Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方― 作:完結の陽炎
第1話:誠実な不運
清浦刹那が委員長の座にある。
それは高潔な志からではない。
今からさかのぼれば入学式の日。
不作法な男子二人に絡まれたとき、伊藤誠が助けてくれた。
二人っきりになったとき、彼は刹那にこのようなことを言ったのだ。
「委員長になって仕切れば、誰も手出しできなくなる。清浦は強いから、できるよ」
それはあまりに稚拙で、残酷な助言。
なぜ、委員長になればいじめられなくなるなどと考えたのか?
その根拠はどこにあったのか?
むしろ逆だろう。
特別な権限などない役職は、周囲の反感を買う。
格好の攻撃対象になるリスクを増やすだけ。
誠が放った「清浦は強い」という、あまりにも無責任な励まし。
それが刹那に「強くあらねばならない」という呪いをかけてしまった。
榊野学園1年3組の教室。
教卓の端で、あるいは自席。
クラス委員長・清浦刹那は、精巧な彫像のごとく静止する。
その無機質な佇まい。
クラスメイトたちの喉元に刃を突きつけるように。
無言の重圧を放っていた。
事の発端は、学園祭の実行委員・田中の戦線離脱にある。
柔道部員である彼は、放課後の練習中により骨折。
その期間は全治二週間。
本番を目前に控えた、あまりに無慈悲な退場劇。
その埋め合わせとするための代役が必要となった。
「伊藤、ヒマでしょ。あんたがやりなさいよ」
黒田光が放つ唐突な一言。
誠にしてみれば、それは嫌すぎる押し付け。
考えてもみてほしい。
責任ばかりが重く、見返りのない重職。
物語を動かすため、都合よく志願する聖人などいるはずがない。
もし引き受ける者がいるなら、それは内申点が狙いだろうか。
多忙を極める準備期間において、その対価は不釣り合いである。
(黒田め、俺が嫌いだからって厄介事を押し付けようとするなよ)
ここで「お前がやれ」と言い返せば泥沼になることは必至。
黒田の罵声が倍増し、疲れ果てるのが誠のほうである。
刹那の親友である西園寺世界。
その世界を推薦するのもためらった。
女子に面倒な役を押し付ける最低な男子。
クラスで悪者扱いされることを避けたのだ。
「ヒマだって言うなら、泰介だってそうだろ」
能天気にボケーとしている友人の澤永泰介。
そこに視線を投げて抗議をする。
だが、この言い分は光の拒絶で一蹴されてしまう。
「澤永はクラスで使うからダメなの」
光の言葉に、当の泰介が目を丸くした。
本人は全くもって知らされていない。
「あれ? そうなの」
「そうなの!!」
その実態は極めて個人的。
光は泰介に片想いをしている。
女子の刹那と二人きりにさせるわけがない。
彼女の独占欲が許さないのだから。
「だったら、公平にくじで決めればいいだろ」
誠が精一杯にできる唯一の妥協案。
これには刹那が鋭い眼光で撥ね退ける。
理由は、病弱な西園寺世界の存在だ。
もし、くじの矛先が世界に向き、彼女が過労で倒れてしまったら?
その発案者である誠が、『元凶』として糾弾されてしまう。
(最悪だ)
もはや進退がまともにできない。
誠が選んだのは徹底した逃げだった。
「悪い、ちょっとトイレ行ってくる」
教室のドアから颯爽と一時撤退。
これは嘘ではない。
トイレに行きたかったのは本当だ。
用を済ませてからの廊下。
そこで拾い上げたのが一枚の五円玉である。
「ご縁がありますようにってこと、か?」
皮肉な巡り合わせに自嘲する。
それでも拾得物だ。
ネコババをするつもりはない。
誠は事務局へ届けようと歩き出した。
一方、待ちぼうけを喰らう1年3組。
ここで我慢の限界となったのが刹那だ。
泰介を通じ、誠の連絡先を入手。
彼を連れ戻そうと教室を出て行った。
『そこを動くな』
刹那からのメール。
誠は従おうとした。
だが、生理的な喉の渇きで水飲み場へ。
それにより、行き違いになってしまう。
運命はさらに翻弄していく。
通りがかった教師に捕まり、雑務の労働として徴用。
誠に悪気は一切ない。
ただ、状況に流されていくしかなかった。
一仕事を終えるたび、彼は愚直にも現在地をメールで報告する。
もちろん、正当な事情を添えてだ。
そのたび、刹那から冷徹な宣告が叩きつけられる。
『今どこ? 次こそ動くな』
しかし、刹那が向かったときはもぬけの殻。
刹那の静かな怒りが募っていく。
これが挑発でなくて何なのか。
「……むかつく」
黒田光、甘露寺七海、西園寺世界、さらには澤永泰介をも総動員。
校内に『伊藤誠包囲網』を敷いていく。
ようやく追い詰めたかと思った。
だが泰介に対し、誠が現れて困憊しながら告げたのだ。
「悪い泰介。実家から急用が入って、先に帰らなきゃいけなくなった。これ、清浦に渡しといてくれ」
泰介の掌に握らせたのは、落とし物の五円玉。
メールで事情は伝えてあるので、渡せばわかるとのこと。
ご縁を託すという、あまりに事務的な処理。
散々に翻弄された挙句に、刹那の掌に渡された拾得物。
その硬貨を握りしめる彼女の瞳は、絶対零度で凍り付いた。
翌朝。
捕獲の機会はいくらでもある。
そのはずだった。
予鈴が鳴り、担任が前扉から姿を現した瞬間。
後扉が弾けるように開き、滑り込んだのは、肩で息をする誠だった。
「伊藤、今日は遅刻か?」
「ち、違います先生! 電車が止まってたんです! ほら、遅延証明書!」
誠が差し出したのは、死に物狂いで握りしめた、無残に皺寄った紙切れ。
教師の免罪が下り、安堵に胸を撫で下ろす。
だが、近くの席から放たれる刹那の睨みに、生きた心地がしなかった。
チャイムが鳴り、一時間目が終焉を迎える。
刹那が椅子を引く微かな音。
そこから誠へと近寄って声をかけようとした。
「伊藤――」
「うぉぉぉ、トイレ!! さっきから我慢して漏れそう!!」
誠の顔は、昨日の逃走劇より悲壮感に満ちた。
その不可抗力な生理現象に刹那が眉をひそめる。
「……早く行って。ここで漏らされたら、私の仕事が増える」
爆風の速度で、彼の背中が遠ざかった。
だが、不条理の連鎖は止まらない。
二時間目終了後は、実母からの電話。
三時間目終了後は、大きいほうのトイレ。
誠の瞳に偽りはない。
むしろ、自分を襲う不幸の濁流に翻弄されて摩耗していく。
「……」
刹那は話しかけるタイミングを掴めない。
不条理の壁に激突し、音を立てて崩れてしまう。
昼休み。
今度こそ逃がさない。
そう確信した刹那だったが、担任による急な呼び出し。
無慈悲に誠を連れ去っていく
「……計算、不能」
刹那の口から、乾いた掠れ声がこぼれる。
精密なシミュレーション上では、今頃、誠に委員代理の契約書を突きつけているはず。
そのはずなのに、何故か思い通りにいかない。
「ねえ刹那。これってもう、宇宙の法則か何かが、彼を一人にしたくないんじゃない?」
世界の宥めも、光の毒舌も、もはや彼女の鼓膜には届かない。
刹那の意識は、教卓の向こう側で連行された誠の背中に釘付けであった。
放課後。
ついに訪れたチャンスの音。
しかし、校内放送が無慈避なノイズを吐き出す。
『1年3組の伊藤君。至急、事務局まで来てください。拾得物の確認があります』
ここで人違いの呼び出し。
体育教師による強制労働。
さらには校舎裏での迷い猫の保護。
刹那が包囲網を縮めようとするのに。
異常な不可抗力の濁流ですり抜けていく。
事態を見かねた泰介から一声かかった。
「委員長、俺が誠を探して連れて来ようか?」
「……お願い」
だが、澤永が戻って証言する。
膝の上で眠る猫を撫でながら、教師と穏やかに談笑する誠の姿。
どこまでも刹那は空回りしてしまう。
話そうとすればするほど、流される誠を捉えきれない。
学園祭前日。
ついに誠は、自ら頭を下げた。
友人の泰介を通じてこんなことを言ったのだ。
「悪い泰介。委員代理は俺には無理だ。他を当たってくれ」
それは逃避ではない。
学園祭の手伝いを頼まれる多忙な状況。
善意の要請を抱え込みすぎたゆえの切実な『自己破産』だ。
誠を繋ぎ止めようとした唯一の鎖。
それは、彼の受け身な善意によって、粉々に粉砕された。
結局、委員は刹那が一人のまま。
光と七海と世界、泰介がサポートすることで丸く収める。
学園祭当日。
校内で出前のように荷運びを強いられる誠。
刹那の管理対象ではない。
もはや『便利屋』として、観客の隙間を縫い続けるだけ。
――誠は誰のものでもない。
ただその瞬間。
目の前で困っている誰かのため。
彼は学園の宇宙に振り回されていった。