Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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第10話:桂家の侵攻戦

「俺の母さんと、妹の止に会ってみるか?」

 

誠が提示した提案は、単なる家族の紹介ではない。

桂家という閉鎖的なシステムで培われた言葉の振る舞い。

それを、客観的なデータとしてサンプリングし、自らの対人戦略に組み込むための試行。

それは、互いの背景を観測し合う儀式であった。

 

「はい。誠くんのご都合に合わせ、いつでも最適に対応いたします」

 

「言葉は、俺の母さんをどう呼ぶ? 『おば様』か、『お義母様』か。さすがに『おばさん』はないと思うけど」

 

「最初は『おば様』。信頼関係の構築を確認した後、『お義母様』でどうでしょうか?」

 

「いいと思うよ。止(いたる)はまだ幼いから『止ちゃん』かな」

 

誠は手元の資料をめくる。

そこには誠の父・沢越止に関する冷徹なプロファイルが記されていた。

言葉の協力のもと、桂家のコネクションを介して探偵を動かした調査結果。

近親交配への執着、権力による隠蔽、そして遺伝子の永続的な繁栄——―。

 

その妄執に取り憑かれた男の軌跡。

悍ましい家系図と共に綴られている。

彼にとって女性は人格ではなく、自らのコピーを量産するための機能的な苗床に過ぎない。

商才も、医師としての知能も、すべては効率的に遺伝子を撒き散らすための軍資金と権力基盤を構築する手段だった。

 

「俺の母さん、伊藤萌子もその犠牲者の一人だ。看護師として彼の医院にいた時、その毒気に当てられた。俺や止が生まれたのは愛の結果じゃない。野生の生殖戦略というノイズが、たまたま形を成しただけだ」

 

起きたことは、もはや変えられない。

生まれた以上、生き抜くのみだ。

 

「あれは野生の生殖本能で動くバグの頂点だ。不意打ちという卑怯を平然とやる。正々堂々なんて甘い期待は捨て、常に自衛を心掛けてくれ」

 

「はい。決して油断はいたしません」

 

「ありがとう。父さんの性欲バグは、俺にとっての知性バグだ。血の呪いに知性を壊されないよう、俺は知の武装で対抗している。まさに『血の繋がった他人』という冷徹な観測だ」

 

数日後。

誠の家で行われた対面は、驚くほど滑らかに進行した。

夜勤明けの萌子は、言葉の理知的な佇まいに目を細め、幼い止は言葉の長い黒髪に興味津々でまとわりつく。

 

「誠、こんなに素敵な彼女をお母さんに隠していたのね」

 

「隠してないよ。母さんの夜勤シフトとタイミングが合わなかっただけだ」

 

「おにいちゃ……ながいの」

 

「止、このお姉さんは『こ・と・の・は』だ」

 

一文字ずつ教えようとしたが、舌足らずな止には難しい。

言葉がさりげなく、止と同じ目線にしゃがんで微笑んだ。

 

「いたるちゃん、私のお名前は『ことちゃん』。呼べるかな?」

 

「ことちゃ……!」

 

「はい、止ちゃん。よくできました」

 

心という妹を長年世話してきた言葉の「実務経験」が光る。

しりとり、なぞなぞ、読み聞かせ。

止の語彙レベルに合わせて即座に出力を調整し、掌握していく。

誠はその様子を傍らで観察し、ノートに速記する。

 

(表の愛想、声のトーン。親愛と礼節の配合比率……。これが擬態の極致か)

 

誠は次なる一手、桂家への先行調査を開始。

ターゲットは妹の心だ。

 

「心ちゃんに電話?」

 

「ああ。まずは音声のみで繋げ、想像力を刺激する。外見に囚われず、声だけで楽しんでもらうための『プレ・サプライズ』だ」

 

承諾を得て、指定の時間に連絡を開始した。

プルル、というコール音。

待機していた心が跳ねるように受話器を取る。

リビングでは言葉が立会人として静かに控えていた。

 

『もしもし、誠くん!?』

 

『こら心、失礼でしょ!』

 

「いいよ、心ちゃん。タメ口のお姉ちゃんって新鮮でいいね。家での彼女はそんなに砕けてるの?」

 

『そうだよー! 外だとお堅い喋り方で、猫被ってるんだから!』

 

「なるほど、正体を隠すヒーローみたいだ。実際、お姉さんのスペックは最強ましましだからな。友達が『タイトルは忘れたけど、盾と学校が表紙にある本』を探していたとき、俺はお手上げだったのに、彼女は一瞬で『School Days』の本を特定して差し出した。魔法かと思ったよ」

 

誠は心を「子供」として扱わず、一人の自律した個として接する。

姉妹という比較の檻、父の「まだ早い」という思考停止の拒絶。

心の抱える不満を論理的に解体し、彼女自身の尊厳を肯定していく。

 

「心ちゃん。お父さんは『まだ早い』と言うけど、具体的に『いつ』なら最適だと考えているんだろうね? 法律上の結婚適齢期か、経済的な自立か。今度、自分で調べてみるといいよ」

 

『わかった、調べてみる! ねぇ誠くん、今度おうちに遊びに来てよ!』

 

「お父さんとお母さんが許可してくれたら行くよ」

 

『私がお願いするから絶対来てね!』

 

「了解。すべては心ちゃんの手にかかっている。期待してるよ」

 

翌日。

携帯を持たされていない心の代わりに、姉の言葉が結果を報告した。

 

「誠くん、父も母も、あなたに会うことを望んでいます」

 

「お父さんからすれば、俺は大切な娘を奪う敵だろうな」

 

「そんなことないです。会えば誠くんの素晴らしさがわかってくれます」

 

「つまり、会うまでは警戒しているということか。わかりやすい」

 

外堀の埋立は完了した。

あとは実地での調整だ。

学園の休日、多忙な両親のスケジュールを縫い合わせる。

二人はそんな大人の事情を戦略的に突破し、約束の日を迎えた。

 

桂家の重厚な扉が開くと同時に、心という名の熱量が誠を強襲した。

 

「誠くーん! 待ってたよぉ!」

 

「おっと……全力の歓迎をありがとう、心ちゃん」

 

正面衝突してきた心を、誠は流れるような動作で受け止める。

リビングでは言葉の母が、スキャナーのような鋭い眼差しで誠を「検品」していた。

 

「言葉の母です。いつも娘がお世話になっています」

 

丁寧だが、その眼光は真剣だ。

誠の身なり、立ち振る舞い、そして「娘を搾取していないか」というコスト計算。

誠は一切怯まず、視線を合わせた。

 

「こちらこそ、言葉には助けられています。特に朝食と昼食のリソース維持には、多大な貢献をいただいています」

 

あえて情緒的な感謝ではなく「実利的な貢献」を口にした。

それは、彼女を単なる性的対象としてではなく、人生を共にする不可欠なパートナーとして評価しているという意思表示だ。

淀みのない所作と知的な純度を感じ取ったか、母の表情が微かに緩む。

 

そして、桂家の秩序そのもの、大黒柱である父が現れた。

 

「……父です」

 

誠は一歩踏み出し、その重圧を正面から受け流した。

 

「伊藤誠です。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

 

「う、うむ……」

 

父は戸惑った。

目の前の少年は、娘をたぶらかす不届き者でも、若さを振りかざす子供でもない。

自らの座標を正確に把握し、最適解を持って敵地に降り立った、軍師の如き凪を纏っていた。

 

誠は内心で確信する。

 

(この圧倒する威厳……言葉の自律心はこの父親譲りだ。血と知、両方の意味で凄みがある)

 

やがて言葉の部屋へと案内され、聖域の静寂が訪れる。

 

「……すごかったな。お父さんの圧を流すだけで、リソースの半分以上を使い切ったよ」

 

「ふふ、父も緊張していたのです。誠くんがあまりに堂々とされていたから」

 

誠は素直に羨ましかった。

自分の父とは違う、愛ゆえに娘を護ろうとする熱。

それが痛いほど伝わってきたからだ。

 

しばらくして、心が乱入してきた。

三人分のお菓子とジュースを携えて。

二人きりを防ぎ、妹を見張り番にする両親の意図を読み、誠はそれをむしろ歓迎した。

 

「心ちゃん。学校の教科書を見せてくれないか?」

 

「あるけど、つまんないよ?」

 

「俺たちの時代とどう変わったのかを知りたいんだ。協力してくれるかな」

 

英語と情報の更新、停滞する文系科目。

誠は心から提供された資料を過去の自分と照合し、分析していく。

同時に、心という個体の深淵を探る。

彼女が常に姉と比較され、敗北という劣等感の中で「姉のオマケではない自分」を渇望していることを直感した。

誠は素早くミミズのような速記でメモを取る。

 

「誠くん、何書いてるの?」

 

「気になる? これはアイデアを逃がさないための暗号。自分だけの宝物を守る『ミミズ戦法』だ」

 

「読めないよー! どうやるの?」

 

「図書館で速記の本を調べてみるといい。基礎を学んで自分なりにアレンジすれば、心ちゃんだけの『特別』が作れるよ」

 

心の中に、好奇心の種が落ちた。

姉とは違う自分を作るための第一歩。

そのヒントを誠から受け取ったのだ。

 

夕食の席に誠が招待されたので応じる。

ビールを旨そうに煽る父。

それを見て、心が不満げに漏らした。

 

「お父さんだけずるい! 心も大人の味、飲んでみたーい!」

 

「まるで黄金みたいにキラキラしてるよね。泡もサイダーみたいで」

 

「心、誠くん。君たちには、まだ早い」

 

「またそれ、お父さんいっつもそればっかり」

 

心がブーブーと反発する。

ここで誠はさりげなく、自分のジュースのグラスを掲げた。

 

「家族の空気を明るくしてくれる心ちゃんの元気に、乾杯」

 

「かんぱーい!」

 

チン、と鳴るグラスの音。

母は微笑み、父は不器用な敗北感を噛み締めるようにビールを煽った。

誠が翻訳し、心が点火する。

その食卓は、停滞していた桂家のシステムに新たな血を巡らせた。

 

別れの時。

玄関で見送る家族を代表し、父が重い口を開いた。

 

「……また、遊びに来なさい」

 

誠は静かに頭を下げた。

帰り道、夜風に吹かれながら、誠はメモを確認する。

そこには桂家の構造に関する詳細なデータ。

特に桂心という可能性は、極めて大きな未知数として刻まれていた。

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