Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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共通編20話「手相の選択肢」より、清浦刹那を選んだ場合の長編ストーリーです。


刹那編
第1話:掌の上の再起動


いずれにしても、試してみるしかない。

誠は掌の上のロジックを確定させるべく、刹那にクエリを送信した。

 

『清浦、手相を見せてって言ったら拒否するか?』

 

数秒のラグがあって端末が震える。

 

『それ、桂さんにも同じこと言うの?』

 

極めて鋭利なカウンターだ。

刹那の脳内では、誠の行動が全女子への無差別な接触なのか、

それとも「特定の個体への関心」なのか、その判別が始まっている。

 

『男と女で手相の違いを知りたい。女のサンプルが一つ欲しい。もちろん無理なら断ってくれていい。その場合は桂に頼るから』

 

誠にとって、これは脅しではない。

単なる代替案(プランB)の提示だ。

しかし、これが刹那の演算に火をつけた。

 

『放課後、図書室』

 

座標の指定。

これは了承の署名。

だが、誠はさらに観測条件として最適化を求める。

 

『図書室では人が来るぞ』

 

『なにが問題?』

 

『真面目に見たいんだ。周りのノイズがいると邪魔だ』

 

解釈を混ぜたくない。

他人の視線という不純物で、純粋なデータを汚したくない。

しばらくして、最終的なプロトコルが届いた。

 

『図書室の奥。歴史資料コーナー。あそこなら死角』

 

『了解した』

 

放課後。

図書室の奥深くに沈殿する空気。

西日が古い背表紙を鈍く焼き、重厚な書架が外界の喧騒を物理的に遮断している。

歴史資料コーナー。

そこは、情報の墓場であり、不可侵の聖域。

 

誠が到着したとき、刹那はすでにそこにいた。

彼女は受付の清浦刹那ではなく、

書架の隙間に一編の詩のように佇む一個の観測対象として存在していた。

 

「見せればいい?」

 

前置きはない。

感情のアイドリングも不要。

 

「問題は、左と右のどちらを検品するか、だな」

 

誠は手相の本で得た知を検索する。

 

「左手は生まれ持った宿命(OS)、右手は努力で築いた現実(アプリケーション)だったか」

 

「伊藤、メールの注意。覚えてる?」

 

「観察と評価はハンバーガーセット」

 

「……ハンバーガーは余計」

 

「脱線は知の遊びであり、応用だ。ビジネスの雑談術でも有効なテクニックだぞ」

 

誠は一歩も引かない。

だが、刹那が「ノー」というフラグを立てれば即座に離脱する。

合意なき観測は、彼にとっての禁忌だからだ。

 

「……右、でいい?」

 

刹那が、迷いのない所作で右手を差し出した。

小さくて、白くて、驚くほど無防備な掌。

閉鎖系の住人が持つ、隠された設計図。

 

「清浦、それだと生命線が見えにくい」

 

お釣りを受け取るような差し出し方。

指が突き出て、掌の平面が歪んでいる。

 

「……角度の問題?」

 

「ああ、こんな感じで出してくれ」

 

誠が見本を示す。

掌をパーにして、刹那の目前へ突き出した。

 

「ほら、こうすれば生命線が見えるだろ?」

 

自身の内側を無防備に晒す。

誠の掌はしなやかだが、ペンを握り、書架の本を抜き差しする生活のログが、薄いタコや筋となって刻まれていた。

刹那は、至近距離に提示された伊藤誠という設計図を、瞬きもせずに凝視する。

 

「……伊藤」

 

「なんだ?」

 

「生命線。分岐が多い。……迷走の形跡」

 

「知の浮気は伊達じゃないからな。ちなみに泰介はもっと長い生命線してたぞ」

 

「澤永のデータ、比較対象として不要」

 

あっけなく一蹴。

誠は思わず口角を上げる。

 

「俺の手の内は見せた。そろそろ清浦のパーを見せてくれないか?」

 

刹那は、自身の右手をゆっくりと開いた。

それを誠が示した見本に、重ねるようにして差し出す。

 

「……こう?」

 

「ああ、完璧。ありがと」

 

至近距離での対面。

指先までピンと張られた緊張感とは裏腹に、皮膚のきめは細かく、どこか頼りなげな薄さを湛えていた。

誠の視線が、その白い平原に刻まれた線をなぞる。

 

(細い。だが、異常に深いな)

 

誠の迷走とは対照的に、刹那の線は鋭利な彫刻刀で刻まれたような一条。

迷いも、余白も、揺らぎもない。

彼女が自分の人生を演算し、最適解一点に絞り込んでいる証明のように思えた。

 

「伊藤」

 

「なんだ?」

 

「息がかかってる。くすぐったい」

 

「呼吸しなかったら死ぬぞ」

 

「匂い、嗅いだ?」

 

「なんでそうなる?」

 

「伊藤、鼻で呼吸している」

 

刹那の指摘は、微かな弾劾を含む。

誠は掌から視線を外さず、冷静に切り返した。

 

「口呼吸だと喉をやられる。鼻毛フィルターを通した呼吸は自己管理の基本だ」

 

「それで、匂いを嗅ぐの?」

 

「俺は手相を見たいと言った。手を嗅ぎたいとは頼んでいない」

 

冷淡なまでの線引き。

それが誠の観測の作法だ。

誠が求めているのは、皮膚の上に刻まれた論理の痕跡だけ。

それ以外の感覚的ノイズを拾うつもりはない。

 

「……了解」

 

刹那の声が少しだけ低くなる。

納得か、あるいは再確認か。

誠の視線は再び、刹那の右手に戻る。

 

「この線、途中で一度だけ、見えないくらい薄く繋がっている部分がある」

 

「……欠損?」

 

「いや、転換点だな、これは。……システムの再起動(リブート)だ」

 

静寂の中、吐息が皮膚を撫でる距離。

だがそこに熱を帯びた情事はない。

解読不能なコードを前にした、プログラマー同士の冷徹な共鳴。

 

「伊藤」

 

「なんだ?」

 

「……桂さんには、こうして顔を近づけないで。死角でも」

 

至近距離で刹那の瞳が誠を射抜く。

その圧力は、システム警告(アラート)そのものだ。

 

「セクハラになるからか? 嫌がりそうな気配はあるけど」

 

「違う。……桂さんの場合、認識がバグを起こして、二度と『開放系』に戻れなくなる」

 

「勘違いさせるってことか?」

 

「桂さん、一度特定のアドレスを固定(ロック)すると、二度と外部を受け付けなくなる。排熱口を塞がれたボイラーと同じ。……爆発するか、溶けるか、どちらか」

 

誠の脳内に、興味本位で借りた『SchoolDays』という単語がよぎる。

彼は携帯を取り出し、検索窓に打ち込んだ。

『ヤンデレ』。

表示された内容を刹那に提示する。

 

「清浦、戻れないって言ったのは……この『破滅の構造』のことか?」

 

画面には【病的な執着、愛ゆえの狂気、社会性の喪失】という解説。

 

刹那は画面を一瞥し、再び誠の瞳を見つめた。

 

「それは安価なラベリング。……桂さんの実態は、もっと純粋で、もっと壊れやすい」

 

「どういう意味だ?」

 

「桂さんにとっての愛は、現世の再定義。もし伊藤がその定義になれば、彼女に見えるもの全てから『他者』という概念が消える」

 

誠は無意識に背筋を伸ばした。

これは軽はずみでは済まされない。

 

「つまり、俺が彼女の掌を覗くことは、彼女にとって『運命の確定』になる。その固定は何があっても揺るがない、ということか?」

 

「……正解」

 

刹那は右手を握り、胸元へ戻す。

 

「伊藤が私にしたのは『知の浮気』。……でも、桂さんにとって、これは『契約』」

 

誠は重い背表紙を眺め、ふっと息を吐いた。

手相というユーザーインターフェース。

そこから漏れ出したのは、占いの運勢などではない。

一人の少女が抱える終焉の予感だった。

 

「ちょっと待て、清浦。あのメールで『桂さんに聞く方が早い』って送ったよな? あれ、一歩間違ってたら俺、何もかも終わってたんじゃないか」

 

誠の背中を戦慄が走る。

もしあの時、素直に言葉の元へ向かっていたら。

今のこの距離で、彼女の掌を覗き込んでいたら。

 

「……おい」

 

咎めるような目。

だが、刹那は動じない。

 

「伊藤なら、踏みとどまると判断。……あるいは、私に確認(デバッグ)しに来る」

 

「……試したのか?」

 

「確信。伊藤は、不可逆な事象を嫌う」

 

確かに刹那の予想通りになった。

だが、それは結果論である。

 

「清浦、次から改善してほしい」

 

「改善?」

 

「人間は計算通りになるとは限らない。魔が差す、気まぐれを起こす。俺が桂を選ぶ可能性は五分五分だったんだ」

 

「五分五分……か」

 

刹那は復唱する。

瞳の奥で膨大なデータが再計算され、火花が散る。

 

「伊藤、その指摘は妥当。私のシミュレーションにおいて、伊藤の『気まぐれ』という乱数を過小評価していた。……修正する」

 

「それならいい」

 

誠はカバンの中の手相の本を強く握りしめる。

 

「伊藤、一つだけ」

 

「なんだ?」

 

「……桂さんに、そのヤンデレの画面は見せないで」

 

「当たり前だ。ヤンデレって世間の暇つぶしで消費扱いされた尊厳殺しだろ。俺は桂をそんな目で見るつもりはない。只者じゃないという敬意は持っているけどな」

 

刹那は、その言葉を一拍遅れて受け取った。

図書室の奥、紙の匂いだけが沈殿する空間。

 

「そう……」

 

短い返答である。

すると誠はさらに付け加える。

 

「なあ清浦」

 

「なに?」

 

「俺は一人の孤独な時間は大切だと思ってる。清浦もそうだと思う。じゃあ桂は違うのか?」

 

食堂では一人。

休み時間も一人。

誰かと話す様子がない。

誠はその様子をある意味で、羨ましく思う。

その一方で、本当に彼女がそれを喜んでるのかは疑問だ。

 

刹那はすぐに答えない。

歴史資料の背表紙を見つめ、脳内の演算を走らせる。

そして重い口を開くようにして答えた。

 

「……桂さんは、孤独を愛しているわけじゃない。ただ、それ以外の『呼吸法』を知らないだけ」

 

「呼吸法?」

 

「彼女にとっての沈黙は、安らぎではなく、外部からのノイズを遮断するための『防御膜』。……伊藤や私のように、積極的に孤独を運用していない」

 

誠や刹那にとっての孤独は、思考を研磨するための『書斎』。

だが、言葉にとっては、荒れ狂う外界から身を守るための『防空壕』である。

 

「もし、その膜を破ったらどうなる?」

 

「その時、彼女は自分を救ってくれる他者という幻想を、現実と置き換える。それは孤独の解消ではなく、他者への全委託。……だから、固定(ロック)される。一度その熱量に触れれば、彼女は二度と一人には戻れない」

 

刹那の発言には、かつての依存関係を知る者としての重みがあった。

誠は背中に冷や汗を覚える。食堂でのあの相席。

 

(……もし、あの時すでに、何らかのフラグを立てていたとしたら)

 

知的好奇心という凪。

それが、言葉という鏡を覗き込んだ瞬間。

彼女のすべてを書き換える再定義の火種になっていたかもしれない。

 

「伊藤」

 

刹那の声に、誠は思考を現実へと引き戻す。

 

「観察が終わったなら、早く戻った方がいい。ここは、空気が古いから」

 

彼女は右手を隠すように制服の袖を整える。

誠が観測した一本の鋭利な生命線。

それは、再び非公開領域へとアーカイブされた。

 

「わかった。……今日はサンキュー。助かったよ、色々な意味で」

 

刹那は答えず、受付の方へと迷いのない歩調で戻る。

誠はその背中を見送り、自分の掌を一度だけ握りしめた。

迷走し、分岐し、決して一つに固定されない、自分の生命線。

 

(……危なかった。手相ひとつで破滅の道か)

 

取返しのつかない橋は渡らない。

誠は自嘲気味に息を漏らし、一度も振り返ることなくその場を去っていった。

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