Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方― 作:完結の陽炎
図書委員の当番。
誠は書架の整理という物理的なアーカイブ作業に勤しむ。
言葉は受付カウンターで静謐な門番を務めていた。
誠は、司書教諭によるレファレンス(資料相談)の在り方に疑問を抱く。
――主観的な回答は不可。客観的な統計に基づく提示をする。
司書教諭のそれは、誠にとっては『思考の放棄』としか受け取れなかった。
(本は主観の塊だ。客観という無菌室で、知が呼吸できるか。それなら検索エンジンの方がよっぽどマシだぞ)
再現性を重視し、誰がやっても同じ結果を出す『規格系』。
それが社会における駒の在り方。
だとしても、今の誠が求めているのは、そんな代替可能な正解ではない。
(……清浦と桂で、レファレンスを比較したらどうなるか)
ふと思いついた実験。
司書の検索エンジンの抽出を超えた、学生という未完成な個体だからこそ提示できる。
そんな独特なオリジナルを見たくなった。
まずは、言葉というサンプルから探りを入れる。
「桂」
「あ、はい?」
「おすすめ本があったら教えてほしい」
あえて条件を削ぎ落とした、オープンな依頼。
誠は言葉の主観という聖域を覗き込む。
食堂の一件での正直さが評価されたのか。
彼女が差し出したのは模範解答ではなかった。
ティーン向けの恋愛小説。
そこには、彼女が守りたいであろう「あるべき青春の輪郭」が、熱を帯びて凝縮されていた。
後日。
今度は刹那が受付に立つ日を狙った。
本棚の整理をする山県愛の視線を感じる。
だが、それは無視する。
カウンターには、低い座高で端末と対峙する清浦刹那がいた。
(一番上の棚には届かないだろうな。脚立を使っても、彼女のリーチでは……)
「伊藤、今。失礼なこと考えてる」
「気にするな。それより、レファレンスを希望する。内容は『清浦のおすすめ』」
キーワードだけでわざと仕掛けた。
刹那との知的なぶつかり合いが始まる。
「冊数は?」
「2」
「雑誌、児童書、電子書籍は?」
「全て除外。紙の本を指定」
刹那は一切の迷いなくキーを叩く。
期待に瞳を輝かせた言葉とも、公務として義務をこなす司書とも違う。
「ジャンルは?」
「指定なし。清浦の『主観』を知りたい」
「……」
刹那の指が、一瞬だけ硬直した。
彼女にとって主観とは処理すべきノイズだ。
だが、誠がそれをデータとして求めている。
彼女は自身の深層意識というデータベースを高速スキャンし始めた。
「一冊目。情報工学。アルゴリズムの歴史」
「……渋いな。二冊目は?」
「実用書。……マインドフルネス、沈黙の技術」
提示されたのは、物語ですらない。
システムとその運用保守に関する、極めて実効的な知のセット。
「清浦、物語(フィクション)は入れないのか?」
「物語は、感情の偽造が多い。伊藤には、偽造パスポートの製造法が優先順位として高いと判断」
刹那のコメントに、誠が思考の淵に立つ。
指を顎先に添えるようにして考え込む。
(桂は自分の好きな『鏡』を差し出した。清浦は、俺が必要とするであろう『武器』を、主観という責任をもって選別した)
一般的におすすめと言えば、前者の王道を指す。
だが、刹那のやり方は司書教諭ですら到達できない、個体への最適化(チューニング)だった。
(受け取り方の違いで、ここまで変わるなんて面白いな)
比較分析の醍醐味といえるかもしれない。
ジーと見つめる刹那が声をかける。
「伊藤」
「なんだ?」
「……分析、終わった?」
その一言は質問というより確認だった。
誠は少しだけ目を細める。
(バレた。マジか。いやーーまだわからんぞ)
ヒヤリと氷のように冷たい空気。
別に刹那は怒っていない。
ただ仕掛けがバレた子どものような気持ちになる。
誠としてはもう少し探ってみたい。
「分析って?」
「レファレンス比較」
ポーカーフェイスを維持しようとする誠。
その努力は、刹那の演算能力の前では無力だった
(清浦は超能力者か。つーか比較されても怒らないのが逆に恐いな)
誠は露骨に咳払いを一つ。
そんなノイズの仕草に刹那はごまかされない。
「清浦、誰と比較したか。わかるなら当ててみて」
「桂さん」
「早いよ即答かよ、一秒もかかってないぞ」
何故、ほかを疑わないのかとツッコミを入れる。
他に相手がいるかもしれないではないかと。
「他の変数は、不要」
短い。
切り落としたみたいな返答だった。
誠は思わず息を吐く。
「それ、思考の省略じゃなくて確信してるよな?」
「伊藤の行動ログは単純」
「どこがどう単純なんだ?」
「比較可能な対象が三人未満なら、必ず二極の構造を作る」
「二極?」
「桂さんと私」
誠が何気にメモをとった。
二極構造が触媒になったのだろう。
刹那は淡々と説明を続ける。
「桂さんは『開放系』」
「ほう」
「私は『閉鎖系』」
「うむ」
「司書は『規格系』」
「……俺の中で分類されてるの、それ」
「既に」
これも即答だった。
迷いがない。
最初からそういう座標で見られている。
自分自身の脳内フォルダを、外側から読み取られているような感覚だ。
「清浦、聞いてもいい?」
「どうぞ」
「桂がどういう本を勧めたか、予想つくか?」
「桂さんは、自分の『鏡』を差し出しているはず」
刹那は端末の画面を落とした。
暗転した液晶が、彼女の無機質な瞳を鏡のように映し出す。
「彼女が求めるのは世界の理ではなく、自分の『居場所』の肯定。物語は、彼女の中に抱えた制御不能な熱量を逃がすための『排熱口』。だから、鏡になる小説以外にあり得ない」
「……清浦、自己啓発の本で、桂が食いつくと思わなかったのか?」
「それはない」
「これも即答か」
誠はもはや驚きを通り越し、清々しささえ感じていた。
刹那の脳内では、既に言葉というシステムのシミュレーションが完了している。
「自己啓発本は、他人が作った『正解』のテンプレート。桂さんが求めているのは、自分の歪みを許容してくれる物語であって、矯正じゃない。彼女にとって、正しさは既に飽和している」
「その点は俺も同感」
刹那は、誠が抱えている二冊の本。
『アルゴリズムの歴史』と『沈黙の技術』を指し示す。
「伊藤、私がその二冊を選んだ理由、わかる?」
「……俺の亡命を助けるため、だろ?」
「半分正解。もう半分は、私自身の『鏡』」
誠の目がわずかに見開かれた。
刹那にとって主観はノイズだと言った。
それなのに、これが彼女の鏡だという。
「一冊目のアルゴリズムは、私の『言語』。二冊目の沈黙は、私の『祈り』」
それは、氷が割れるような鋭利さで誠の胸に突き刺さる。
彼女は感情を露わにしない。
だが、この血の通わない論理の集積と、何も語らない沈黙の技法。
それこそが、彼女がこのノイズだらけの学園で息をするための聖域だ。
「伊藤、一つだけ忠告」
刹那が、再び端末を起動させる。
その光が彼女の横顔を白く照らした。
「三つのレファレンスを比較して、その平均値を取ろうとしないで。それは、司書の『規格系』への退行に過ぎない」
「わかっている。俺は、平均がほしいわけじゃない。極端な知をバラバラに食い散らかして、俺だけの知を建てる。それが俺のやり方だ」
刹那はそれ以上語らず、受付業務の無機質な沈黙へと戻っていった。
誠が図書室を去った後、愛が恐る恐る受付に歩み寄る。
「ねえ、清浦さん。何を話してたの? 二人だけで、別の国の言葉で喋ってるみたいで……」
刹那は画面に並ぶ数字を見つめたまま、小さく唇を動かした。
「……偽造パスポートの、検印作業」
愛の困惑を置き去りにして、刹那は再び静かな作業に戻る。
彼女の胸の奥で、誠から提示された伊藤誠という未知の変数。
それが、静かに熱を帯びて回り始めていた。