提督が死にます
人によっては轟沈描写と捉えられることもあるかも
春の霧、潮風の葬送
「随分と、重いじゃないか……まだ、若かったからな」
それは春の柔らかい陽射しが差し込む、暖かな日だった。私が仮眠から目を覚ますと、世界が妙に透き通って見えた。
きらきらと粒子に反射する窓からの陽射しに、駆逐艦達の足音。いつもと何も変わらない風景。
少しだけ違うのは、いつも聞こえるはずの私の心音と、肺が膨らむ衣擦れの音が聞こえないことだった。
抱いていたぬいぐるみに手を伸ばすと、私の腕はそれを透過し、突き抜けていた。
「相棒よ、そろそろ演習の時間だ。起きて支度を……」
私を起こしに来た武蔵の顔が一瞬で凍りつき、彼女は眠っている私に駆け寄る。珈琲の入っていたマグカップが武蔵の手から滑り落ち、割れる音が静かな部屋に響いた。
私は思わず彼女を避けるけれど、武蔵はそんな私の事なんか見えていないみたいに、空っぽになった私の身体を抱き寄せる。
彼女が艦娘達に指示を出す怒号じみた声と、半泣きで対応する駆逐艦や軽巡達。武蔵は私に蘇生処置を施すけれど、やがて諦めたように膝から崩れ落ちる。
私は彼女の肩を抱くけれど、それにすら気づいていないようで、ただ一人肩を震わせていた。こんな武蔵の顔、見たくなかったのに。
「……そういえば、貴様に化粧を施すなど、初めての事だな」
彼女はそうぽつりと零し、私の顔に死化粧を施してゆく。彼女と私の最後の触れ合いは、なんとも呆気ないものだ。
葬儀は粛々と行われた。私に身内は居なかったから、参列したのはほぼ艦娘のみ。泣き出す駆逐艦もいれば、ただ唇を噛み締めて拳を握る重巡もいる。
私は棺に腰掛けて、皆が焼香を炊く姿や、坊主が経を上げるのを、ただ何もできずに見ているだけだった。
自分の火葬される姿を見る事になるとは、生きている時には考えもしなかった。なんとなく、最初に見る火葬は私じゃなくて、艦娘達だと思っていたから。
「随分と、重いじゃないか……まだ、若かったからな」
無縁墓地の前に、ずらりと整列する艦娘、というのは異様な光景だった。皆最後の別れだからと、涙を堪え敬礼をしている。
私はそんな光景を、やっぱり皆とは少し外れたところでただ見ていた。時折武蔵に近付いて、顔の前で手を振ってみたりしたけれど、少し瞬きをするだけで、やっぱり見えていないみたい。
私の葬儀が終わってしばらく経ち、鎮守府は私がいない生活へと適応しつつあった。
「相棒よ、貴様が居なくなって何日か経ったが……この鎮守府に『新しい提督』が着任するようだ」
どんな奴か楽しみだな、と武蔵は私の部屋で、遺品を整理しながらひとりごちる。
取り出していたのは少し汚れたアルバム。どうやら、中の写真を皆に配って回っているらしい。
……ここにいても退屈なので、私は私のいない鎮守府を散歩してみることにした。
あれからずっと泣いている清霜に、それを慰め続ける朝霜。
大淀は、事態の整理に追われているようで、目の下に濃い隈を作りながら、書類整理に追われている。
みんな慌ただしくも、現状に適応しようとしているみたいで、少しだけ、考えてしまう。
結局私の居場所なんて見つけられずに、執務室に帰ってきてしまった。
……試しに武蔵に向かって「武蔵」と呼びかけてみる。彼女の肩が一瞬ぴくりと動いたような気がしたけれど、何事もなかったように、遺品の整理を進めている。
やっぱり、私の事は見えも聞こえもしないらしい。
退屈しのぎに、皆を驚かせでもしようと思ったけれど、そういう訳にも行かないようだ。
武蔵の手元を見てみる。あぁ、そうこれこれ。武蔵が来たばかりの時の写真。腕を組んで、私からそっぽを向いて。まだ全然心を開いてくれなくて、大和に窘められてたっけ。
「……あの時から、もっと話しておけば良かったな」
彼女の後悔。
「そんなこと無いよ」
語りかけても、その言葉は部屋に響く事もなく消えていった。
頁を捲っても捲っても、私と武蔵の写真ばかり。たまに挟まっている、他の艦娘達の写真を、彼女は傷つけないように、慎重にアルバムから取り外していく。
私と武蔵の写真だけに純化されたアルバムを小脇に挟んで、武蔵は執務室を出る。
部屋に閉じこもる川内に代わり、写真を受け取る神通に、写真を見て泣き崩れる那珂。
皆自分なりの方法で、喪に服しているようだ。
それを見ても、何もできない私が歯痒い。
次に武蔵が向かったのは、彼女の自室。
そういえば、武蔵の部屋なんて入ったことがなかったし、入る機会もなかった。
どうせバレないのだし、少し覗いてもいいだろう。私は彼女に続いて部屋に入る。
目の前に広がったのは、思ったよりも簡素な部屋だった。目ぼしいものといえば、ベッドの端に追いやられた、くたくたの熊のぬいぐるみだったり、作りかけの艦船模型だったり。
……その隣には、私が最後に抱いていたぬいぐるみが、大事そうに布団に寝かされていた。
ふと、事務机の上を見ると、一枚の写真があった。
私、それに武蔵と大和の三人で、いつだか撮った写真。もしかしたら、三人で撮った初めての写真だったかもしれない。
私も、二人の輪の中に入ってもいいんだって、あの時嬉しくなったっけ。
「この写真、取っておいてくれてたんだ」
私が彼女の背中に話しかけると、武蔵は肩を震わせるだけで、何も言わなかった。
「……新しい提督が、あの椅子に座るそうだ。……吐き気がするな」
私のぬいぐるみを抱きながら、ぽろりと溢れた彼女の本音。まるで私の頭を撫でるときみたいな優しい手つきで、ぬいぐるみの頭を撫でる。
「相棒……ここに、いるんだろう?」
無いはずの心臓が、どきりと脈打つのを感じる。その呟きはあまりに小さくて、ぬいぐるみの綿の中に吸い込まれていくようだった。
はじめて見る彼女の涙が、ぬいぐるみの頭を濡らす。
私は武蔵の頭を撫でる。その手はすり抜けてしまうけれど、彼女の暖かな体温だけは、感じ取ることができた。
結局武蔵には私のことが見えていなかったみたいで、そのままベッドの上から起き上がり、私をすり抜けて何処かへ行ってしまった。
私が皆の前からいなくなって暫くの時が経ち、新しい提督の元での生活に皆が慣れてきた頃。
ふと、自分の手を見ると、向こうの景色が鮮明に透けていた。執務室に漂う、武蔵の淹れた珈琲の香りも、もうわからない。
彼女の背中に触れた時の、僅かな抵抗感すら今はもう感じなくなっていた。
――そろそろ私が死んでから、四十九日が経つ。
死者は四十九日を過ぎると、彼岸へ導かれるというが、私はどうなるのだろうか。別れの予感だけが、足元に溜まってゆく。
そして、四十九日目の朝――。
鎮守府の中庭に、私はいた。朝霧へと自分の身体が溶けてしまったみたいに、私の目には、自分の身体すら見えなくなっていた。
「待たせたな、――」
朝の深い霧の中、私の目の前に武蔵が姿を見せる。
彼女は私の『本当の名前』を呼ぶ。すると、狭窄していた視界は開け、春の暖かい風が、二人の間に吹き抜けた。
私は武蔵に手を引かれ、中庭から海へと歩き出す。
「もうここには、貴様の席も、私の居場所もない。『新しい提督』なんぞに、お前との想い出を汚されてたまるか!」
そのまま彼女に抱きかかえられ、海へと駆け出した。彼女の背負った艤装が、腹に響くような咆哮――空砲を鳴らした。
それは、この世に残された者たちへの最後の別れであり、私たち二人の新しい門出を祝う礼砲だ。
陸から聞こえていたはずの波の音も、朝露の気配も、その一撃で遠くへ弾き飛ばされた。
潮風を切り裂き、私たちは沖へ、沖へと進んでゆく。
「どこまで行くの?」
「決まってるだろう? 『行けるとこまで』だ!」
結局彼女はずっと、私の事が見えていたのだろうか。私の声が、聞こえていたのだろうか。いや、そんな事もうどうでもいいのだ。
今、私と武蔵が一緒なら、それでいい。
後に残されたのは、誰もいない執務室の、まだ温かい珈琲の香りが染み付いた空気。
そして、武蔵のベッドの上で、誰に抱きしめられるでもなく静かに横たわる、ふたつのぬいぐるみだけ。
私と武蔵が、どこで、どんな風に笑っているのか。
それを知っているのは、あの日私たちが駆け抜けた海と、空の色だけだった。
武蔵がどうなったかは決めてません