Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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第14話:凪のアノテーション

昼休みの屋上前踊り場。

校庭の喧騒から切り離されている。

誠、言葉、刹那の三人による知の要塞だ。

 

今回のお題は、書店のベストセラーについて。

 

「伊藤、流行りに踊るのは時間の浪費。ベストセラーの棚は、大衆の不安を突いたマーケティングの結果(アウトプット)に過ぎない」

 

刹那は、一切の飾り気がない弁当を咀嚼しながら、冷徹に切り出した。

売れるという事象は情報の価値を保証するものではない。

大衆の平均値まで薄められたという警告の色である。

 

誠は、言葉からお茶を受け取って一息つく。

持ち込んだノートを開いて応じる。

書店で下見をしたベストセラーのタイトル。

その冷徹なリストを列挙していた。

 

「この実用書のベストセラーはどうよ? 自己啓発なのか実用書なのか、混ざってしまって、その境界が曖昧なのが厄介だよ。技術の話なのか、単なる精神論なのか。その不透明さが、生理的に気持ち悪い」

 

誠の指摘に、言葉が静かに、だが深く頷いた。

彼女は膝の上に、図書館で借りたであろう背表紙のない本を置いている。

 

「誠くん、その一覧の選別、私にお任せください。先日、書店に立ち寄った際に同じ棚を観測しましたので」

 

「それは助かる。図書館だと入荷が遅れていたり、予約が殺到していたりするからな。タイトルだけ確認して立ち読みは避けたよ。うっかり本を傷めたり、不要なノイズを脳に落としたりするのは避けたいから」

 

誠はノートを指先でなぞりながら、二人に問いかける。

自分のために生きたいのなら、自分の頭で考えなければならない。

正解探しという行為自体、思考の放棄に他ならないのではないか。

世の中が求める技術は常に進歩している。

昨日までの正解が明日には塵芥と化す。

そんな不安定なものに、自らの人生を委ねるわけにはいかない。

 

「清浦、もしかしてさ……。これって書店で新しい知を追い求めるよりも、古い図書館の奥で『本質』を学ぶ方が、ブレることのない安定した生き方に繋がるんじゃないか?」

 

誠の言葉に、刹那は箸を止め、言葉は慈しむような微笑を深めた。

 

「正解。伊藤、流行は『消費』されるために作られる。でも本質は『蓄積』されるために残る。数十年、数百年残っている知識は、すでに時間の淘汰というデバッグを通過した、バグの少ないコードと同じ」

 

「誠くん、国語の古典がどうして何百年も語り継がれているか。そこに『知の不動』があるからではないでしょうか」

 

「あの国語で習う古典か……。確かに今になっても古典が消えない理由には少し興味がある。言葉の文学知識で、何かわかるのか?」

 

誠の問いに、言葉は膝の上の本を愛おしそうに撫でた。

そこにこもる知性の表情に迷いがない。

 

「誠くん。古典は、決して古臭い教訓ではありません。それは、何千年もの間に人間を観察し続け、抽出された言霊たちです。技術は進化しますが、人間の欲望や絶望、そして理性の揺らぎ。それらの根本となる想いは、清少納言や鴨長明の時代から驚くほど変わっていません」

 

言葉の瞳に、熱が宿っていく。

二人は静かに話を聞き続ける。

 

「ベストセラーが『今、流行している病』への対症療法だとしたら、古典は『人間という存在そのもの』への処方箋です。教育で押し付けられるのは、その美しさや正しさを測るため。ですが、私たちが必要としているのは、その中にある『生存のためのレファレンス』ではありませんか?」

 

「……生存のための、レファレンスか」

 

誠はその言葉を咀嚼する。

学校の授業というノイズを取り除いた時。

古典は、自分たちが今直面する知の自律を支える。

その最も堅牢なフレームワークに見えてきた。

 

「レファレンスとしての技術本は、ミニマリストな断捨離や整理術ですでに持っている。今、俺に必要なのは、技術よりも古典の変わらない精神性かもしれないな。……言葉、とりあえず図書館で、初心者で取り組める古典あれば選書してほしい」

 

誠の凪の精神と最も相性の良いもの。

言葉がレファレンスしたのは『徒然草』であった。

当然、他者の書き込みというノイズの一切ない。

純粋な版。

試しに読み、もし書き込みを加えたいほどの価値を感じたら購入する。

そう誠は決めていた。

 

「……古典って、意外と高いな」

 

決して裕福とは言えない誠の呟きを聞き、言葉はそれを贈り物とした。

これは知的投資である。

誠という人間が向上することこそが、自分にとっての最大の利益に繋がる。

 

その意図を理解したからこそ、誠は素直に受け取った。

その余白に自らの知性を刻み込む。

自分がどう解釈したか、どこが不明瞭か。

誠実なフィードバックを、御礼として言葉に返すために。

 

(誠くんの迷いも、興味も、想いも。全て、この古典にこもっています)

 

自室に戻った言葉は、誠から返された『徒然草』の頁を静かに捲る。

そこに躍る誠の筆跡を、恋人の肌に触れるような手つきでなぞった。

図書館の貸出本では決して許されない。

購入の所有者だけに許された思考の侵食。

そこには、整然とした誠の知性が、兼好法師の厭世観と衝突。

火花を散らした痕跡が克明に刻まれている。

 

「……ここ、誠くんらしいです」

 

言葉が示したのは、第百八十八段。

誠はそこに、

 

『予期せぬエラー対処。感情ノイズの処分で、現時点の最適解をすぐ走らせる。凪の維持』

 

そんな鋭い筆致で書き込んでいた。

兼好法師の枯れた処世術。

現代のシステム管理として再定義している。

これは言葉の読み方にはない鮮烈な視点。

それが彼女の脳を心地よく刺激した。

 

好きな人のリターン。

これほどまでに純粋な知性として届けられる悦び。

言葉の瞳には、慈しみを超えた、ある種の法悦に近い光が宿っていた。

誠の書き込みを道しるべに。

彼女の知の探求は、より深く、より広大な領域へと加速していく。

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