ミレニアム自治区の外郭地域、とある一角。
何の変哲もない広場から、迷路のように入り組んだ路地に入り、エレベーターを乗り換え……
どこまで進んだのか、どれほどの階層にいるのか判然としないまま、誘導灯の緑がぼんやりと光る通路を二人は進んでいた。
「……ダンジョンマップを見ずにこんな迷宮を進めるなんて、ケイはすごいです! ひょっとして、隅から隅まで覚えているのですか?」
「完璧に、とまでは言いませんが。名目上、私も
ゲーム開発部で過ごす時間に比べるとそう多くはないが、特異現象捜査部の活動を任されることもままあった。新しい案件はほとんどなく、大半は
よくもまあ、ここまで複雑怪奇な場を見つけ、秘密の居所を作り上げたものだ。天才達の一歩先を行く用意周到、深謀遠慮さにまたしても舌を巻く。
日常の喧騒から遠ざかるように伸びていき、もしかしたら深淵にまで繋がっているのではないかと錯覚してしまいそうな細い通路。普段であれば、そんな冷ややかな感覚を想起する瞬間もあったろう。しかし今では逆転し、狂った外界から離れていくにつれ増していく落ち着きが、ケイの警戒心を緩める役割を果たしていた。
「また分かれ道です! 三連続で左でしたので……次こそ右ですね!」
「理屈ではまあ、それが正しい答えに見えますけど。残念ながらここも左です」
「アリス、3Dマッピングは苦手です……」
悔しそうな顔を見せつつ、先導するケイについてくるアリス。彼女の後ろには、見ただけでかなりの重量だと分かる
◆◆
「――遠目から見て察しは付けていましたが。こういった施設も機能していないとなると、少し厄介ですね」
「ファストトラベルが使えなくてもアリスは平気です! それに、歩いている途中で誰かと会えるかもしれません!」
「……そうですね。時間はかかりますが、徒歩で向かいましょうか」
数時間前の出来事。
ミレニアムタワーの最寄りに位置するモノレール・ステーション。見慣れたライトアップで二人を歓迎した構内は、当然のように貸し切り状態となっていた。真上に浮かぶ電光掲示板のみが変わらず整然とした予定を知らせているが、ホームに進入する車両はどこにも見当たらない。
「あそこで停まっているモノレール、大丈夫でしょうか……」
駅からやや離れた場所のレール上で、一台の車両がポツンと停止している。明るい照明は内部を鮮明に映しているが、いくら目を凝らしても、何かが動いている様子は見つけられなかった。
「もし、他の生徒が――生徒だけではなく、どうやらキヴォトスの住民全体が影響を受けているようですが――モノレール内から一人残らずいなくなっているとしたら……安全装置が運転士の不在を感知して自動ブレーキがかかったはずです。」
「それは、ミレニアム自治区で運行しているすべての車両で言えることです。不自然にスピードを上げる要因さえなければ、車両同士の衝突事故や、脱線事故を起こしている可能性は低いでしょう」
「では、誰かが取り残されていても……」
「はい。直ちに危険に晒されることはないはずです」
あくまでモノレールであれば、と心の中で付け加える。
例えば、ブレーキの際に停止距離がより長くなる一般の鉄道車両であれば、事故の可能性は一気に跳ね上がるだろう。交通といった区分で考えるのならば、各地の道路で発生しているであろう自動車の玉突き事故の方が、この際珍しくない景色になっているに違いない。
事実、先ほど精査した放送の一つ、D.U.近郊のハイウェイを映したライブカメラ映像。そこには、例の時間を過ぎた直後、不意にコントロールを失った車両が、次から次へとガードレールや前方の列へと突っこんでいく光景が記録されていた。あちこちから舞い上がる黒煙や、連鎖的に広がりつつあった炎は、液晶越しでもといってケイの緊張感を十分に増長させる。
ほんの少し前まで誰かの存在を求めていたというのに、「どうか全員、その場からいなくなっていてほしい」と真反対の願いを抱かずにはいられなかった。
「……? ケイ? どうしましたか?」
「いえ。……行きましょうか」
映像内にはついに誰の姿も現れなかったが、刺激の強い光景であることには変わりない。再び見返すことはなく、アリスにも共有していなかった。単にこれ以上気分を害したくなかったからか。あるいは……もう既に元の世界が失われつつあることを。事が起きた時には致命的な境界線が破られてしまっていた事実を直視する勇気を、その時は抱けていなかったからかもしれない。
いずれにせよ、現在把握している情報だけでは、実際にあのような現場に遭遇した場合、自分たちが被る二次被害の規模が想定しきれていなかった。加えて、惨状が思い描きやすかった交通災害に限らず、予想だにしない他の災厄に直面する恐れもある。
今は素直に、ミレニアム自治区の内から様子を見ておくべきだろう。
◆◆
敷地内の遊歩道を辿り、学園の外側へと向かう。寄り道は最小限に抑えつつ、道中で通過する施設の内部も簡単に確認していく。
いつもは夜遅くまで生徒がうろついている図書館、フィットネスセンターも同様に無人の空間となっている。開かれたままの本や、蓋の開いたスポーツドリンクが不気味な存在感を放っていた。
「……ケイ。なんだか、変なにおいがしませんか? 焦げ臭いような、ジメジメしているような」
「はい? 言われてみれば、なんとなくそんな気も……」
「――こっちです! 一緒に見に行きましょう!」
アリスに手を引かれるままに、実習センターの外壁沿いを早足で進んでいく。
角を曲がると、自走ロボットらしき大型の機械が建物の壁を大胆に突き抜け、無骨に角ばった外観を、プスプスと漏れる煙と共に野外へ晒していた。
「ど、どうしましょう! ユウカが見たら倒れてしまいそうな大穴が開いています! ケガをしている人は――いないようです、よかったです……」
「これは……どうやら、非常用のスプリンクラーが作動していたようですね」
激しく砕かれた外壁の隙間から、そっと中を覗き込む。実験のために用意された屋内フィールドの一面が、水たまりが生まれるほどビチャビチャに濡らされている。壁に挟まったロボットに目をやれば、外装の一部が溶けたようにグニャリと歪み、千切れた配線がパチリパチリと音を立てていた。
「おそらく、生徒に操作されていたロボットが、外壁方向に進んでいるタイミングで制御を失い、一直線に突っ込んでいったのでしょう。その時の衝撃で燃料タンクかバッテリーか……機械のどこからか火の手が上がり、それを消化システムが検知したんだと思います」
「なるほど……? でも、大きな火事になっていなかったようで安心しました!」
「ミレニアムの設備は、キヴォトスの中でも特に優秀ですからね。一体どれほどの資金をつぎ込んだのか、財務周りの苦労を想像すると頭が上がりませんよ」
では、
降りかかる不快な杞憂を、目の前の現実に集中することで上書きしてしまう。
「――この辺りはまだ安全そうですが、何が起きるか分かりません。十分に気を付けて進みましょう、アリス」
「はい! 警戒モード、最大レベルです!
仄かに青く光る銃身に手を添えるアリス。
とにかく、今は前に進み続けなければ。執拗にまとわりついてくる嫌な推測を脇へと押しのけ、ケイは歩みを再開した。