拝啓、流星の彼方へ   作:ミスター・あまったるい

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黄昏と宵闇、その間隙に落ちてゆく

 正面入り口の自動ドアが、緩やかに左右へ開かれる。

 和気あいあいとした賑やかさは既に過ぎ去り、これから訪れる長夜に備えるような、ゆるりと腰を据えた雰囲気。ミレニアムタワーのラウンジには、そんな長閑さが行き渡っていた。

 

 ウレタン製のベンチが並んでいる休憩スペースでは、生徒たちが身体をだらりと弛緩させ、夜の食事について相談している。ピピッ、ピピッと入場ゲートの反応する音を背中で受け止めつつ、エスカレーターに乗り込むケイ。少女もこの場の和やかな空気にあてられたのか。同乗する人がほとんどおらず、どこか広々とした踏段の中心で、ポワポワとその振動に揺られていた。

 

 ゲーム開発部のある区画へと戻ってきた。袋を右手に持ち替え、少し赤く腫れた左掌をグニャグニャと伸ばしながら、いつもの角を迷いなく曲がっていく。

 廊下の一方からは、部活動に勤しんでいる生徒たちの喧騒が、ところどころから漏れ聞こえてくる。無機質に伸びる回廊に、ペタペタと日常のラベルを張ってくれているかのようだ。活気のある彩りを横目に、一方的な親近感を心の中で優しく抱きしめていた。

 

 他方、黄赤に染まる夕映えは、もう西空の果てに追いやられてしまったのだろうか。窓の外からは微かな残照が覗くばかりで、一面に薄紫色の天幕が、のっぺりと広がっていた。

 

◆◆◆

 

 壮大な冒険譚(メインストーリー)はすでに幕を閉じた。インタールードに引き受けたサブクエストも、あとは依頼人に報告するだけだ。

 

 視界の先に現れたゲーム開発部の教室の扉は、ピクセルアートのステッカーでカラフルに装飾されている。周囲が比較的静かだからか、少し離れたここからでも、変わらず元気のいい会話が聞こえてくる。

 さて、モモイとミドリは真面目に作業を続けているのだろうか。ユズは無理をしていないだろうか。誰に言われるでもなく仲間のことを思い浮かべ、家路を急ぐ。最早ケイにとってもかけがえのない存在となった空間が、すぐそこで待っている。

 部屋の前までたどり着く。余分に買ったお菓子はどう隠しておこうか。アリスは、もう戻ってきている頃だろうか。そんなことを考えつつドアを開く。そうして、こちらに振り向こうとする双子の後ろ姿を一瞥して――

 

「お待たせしました。言われたとおりに買って

 

 

 

 瞬間、視界がぐわりと歪曲する。

 酷く鋭い耳鳴りが、世界を丸ごと覆い隠す。

 

 

 

 きまし、た……、うぁ…………?」

 

 反射的にドア枠に手をつき、片手でこめかみを押さえる。バサバサと床にお菓子の散らばる音が、すぐ足元で、はたまた遠い彼方から響いていた。

 いったい何が、と疑問に思う暇もなく、何故だかケイの体調はすっかり元通りになっている。一秒にも満たない間隙だった。

 

「えっ……と、すみません。今拾います、ね……?」

 

 頭を緩く振りながら室内に目を向ける。

 

 そこには、何もいなかった。

 双子の背があったはずの場所で仲良く、そして心なしか乱雑に並んでいるのは、色違いのノートパソコンとコントローラー。片方の画面は、「はい/いいえ」の選択肢でほったらかしにされたコマンドパネルを映し出している。もう片方の画面では、戦う相手がいないことなんてお構いなしに、エネミーが主人公に攻撃を続けていた。

 

「……作業をほったらかしにして()()()()()ですか? こんな忙しいときに、ふざけないでください」

 

 強烈な違和感。

 本能が激しく警鐘を鳴らしているそれを、むりやり思考の端に追いやり、そろそろと部室内に侵入する。ソファの裏にも、棚の影にも、怪しく揺らめくカーテンの向こう側にも姿は見えない。

 

「――もしかして、今回はユズも共犯とか? 随分と珍しいじゃないですか」

 

 いつもならありえないほどに無造作な、それでいて、漠然と何かに縋る手つきでロッカーの取っ手を掴み、ゆっくりと扉を開く。

 

 そこには、何もいなかった。

 普段であれば、いかにして生活しているのだろうか、と疑問を抱かずにはいられないほどの小さな住処。それが今では、その体積には不釣り合いに思えるほど広々とした虚空を覗かせている。壁に固定されたパソコンの画面は、何者にも遮られることなく、ロッカーの内面を照らしていた。

 へにゃりと凹んだ星型のクッションに、恐る恐る手を伸ばす。場違いに残る人肌のぬくもりが、ケイの神経をよりいっそう乱していく。

 

 判然としない、ただ重苦しさだけが存在する静寂に耐えきれなくなり、いつしか部室を飛び出していた。なのに、肌で感じる雰囲気は同質のまま。息継ぎをしようと無我夢中で水面を目指しているのに、どこまでいっても呼吸させてもらえないかのような不快感。先ほどまで聞こえていた生徒の笑い声はピタッと止まり、隠れて目立っていなかった機械音に否応なく気づかされる。

 

 おぼつかない足取りで、廊下をたどり始めた。

 隣の部屋を覗き込む。何もいない。足が早まる。

 もう一つ隣の部屋のドアを開ける。何もいない。気づけば駆け足になっている。

 さらに隣の部屋を――

 

◆◆◆

 

 この一帯すべての教室から、当たり前のように人の姿が消失している。まさしく荒唐無稽な結論を、ケイは出さざるを得なかった。

 必死に抑えつけていた疑念がわっと脳内を埋め尽くし、その場に立ち尽くすケイの理性をかき混ぜ始める。

 

 部屋に入る直前まで声が聞こえていたのに、次の瞬間、そこに誰もいなかった。

 いや、そもそも、私はモモイとミドリの姿を間違いなく目撃していた。だとすると、何故……?

 私の幻覚? 疲れからの幻聴? 実際は何らかの理由で、付近から生徒は離れていて……この雰囲気が当然あるべきもの、と思っていたが故の早とちり?

 ――いや、ありえない。それを疑うにはあまりにも()()()()()の風景だった。ドアを開けるまで、異常なんて一切なかったはずなのに。

 何故? どうして? いったい、何が起きて……?

 

 実体のつかめない思考の螺旋ループを、なすすべもなく転がり落ちてゆく。ジタバタと出口を求める連想ゲームは一切の前進を見せず、最悪の想定がより最悪のそれを呼び起こすことだけが繰り返される。ただただ際限なく膨らんでいく不安感。それに圧し潰されないよう、懸命に反発するケイの屈強な冷静さのみが、そこに実在する唯一の秩序だった。

 

「――アリスは、」

 

 ふと、ほんの少しだけ残った脳裏の隙間に挟まれる正常。どんな時でも忘れることのできない楔石。流れの激しい雑念の川から、決して見逃さずにそれを拾い上げる。

 ごちゃついた思考は一向に落ち着く様子を見せないが、そんなことは気にも留めず、ケイはとっさに廊下を走り出していた。現状の謎も、とるべき行動の選択肢も、一先ずは何もかもをほっぽり出して、ひたすらに両足を動かし続ける。校舎に反響するのは、焦燥に追い立てられた力強い足音。眩い夕日はとっくに沈み切っていた。

 

◆◆◆

 

 息を整えることも忘れ、声を荒らげて叫び続ける。そうしているうちに、いつの間にか、エントランスのラウンジまで戻ってきていたようだ。

 

「アリス! ……誰か、いないんですか!?」

 

 必死さに染まったケイの大声が、狭まった廊下を通り抜け、吹き抜けの空間に到達する。

 

 結局のところ、この数百メートルを走り切る間に、何者にも邂逅することは叶わなかった。

 

 人の重みから解放され、一方的に回り続けるエスカレーター。ベンチの横に添えられたリュックサックがなければ、立ち入り禁止の場所なのではないか? そう勘違いさせられるほどガランとしている休憩スペース。「通行可能」を示す入口ゲートの青ランプは、この景色には心底そぐわない色に感じられた。

 

 進めど進めど抜け出せない異界を前に、思わず歩みの勢いを鈍らしてしまう。脳の片隅に押しのけていた杞憂の連鎖が、じわじわと目の前を塗りつぶしていく。

 アリスも皆と同様に()()()()()()()()()のか? これはミレニアムタワーの外でも発生している現象なのか? それならば、一度「先生」に連絡すべき――

 

 タッタッタッ……。

 何かが、聞こえる。

 タッタッタッ……。リズムのとれた小さい音が、背の後ろから近づいてきている……?

 ポケットをまさぐろうとしていた震える手が、ピタリと動きを止めた。これは、誰かの足音だ。あっという間にその正体が判別できるようになる。

 

「――ケイ!」

 

 人の声を耳にしていなかった時間なんて、10分にも満たないはずだったのに。気づかぬ間にひどく麻痺していた頭が、たまらなく懐かしいものだと認識する音に、そっと振り返る。

 

 ポツリと廊下のライトに照らされているのは、どこまでも見覚えのある少女の姿。目が合った瞬間、不安と安堵が激しく塗り混ざった表情を見せながら、一直線にケイの元まで駆け寄ってくるのが見えた。

 窓に面したアリスの半身が、ガラス越しの宵闇に容赦なく浸されていく。

 二人が出会うまで、あと少しの距離なのに。手が届くその前、瞬きの刹那に、夜陰の中に連れ去られてしまうのではないか。そんな根拠のない錯覚を振り払えず、ケイはただただ、身体を強張らせ見守ることしかできなかった。

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