Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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第12話:拒絶のためのライセンス

刹那が進める資格取得による武装を、誠は否定しない。

むしろ、この生存競争において一理あると受け止めている。

だが、手放しでの肯定もしない。

誠の視点は、より深層にある『構造の罠』を射抜いていた。

 

資格とは往々にして、「お前はこれができるのだから、やる義務がある」と付け入られるための隙となる。

それは能力による拘束を公的に認める、一種の『徴用令状』に他ならない。

「できる」と証明した瞬間、それは他者が自分を掴むための『取っ手』に変わる。

一度その取っ手を握らせれば、あとは組織の都合という濁流に引きずり回されるだけだ。

 

だから、誠が狙うのは刹那とは逆のベクトル。

責任を損切りし、自分を守るための『盾』としてのライセンス。

「私はここまでしかできません」と、能力の限界を公的に宣言するための境界線。

誠は図書館での思索を通じ、独自の亡命戦略を導き出していた。

 

(やっぱ、これだよな)

 

誠の指が止まったのは、『食品衛生責任者』の項目だ。

数年の実務経験と試験を要する調理師免許ではない。

一日の講習で取得可能な、知識の証明。

 

調理師は腕を保証し、「より美味く、より速く」という無限の搾取を招く。

対して、衛生責任者は『知識』を証明するだけだ。

現場で高度な技術を強要されそうになっても、「私は調理師ではありません。衛生知識で補助をしているだけです」と、論理的な逃げ道を確保できる。

 

(できるじゃなくて、『知っている』でいい)

 

『運転できる』と言えば運転手にされ、『英語ができる』と言えば翻訳を押し付けられる。

ならば誠の回答は、丁重に拒絶するためのライセンスを保持することだ。

仕組みは理解しているが、実務そのものは専門外。

その絶妙なグレーゾーンこそが、自分を守る防壁となる。

 

刹那が情報処理や簿記という、社会の深部へ切り込むための『矛』を研ぐなら、

誠は徹底して平凡と流動に特化した『迷彩服』を纏う。

 

(漢字検定3級……日本語が通じる証明には十分だろ。あとはMOSの基礎レベル。これ以上取れば、期待という重力に捕まる。「教わらないとできません」と胸を張るための限界点だ)

 

履歴書という存在を、誠は底知れず忌み嫌っている。

しかし、この戦場を渡り歩くためには必要なこと。

安くも高くもない。

平凡な歯車を演じるための偽造パスポートは必要だ。

 

(あとは資格じゃないけど、図書館の検索術……情報の引き出し方か。これは騙されないための知恵として、一生使い倒せる)

 

資格を取るのは、命令に従うためではない。

その命令が、本来の職務範囲を逸脱していることを証明し、拒絶するためだ。

無関心で、平凡で、どこにでもいる個体でいられること。

誠は、搾取の手が届かない自由へと、風のように舵を切る。

しかし――。

 

(学校の成績が邪魔だな)

 

避けて通れない課題、授業態度、そして定期試験。

誠はテストの正解というものを生理的に嫌っている。

現実はテストのように都合よくできていない。

それなのに、模範解答という「おりこうさんの演技」を強制される。

そのことに、虫唾が走るほどの嫌悪があった。

 

「なあ清浦。赤点のボーダーラインって、何点だ?」

 

放課後の教室。

窓から差し込む斜光が、埃のダンスを照らしている。

刹那は愛読していた実務書のページをめくる手を止め、一度だけ瞬きをして答えた。

 

「……平均点の半分。もしくは30点以下。それが榊野の規定」

 

「そうか、30点か……」

 

誠が天井を見上げ、独り言のように漏らす。

刹那がわずかに首を傾げた。

 

「伊藤。赤点を取るつもり?」

 

「まさか。赤点は補習という『居残り地獄』だ。一方的に時間を削られるのは、一番の損失だろ」

 

「日頃から学べば、赤点にはならない」

 

「清浦にできることが全員にできるとは限らない。少なくとも俺はそうだ。清浦ほどの高性能スペックはない」

 

テスト対策の勉強は、コストが高すぎる。

そのための時間搾取を回避するため、

誠は最低限の支払いで済ませる線引きを模索していた。

 

「……」

 

刹那は沈黙の中で、誠の意図を即座に読み解く。

高得点は期待という檻に捕まり、赤点は指導という介入を招く。

そのどちらの網にもかからない死角を、彼は狙っている。

 

「伊藤。正解を知っているなら、調整は簡単」

 

「清浦は俺を買い被りすぎだ。そもそも、正解を覚えているとは限らない。その前提が抜けている」

 

誠は淡々と語る。

計算式が本当に合っているか、英語の翻訳が正しいか。

そんな正解の思い込みという罠を彼は信じていない。

暗記という暴力に脳を晒す。

それは、泥の混じった生野菜を無理やり食わされるような不快感があった。

 

「なるほど」

 

知識を積み上げる刹那に対し、誠にとって知識とは忘れ去るものだ。

その上でなお残る、呼吸や歩行と同じ生存レベルの知恵だけを彼は信じている。

 

「伊藤はどうしたいの?」

 

「40点でいい。選択肢なら何とかなる。……記述は、正直しんどい。特に長文」

 

「……そう」

 

刹那の中で、誠の知性の輪郭が浮き彫りになる。

実用書から知恵を盗む能力は、誰よりも高い。

二重盲検くじ引きを発案した男が、知能で劣るはずがない。

ただ、学校の用意した答えさせる仕組みとの相性が、絶望的に悪いのだ。

 

「伊藤。これが解けたら40点が取れる、という指標があれば?」

 

「試してもいいけど、本当にできるのかって疑うぞ」

 

「疑えばいい。それが伊藤の持ち味。……私は、否定しない」

 

刹那は無言で、自身のシステム手帳からルーズリーフを一枚抜き取った。

そこには過去三回分の試験傾向。

そして担当教師の癖が、数式のごとき簡潔さでリスト化されていた。

 

「出題範囲を全て網羅する必要はない。教師も、採点のコストを嫌う」

 

「ほう……」

 

「過去に出した問題の使い回し、授業中に三回以上繰り返した語句。これは教育じゃない。ただの『パターン認識』の問題」

 

彼女は淡々と、誠のデスクにその紙を滑らせた。

 

「このキーワードだけ、脳の隅に置いて。それ以外にリソースを割く必要はない。そうすれば、40点は保証される」

 

誠はその紙を手に取り、まじまじと眺めた。

そこには「ここだけを仕留めろ」と言わんばかりの、急所を突いた戦略図があった。

誠の口角が、わずかに上がる。

社会から降りるために、学校という巨大な監視システムを出し抜く。

二人の知性が、一つの『ハック』へと結実した。

 

「清浦。ひとつ問題を出すよ。清浦、一週間前の晩御飯のメニューを覚えているか?」

 

「……伊藤にとって、テストも晩御飯と同じ。忘れていいもの、なんだね」

 

誠の問いは、確認だった。

「お前も、本当はわかってるんだろ?」という共犯の合図。

テストの正解など、消化され消えていく残飯ほどの価値もない。

刹那の答えは、冷徹な現実主義だった。

 

「補習を受けたいなら、捨ててもいい。テストを忘れたら、罰というコストが待っているだけ」

 

「へいへい。やればいいんでしょ、やれば」

 

窓の外では、冬の訪れを告げる風が校庭を吹き抜けていく。

誠は刹那から受け取った攻略図を丁寧に折りたたみ、ポケットに収めた。

それは彼にとって、どの教科書よりも価値がある、自由を買い戻すための換金アイテムに見えた。

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