Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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第11話:マトリカリアの休息

清浦舞。

清浦刹那の母である。

ラディッシュ本社の重役をしていて、巨大な資本とリソースの舵取りを担っている。

その日常は、多忙という言葉では形容しきれない。

電車のような分刻みの決断とリスク管理に支配されていた。

娘と共に過ごす時間は、物理的に最小化されている。

自宅というプライベートな空間でさえ、持ち帰り案件としてオフィスの一部となっていた。

 

「ただいま」

 

「おかえり、刹那。……あら、表情の解像度が上がっているわね」

 

「そう?」

 

「さては、男でしょう?」

 

帰宅した娘を一瞥し、舞は手元の端末から目を離さずに問う。

冗談めいた口調の裏には、相手の微細な変化をスキャンするプロの観察眼が光っていた。

 

「そういうお母さんは、仕事でメキメキ」

 

刹那は動じない。

母親譲りの、感情を濾過したトーンで軽やかに皮肉を返した。

 

「……否定はしないわ。一度毀損したブランドの信頼を回復させるには、平時の数倍の処理が必要なのよ」

 

舞は苦笑し、ようやく視線を上げる。

その瞳には、重責を担う者特有の鋭さと、娘への隠しきれない慈しみが同居している。

 

「パリへの転勤、結局白紙になったの?」

 

「ええ。踊子がやらかした不祥事のせいで、ラディッシュの株価は暴落寸前よ」

 

踊子というのは西園寺世界の母親。

パリ支店で栄転となって、体の弱い世界を無理やり連れていった。

そのせいで言語がわからない世界の不調は加速。

刹那の中では消去済み案件である。

 

「家族を犠牲にする組織からは、これ以上人は受け入れられないって、現地法人から強い拒絶パケットが飛んできているわ」

 

舞の声には、かつての盟友であった踊子への失望。

また企業防衛という冷徹なロジックが混じり合っていた。

 

「……皮肉なものね。彼女の失敗で受けた損失によって、私があなたと過ごす時間が『配当』として戻ってくるなんて」

 

重役という鎧を脱ぎ、一人の母親として静かに微笑む。

その空気を探知した刹那は一声かけた。

 

「お母さん、お茶淹れる?」

 

「……お願い。少しクールダウンさせたいわ」

 

忙しい母と、その傍らで静かな成長を続ける娘。

二人の間に流れるのは、情緒的な依存はない。

自律した人同士が交わす。

そんな静謐なシンクロの時間であった。

 

用意したお茶をカップに注ぐ。

香り立つマトリカリアのハーブティー。

それを差し出して母は受け取りながら言った。

 

「刹那。世界ちゃん、通信制で学びながら、法学の基礎を修得し始めたそうよ」

 

「そうなの?」

 

「あら、世界ちゃんから直接連絡は来ていないの?」

 

「うん。……きっと、まだその時じゃないと世界自身が判断している。今は自分を見直して再構築するため、全リソースを割いている」

 

「そうね。まあ、世界ちゃんにとって、これが最善だったのかしら」

 

舞の視線が、ふと遠くの闇を見据える。

西園寺踊子と世界の親子関係。

もはや修復不能となって絶縁している。

踊子からすれば、娘の訴えは自分のキャリアを粉砕した裏切り。

世界からすれば、母の愛は自分の尊厳と寿命を削る搾取であった。

 

踊子は事実上の更迭処分。

ラディッシュの辺境部署へと左遷された。

かつての華やかな生活は過去の彼方へ消えている。

彼女は辞めることができない。

生活保護という最低限の保障に甘んじることは、踊子の肥大化したプライドが許さないからだ。

 

(世界は大丈夫。自分の意思で歩いている)

 

それがわかっただけで刹那は充分であった。

もう会うことがないかもしれない。

それならそれで一向に構わない。

自分が壊れないための道を、それぞれが進むだけだ。

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