Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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第8話:プロラクチンの実験

誠が懸念する制御不能な性欲の暴走。

この生物学的暴走に対し、人体には精緻な安全装置が組み込まれている。

性的不応期――俗に言う『賢者モード』。

それは脳とホルモンが連携した、強制的なシステムのシャットダウンである。

 

性の「解放」の瞬間、脳内では快楽物質ドーパミンが奔流となって溢れ出す。

だが、放出のピークを境に、脳は過剰な興奮を鎮めるため、プロラクチンというホルモンを急激に分泌させる。

これこそが、ドーパミンの働きを抑制し、性欲をオフにする冷却スイッチだ。

生殖という高エネルギー消費行動。

それを一時停止させ、個体の休息と資源の再蓄積を促す生存戦略だ。

 

誠が「知性が壊れる」と恐れる衝動。

これは、生体システムによっての歯止めで約束されている。

 

「言葉、よくここまで調べたな」

 

「はい。誠くんと二人で向き合う、大切な愛の道ですから」

 

「理論はわかった。出してしまえば興奮は鎮まり、知性を維持できる。……だが、疑問がある」

 

「どんな疑問ですか?」

 

「一回で本当に鎮まるのか? 二回、三回と繰り返す依存症へと陥らないか。なぜ、俺の父は『浮気』を繰り返したと思う?」

 

「それは、誠くんのお父様が、相手を『消費される情報』としてしか見ていなかったからです」

 

「……詳しく教えてくれ」

 

「はい。誠くん、私は昨日と同じ私ではありません。今日得た知見、今日巡らせた思索を、常に私というシステムに書き込み続けています。私は、更新され続ける動的なアーカイブです」

 

成長し続けるからマンネリにならない。

飽きるという知にはならない。

そのように説明し、誠の目を真っ直ぐに見つめた。

 

「誠くんのお父様は、多くの女性という本を乱読し、どの一冊も深く読み解こうとはしませんでした。それは知性の浪費であり、表層的な刺激の浪費に過ぎません。ですが、誠くんは一冊の本――私という存在に、生涯をかけて『注釈』を書き込み続けると決めましたよね?」

 

「そうだな。俺が言葉の凄さを知ったのは、泰介のレファレンスで曖昧な条件で本を探していたのを速攻で言葉が差し出したことだ。それより以前はただの大人しい人という印象だったから、あの時点で認識を改めた、というのも注釈になりそうだな」

 

無限に更新され続ける桂言葉という百科事典。

それを一生をかけて読み解く。

果たして人は、単一の対象に対し、どこまで探究を続けられるのか。

それは未知の領域である。

 

(ま、やってみないとわからないな。こればかりは)

 

結論は、実践の果てにしかない。

当然、避妊は絶対条件。

挿入という形式に固執する必要もない。

性の解放という手法は多岐にわたるから。

互いに過剰な負荷をかけず、最も純度の高い絆を抽出すること。

それを一つずつ焦らず検証していけばいい。

だが……。

 

「……俺の部屋はマンションだ。騒音による近隣トラブルが不安だ」

 

「私の部屋ではいけませんか?」

 

「ご家族は?」

 

「両親は仕事で不在がちです。妹の心も習い事があります。……ですから静寂は、保証されています」

 

「わかった。……それじゃあ協力してくれるか?」

 

「はい、喜んで」

 

肉体の接触を伴う試行錯誤。

そこには、十代相応の剥き出しの恥じらいも存在する。

だが二人は、それを知的な探究というフィルターを通した。

聖なる儀式へと昇華させるために。

 

言葉の肌に触れる。

そのぬくもりを。

単なる生理現象としてではない。

相手の存在を肯定する情報の交換として受け止める。

お喋りだけでは到達できない。

神経系を通じた直接的な繋がりの構築。

 

誠と語らい、誠に触れ、誠の色に染まっていく。

 

言葉は、自分の余白が誠の筆跡で埋まっていく。

その充足感に、静かに瞳を閉じた。

 

かつて運命の濁流に飲み込まれようとしていた二人。

そんな少年少女は、今、知性という名の防波堤を築く。

最も誠実で、最も静謐な『愛の実験』を繰り返す。

そして……。

 

「誠くん、どうですか? お加減とかは大丈夫ですか?」

 

「さっきまで出したくてたまらなかったが、いざ解放されるとスッキリして一気に興奮が消えた」

 

プロラクチンが発動して知性がより鋭くなった感覚。

多少の疲労は若さゆえか動きに支障がない。

おかげで言葉への触れることが落ち着いてできた。

髪を撫でたり、背中をさすったり、そっと抱きしめたり。

言葉が触れてほしいことに応えることができる。

出した後ならば唇同士のキスでぬくもりに集中できた。

 

誠が懸念する「制御不能な性欲の暴走」。

この生物学的暴走に対し、人体には精緻な安全装置が組み込まれている。

性的不応期――俗に言う『賢者モード』。

それは脳とホルモンが連携した、強制的なシステムのシャットダウンである。

 

性の「解放」の瞬間、脳内では快楽物質ドーパミンが奔流となって溢れ出す。

だが、放出のピークを境に、脳は過剰な興奮を鎮めるため、プロラクチンというホルモンを急激に分泌させる。

これこそが、ドーパミンの働きを抑制し、性欲をオフにする冷却スイッチだ。

生殖という高エネルギー消費行動。

それを一時停止させ、個体の休息と資源の再蓄積を促す生存戦略だ。

 

 

カーテンの隙間から差し込む午後。

柔らかな光が、桂家の寝室を淡く照らしている。

そこには、淫靡な熱狂の跡ではない。

高度な実験を終えた後のラボのような、静謐で透明な空気が満ちていた。

 

言葉は、誠の腕の中で静かに呼吸を整えている。

彼女の肌に刻まれたのは、無遠慮な欲望の痕跡ではない。

誠が慎重に、かつ敬意を持って書き込んだ愛着という注釈だ。

 

「……不思議です、誠くん」

 

「何が?」

 

「興奮が鎮まった後の誠くんの手、先ほどよりもずっと『雄弁』に感じます。指先の一つ一つの動きが、私の皮膚を通じて、ダイレクトに頭の深部へ情報を届けてくるような……」

 

「それは、プロラクチンの恩恵だろうな。ノイズが消えた分、感覚の解像度が上がっている。今の俺には、言葉の鼓動の速さも、肌のわずかな震えも、解読すべき重要なテキストとして処理できる」

 

言葉の長い髪に指を通しながら、その感触を慈しむように確かめる。

性欲が去った後の『賢者モード』。

それは単なる無気力ではない。

対象を最も客観的、かつ慈愛を持って観測できる純粋理性の時間であった。

 

「父さんは、この時間を無意味だと思って、次の刺激を探したんだろうな。でも、俺は違う。この静寂こそ、言葉という本を深く読み込むための、最高の読書環境だ」

 

「誠くん……」

 

言葉は、誠の胸に顔を埋め、その一定のリズムで刻まれる鼓動に耳を澄ませる。

彼女にとって、この肉体の接触は、単なる生殖行動の模倣ではない。

誠という巨大な知性の海に、自らの存在を溶け込ませるためのプロトコルの確立だった。

 

「私、気づいたことがあります」

 

「ん?」

 

「肌と肌が触れ合っているとき、言語は不完全な媒体です。……こうして抱き合っているだけで、私が何を求め、誠くんが何を伝えようとしているのか、神経が直接対話している。これは、図書室での筆談よりもずっと高速で、高密度な情報のやり取りです」

 

「触覚のダイレクト・コミュニケーションか。……確かに、語彙の限界を超えているよな」

 

誠は言葉の肩を抱き寄せ、その体温を自らの内に取り込む。

彼は今、確信していた。

自分の中に流れる沢越止の血は、確かにそこに在る。

だが、それを御するための最強の重しは、自制心などという曖昧なものではない。

桂言葉という、一生をかけても読み切れない。

底なしの書物そのものであると。

 

「言葉。次の当番の日、レファレンスを頼みたい本があるんだ」

 

「……はい、何でしょう?」

 

「『長期的な人間関係における、知的好奇心の維持とドーパミン受容体の相関』についてだ。俺たちが飽きることなく、この実験を生涯において継続するための、理論的な裏付けが欲しい」

 

言葉は、誠の胸元で小さく、しかし幸せそうに笑った。

その笑い声は、かつて彼女を苛んでいた孤独な影を、跡形もなく消し去っていく。

 

「ふふ……わかりました。最高の一冊を、私が必ず探し出します。……それが、私の生涯の任務ですから」

 

夕暮れが近づき、部屋の影がゆっくりと伸びていく。

二人は、どちらからともなく、再び柔らかなキスを交わした。

それは、依存でもなく、執着でもない。

互いの存在を、世界でたった一つの真理。

認め合った者同士の、静かなる誓い。

 

窓の外では、秋の風が木々を揺らしている。

だが、この部屋に流れる時間は、永遠に等しい密度を持って、二人の記憶に刻み込まれていった。

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