Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方― 作:完結の陽炎
加藤乙女を取り巻く環境は、進級と共に劇的な再編を余儀なくされた。
かつての取り巻き女子たちとはクラスが離れ、構築していた閉鎖的な権力構造は霧散した。
現在の彼女の傍らには、女子バスケ部のエース、甘露寺七海がいる。
実力主義のコートで生きる七海の清廉なスポーツマンシップ。
その前では、かつての陰湿な立ち回りは一切通用しない。
乙女は自らを格下と定義。
その直情的な光に焼かれないよう、振る舞いを修正せざるを得なかった。
そこに介在するのが、清浦刹那という異分子である。
刹那は乙女に対しても公平だった。
愛想こそないが、論理的で信頼に足る。
七海のその保証が、乙女の警戒心を解くのに時間はかからなかった。
今や、困った時の刹那頼みは、彼女たちの間で『最適解』として共有されている。
「清浦さん、どうしよう。あたし、このまま卒業したら野垂れ死にしちゃうのかな……」
乙女の脳内から、伊藤誠への片想いという未練ノイズは消失しつつあった。
物理的な距離が生んだ自然消滅。
それ以上に、進路という巨大な現実の壁。
彼女のリソースを強制的に占有し始めていた。
「加藤さん、大げさ。日本における生存権は保障されている」
一切の情緒を排して切り捨てる刹那。
そこから事細かな現実を突きつけていく。
「でも、無計画な停滞は生活保護への最短ルート。申請手続きの煩雑さ、ケースワーカーからの就労圧力。親類への扶養照会による社会的ポジションの失墜……。リスクが大きすぎる」
「そ、そんな殺生だよ……。やっぱ進学かな。甘露寺さんはいいよね、スポーツ推薦があるし。あたしなんて……」
「いや加藤、推薦枠の維持だって楽じゃないんだよ。一定の評定平均を叩き出し続けないと即取り消し。マジで刹那には感謝してるんだ。勉強が苦手なアタシを、ここまで引き上げてくれて」
「お礼は光の新作ケーキで手を打つ」
「はいはい、ちゃっかりしてるね」
刹那は淡々と対価を要求。
黒田家が営む榊野町駅のスイーツおおはらのお菓子。
人生の没落を防ぐコンサルティング料としては、破格の安値である。
すべては、刹那のロジック誘導による計算通り。
乙女の過去を処理落ちへと追い込む。
それが焦燥感という名のエンジンを点火させる。
去年、もっと早く動いていればという後悔。
それが乙女を机に向かわせる。
もはや、恋愛という非生産的なノイズに割くリソースなど一ミリも残っていない。
さらに、乙女を突き動かすのは妹・可憐の存在だ。
第一志望の榊野学園に落ち、併願の綿女へ流れた妹の姿。
姉としてのプライドが、同じ轍を踏むことを断固として拒絶する。
(可憐みたいにだけは、なりたくない)
その焦燥が、かつてないほど『勉強』という生存戦略へ没入させる。
そうせざるを得ないのが現状だから。
昼休み。
食堂で過ごす乙女と七海を背に、刹那は屋上の聖域へと向かう。
そこでは、誠と言葉が静寂を纏って待っていた。
食事を摂りながら、乙女たちの状況報告が共有される。
「清浦はやっぱ恐ろしいな。加藤をそこまで追い込んで、受験勉強に特化させるとは」
「避けて通れない道。加藤さんは伊藤や桂さんを観測している暇などない。優先順位(プライオリティ)を見失っていただけ」
「山県はどうだ?」
「山県さんも受験。加藤さんの焦りに同調して、伊藤への恋情は木っ端みじん」
「えげつないな……」
誠が苦笑いしながらもクラスの近況を話す。
ざっくり言えば澤永泰介と黒田光の漫才だ。
泰介は、隙あらば言葉の豊かな双丘をスケベ心丸出し。
その瞬間に光が彼の横腹を執拗につねって正気に戻す。
もはや日常の風景となっている。
言葉に対し「がるる」と威嚇するような態度を崩さない光。
だが、そこには狼と犬ほどの格の差があった。
言葉は「澤永さんの彼女なら、その手綱をしっかり握りなさい」と、泰介の管理責任を光に委ねる。
泰介のパートナーとして承認しているのだ。
光は泰介の浮気を封じるため、さらにその監視の目を強化するしかない。
「誠くん、清浦さん。そろそろ学園祭の準備期間になります」
言葉が話題を切り出す。
誠にとっては去年のトラウマ。
無秩序な搾取にリソースを枯渇させた屈辱を思い出し、表情を硬くした。
「対策が必要だな。もう、周りにコキ使われるのはうんざりだ」
刹那が、抜かりなく準備された資料を提示する。
「人員徴用に関し、委員会活動を優先させる規定あり。これを利用する。図書室は期間中、学術的展示の場として開放。私たちは『特別展示:古典に見る生存の知恵』の運営を口実に、クラスの出し物という名の強制労働から脱退する」
刹那の指が、規定集の注釈をなぞる。
すでに図書委員長への根回しも済んでいた。
「誠くん、展示の選書は私に任せてください」
「俺は展示パネルの構成と動線管理を担当か。……なるほど、自ら進んで枠組みを提示すれば、他者に搾取される隙がなくなる」
作業の主導権を渡さない。
それが自己ペースを保つ絶対条件。
誠はさらに踏み込む。
「清浦、クラスの出し物との両立はどうする? 完全に不干渉は、かえって余計な摩擦を生むだろ?」
「両立はしない。部分的なアウトソーシングで解決する」
「アウトソーシング? 詳しく頼む」
「模擬店なら材料調達からフロー作成まで、私たちが『後方支援(バックヤード)』を引き受ける」
「裏方?」
「そう。現場での調理や接客といった拘束時間の多い『実労働』は、加藤さんたちに任せる」
「加藤たちはイエスと言うのか?」
「指示通りに動けばいいだけ。その楽な思考停止を対価にする、成果の甘い汁を吸わせれば断る理由がない」
「集団心理の隙を突くわけか」
フリーマーケットや簡易喫茶など、手抜きを望む同調圧力を利用した戦略。
加藤や甘露寺も部活との兼ね合いで負担の少ない出し物を望むだろう。
夕暮れ時のサンスベリアが、鋭い葉先で光を切り裂く。
去年の無力な自分たちはもういない。
誠たちは、学園祭という騒乱を「凪」のまま乗り越えるため。
徹底した設計図を書き上げて計画を練った。
月日は流れ、2年秋の学園祭。
去年の惨劇という致命的なバグはない。
それは徹底的にデバッグされていた。
誠、言葉、刹那。
三人は図書委員という中立地帯を拠点に、完璧な防衛線を構築。
身勝手な期待や情緒的な侵入を許さない。
静かなる立ち回りを見事に完遂した。
(清浦が山県を上手く使いこなしている。あれでは考え事をする暇もないだろうな)
ちょっかいをかけられることがない。
2年1組の出し物は教室内で無難な喫茶のケーキ。
泰介が休憩時間になってふらふらと図書室へ来る。
「よお誠、図書展示って暇そうでいいよな」
「準備は大変だったぞ。セッティングから内装まで含めてな」
泰介の視線は言葉のほうへと向かっている。
どうやら学園祭を一緒に回りたいようだ。
付き合いの長い誠は、彼のエロい目だけで察しがつく。
欲望に素直なわかりやすさ。
あまりにも見え透いていた。
「桂さん、俺と一緒に——―」
「澤永」
「な、なんだよ委員長」
刹那は訂正も面倒と思ったのか。
否定もせずに本題で突き刺す。
「光から伝言。至急戻ってくるようにって」
「マジかよ」
「断ったら、澤永のお姉さんに言いつけるって」
「や、やば――って姉ちゃん関係ないだろ!!」
「私に言われても知らない。文句は光に言ってきて」
「ちくしょう!!」
涙ぐみながら嵐のように去っていく。
誠は溜息、言葉は苦笑い、刹那は無表情。
三者三葉の反応で店番から休憩に入る。
「伊藤、休憩入っていい。桂さんも」
「わかった」
それだけで意図は伝わる。
二人は自然と隣を歩いて学園祭の地図を確認。
一番に見ておきたいのが文学フリマだった。
文学フリマの会場は、体育館の喧騒から離れた旧校舎の多目的ホールに設置されていた。
そこには、商業主義のフィルターを通らない、剥き出しの言霊たちが並んでいる。
「……すごい熱気ですね、誠くん」
言葉の瞳が、手作りの小冊子や同人誌の群れを捉えて輝く。
ここにあるのは、誰かに消費されるための商品ではない。
書かずにはいられなかった者たちの知の結晶だった。
「流行を追ったベストセラーとは対極だな。情報の純度は極めて高い」
誠は一冊の詩集を手に取る。
そこには、自分の内面を抉り出すような鋭いフレーズが、無骨な活字で刻まれていた。
今の誠にはわかる。
この表現者たちは、かつての自分と同じように、世界との違和感を「言語化」することで生き延びようとしている。
「誠くん、見てください。この『読書論』……。私たちが図書室で議論していたことと、似たアプローチで書かれています」
言葉が差し出したのは評論誌。
そこには『情報の断捨離と古典の回帰』というタイトルが躍っている。
誠と言葉は、顔を見合わせて微笑を交わした。
自分たちの「知の要塞」で培った理論。
外界の、それも高度な知性を持つ層と同期し始めている。
その事実は、二人の連帯をさらに強固なものへと変えた。