Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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第7話:血筋の整理整頓

昼休み、屋上扉前の踊り場。

そこはいつしか、学園という搾取のシステムから隔絶された三人の聖域。

コンクリートの床に広げられたレジャーシートを囲み、言葉が最適化されたサンドイッチを差し出す。

誠と刹那がその構成を批評し、言葉がそれを次なる選別のためのデータとして処理する。

その光景は、もはや学生の昼食ではなく、高度な情報交換の儀式だ。

 

「桂は相変わらず存在感が強すぎて、周囲から浮いている。この学園で、まともに桂と対峙できるのは、俺か清浦くらいだろう」

 

誠の不躾なまでの直言に、刹那が淡々と補足する。

 

「伊藤。桂さんは、この榊野学園という矮小な空間に対し、その本質が強すぎる。だから、弱く振る舞うことを強いられている。……過剰な能力が、ここではノイズにしかならない」

 

「本物の桂は、もっと鋭利なのにな。……知性でいえば、山県あたりはどうよ?」

 

「却下」

 

刹那が即座に断じる。誠も苦笑して頷いた。

 

「まあ、そうだよな。俺たちの対話に、山県が目を白黒させている所を見たことがある。その時点でお察しだ。……それでさ、俺の推測だけど。桂のお父さん、この学園への進学、最初は反対したんじゃないか?」

 

言葉は驚いたように瞬きをした。

図星である。

そして正直に返答する。

 

「お父さんからは、『もっと相応しい場所があるはずだ』と忠告を受けていました」

 

「桂のお父さん、この環境が娘にとってどれほどヤバいかと読み切っていたんだろうな。人間関係のコンプレックスを刺激するような、低次元な格差に巻き込まれることを心配していたんだろう」

 

誠の分析は、言葉がかつて抱いた普通への憧憬を、冷徹に暴いていく。

なぜ男嫌いの彼女が、安全圏であるエリートな他校を捨ててまで普通の共学を選んだのか。

 

「……普通の、学園生活をしてみたいと思って。自分の意志で、選びたかったんです」

 

「あー、典型的な『普通病』だな。あるあるだよな、清浦」

 

「そういう伊藤は、なぜここ?」

 

「電車で行ける範囲で、俺の偏差値で入れそうな場所を適当に選んだ」

 

あまりにドライな誠の返答。

だが言葉は、その何となくレベルさえ、誠らしいコスト管理の欠片を見つけて微笑む。

 

「私は……ここで良かったと本気で思っています。誠くんや、清浦さんに出会えましたから」

 

「偶然のギャンブルは、依存を生むぞ。実際、一年生の頃はどうだったんだ? 別のクラスだったあの時の桂は、生き地獄だったんじゃないのか?」

 

誠の問いは、容赦なく言葉の古傷を抉る。

刹那が容赦ないと嗜めても、誠は視線を逸らさない。

言葉もまた、重い沈黙の末、搾り出すように答えた。

 

「……はい。地獄、でした」

 

普通という仮面を被った周囲の悪意。

自分という異質さを罪のように感じ、時計の針を数えるだけの孤独。

一年の頃、クラスから押し付けられた学級委員という役職。

それは「お嬢様だから」「便利だから」という身勝手な搾取の象徴だった。

誠もまた、昨年の学園祭で都合の良い雑巾として消費された経験を持つ。

 

「地獄を繰り返すのは、知性の敗北だ。そうだろ、清浦?」

 

「うん。去年のデータは、もう十分。同じ轍は踏まない」

 

刹那が手を重ねて音を鳴らす。

過去の痛みを切り離し、未来への戦略を練る。

そのための『切り替え』としての儀式だった。

 

「俺も清浦も、壊れないように『自分』を探している。知を磨くのは、他人に騙されないため、利用されないための武装だ。だから桂も、自分の道を自分で探せ。誰かが助けてくれるという幻想を持てば、また、地獄の繰り返しになるぞ」

 

誠の厳しい言葉。

それは依存を許さない個としての敬意だった。

言葉はその響きを噛み締め、ゆっくりと、しかし決定的な変化を告げる。

 

「お二人を通じて、自分の甘さを痛感しました」

 

「そうか。それで桂、進路はどう考えている?」

 

「……実は今まで、好きなものを仕事にすれば救われると、漠然と思っていました。けれど」

 

言葉は、誠と刹那を交互に見つめる。

 

「『好き』を仕事にするということは、自分の聖域を市場に開放し、他者の価値観で測られるということ。清浦さんも言っていますが、それは一年前の地獄を再現しかねない。……私は、私の聖域を汚したくないんです」

 

誠は調理補助のバイトで対価を割り切り、余剰リソースを『知の探究』に振る。

言葉はその生き方に共鳴し、一つの結論を導き出していた。

 

「私は、司書の資格を取りたいと考えています。本を消費する側ではなく、本を保存し、管理し、提供する側。……それが、私の聖域を守りながら、社会と接続するための最適解だと気づきました」

 

「……桂らしいな」

 

誠が微かに笑う。

その時、言葉が誠をじっと見つめた。

その瞳には、一年前の溺れるような不安ではない。

獲物を定めるような、静謐で巨大な熱量が宿っていた。

 

「そして……伊藤くん」

 

「ん?」

 

「私は、あなたが好きです。付き合ってください」

 

刹那が見ている前での告白。

まるで証人になると言わんばかりの立会人。

そして告白された誠といえば……。

 

(昔の俺だったら、夢でも見てるのかと、自分のほっぺをつねっただろうな)

 

だが今は違う。

人からの搾取を身に染みて、壊れた人間を自覚した側だ。

誠の脳内が高速で演算を開始する。

 

「なんで俺なの? 会社で例えるなら志望動機になるよね?」

 

「志望動機……伊藤くんらしいです」

 

言葉は少しも怯むことなく、むしろその問いを待っていた。

背筋をすっと伸ばして、まるで居合のような静かな姿勢。

刹那はサンドイッチの包み紙を丁寧に畳む。

二人の対話を記録するかのように、静かに見守っている。

 

「私にとって、伊藤くんは『私の余白を許容してくれる唯一の場所』だからです」

 

「余白?」

 

「はい。私はこれまで、周囲から『胸が大きい綺麗な女』といったラベルばかりを押し付けられていました。誰も、私の努力や考えなどの余白には一切触れようとしませんでした。……けれど、伊藤くんは違います」

 

言葉は思い出す。

誠から借りた実用書の、あのびっしりと書き込まれた余白を。

熱量のこもった魂の思考が目に焼き付いて離れない。

 

「伊藤くんは、本に自分の思考を刻むことで、その知を自分のものにしています。そして私の掌の傷を見たとき、伊藤くんはそれを『努力の結晶』として、ありのままに受け止めてくれました。私という存在を、誰かの欲望で上書きするのではなく、私が私自身として書き込みを続けるための『紙』であることを認めてくれた」

 

言葉の言葉は、熱を帯びながらも論理的だった。

 

「伊藤くんといるときだけ、私は『狼』である自分を隠さなくていい。伊藤くんが私の知の供給を必要とし、私が知の探求を支える。これは、他の誰とも構築できません。清浦さんという唯一無二の観測者がいる場所で、私はあなたと『契約』を結びたいんです」

 

言葉の瞳の奥に潜む狼の光。

それを誠は真っ向から受け止めた。

かつて憧れた人形のような桂言葉はどこにもいない。

誠を維持するために自らを再定義し、外敵を排除し、聖域を管理しようとする。

美しくも強欲な共同経営者の姿だ。

 

(もしここで断ったら、俺の知の探究は著しく低下するのか)

 

言葉を失って、一番困るのは本を探す手間が極めて面倒になること。

知的探索術として、該当しませんで空振りしている。

知りたい熱量はあるのに、本の探し方が相変わらず不器用だ。

 

(いや待てよ、恋人として付き合うってことは……)

 

交際という契約。

それは肉体のコミュニケーションも内包する。

自らの中に流れる忌まわしき父の血。

制御不能な情動の暴走リスクを警戒した。

 

(母さんが離婚したのは父さんが浮気したから。つまりそういうこと)

 

今の誠は知の浮気という横断で置き換えている。

それは性欲を知性で上書きしているようなものだ。

もし性欲に溺れて父のようになってしまったら。

 

「桂、ここで俺が断ったら、理由を知りたいって思う?」

 

「はい。私に至らぬところがあれば言ってください」

 

「逆。俺のほうに欠陥があるからだ。家庭の事情になるのだが」

 

「聞かせてください。お願いします」

 

「……わかった」

 

「伊藤。席、外そうか?」

 

「いやいい。これは清浦にも聞いてほしい」

 

誠は自らの父である沢越止について話した。

自分の血筋を信用していない。

性欲に溺れたら、知性は壊れる。

そうして自分を失うのが怖いのだと。

父のように浮気して流されて女性を不幸にするのではないか。

母がどれだけ苦労しているのか。

幼い妹の止が父の元でどれだけ辛い目に遭っているのか。

それらを思えば、付き合うこと自体を避けようとする。

 

「伊藤くん、それは制御し扱うものだと思います。衝動そのものを私は否定しません。知らないままでは、御しきれないから……。ですから私と一緒に考えませんか。どこまで踏み込み、どこで線を引くのか。その境界線を」

 

言葉の提案は、もはや性衝動さえも探究の対象とする哲学のエロスだった。

最低限の性教育を習っているから、妊娠のことを知らないわけがない。

いくら箱入り娘でもそれぐらいは自衛のためにも知っている。

 

「触れ合うことで知ることもあります。……溺れるかどうかも、伊藤くん一人の問題にはさせません。私が、その『重力』を一緒に引き受けます」

 

誠は沈黙した。

言葉が差し出しているのは、甘い誘惑ではない。

お互いの人生を賭けた、最も重い契約書である。

 

「……わかった。俺としては重い軽いではなく、事実としてそれを受け入れる。重力ノイズに惑わされて本質を見失ったら、清浦に笑われるからな」

 

「私は笑えない。苦手だから」

 

「そういう意味じゃないって。真に受けるな」

 

その日から、二人の関係は確定する。

お互いを下の名前で呼び合い、放課後の初デートは図書館だった。

私語が禁じられた静寂の中。

二人は紙の端に筆跡を走らせ、知を交換し合う。

 

誠は「つみたて投資」「コスト理論」「実用料理」といった、生存のための実学を。

言葉は「詩集」「哲学」「脳科学」といった、精神の骨組みを作るための知を。

 

かつて運命に溺れていた少女は、もういない。

彼女は今、自らの意思で本物の知性を奪い取った。

愛する者の隣に立つための情報の要塞を築き上げている。

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