Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方― 作:完結の陽炎
清浦舞。
清浦刹那の母である。
ラディッシュ本社の重役をしていて、巨大な資本とリソースの舵取りを担っている。
その日常は、多忙という言葉では形容しきれない。
電車のような分刻みの決断とリスク管理に支配されていた。
娘と共に過ごす時間は、物理的に最小化されている。
自宅というプライベートな空間でさえ、持ち帰り案件としてオフィスの一部となっていた。
「ただいま」
「おかえり、刹那。……あら、表情の解像度が上がっているわね」
「そう?」
「さては、男でしょう?」
帰宅した娘を一瞥し、舞は手元の端末から目を離さずに問う。
冗談めいた口調の裏には、相手の微細な変化をスキャンするプロの観察眼が光っていた。
「そういうお母さんは、仕事でメキメキ」
刹那は動じない。
母親譲りの、感情を濾過したトーンで軽やかに皮肉を返した。
「……否定はしないわ。一度毀損したブランドの信頼を回復させるには、平時の数倍の処理が必要なのよ」
舞は苦笑し、ようやく視線を上げる。
その瞳には、重責を担う者特有の鋭さと、娘への隠しきれない慈しみが同居している。
「パリへの転勤、結局白紙になったの?」
「ええ。踊子がやらかした不祥事のせいで、ラディッシュの株価は暴落寸前よ」
踊子というのは西園寺世界の母親。
パリ支店で栄転となって、体の弱い世界を無理やり連れていった。
そのせいで言語がわからない世界の不調は加速。
刹那の中では消去済み案件である。
「家族を犠牲にする組織からは、これ以上人は受け入れられないって、現地法人から強い拒絶パケットが飛んできているわ」
舞の声には、かつての盟友であった踊子への失望。
また企業防衛という冷徹なロジックが混じり合っていた。
「……皮肉なものね。彼女の失敗で受けた損失によって、私があなたと過ごす時間が『配当』として戻ってくるなんて」
重役という鎧を脱ぎ、一人の母親として静かに微笑む。
その空気を探知した刹那は一声かけた。
「お母さん、お茶淹れる?」
「……お願い。少しクールダウンさせたいわ」
忙しい母と、その傍らで静かな成長を続ける娘。
二人の間に流れるのは、情緒的な依存はない。
自律した人同士が交わす。
そんな静謐なシンクロの時間であった。
用意したお茶をカップに注ぐ。
香り立つマトリカリアのハーブティー。
それを差し出して母は受け取りながら言った。
「刹那。世界ちゃん、通信制で学びながら、法学の基礎を修得し始めたそうよ」
「そうなの?」
「あら、世界ちゃんから直接連絡は来ていないの?」
「うん。……きっと、まだその時じゃないと世界自身が判断している。今は自分を見直して再構築するため、全リソースを割いている」
「そうね。まあ、世界ちゃんにとって、これが最善だったのかしら」
舞の視線が、ふと遠くの闇を見据える。
西園寺踊子と世界の親子関係。
もはや修復不能となって絶縁している。
踊子からすれば、娘の訴えは自分のキャリアを粉砕した裏切り。
世界からすれば、母の愛は自分の尊厳と寿命を削る搾取であった。
踊子は事実上の更迭処分。
ラディッシュの辺境部署へと左遷された。
かつての華やかな生活は過去の彼方へ消えている。
彼女は辞めることができない。
生活保護という最低限の保障に甘んじることは、踊子の肥大化したプライドが許さないからだ。
(世界は大丈夫。自分の意思で歩いている)
それがわかっただけで刹那は充分であった。
もう会うことがないかもしれない。
それならそれで一向に構わない。
自分が壊れないための道を、それぞれが進むだけだ。