Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方― 作:完結の陽炎
他の委員会では、生徒というリソースの搾取率が高くなる。
無理なく、かつ他者に付け入る隙を与えない最適解。
それは図書委員だ。
昨年の経験と照合しても、その自由度の高さは保証されている。
『清浦、無所属は?』
誠の問いに、刹那の携帯が即座に振動する。
そして素早く返してきた。
『おすすめしない』
『全員が委員になる必要はないはずだ。というより、生徒の多くは面倒を避けて「無所属」を望むのが本音だろう』
それはそうである。
1クラス40人として、仮に各委員の定員2名としたら20の役職があるというあり得ない計算になる。
『伊藤、他よりマシ、という妥協へ逃げる大衆の動向を見落としている』
『だからこそ不可能だ。清浦の言う通りなら、図書委員は「楽ができそう」という先入観で競争率が高くなる』
物語みたいに都合よくはいかない。
誠は刹那と二人だけで収まるはずがないと見ている。
座席の奪い合いになれば、最後はくじ引きとなるだろう。
これは心理統計の問題であり、ギャンブルになってしまう。
刹那からの返信は、ここで一際冷徹な光を放つ。
『伊藤、計算が甘い。今年の図書委員には「蔵書の全面刷新」という重いパッチが当たる。地下書庫の古書から立ち上るカビの脅威は、既に噂として拡散済み。嘘は言っていない』
『カビを覚悟で割り込むイレギュラーはゼロではない。不確定要素を想定していないのか?』
鋭く反論する誠のメール。
いくら自分たちが経験者というアドバンテージを持っていてもダメだ。
未経験者にも開かれた公平性という正論には勝てない。
しかし、刹那の回答に淀みはなかった。
『立候補者に「業務負担の覚悟」を問う。それでもやるのかと責任の所在を再確認させる。その時点で、楽をしたいだけの個体は脱落し、メリットは消失する。他を当たるか、無所属へ流れるのが合理的判断』
『……清浦という少女に「お近づきになりたい」という下心ノイズについては?』
『それはない。既に私と伊藤がペアで立候補している段階を想定すれば、理解できるはず』
『清浦を狙った割り込み生徒が、くじ引きで俺とペアになるバグが起きるかもしれないぞ』
『それもない』
『その根拠は?』
刹那は端末の画面を見つめたまま、微塵も視線を上げずに返信を打つ。
『伊藤、やはり計算が甘い。その不確定な未来、私の演算において既に論理削除(デリート)されている』
冷徹な文字列が、画面上で脈動する。
『根拠その一。榊野学園のプロセスにおいて、定員超過はまず「話し合い」に入る。そこで私たちが「去年の作業実績」と「具体的健康リスク」を提示。私たちが適任であることを主張すれば、大抵の戦意は喪失する。彼らにとって図書室は「サボり場」であって、命を懸ける「聖域」ではない』
『根拠その二。伊藤の懸念する下心。仮に私を目当てにする個体が現れても、その視界には常に「既に隣を占有している伊藤誠」という先占権を持つデバイスが映り込む。高度なペアリングが完了しているシステムに割り込むのは、リソースの無駄遣いだと判断される』
誠は画面を眺め、思わず息を吐いた。
彼女は「誠と一緒にいたい」という情緒を一切口にしない。
あくまで侵入不可能なセキュリティ・システムの構築として、この事態を処理しようとしている。
『……それでも、最後の一人まで話し合いが決裂して、くじ引きというブラックボックスに飲み込まれたらどうする?』
『根拠その三。もし制御不能なプロセスへ移行しかけた場合、私は迷わず「リセット」をかける』
『リセット、いわゆる「損切り」か』
『そう。立候補を取り下げ、別の、さらに不人気で過酷な委員会へと伊藤を誘導する。「二人で図書委員」という解が導き出せないセッションに維持価値はない。見知らぬ他者とペアを組まされる不合理なバグを、私は許容しない。私にとっての図書委員とは、場所の名称ではなく、伊藤誠との「閉鎖回路」を指す固有の記号だから』
誠は窓の外、変わり映えのしない学園の風景を眺めた。
彼女は、運命という名のダイスを振らせるつもりさえない。
思い通りにコードがされないのなら、辞退して、理想の環境を再構築する。
選ばれるのを待つ少女ではない。
他者の自由意志も、確率論さえも、目的達成のためのコストとして計上。
必要とあらば切り捨てる。
個人としての主権がそこにはあった。
誠は苦笑し、負けを認めるようにキーを叩く。
『図書委員を捨てる場合、まさか生徒会をやれとは言わないよな? 最悪、どこへ流れるつもりだ?』
もちろん、第一志望で決まればいい。
だが、それは絶対ではない。
無理なら降りる。
その決断に、誠も異論がない。
未経験者に一から教える手間を搾取されるのは、お互いのコストとして最も望ましくないから。
『美化委員、または掲示委員』
刹那の短い返信を受け、誠は画面を凝視して思考を巡らせる。
榊野学園の委員一覧を調べてから、導き出された解を打ち込んだ。
『美化委員と掲示委員。三度までは立候補してもいい。それ以上になった場合、「三度も立候補してやる気を見せ、提案や譲歩という外交の努力も三回尽くした。これ以上の調整は無駄なコストであるため、立候補を辞退する」と宣言して完全に降りる。実際、他に行き場はないからな』
これ以上、自分たちの主権を安売りするつもりはない。
やる気は見せた。
話し合いもした。
争わないように譲歩もした。
そこまでしてなお席がないのなら、無所属になってもシステム上の不可抗力である。
実際、三分の一の生徒だけが委員をやり、残りは無所属になる計算だ。
誠と刹那は、三度までは礼を尽くし、自らの静寂を勝ち取るシナリオを完成させた。
『……受理。作戦名「三顧の礼」。明日、この学園というプログラムを、私たちの手で校閲する』
刹那からの返信を最後に、画面が暗転した。
その暗闇に映る自分の顔。
少しだけ彼女の冷徹さに似てきたような気がして、誠は静かに口角を上げた。
朝の教室の空気。
停滞した湿り気を帯びている。
ホームルームのチャイムが、学園という巨大なシステムの定期メンテナンスの開始を告げた。
黒板の前に立った担任が、チョークを手に事務的な声を張り上げる。
「あー、今年度の委員会を決めるぞ」
黒板に書き殴られた「図書委員:定員2」の文字。
その下の空白に、誠と刹那は躊躇なく立候補し、自らの名前を刻み込んだ。
噂の拡散からか、図書委員の株価は暴落している。
蔵書の大量整理によるカビ対応など、誰もやりたがらない。
しかし、教室の隅からノイズが立ち上がった。
「……俺も、図書委員やりたいんだけど」
クラスの調律を乱すことで自己を誇示しようとする男子生徒。
狙いは清浦刹那か。
刹那は無表情のまま、その個体をスキャンするように問う。
「……図書委員の現行仕様、今年の業務内容を把握した上でのエントリー?」
「え? まあ、本を並べるだけだろ? 簡単そうじゃん」
それを待っていたかのように、誠が冷徹な経験談を差し込む。
「……甘いな。今年は書庫の強制アップデート(蔵書刷新)が予定されている。立ち込めるのは古い紙の塵とカビの胞子だ。防塵マスクなしでは肺をやられるぞ。……去年の経験者である俺たちでも、予備のフィルターを常備するレベルで苦労した」
誠の毒を含んだ助言に、男子生徒がわずかに眉をひそめる。
「え? そんなにやばいの?」
「……極めて高負荷。さらに、私と伊藤は去年からの経験を持っている。……未経験者の生徒が入れば、私たちの作業速度は30%低下し、常に私たちの『指示待ち』という搾取に遭う。……あなたの大切な放課後を、カビと格闘しながら消費する覚悟があるの?」
刹那の瞳が、相手の損得勘定を正確に射抜いた。
民主主義の皮を被った恐怖政治によるデバッグ。
二人の間に流れる異常な純度の同調(シンクロ)に圧倒された。
男子生徒は力なく呟いた。
「いや、そこまでは……わかった。ほかへ行くよ」
おとなしく引き下がっていく背中。
それを見送り、誠は内心で独りごちる。
(清浦を狙ったかと思ったが、相手が悪すぎたな。まあ、これで通るならそれでいい。美化や掲示はあくまでプランBとCだから)
ホームルームの喧騒が遠のいていく。
図書委員の枠は、誠と刹那の名前で確定した。
第一志望の防衛成功。
だが誠は、自分の席に深く腰掛けたまま、黒板の他の項目を眺めていた。
図書委員の当番日。
放課後に図書室の扉を開けると、死蔵された知識が放つ独特の古い匂いが満ちていた。
カビの脅威と呼び、忌避させたその空気。
それこそが、今の二人にとっては不純物を濾過した後の純粋な酸素のように感じられる。
「清浦、プランBもCも発動せずに済んだな。拍子抜けしたか?」
刹那は、誰もいない受付カウンターの奥へと滑り込む。
私物であるマットレッドのペンを、丁寧に卓上へ置いた。
「……最悪のシナリオを想定し、そのすべてを拒絶する覚悟を共有したことに意味がある。……私たちが手に入れたのは単なる委員の座ではない」
「ほう」
「誰にも邪魔されない思考の聖域。……場所がどこであれ、私たちの接続(コネクション)が維持されている限り、それは成功(サクセス)と定義される」
彼女は古い名簿を広げながら、どこか満足げな表情を見せた。
誠はその横に立ち、カバンから自分のマットブラックのペンを取り出す。
「三度の譲歩。もしあの時、理不尽な割り込みが続いて、俺たちが『無所属』を選択していたとしても、今頃はどこか別の場所で、同じようにこうしただろうな」
「……その通り。外界は私たちを『不運な二人』とラベル貼りしたかもしれない。けれど……そのラベルの裏側で、私たちは誰よりも自由な時間をハックしている」
刹那の言葉には、一片の揺らぎもない。
彼女は最初から、図書委員という属性が欲しかったわけではない。
学園という巨大なシステムがいかに生徒を管理しようとも、
その網の目を潜り抜け、誠との二人だけの領域を確保する。
そのためのチェスを、彼女は独りで、そして完璧に指し続けていた。
誠は、古い書架の奥へと目を向ける。
これから始まる蔵書の刷新。
埃にまみれ、カビに咽せるような作業が待っている。
しかし、その肉体的なコストを払うことで、
二人は学園の喧騒という精神的な搾取から逃れていった。