Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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第8話:転送される魂

夏休みの図書室。

冷房の唸りだけが響く静寂の中。

 

誠は言葉の欠落が始まる瞬間。

指先の熱として感じていた。

受付に座る彼女の肩。

どこか見えない重圧に押し潰されたかのように丸まっている。

 

誠はあえて指摘しない。

問いかけるという行為そのものが、彼女の『深淵』へ加担することになるから。

 

仕事が終わった後。

夏の日差しが石造りの壁に遮られ、琥珀色の湿り気を帯びた廊下の踊り場。

そこで二人は向かい合った。

言葉にお話があると言われて誠は静かに応じる。

その瞳は、凪いだ水面のように静か。

しかし逃げ場のない決定を映し出していた。

 

「……私、転校することになりました」

 

「……いつ?」

 

誠の問いは、驚きも、同情も含まない。

ただ、プロトコルを確認するような乾いた響きだった。

 

「夏休みの終わりに」

 

言葉は、自身の指先を見つめながら続けた。

 

「お父さんとお母さんが……急に。私がこの学園で『適切な結果ではない』と。もっと規律の行き届いた、私にふさわしい環境で……国内の系列校に見つかったからと」

 

(……本当に、完璧な手際だな)

 

誠は内心、刹那の管制塔なる精度に戦慄した。

敵に回してはいけないと生存本能が告げている。

言葉の自律の試みという脆弱なプログラム。

それを親の上位権限で上書きをする。

言葉自身がどれほど抵抗しようとも、社会的な引力で強制的に引き剥がされてしまう。

 

「……そうか」

 

「伊藤くん。私は……私はまだ、ここで、伊藤く――」

 

「桂さん」

 

言葉が遮られた。

そこに現れた刹那によって。

すると彼女はその場で頭を下げる。

 

「ごめんなさい、話を聞いてしまって。転校、するの?」

 

「清浦さん……はい、夏休みの終わりには」

 

「そう。桂さん、ここでの思い出、転校先で活かして。それが私たちができる唯一のエールだから」

 

「え?」

 

「それとも、私たちの思い出、距離なんかで負けちゃうほど、安っぽいものなの?」

 

誠は身震いをした。

本当に恐ろしいと心底思った。

刹那が完全に相手を読み切っている。

1年の時はクラスは違えど、同じ学級委員だった。

2年もクラスは違えど、同じ図書委員。

その繋がりをあたかも友情のベールに包んで見送りとする。

 

「いいえ。そ、そうですよね。思い出をもって転校先で頑張ることが大切……ですよね?」

 

「そう。私も伊藤も、未来に向けて頑張る。だから桂さんも、転校先で自分の道を進んで頑張ってほしい。そうだよね、伊藤?」

 

「ああ、お互いに自分の進路に向かって頑張っていこう」

 

「……はい。そうですね。私も、頑張ります」

 

言葉の瞳に、わずかな光が灯る。

それは希望というより、刹那が提示した美しい思い出を額縁にしたもの。

自分自身の失敗を、無理やり押し込めた結果の安堵。

彼女の純粋さは、刹那が施した応援によって、一滴の疑いもなく飲み干してしまう。

 

(……友情に見立てた強制ログアウト。清浦は、桂が最も拒絶できない『善意』を選びやがった)

 

言葉にとっての最強の呪縛。

ここで誠に縋り付くことはできない。

それだと大切な思い出を汚すことになる。

刹那は、言葉の唯一の逃げ道を、彼女自身の誠実さを使って封鎖した。

 

「じゃあ、私たちはこれで。……桂さん、お元気で」

 

刹那は短く告げると、誠の腕に軽く触れた。

明らかな撤収の合図。

その空気を読めないほど誠も愚かではない。

 

「元気でな、桂」

 

誠は一度だけ言葉に視線を向け、すぐに踵を返す。

背後で、言葉が深く、深く頭を下げる気配がした。

踊り場を去り、静まり返った校舎の階段を降りていく。

蝉の声が、コンクリートの壁に反射して激しく鳴り響いていた。

 

「……刹那。本当にとんでもないことしやがるな」

 

一階の昇降口で、誠は隣を歩く刹那に小声で呟いた。

刹那は前を向いたまま、表情を一切変えずに答える。

 

「感謝と友情、最も摩擦係数が低いパージ手段。伊藤もエールを送った」

 

「これで終了か?」

 

「うん」

 

言葉への同情はある。

だが、これ以上はどうにもできない。

お互いにそれを実感している。

 

「伊藤。二学期からは、本当の『凪』が来る」

 

「同時に進路に向けて、生き残りサバイバルゲームの始まりだな」

 

校門を抜けると、眩しすぎる夏の光が二人を包み込む。

一人の少女の自律の夢を焼却。

灰にした後に残る真空の白さだった。

 

二学期の始業式。

二年一組の教室では、夏休みの余熱と、新しい季節への期待が混じり合った独特の喧騒に包まれていた。

だが、その中に、決定的決落がある。

それを、クラスの誰もが肌で感じていた。

 

誠は見つめる。

自分の席から少し離れた場所。

主を失った空席を。

そこだけが、まるで写真の一部を切り抜いたかのように白く、真空の静寂を保っていた。

 

「聞いたか誠、桂さんが転校したってよ」

 

泰介が、重い足取りで誠のデスクに歩み寄る。

その顔には、隠しきれない喪失感が浮かんでいた。

 

「ああ。そうらしいな」

 

誠は視線を動かさず、事務的なトーンで応じる。

その冷徹なまでの凪に気づく様子もない。

泰介は天を仰いで嘆いた。

 

「ちくしょぉー!! 俺の目の保養が――あたたたた!!」

 

「このバカ泰介!! 教室で騒ぐんじゃないわよ!!」

 

背後から現れた光が、泰介の耳を容赦なく引き絞る。

 

「痛い痛い! 離せよ光!」

 

「あんたね、転校した相手を『保養』扱いするなんて失礼でしょ!」

 

今日も相変わらずのノイズ光景。

誠はそれらを背景音として処理し、窓の外へ視線を逃がす。

そこに広がる、高すぎる秋の空へ。

 

あの日、刹那がエンターキーを叩いた瞬間。

そこから確定した未来。

石畳の下を流れる暗渠が、ついにその不純物を完全に濾過し終えた。

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