「ケイ! 無事だったんですね、ケイ……!!」
「――アリス! 合流できてよかったです、本当に」
自分と同じ体格なのに、どことなく大きなものに見える体躯が、ケイの胸中へと転がり込んでくる。毎日触れている体温が、今は夜闇に浮かぶ一本の蝋燭のように儚く、そしてかけがえのないものに感じられた。
「ケイ、大変です! ユウカと話していたはずなのに、いつの間にかどこかへ行ってしまって……。ユ、ユウカだけじゃありません! ノア先輩も、他のセミナーのみなさんも、きれいさっぱりいなくなってしまいました!」
「アリス、落ち着いてください。ここまでに、私以外の誰かと会いましたか?」
アリスの話し声、一挙手一投足を目の当たりにして、冷え固まっていたケイの肉体が急速に熱を取り戻していく。
根っからの警戒心が強い普段のケイであれば、不意に現れた旧知の仲に対し、本当に本人なのか疑うことも辞さなかっただろう。けれども、自身が世界に生まれ落ちて以来、ついぞ消えることのなかった「
「──いえ、誰もいませんでした。人を探して歩き回っていたんですが、そこでケイの呼ぶ声が聞こえたんです。……ケイも、一人だったんですか?」
「そうですね……。私も、アリスが初めて会った生徒です」
実際、このケイの直感は事実を正確に射貫いていた。しかし一方で、つまらない疑念に振り回されることなく、今はただ、アリスと出会えた安心感を抱きしめたい。心の隅では、そんな安直さに溺れたがる弱さも抱えていた。
「アリス、まずは先生に連絡しましょう。周囲の警戒はしておきますので、お願いできますか?」
「わ、わかりました!」
すっかり流れを止めてしまった空気の膜が、甲高い電子音で引き裂かれる。十秒、二十秒……コールは無機質に鳴り続けた。居るかも分からない受け取り相手を待っている時間は、終点が地平線の彼方に隠れてしまうほどに、薄っぺらく引き延ばされているようだった。
「――──どうしましょう、先生が電話に出ません……!」
困り眉を作り、不安そうに胴の前で両手を萎縮させるアリス。瞬間、ケイの脳裏に
「……もしかすると、この緊急事態への対応で、端末を触っている暇がないのかもしれません。一旦、モモトークにメッセージだけ残しておきましょう」
「はい……」
そんなこと認めてたまるものかと、不用意な推測を乱雑に打ち捨てて、自身の正気を大げさに奮い立たせた。
「大丈夫です、アリス。今は私たちにできることをしましょう」
「それでは……これから何をしますか? アリスはみんなを探しにいきたいです!」
「賛成です。歩きながらでいいので、他に生徒に連絡がつくか確認してもらえますか? アリスの方が交友関係は広いでしょうから」
「はい! アリス、仲間を集めます!」
◆◆
二人はピタリとくっついて、ひっそりとハリボテの校舎を歩いていた。見知った友人がいるはずの場所に向かいつつ、道筋にある教室を一部屋一部屋確認していく。ヴェリタスの休憩室、C&Cの待機室、セミナーの執務室……。
数十分間、縦横無尽に人の気配を求めて声を上げ続けた。それにもかかわらず、返ってくるのは点けっぱなしのまま放置された照明の光と、正常に動いているかどうかも判然としない機械音だけ。
制服の袖が、弱々しくキュッと掴まれる。
「……おかしいです。誰も電話に出てくれません! リオ先輩も、ヒマリ先輩も……他の学園のみなさんも全員、シグナルロストしています!」
「変なのはそれだけじゃありません! ケイ、これを見てください……!」
「……SNSのタイムラインですか?」
「少し前に気づいたのですが、さっきから誰の投稿も流れてこないんです! アリスのスマホが、壊れてしまったのでしょうか……?」
思い当たることがあったのか、咄嗟に自分の端末を取り出すケイ。慎重に確認していくが、いくら更新をかけても画面の表示は変わらぬまま。十八時すぎに書き込まれている、アプリを開いて真っ先に目に映った投稿。日常の気配がたっぷりと染みついた地層の上によじ登り、試しに声を上げてみる。
『誰か、これが見えている人はいませんか』
通信は正常に行われているのだろう、二人の画面にそっくりの内容が表示される。だが、しばらく待っても、隣にいる少女以外から反応が返ってくることはなかった。
「これは……」
新たな疑念を確かめるために、電子の海に潜り込む。匿名の掲示板では、同様の時刻から一切の書き込みが行われていない。番組表通りであれば夜のニュースを放映している時間帯だが、クロノスの中継はCM最後のフレームを映した状態でフリーズしている。配信サイトのトップページに並ぶ生放送のサムネイルは総じて、誰の姿も映っていない風景か、放置されたゲーム画面で埋められていた。
「うわぁん! アリスの仲間だけじゃないです! キヴォトスの人たちがみんな、いなくなってしまいました!」
世界から徹底的に、人間活動の熱量が排除されている。インターネットの機能そのものが変わらず動き続けている分、ぽっかりと穴の開いた空虚さが余計に強調されていた。
「なんですか、この状況は……。本当に誰もいないんですか!?」
「うぅぅ……でも、不思議です! この人の配信、最初はみなさん楽しそうにしているのに……」
未だに終了していない或る放送枠のシークバーを、アリスは左端まで戻して首を傾げている。それを目にして、ケイはあることを閃いた。
「……アリス。今見ている放送の映像を、十八時過ぎ辺りに合わせてみてくれませんか? 私たちの周囲から人が消えたのも、ネットの書き込みが途絶えたのも、その時間帯だったはずですから」
「あっ、そういえば、アリスがひとりぼっちになったのも同じタイミングです! ええと、ゆっくり動かして……」
放送画面に映る、その時々の現在時刻を示した時計が小刻みに動いていく。十七時五〇分、十七時五十五分、十八時……。そして、十八時五分の直後。ある一点で、目を疑う
『「ペロペロ様ファンクラブ会員第一号」さん、投げ銭ありがと! ……おっとヤバいヤバい! 他のメッセはこのボス倒した後に読むから待っててね~!』
画面の大半を占領しているのは、両手に大型銃と思しき直方体の物体を持ったプレイヤーキャラと、フィールドを縦横無尽に飛び回る敵ロボット。右下のワイプには、コントローラーを握りしめ、前のめりになってモニターを見つめる配信者の姿が映し出され、その上を大量のコメントが流れ落ちている。よくあるストリーミングのワンカット、といったところだろうか。
『これで、最後……っ! ――やったぁ!! ようやく勝てた~……!』
ゲーム画面は
そこには、何もいなかった。
先ほどまで配信者の身体で隠れていたゲーミングチェアの背がよく見える。キィ……っと椅子がほんの少しだけ回転する音、そして、空調とパソコンのファンの音だろうか。カラカラと静かに響く音のみが、うるさく流れ続ける陽気なゲームのBGMを押しのけて、異常事態の発生を警告している。滝のごとく流れていたコメントは、一瞬のうちに動きを止めていた。昨日までのケイであればアプリケーションの故障だと軽く流すのだろうが、もはや普遍的な言い訳は通用しないと身をもって痛感していた。
「……っ!? 今のシーンです! 配信者の生徒が消える瞬間をフレーム単位で確認すれば、何かが分かるかもしれません」
アリスは頷き、言われた通りに一コマ一コマ画面を進めていった。
◆◆
結論として、残されていたのは二人の疑問を増長させる光景だけだった。
十八時六分、分針が進んだその瞬間に生徒の姿が失われている。そこには何者の関与も確認できなかった。一寸の違和感もなく画面に映っている配信者は、フレームを進めるボタンを一回押しただけで、まるで最初からいなかったかのように行方をくらました。「何か」に連れ去られたわけでも、自分からどこかへ逃げ去ったわけでもない。同じように他の配信を再生してみても、この純然たる実在の消失が、確認したすべての履歴に残されていた。
思わずふらついてしまいそうになる事実を、なんとか受け止め横を向く。泣きそうな顔をしながら、アリスが指を動かしている。
『誰かいたら、返事をしてください!』
数秒のラグ。喉を焼くほどに悲哀に染まったコメントが、ケイの見ている配信画面にもポロリと流れ落ちる。たった一行の文字列だけで、世界以外のことごとくが正常であることを証明してしまう。
「ケイ……アリスは…………」
想像だにしなかった事態への困惑、この先起こることが予想できない恐怖が、アリスの両目を塗りつぶしていく。
しかし、ケイはハッキリと気づかされていた。潤んだ眼差しの奥底には、何をすべきかも全く分からないのに、この危機に立ち向かいたいと願う衝動。それでも勇気を出して仲間を取り戻したいという決意が、微光でありながら確かに輝いていることを。
「――アリス。これから、二人で向かわなければいけない場所があります」
瞬く間にケイの心中を貫いたその意志は、暗闇を迷い歩いていた彼女の背中を、優しく寄り添うようにそっと押していた。
「えっ……?」
「現在、私たち以外の生徒が『行方不明』になっているようです。それも、ミレニアムだけではなく……おそらくキヴォトスの広域で」
窓に片手をつき、建物の外に広がる光景を流し見る。所狭しと並べられた外灯は、広大な敷地を余すことなく照らし、それは学園から闇を一片残らず排除する勢いであった。
「こんな常識外れな大事件。空が落ちてくると言われた方がまだ現実味がある、と一蹴されそうな被害妄想。そんな事態に備えるため創られた組織が、ミレニアムには存在します」
「……あっ、もしかして!」
「ええ、アリス。その通りです」
触れ合うほどにすぐ傍にある彼女の手を、見失わないようにしっかりと掴む。
「行きましょう。『特異現象捜査部』に!」