Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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第15話:警告の無効化

三学期も半ばを過ぎた休日。

窓の外を流れる風に、わずかながら春の予兆が混じり始めた。

榊野町の駅前は、季節の変わり目を楽しむ人々で溢れている。

だが、その喧騒の中を歩く誠と刹那の間に流れる空気だけは違う。

外界の湿度を一切受け付けていない。

 

「なあ、清浦」

 

隣を歩く刹那に視線を落とさず、正面の雑踏を見据えたまま誠が一声かける。

彼は質素なコートに貼りカイロを仕込み、熱効率と防寒を最適化した状態でそこに立っていた。

 

「なに?」

 

「俺たちってさ」

 

「ん?」

 

「今、客観的に見て何をしてるんだろうな」

 

「定義の確認? ……休日に伴う、共同の外出。それ以上でも以下でもない」

 

刹那は、防寒性と機動性を両立させたコートのポケットに手を突っ込んだまま、淡々と事実を述べる。

その足取りは、最短ルートで目的地を目指す精密なナビゲーションそのものだ。

 

「そうだな。冬休みの賭けの賞品、『上質なペン』を買うための実地検証。それが今日のメイン・ミッションだよな?」

 

「うん。道具には個体差と相性がある。試し書きによるフィッティングを行わずに購入を決定するのは、リソースの浪費。……検証は、不可欠」

 

「理屈は、これ以上になく正しい。だがな」

 

誠は足を止め、ショーウィンドーに映る自分たちの姿を眺めた。

カジュアルな装いの高校生が二人。

休日の午後に街を歩く。

その視覚的な情報が社会というシステムにインプットされたとき。

出力される解は一つしかない。

 

「清浦のお母さん……あるいは俺の母さんが今の俺たちを見たら。これって『デート』というラベルを貼られるんじゃないか?」

 

誠の懸念は、社会通念に対する防衛本能だった。

これは契約の履行であり、知的ツールの選定。

そんな事務的なタスクに過ぎない。

しかし、第三者の観測というフィルターを通せばそう思われないだろう。

情緒的な親睦という全く別の意味に変質する。

 

「……『デート』。恋愛感情を燃料として、非効率な消費活動を行う社会的儀式のこと?」

 

「定義はそうなる。……俺たちの今の行動、その儀式との判別がつくと思うか?」

 

「……困難。外形的特徴のみを抽出した場合、現在の私たちは『デート』というカテゴリーにシミュレートされている」

 

刹那はわずかに視線を下げ、一歩、誠との距離を詰めた。

誠は特に拒むことなく、彼女の論理に耳を傾けている。

 

「でも。……本質が『ペンの検証』である以上、外側のラベルがどうあれ、システムの内部動作に支障はない。……意味(セマンティクス)を私たちが独占していればいい」

 

「そうか。なら、余計なメタデータは無視していいんだな?」

 

「うん」

 

信号が赤に変わり、二人は足を止めた。

誠は溜息混じりに、長く感じる待ち時間を見据える。

 

「俺としては何の異存もない。……けどな、もし知り合いが偶然俺たちを見て『デートか?』と茶化してきた場合。その迎撃作戦を事前に共有しておきたいのだが?」

 

「……迎撃プロトコル、必要」

 

刹那は信号機のカウントダウンを見つめたまま、即座に肯定。

そこから対策を考えてくれる。

 

「相手の『茶化し』という行為。それは、こちらの論理を情緒的な土俵に引きずり込もうとする低俗なハッキング」

 

「ああ、そうだな」

 

「まともに取り合えば、リソースが汚染される」

 

「じゃあ、『デートか?』という問いに対し、否定も肯定もせず、『その語彙の定義を述べよ』とする。つまり質問を質問で返す作戦はどうだ?」

 

「非効率。……相手が知的な理解を拒む場合、説明コストが膨れ上がるだけ」

 

それを言われてしまうと誠は確かに相槌を打つ。

小さく頭を振った刹那を見守る。

きっと何か他に良い案を出してくれるだろう。

誠が期待するかのように待ってみる。

すると、より実戦的なパッチを提案してきた。

 

「……最短の迎撃策は、『無視(ノイズキャンセル)』。あるいは、『清浦の母親からの依頼(ジョブ)を代理で遂行中』という、上位権限者の存在をちらつかせること。……私のお母さんの名前を出せば、大抵の野次馬は、情報の重要度を測りかねて、追及を断念する」

 

「見知らない相手の無視なら賛成だが、知り合いだと角が立ってしまう。後者の『舞さんからの代理』を採用すべきだろうな」

 

「うん。……ところで伊藤」

 

「ん、なんだ?」

 

「私たちが距離を空けて歩くのは、逆説的に『意識している』というメタデータを生むの?」

 

刹那の不意の問い。

それに対して、誠は視線を泳がせることもなく答えた。

 

「……意識、はしているよ。知の怪物としての敬意で」

 

「褒めてる?」

 

「もちろん。人としての尊敬もあるぞ」

 

「具体的には?」

 

「それこそ清浦のご想像のままに。安っぽい説明で純度を濁らせたくないからな。ほら、信号が変わったから行こう」

 

青に変わった信号に従い、二人は再び歩き出す。

誠の背中を追うように、歩調を合わせる刹那。

彼の回答を脳内で反芻していた。

 

(伊藤がした今の回答。……情緒的な回避に見えて、実は論理的な防衛。……合格)

 

たどり着いた先は、大型書店に併設された高級文具コーナー。

学園の購買部とは一線を画す。

一種の武装の祭典のような静謐さが漂っていた。

 

(さて、俺の知の兵法を支えるペンはどこかな)

 

誠は陳列されたペンの一本一本を吟味する。

まるで軍事用デバイスのカタログを見るかのように。

黙って斜め後ろに位置取る刹那。

彼の視線の動きを精密にスキャンしていた。

 

誠が手に取ったのは、マットブラックの質感を湛えたボールペン。

機能美の極致とも言える業物に見えた。

 

(重心が少しだけペン先に寄ってる。長時間、高速で思考をアウトプットする際、その疲労を最小限に抑える設計か)

 

試し書き用のペーパーにペン先をなぞる。

流れるような動作で、数式を書き込む。

紙を滑る音は、不純物を含まない純粋な思考の摩擦音だった。

 

「……筆跡に迷いなし。インクの粘度と、伊藤の思考速度が完全に同期している」

 

刹那は横からその筆跡を覗き込んだ。

そして自身は対照的な赤を纏った同モデルを手に取る。

それは彼女が髪に結んだリボンと同じ色。

舞から継承した情熱的な実務能力の象徴だ。

 

刹那は、誠が記した数式のすぐ隣へ。

淀みのない動作で、短いフレーズを書き添えた。

 

『Q.E.D.(証明終了)』

 

「……インクの追従性、良好。……私の筆記圧による摩擦係数の変動を、軸の重量バランスが完全に相殺している」

 

「赤か。清浦らしいな。エラーチェックや、システムのデバッグを行うための『警告色(アラート)』か」

 

「うん。……伊藤の黒い思考ログを、私の赤で校閲する。そのための、機能的な選択」

 

黒のマットブラックを誠に買い与え、赤のマットレッドを刹那が自分用に購入する。

これで誠の出力に対し、彼女がいつでも修正介入できる体制が整った。

 

帰り際、誠は上着のポケットから一編のメモを取り出す。

 

「清浦、これらは俺にとってのメモの断片だ。アイデアというか、現状のキャッシュだな」

 

受け取ったメモの文字列。

それを、刹那は網膜に焼き付けるようにして処理する。

 

『相手から搾取されず、相手を搾取しない生き方は可能なのか?』

 

このメモにこめた誠の問い。

刹那は琥珀色の瞳で静かに走査した。

それは、誠の根源から生まれる一文。

社会の不条理なシステムを相手に、絶え間なく思考するデバッグの痕跡だ。

 

刹那は、先ほど購入したばかりの赤のペンを手にする。

誠の黒が綴った問いの直下。

そこに、一切の迷いなく解を記述した。

 

『理論上は不可。社会に属する以上、リソースの等価交換は幻想。必ずどちらかが、情報の非対称性を利用して優位に立つ。……でも』

 

彼女はそこで一度筆を止め、誠を見上げた。

春を告げる風が、二人の間に流れる乾いた空気をかすかに揺らす。

 

『伊藤と私の間だけでなら、暫定的に成立。互いの自律を損なわないプロトコルを共有している限り、それは搾取ではなく、最適化された共生』

 

書き終えた紙片を誠に返す。

誠はそれを一読し、小さく口角を上げた。

納得のいく回答を得た時の、乾いた満足感。

 

「暫定的な共生、か。……悪くない」

 

誠はメモをポケットに収め、駅へと続くエスカレーターに乗る。

そして別の話題を振っていく。

 

「清浦のお母さんはどうだ? 俺のこと、知られているのか。……舞さんは、俺の母さんのような甘い管理者じゃないだろ」

 

刹那はエスカレーターの手すりに指を添える。

一定の速度で降りていく視界を見つめながら答えた。

 

「……お母さんは、既に伊藤を『観測』している。……私の行動ログの偏差を検知して、伊藤誠を特定済み」

 

「すげぇな。それで、舞さんの評価(ジャッジ)は?」

 

「……リスクはあるが、投資価値のある個体。……お母さんにとって、私が伊藤と接触を続けるのは、一種の不確実性への耐性テスト。……だから、今すぐ接続を遮断されることもない」

 

刹那の声は淡々としている。

上位管理者である母・舞からの監視。

それに対する誠の反応は……。

 

「……」

 

真顔で沈黙している。

いつになく真剣さが滲んでいた。

 

「お母さんは、無駄な感情コストを業務に持ち込まない。……でも、一つだけ警告」

 

「警告?」

 

「……もし伊藤が、私の尊厳を傷つけるバグを発生させた場合。お母さんは迷わず、伊藤の社会的デリートを執行すると思う」

 

誠は静かに達観した。

そんな脅しに対して一切の動揺がない。

凪としての彼にとっては無意味。

そういうビビりの領域は、とっくに過ぎ去っているから。

 

「その時は、清浦自身の手で俺を消せばいい。引導を渡すのが清浦なら、俺は本望だ」

 

親という外部権力に依存するな。

やるなら自分の手を汚せ。

自らの存在という決定権を最後まで手放さない。

そんな、峻烈な自律の宣言。

同時に、自分を裁く権利を刹那にのみ委ねる。

極めて純度の高い覚悟の裏返しでもあった。

 

「……」

 

エスカレーターの駆動音に混じり、刹那の鼓膜に確かに届いた。

この時の刹那は内心で震えた。

今までにないほどショックを受けた。

それでも表には決して出さない。

視線を正面に固定し、右手の指先で、先ほど購入した赤のペンのクリップを弾く。

カチリ、と硬質な音が、二人の間の沈黙を区切った。

 

「……却下」

 

短く、しかし拒絶ではない温度。

彼女は精一杯に答えた。

 

「伊藤をデリートするコストが、高すぎる。……今の私にとって、伊藤を失うことは、世界の解像度を著しく低下させる致命的エラー。……私が自分の手を汚すくらいなら、その前にシステム全体の脆弱性を修正して、伊藤の生存環境を最適化する方を選ぶ」

 

彼女の論理において、誠の喪失はただの悲劇ではない。

それは深刻な機能不全を意味していた。

エスカレーターが終点に達する直前。

刹那は誠のコートの袖を、指先だけでわずかにつまんだ。

 

「……私に引導を渡させるなんて。……それは、私に『後処理(クリーンアップ)』という、非生産的で永続的な喪失コストを強いる行為。……伊藤らしくない、甘え」

 

誠は袖を引く微かな重みに足を止め、彼女の横顔を見つめた。

そして真っすぐな視線を注いで力強く言う。

 

「警告を持ち出してきたのは清浦の方だろう。そんな、清浦のお母さんという『大人の権力』によって処分されるくらいなら、清浦の手で終わらされる方がマシだと言ったんだ。……もっとも」

 

先ほど購入したマットブラックのペン。

それをポケットの上から確かめる。

いつでも取り出せるという安心感があった。

 

「そんな最悪の警告すら起こり得ないように、俺たちが試行錯誤して、改善し続ければいいだけの話だ。外部の介入なんていらないだろ。自律した関係として、その警告自体が無効だと、そう言い切れる聖域を構築すればいい」

 

「……」

 

「それが、俺の考える『主権』の守り方だ。異論はあるか?」

 

刹那はつまんでいた袖を放し、ゆっくりと誠の隣に並んだ。

その瞳には、誠が提示した難解な要件定義に対して、静かな受諾の光が宿る。

 

「……異論なし。……伊藤との共生プロトコル、アップデート完了。……これより、永続的な凪の維持フェーズへ移行する」

 

二人は地面に降り立つ。

新たな筆記具という武器を手にして。

春を奏でる雑踏へと、再び足を踏み入れていく。

 

 

刹那がマンションへ帰宅。

私室の静寂に身を沈めた。

そこで襲ったのは、かつてないほどの自己嫌悪と論理矛盾だった。

 

(……甘え、と言った。伊藤に対して)

 

それは今、ブーメランとして刹那の胸を射抜いた。

誠は見透かしたのだ。

そんな刹那の甘さを看破していた。

 

『お母さんは、デリートを執行する』

 

あの警告を口にした瞬間。

刹那は自分の主権を、無意識のうちに母・舞へと明け渡してしまった。

管理者である母の権威を借り、誠という制御不能な変数を縛ろうとしたのだ。

それは最も醜悪な退行。

すなわち母離れできていない子供の論理である。

 

(伊藤は、それを許さなかった……)

 

誠が突きつけたのは、峻烈なまでの自律の要求。

自分の尊厳を傷つけられたのなら親に頼るな。

自分の手で始末しろ。

それができなければその程度の存在だと。

 

それは、依存を許さない個としての絶交宣告。

同時に、自分を裁く権利を刹那という個にのみ委ねる。

命懸けの主権を提示したのだ。

 

(伊藤……計算外。……完全な、エラー)

 

誠はよく言っている。

人は数字だけで測れない、と。

今、まさにそれが現実を侵食している。

自分のすべてを差し出し、命をチップとしてテーブルに乗せる覚悟。

そんなものを、刹那は人生で一度も見たことがない。

 

あの無責任な浮気を繰り返し、綻びだらけの嘘を吐いて逃げ続けた父・間瞬。

それとは、根本から構造まで違う。

そして、絶対的な管理者だと思っていた母・舞もまた、一人の人間に過ぎない。

彼女は裁きを下す神でも、世界のプロトコルそのものでもない。

 

誠の沈黙の叫び。

それが刹那の脳内でリピートされる。

当人同士の問題に、親がしゃしゃり出るな。

自分たちのことは、自分たちでやる。

いつまでも親の子供という安全なサーバーに寄生してはならない。

 

(伊藤……)

 

誠が自分の存在ごと差し出した。

その質量、その引力。

刹那の内部で走り続けてきた旧来のOS。

それを根底から破壊し、再構築(リビルド)させるほどの巨大な衝撃だった。

 

新しい季節が来る。

もう、母の威を借りることは二度としない。

今日買ったばかりの、自分だけの『赤』を握りしめる。

そして刹那は未知のコードを書き始めた。

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