Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方― 作:完結の陽炎
榊野学園の教室に、進路希望調査という名の重圧が漂い始める時期。
それは時間の流れとして、極めて鈍色で重々しいものだ。
『三者面談』という、教師と保護者による、個体の将来を固定するための公開処刑。
この包囲網を突破するための仕込み。
それは、誠一人の演算能力では限界があった。
ゆえに彼は、清浦刹那というスーパーコンピューターを頼る。
要するに、相談という共同デバッグだ。
場所は刹那の部屋。
公の場に関する打ち合わせということで、この場所が選ばれた。
自分の部屋だと、つい手に取ってしまう実用書や、思索の海へ誘う知の誘惑が多すぎるからだ。
「伊藤、まずは本音を聞かせて」
「ああ。『俺は調理補助として程々の労働に従事し、余暇は大学図書館で知の探索術を磨くつもりだ』だったら?」
「アウト」
「そりゃそうだ。俺もそう思う。既存の『普通』というテンプレートを押し付けてくるのは目に見えてるから」
誠はノートを広げる。
そこには面談対策のチャートが図入りで詳細に記述した。
己の尊厳を脅かす介入に対し、彼は本気で防衛線を構築しようとしている。
「母さんの紹介で、児童施設の調理補助としてキャリアを積む。この経路が何らかの事情で確保できなくなった場合どうするか」
刹那はマットレッドのボールペンを手に取り、誠のノートに滑らせた。
一つの籠に卵を盛らない分散投資。
すなわちリスクヘッジとしての選択肢の提示。
「私のお母さん経由で、ラディッシュ本社の物流仕入れ工場の食堂がある」
「ラディッシュの一般飲食店は?」
「おすすめしない。心身のリソース消耗が激しい戦場。伊藤が求めるのは、固定されたスケジュールと徹底されたルーチンのはず。そうでしょ?」
「ああ、その通りだ」
話題は進学にも及ぶ。
大卒という肩書きが選択肢を増やし、賃金の差を生むという一般論。
「俺の場合、進学は経済事情からして却下だ。借金を背負ってまでの教育依存は合理的じゃないだろ」
「うん、非効率」
「先生が学費を全額負担してくれるなら考えてもいいが、現実はそう甘くないよな?」
「給付制度は条件が厳しい。はっきり言って伊藤では無理」
痛烈な一撃。
だが誠は否定しない。
むしろ自分の現状を正確にスキャンされた、
そのことに頷くほどの素直な自覚を持っている。
「大学へ行けば安泰だという思考停止の罠にかかるつもりもない。調理補助なら大学に行かずとも就業可能だ。方向性としても妥当性はあるだろ。……俺は、あの男(父)みたいに医者になりたいわけじゃないからな」
誠の思考は、対面する刹那の未来へと飛ぶ。
彼女はすでに簿記、基本情報、秘書検定などの資格を揃えている。
ITの国家資格もさらに上を狙うだろう。
刹那もまた、進学という選択をパージしている。
片親というハンデを、圧倒的な実務能力の結果で黙らせるスタイル。
その向上心は、ラディッシュ本社の重役まで登り詰めた母・清浦舞を超越しようとする意気込みだ。
「清浦、なんで秘書検定とったんだ? 秘書になるのか?」
「違う。秘書検定は、プロトコルの理解に過ぎない。他者のスケジュールを管理する前に、システム全体の構造を把握するための基礎(ベース)教育」
刹那はマットレッドのペン先で、ノートの余白に『監査』という二文字を刻んだ。
「……私の目標は、ラディッシュ・グループ全体の内部監査、あるいは情報セキュリティ管理部門。……お母さんの背中を追ったりしない。お母さんが築き上げたシステムを、より強固なものへデバッグし、永続させるためのバックエンド・エンジニアとして生きる」
「清浦らしいな。数字で掌握する支配者か」
誠は感心したように息を吐く。
彼女の向上心は上昇ではない。
システムの『深度』に向かっている。
「……伊藤も同じ。調理補助という表層の裏で、図書館という知のデータベースへアクセスし続ける。……それは、社会という大きなシステムから見れば『ただの労働者』という名のカモフラージュ」
「ああ。目立たず、搾取されず、静かに自分をアップデートし続ける人生。……だが、それを先生に納得させるためのパッチが必要なのさ」
誠はペンを手に取る。
刹那が提示した物流工場の食堂という選択肢をノートの中心に据えた。
「『家庭の経済状況に鑑み、早期の自立を選択。将来的な調理師免許取得を見据え、徹底した衛生管理と大規模運用を学べる児童施設あるいは物流工場の給食部門への就職を強く希望する』。……これなら、先生が受理するようになるか?」
「……妥当。付け加えるなら、『趣味としての読書』を『自己啓発による業務効率化の研究』と言い換えれば、放課後の学園図書室あるいは公共図書館籠もりも正当なログとして処理される」
「将来的に免許取得を見据えて、か。取得する気もないのに巧みに濁す。嘘をつくなら芸術的に、というわけか。……だが清浦、お前は嘘つきが嫌いじゃなかったか?」
「……嘘の定義次第。保身のための虚偽(バグ)は嫌悪の対象。でも、システムを円滑に運用し、自己の聖域を守るためのカモフラージュは『設計仕様』に過ぎない」
刹那は表情を崩さず、マットレッドのペンを構える。
将来的な免許取得という一文を、検印を押すように二重線で囲んだ。
「……これは嘘じゃない。……『見据える』だけなら視線の角度の問題。将来、その視線の先に別のオブジェクトが割り込んでも、現時点での予測モデルとして成立する。……論理的な矛盾はない」
緻密なデバッグ作業のような打ち合わせ。
それらは見事に功を奏した。
三者面談の当日、誠の母・萌子も「息子が決めたことですから」と涼しげな顔で教師の追及を流す。
正社員登用制度という表向きの看板も盾に。
誠は『凪』を守るための航路を攻略していった。