外に出てこちらを窺っていた。昨日起きた崩落は、建物全体に致命的なダメージを与えるものではなかったようだが、じきに他の住処を探しに行くのだろう。もしかしたら、これが最後の顔合わせになるかもしれない。

 

 遠巻きに見ている集団の中から、一匹が転がるように走り寄ってきて、前に立つアリスの足元で顔を上げる。

 

「えへへ、今日も元気いっぱいですね! 昨日はバタバタしていたので今になってしまいましたが……アリス、話したかったことがあるのです」

 

 緩慢な動きで屈みこんで、目線を相手の高さに合わせる。肌が直接触れていなくても、撫でる手の温もりはちゃんと相手に伝わっていたらしい。とろけるような鳴き声を漏らしながら、大人しく頭を下げていた。

 

「この出会いはただの偶然で、これから先も再会することはないのかもしれません。でも、だからといって何もせず去ってしまうのは、アリスには難しくて。……なので、これだけは伝えようと決めてきました」

 

 言葉が伝わるかも怪しい獣をわざわざ気にかけて、自らの思いの丈を語る。傍(はた)から見たら意味のない行為なのかもしれない。けれどもそれは、雄大な自然を前に最後まで捨てられなかった、ちっぽけで純粋な彼女のエゴだった。

 

「──『どうか、そちらもお元気で』と! 昨日の冒険で経験した、たくさんの気持ち。嬉しいことも、悲しいことも。どんな感情であっても源にあったのは、この想いでしたから!」

 

 肩を貸すでも、道を示すのでもなく、望んだのはただ一度きりのハグ(さようなら)。それくらいなら、きっと世界も許してくれる。車に寄り掛かったもう一人の旅人は腕を組み、静かに様子を見守っていた。アリスの願ったことは、人間が切り離せない弱さであり、かけがえのない尊さでもあることを、今のケイは痛感していた。

 

 名残惜しそうに頭に乗せたままだった手を放して、アリスはそのまま背を向けて歩き出す。その子も彼女の顔を見て何かを察したのか、同時に家族の下へと戻っていく。

 

 無言で車の傍へと戻ってくるアリス。数秒、その場で静かに立ち尽くす。そして堪えていたものを一気に解放するように、ばっと大きく身体を捻った。元気よく手を振りながら叫ぶ彼女は、雨上がりの青空を思わせるような、すがすがしい顔で笑っていた。

 

「────さようなら! さようなら! いってきます!」

 

 返ってきた家族総出の大合唱は、まるで彼女たちを激励しているようで。山間に差し込んだ朝一番の陽光が、先往く道を燦燦(さんさん)と照らしていた。

 

 

 

 瞬きすらも許されない永久の刹那に、とうに過ぎ去ってしまった世界の終幕。語り部の去った舞台に取り残されたもの(機械)たちは、今なお星は輝いていると信じて、縋って、追い求める。

 

 あるものは天高く砂漠の蒼穹を仰いで、あるものは心(・)残(・)り(・)を抱えて廃都へ降り立つ。そして二人は闇夜の下を、手を繋いだまま歩いていく。今を生きるものたちの遺志が、「終わりの終わり」へと導かれていく。

 

 この旅の極点で目にするものを、まだ彼女たちは知らないけれど。願わくば、この冷たくからっぽな夢の結末に、どうか一条の希望を見つけられますように。

 

 

 

第二章「機械たちは過ぎた終幕の夢を見るか?」(了)

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