Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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第7話:最適化される寂寥

榊野学園の夏休み。

アスファルトが白く焼き焦げ、陽炎が校門を歪める外界から遮断された図書室。

そこには、停滞した琥珀色の静寂と、夏の制服を纏った誠と言葉、二人の姿があった。

 

「あの、伊藤くん」

 

配架作業の手を止め、カウンターに戻った誠を、言葉の視線が捉える。

その瞳には、控えめな好意と、それ以上に深い空虚な熱が宿っていた。

 

「伊藤くんと清浦さん、よく一緒にいらっしゃいますが、その……」

 

探りを入れるような、あるいは縋るような問い。

その言葉が結末を迎える直前。

図書室の扉が、外気の熱を放って重く開いた。

 

「清浦さん?」

 

言葉が視線を向けた先。

誠もまた、同期するように首を巡らせる。

 

「いらっしゃいませ、清浦」

 

あえて世俗的な接客用語を投げた誠に対し、刹那は無機質な一瞥でそれを切り捨てた。

 

「伊藤。図書室でその挨拶は不適切。ここは市場(マーケット)ではない」

 

刹那はカウンター越しに誠へ歩み寄ると、有無を言わさぬ口調で言葉に告げた。

 

「桂さん。歴史資料コーナーを使う。伊藤にインデックスの再構築(デバッグ)を手伝わせるから、しばらく受付をお願いしていい?」

 

「え、あ……はい。わかりました」

 

言葉の真空な視線を背中に感じながら、誠は刹那の歩幅に従う。

窓から最も遠く、昼間でも薄暗い死角。

古い革表紙の匂いが沈殿する歴史資料の影へと、二人は『亡命』した。

 

「……伊藤、そこ。19世紀都市計画資料。未整理」

 

刹那は一冊の背表紙を指でなぞる。

受付からは二人の会話は届かない。

すると誠が小声で囁いた。

 

「タイミングを狙ったな。唇の動きで把握したのか?」

 

「……読唇は、実務スキルの範囲内」

 

刹那は視線を資料から外さずに、低い声を響かせた。

 

「私的な質問を検知。物理的な遮断が、現時点の最小コスト」

 

「わかった。詳細は終わってからにしよう。ここは静かだが、壁に耳ありだ」

 

「……指定の場所はメールで送る」

 

「了解」

 

数時間後、図書委員の業務を終えた誠は、刹那のマンションの一室にいた。

冷房の効いた部屋。

麦茶と塩飴。

親睦でも馴れ合いでもない。

生存戦略のためのデバッグ会議が始まる。

 

「桂が何を言おうとしたか、読めるか?」

 

「『伊藤くんと清浦さんはどういったご関係ですか?』……これで満足?」

 

刹那の淡々とした回答に、誠は神妙な面持ちで頷く。

関係性を恋人や友人という既成のラベルで定義しようとする。

その瞬間、知の濃度は薄まり、世俗的な情念に汚染されてしまう。

 

「桂さんにとって、私と伊藤の関係自体に意味はない」

 

「それなら、桂の目的はなんだ?」

 

「解答を得ることではなく、質問そのものを『既成事実』にすること」

 

刹那は麦茶で喉を潤し、誠は塩飴をひとつ、自衛の弾薬のように口に放り込んだ。

 

「恋人と答えれば『自分の方が深く愛せる』。友人と答えれば『自分の方がふさわしい』。現実の情念には終了条件が設定されていない」

 

物事の可能性を軽はずみに切り捨てない。

だからこそ、誠には見えてしまった。

自分たちの構築した論理の牙城が、外側から崩されつつあることを。

 

「これは終わったな。もう俺には先が見えたよ」

 

「終わってない」

 

「なんでだよ。桂が都合よく転校でもしてくれるのか? そんな奇跡、あり得ないだろ?」

 

「桂さん、親の意向に従う人形」

 

その一言に、誠の脳内メモリが急速な検索を開始する。

刹那の背後に透けて見える、強固な社会の骨組みを。

まさかと直感した仮説を口にする

 

「清浦の親と桂の親って、もしかして繋がりあるのか?」

 

「正解。桂さんのお母さんは経営コンサルタント。ラディッシュ本社の重役をする私のお母さんと、仕事上の不可分なノードで繋がっている」

 

刹那は淡々と、しかし決定的な事実を告げる。

 

「私のお母さんなら、その接続を変えることができる。親の意向をハックして、別の器へ。……桂さんが望む『救済』を、この学園ではないどこか遠い場所――規律の行き届いたエリート環境へ移動させる」

 

誠は沈黙した。

言葉は、榊野学園において完璧すぎる異物だ。

たった一人でも誰かと接続すれば、そこから過剰な依存という名の高電圧が流れ、相手を焼き切るまで止まらない。

 

「今の正直な気持ち、言ってもいいか?」

 

「うん」

 

「桂には、あの学園に居場所がない。そして……俺には、桂の重さを背負う義理もリソースもない。他を当たれ、というのが本音だ」

 

冷徹な告白。

それは言葉を救うことではない。

自分たちの人生から切り取り、別の場所へ貼り付けるカット&ペーストの作業に他ならない。

 

「……桂さんは、純度が高すぎる。榊野学園のサーバーを物理的に破壊するほどに。彼女は孤立しているのではなく……周囲を自分の『深淵』に巻き込んでいるだけ。共食いか、心中。その二択しか持たないデバイス」

 

「その出力がデカすぎるんだよ。家庭用のコンセントに、工業用の高圧電流を流し込んでいるようなものだぞ。泰介がショートしているうちは勝手にしろと流せるが、その刃先が俺に向いたとき、俺そのものが焼き切られるのは目に見えている」

 

「だからこそ、舞台の変更。規律という『変圧器』で制御できる場所が必要。……彼女の母親に、その過負荷による故障のリスクを提示すれば、事態は一気に加速する」

 

刹那の声は、夜の図書室の静寂よりも深く、誠の耳に沈んでいく。

 

「伊藤は桂さんの凄さを認めた。……認めたからこそ、それは排除じゃない。『最適化』としてのパージ。最上級の敬意を込めた、冷徹な追放」

 

「……清浦、1年の時に桂と同じ学級委員だったよな。クラスは違うけど。聞いた所によれば、一人で全部押し付けられていたらしいじゃないか。先生は何をやってたんだ」

 

ふと思い出した過去のログを誠が突くと、刹那はわずかに視線を逸らした。

 

「過ぎたこと。今、そのログを読み返しても事態は変わらない。……ただ、あの時、誰も彼女を正しい座標に導けなかっただけ」

 

「……出る舞台を間違えたな、桂は」

 

報われない現実という壁。

榊野学園で言葉の大器は収まりきらない。

だからこそ。

 

「伊藤、今は夏休みでちょうどいい。潮時」

 

潮時、という一言が残酷なまでに響く。

他に方法がないのか。

あれば刹那が提案しているはずである。

 

「……清浦、それ以外に最善の方法はないんだな?」

 

誠は冷え切った麦茶のグラスを見つめ、底に溜まった水滴が描く不規則な波紋を追った。

刹那が下している案。

それは追放という名の救済。

理詰めであればあるほど、その結論はナイフのように鋭利で、一切の情けを排している。

 

「ない。桂さんという劇物を無害化できる試薬は、この学園の備品には存在しない」

 

刹那は断言した。

彼女の指先は、まるでチェスのチェックメイトを宣告するように、空の塩飴の袋を静かに潰す。

 

「伊藤。私たちがやろうとしているのは、悪意による排除ではない。『情報の公衆衛生』としての徹底。高電圧のデバイスには、それに耐えうる基盤が必要。榊野は、あまりにも電圧が低すぎる」

 

もはや観念するしかない。

これは構造欠陥としての問題。

善悪の感情で判断していいことではない。

 

「寂しい?」

 

「虚しいの間違いだろ。だが、そういうものだと思ってるよ」

 

もう誠にできることは何もない。

余計なことをしないことがむしろ最善とすらいえる。

 

「で、実行はできるのか?」

 

「うん、下書きあるから、あとは送信するだけ」

 

ノートパソコンを広げていつでも送信準備ができている。

下書きを済ませて手際が良い。

そんな中で誠は降参するようにお手上げしてから言った。

 

「俺は清浦の上司でも何でもないから、命令したり止めたりする権限はないよ。だからせめて、清浦はどうしたいかの本音を聞きたいな。俺の思ったことはさっき言ったわけだから」

 

「私は、私の演算領域を汚染されたくない。そして伊藤が、彼女の高電圧で焼き切られるのも許容できない。……だから、私の本音は『排除』。それも、再起動不可能なレベルでの、物理的なパッチ適用」

 

「これが清浦の答えか。『焼却』というあのPDFで見た意見の」

 

「公衆衛生における基本。汚染源は、管理可能な施設へ移送されるべき。……送信する」

 

刹那はエンターキーを静かに叩く。

それは、刹那の母である舞への送信完了の合図。

榊野学園という不適切なサーバーから、桂言葉という名の高負荷データをパージ。

別の聖域へと転送するプロトコル。

今、この瞬間に動き出す。

 

「夏休みが終わって2学期入る頃。桂は転校していなくなっている……そういう計算か?」

 

「……早ければ、夏休みが明ける前。……遅くとも、二学期の始業式、彼女の席はもうその時にはない」

 

刹那は、送信を終えた端末を閉じ、机の上に置く。

その動作には、一点の迷いも、あるいは達成感すらも混じっていない。

ただ、あるべき場所に情報を流し、あるべき結果を待つ。

その静止した時間。誠にとっての『凪』を死守するための防壁そのものだ。

 

「……」

 

誠はこれ以上何も言わない。

刹那と一緒に窓へ視線を移す。

夏の陽炎がアスファルトを揺らすように。

自らの足元もまた、不確かな選択の連続の上に成り立っていると感じていた。

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