Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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第5話:知の棲み分け

放課後の校庭。

長く伸びた影の二人。

分かつ境界線のようにベンチに落ちている。

清浦刹那は、隣に座る桂言葉を呼び出した。

それは、この複雑に絡み合った『知と情念』の糸を解きほぐすための、最後の手続き。

 

「清浦さん、お話って……?」

 

言葉の問いは穏やかだった。

だが、その瞳の奥には、誠を護るための鋭利な警戒心。

抜き身の刀のように光っている。

それを察してか、刹那は視線を前方に固定したまま、淡々と告げた。

 

「桂さん、私は降りる」

 

「え……?」

 

「桂さんに、伊藤を任せたい。それで、ここからが本題」

 

刹那の提案は、驚くほどに合理的。

冷徹なまでの自己犠牲。

親のコネクションを利用し、自らをパリ留学へと向かわせる。

自分をこの学園というシステムから完全に除去する。

そうすれば、言葉が嫉妬に狂うことも、誠が余計なリスクヘッジに思考を割く必要もなくなる。

それは敗北ではない。

誠と交わした生き残りという目的を完遂するため。

刹那なりの最適解だった。

 

静寂が流れる。

やがて、言葉の口から零れたのは、意外な言葉だった。

 

「清浦さんは、とても優しいんですね。……私、誤解していました」

 

「誤解?」

 

「はい。物静かで知的で、私には到底及ばないほどに、伊藤くんを深く繋ぎ止めて離さない人だと……そう思って、恐れていました」

 

「……私は、併走するだけ」

 

刹那の声に、感情の起伏はない。

言葉と敵対する気も毛頭ないのだ。

 

「見ているものが違う。私と伊藤は、進路という自分自身の生きる道を行くだけ。混じるのではなく、ただ並んで歩く。卒業すれば別の道になる。最初から、同じ場所にはならない」

 

「はい……すみません」

 

「どうして謝るの?」

 

「私、嫉妬していました。清浦さんに」

 

「知ってる。だから、この提案をした」

 

刹那の論理は完璧だった。

互いの利益を最大化し、摩擦を最小化するパージ案。

だが、言葉はその論理のさらに奥。

刹那がひた隠しにしていた熱に触れる。

 

「その提案の件ですが……私、清浦さんと『お友達』になりたいです」

 

「……」

 

「ダメ、でしょうか?」

 

「……嫉妬はどうするの。私が近くにいれば、桂さんの計算は狂うはず」

 

「清浦さんを、信じます」

 

「信じれば裏切られる。現実は、そういうもの」

 

あえて突き放す。

それを言葉は柔らかな微笑みで包み込んだ。

 

「清浦さんは裏切りません。だって……裏切られた時の、あの身を切るような痛みを知っている人ですから」

 

論理の盾を構える刹那に対し、言葉は情緒の逃げ場がない真実を突きつけた。

情報のノイズに焼かれた経験を持つ者同士。

その痛みこそが、言葉にとってはどんな契約書よりも確かな信頼の証だった。

 

「……伊藤は、私を遠ざけようとした」

 

刹那が、ポツリと本音を漏らす。

 

「桂さんの嫉妬によって、私という存在が物理的に『消される』ことを、伊藤は本気で警戒した。それほど、今の桂さんの重圧は凄まじい」

 

「そんなこと、しません……。私がそんな『汚れ』を身に纏えば、伊藤くんが悲しみます」

 

「……本意ではないと?」

 

「はい」

 

刹那は、初めて隣に座る言葉を正面から見据えた。

 

「桂さんは、この学園という枠組みに収まらない。だから皆、その異質さに嫉妬し、敬遠する。桂さんの存在感は、あまりにも強すぎる」

 

「そ、そんなことは……」

 

「例えるなら、そう。自分を羊だと思い込んでいる狼。……私と伊藤は、桂さんの『本物』を、きっと誰よりも理解している。だからこそ、敵に回したら絶対に勝てないことを、私と伊藤は……認めている」

 

言葉の心に宿っていた不安定な揺らぎを、一瞬で消し飛ばす。

これまで誰からも理解されず、ただ気味の悪い優等生や性的対象としてしか見られてこなかった。

その魂の深淵にある、鋭利で純粋な本質。

それを、誠と刹那という学園屈指の知性を持つ二人は、最高度の評価をもって肯定したのだ。

 

もはや、嫉妬やコンプレックスという低次元なノイズは不要だった。

刹那が自分を認め、誠が自分を頼りとしている。

その事実が、言葉を学園という檻から解き放つ。

同時に誠を護るための唯一の存在へと完成させた。

 

「友達は保留。私も桂さんも、そういうレッテルで測れるものじゃないから」

 

「そ、そうですか」

 

「交流するのはいい。これ連絡先」

 

携帯の番号を登録。

メールの交換ができるようになった。

初めて同性の連絡先。

言葉にとってはかけがえのない宝となる。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「伊藤のことはどうする?」

 

「私から説明します」

 

「わかった。今まで通りでいい?」

 

「はい。お気遣いありがとうございます」

 

刹那は改めて認識した。

この怪物とまともに戦ってはいけないと。

勝負以前の問題である。

手相で誠が言葉を選んだ。

時点で確定していたから。

 

「桂さん」

 

「はい?」

 

「山県、マークしたほうがいい」

 

「え?」

 

「山県。伊藤への未練、バレバレ」

 

「そ、そうなんですか」

 

「伊藤はノイズ扱い。可能性は低い。でも、山県の知に、興味を持たないとは限らない」

 

「伊藤くんって、本当に好奇心が旺盛なんですね」

 

「伊藤の知の浮気、それは不誠実じゃない。幅広い視野を持てる本物の知性」

 

このやり取りを通じ、言葉と刹那の交流が深まった。

たとえば本の交換でも証明されている。

 

「……桂さん、これ」

 

刹那が差し出したのは、数式と図説が整然と並ぶ理系の対話本。

感情に左右されない物理法則や、論理の美しさを説いた一冊。

情緒という霧の中で見失っていた世界の骨組みがそこにはある。

 

「ありがとうございます、清浦さん。……私からは、こちらを」

 

言葉が手渡したのは、革装の古い推理小説だった。

緻密な伏線と、人間の業が織りなす迷宮。

論理だけでは解けない動機という名の深淵。

その頁に閉じ込められている。

 

二人の指先が本を介して触れ合う。

それは、互いの聖域の鍵を交換するような。

静謐な背徳感を伴っていた。

そんな二人のやり取りを遠くから見たのは誠である。

彼の内心としては。

 

(二人が知の怪物に見える)

 

自分は凡人と言い聞かせる。

学校の成績では二人に全く歯が立たない。

比べるほうがおこがましいほどに。

 

別の日の図書委員当番。

カウンター席で誠と言葉が並ぶ。

隣にいる彼にニコニコと話しかけていた。

 

「伊藤くん、こちらの一部は私よりも清浦さんの選書を求めたほうがいいです」

 

「論理計算術のほう?」

 

「はい。感情の心理でしたら任せてください」

 

「あー、そういう棲み分けなのか。知の共存として納得だ」

 

別の日。

同じクラスの教室にいる刹那へ。

休み時間のときに誠は声をかけた。

 

「レファレンス、論理計算術、冊数は2」

 

「桂さん?」

 

「当たり、棲み分け選書だ」

 

「わかった」

 

夏の蟬の声が止み、秋の冷たい空気が流れ込む図書室。

二人の少女が交換した本の頁の間。

そこに、誠という『真理』を解き明かすための、目に見えない数式が刻まれていた。

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