Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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第12話:狼による引導

据え膳食わぬは男の恥。

 

それは生殖本能の奴隷が吐く、低次元なバグへの言い訳に過ぎない。

 

山県愛、加藤乙女、その妹の可憐。

周囲を俯瞰すれば、肉体的な誘惑トラップは至る所にある。

だが、誠はそれらを全て清浦刹那にリストアップさせて整理済みだ。

要警戒デバッグ対象としてフィルタリングを終えた彼女たち。

 

去年の学園祭において、周囲に搾取され、消費されるだけの犠牲となった痛烈な経験。

それが誠を、安廉な感情論ではなく、鉄の自制心へと至らせたのだ。

 

性欲の発散とは、極めてコストのかかる、神聖かつ不可逆な儀式である。

そのリソースは、桂言葉という唯一の聖域にのみ独占させる。

知性は言葉と刹那という双璧とのレファレンスによっての棲み分け。

父の二の舞である多方面への散逸という致命的なバグを徹底的に回避した。

 

(言葉と清浦以外、会話の知性が成立しない。他の発言は、もはや解析にも値しないノイズだ)

 

誠の精神は、強風を往なす柳の如し。

無価値な干渉をさらりと受け流していく。

 

「あ、あの……伊藤くん」

 

廊下で鉢合わせた山県愛が、おずおずと声をかけてきた。

誠は割り切った態度で応じる。

 

「なんだ山県。今日は図書委員の当番だろ?」

 

「う、うん。その、あのね……。もしよかったら、この後……」

 

情緒的な期待を乗せて誠を捕捉しようとする視線。

だが、誠の瞳は彼女の背後にある効率的な時間の運用しか見ていない。

今の彼にあるのは、相手の停滞に対する生理的な嫌悪感。

そして、時間の浪費に対する苛立ちだ。

 

「山県、時間は有限だ。悩みがあるなら、俺より後ろにいる清浦に相談した方がいい。――そうだろ、清浦?」

 

「えっ……!?」

 

動揺して振り返る山県。

いつの間にか背後に立っていた刹那を前に、彼女の思考は完全にフリーズした。

刹那はそれを無視し、事務的にこくりと頷く。

 

「うん。山県、悩み相談は私が引き受ける。伊藤は桂さんの所へ行って」

 

短いカットイン。

即座に言葉へと接続させる、完璧なパスだ。

 

「ああ、あとはよろしく」

 

もはや呼び止める間もない。

誠は翻り、自らの知の帰還場所である言葉の元へと去る。

残された山県に突きつけられたのは、刹那の零度を下回る視線だった。

 

「山県。人の恋路を邪魔して楽しい?」

 

「こ、恋路って……」

 

「極めて生産性の低い、無駄な時間の浪費」

 

「そ、そんな……私はただ……」

 

「いい加減、現実を見て。あなたが今やるべきことは、私と一緒に図書委員の義務を遂行すること。戻すべき本が山積みになっている。さっさとやって」

 

感情という名のバグを許さない、刹那の演算という威圧。

もはや反論の余地すら奪われ、山県は図書室という静寂の檻へと引き戻されていった。

 

一方、誠は言葉の待つ一角へと辿り着く。

そこには一切のノイズがなく、純粋な知と情愛の熱量だけが充填されていた。

 

「山県が俺に話しかけてきた。俺と言葉の関係を知らないのか? 知っていたら自重しそうなものだが」

 

「清浦さんが伝えているはずですから、次は遠慮されると思います。山県さんは奥ゆかしい方ですから、積極的に誠くんを奪うような真似はなさらないでしょう」

 

本を閉じて穏やかに微笑む言葉。

そこに嫉妬という感情は皆無である。

 

「奥ゆかしい……。ものは言い様だな。自分を安売りするというのは、ああいう感じか。反面教師として、いい学びになったよ」

 

相手の時間を奪わない。

用件は手短に、かつ明確に。

それが相手への最低限の尊重である。

誠は言葉との対話を通じて、その真理を確信していた。

 

「もしかしたら、言葉に山県から問い合わせがあるかもしれない。『本当に付き合っているのか』と」

 

「そうですね。恋人ではなくお友達かもしれない――山県さんは自分に都合の良い仮説で、ご自身の不安定な情緒を保とうとします。恋愛小説によくある、典型的な防衛心理です」

 

言葉が抱いているのは怒りではなく、憐れみだ。

誰かを好きになる自由は否定しない。

それだけの魅力が誠にあることを、言葉自身が誰よりも理解している。

だが、山県のそれは表層をなぞるだけの知性の安売りに見えた。

 

「期待を持たせないようにするよ。それこそ、引導を渡すような気持ちでな」

 

「ええ。中途半端な優しさは、山県さんに失礼となります。ですから、山県さんが私に尋ねてきたときは、誠実かつ丁寧に応じますね」

 

二人の予見は、数日後に的中した。山県は未練という名のノイズを振り払えず、刹那の言葉を否定するための裏付けを求めて、言葉の元へと歩み寄った。

 

「あ、あの、桂さん……」

 

「どうしました、山県さん?」

 

山県の言葉の詰まり。

それは言葉にとっての想定内だ。

事務的な速度で主導権を握る。

 

「山県さん、ここでは人目があります。場所を変えましょう」

 

「う、うん」

 

言葉が選んだのは、階段の踊り場。

ただし、昼休みに誠と過ごす聖域――最上階の踊り場ではない。

それより数段下の、ただの通過点としての空間。

そこまで彼女を招き入れる価値はないという、無意識のゾーニングだった。

 

「ここなら大丈夫ですよ。それで、私に確認したいこととは何でしょうか?」

 

「えっと、その……」

 

「もし言いにくいようでしたら、私が代わりに当ててみましょうか?」

 

「え!?」

 

「私と誠くんがお付き合いしているかを確かめたいのでしょう?」

 

「う、うん。付き合ってるって聞いたんだけど……それって、お友達の延長というか、まだそういう段階なのかなって」

 

震える声。

現実という絶壁を前に、自分に都合の良い仮説に縋る。

あまりに痛々しい幻想。

言葉は静かに山県を見つめた。

その瞳にあるのは憎しみではない。

可哀想だと思えてしまったからこそ、期待を持たせてはいけないのだ。

 

「山県さん。あなたの仰る『お友達』という定義は、極めて曖昧です。情報の不透明さを残します。誠くんが最も嫌うのは、そのような不誠実な『濁り』ですよ」

 

「濁り……?」

 

「はい。ですから、誠実にお答えします。私と誠くんは、互いの時間を、知性を、そして心臓の鼓動に至るまでを共有し合う契約を結んでいます。そこに、友愛というノイズが介入する余地は一ミリも存在しません」

 

一言一言が、鋭利な居合となって相手の仮説を容赦なく切り裂く。

 

「私たちが共に過ごす時間は、お喋りという浪費ではありません。お互いの命を最適化し、二人で一つのシステムとして機能するための研鑽です。あなたが縋る『お友達』という概念は、私たちの前では何の意味も持たない死蔵なのです」

 

崩れ落ちるように壁に背を預ける山県。

言葉の語る世界観は、彼女が知る恋愛小説のテンプレートとはあまりにかけ離れていた。

かつての自分――弱さを武器に羊を演じていた自分を、言葉は一瞬だけ重ねる。

だが、今の言葉には、刹那に認められた狼のような尊厳があった。

 

「山県さん、これが現実です。これ以上の停滞は、あなたの人生にとっても損失でしかありません。……さあ、戻りましょう。図書室の本が、あなたの『作業』を待っています」

 

言葉はそれだけ言い残すと、振り返ることなく歩き出した。

 

以後、山県愛が二人に近づくことはなくなった。

あまりの次元の差を痛感し、諦めるという楽な道へ流れたのだ。

永遠に未練を抱え続けるほど、人のリソースは保てない。

人は結局、自分の生活という生存本能を優先する。

 

彼女の恋心は、誠たちが構築した高精度の静寂の中で、音もなく溶けて消えていった。

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