Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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最終話:記述する子の生命

言葉の大学卒業と同時に、二人は契約を更新した。

婚姻届。

それは誠にとって、社会的な結合を証明する一つの受理通知に過ぎない。

だが、戦略的には極めて重い一手だった。

 

『桂 誠』としての再出発。

 

不安定な「伊藤」という血のログをディレクトリごと削除。

言葉の父が築き上げた強固な社会的資本を継承する宣言。

豪華な披露宴を排し、親族のみで執り行われた式。

それは、血縁を超えた高密度な同盟締結の儀として完成した。

 

それから約一年後。

二人の聖域に、新しい生命が誕生した。

 

出産というプロセスは、誠にとって最も予測不能。

制御困難なバグのような現象だった。

分娩室の廊下で待つ誠の耳に届く。

それは、病院の壁を、そして彼の論理を容易く突き破る赤ん坊の産声。

 

対面した子は、言葉に似ていた。

その瞳に宿る生への渇望については、誠自身が持つものと同じ。

鋭く澄んだ光を放っていた。

 

 

そこから長い年月が過ぎていく。

誠が滞在する書斎の壁。

精密なスケジュールと分類された家族の共有データが整然と並ぶ。

 

誠は、かつて言葉の父から譲り受けた重厚な椅子に腰を下ろした。

そこへ、ランドセルを放り出した子がやって来る。

中性的な瑞々しさを湛えた瞳に、根源的な疑念を宿して。

 

「ねえお父さん、なんで私を産んだの?」

 

誠は慌てない。

十数年かけて積み上げた凪の証明として、静かに椅子を回した。

 

「いい問いだ。答えは一つ。俺たちが、『悪者』になる覚悟を決めたからだ」

 

「正義じゃないの?」

 

「ああ。間違いなく、俺たちのワガママという悪だ」

 

途中からのキャンセルがない。

ゆえに断じて救いのヒーローではない。

生まれた時点で生きなければならないから。

 

「犯罪者?」

 

「犯罪ではないな。でも『産んでくれなんて頼んでない』という理屈は100%正しい」

 

「産まなきゃいいのに、なんで?」

 

「この静かで、誰にも邪魔されない場所を、俺たちの代だけで終わらせるのはもったいないと思ったんだよ。だから俺たちは『親』という悪者になって、この世に呼んだ」

 

子は少し考える仕草を見せる。

興味が別のほうへと頭の中へ向かっていく。

そして話題を一気に飛ばした。

 

「……学校の宿題、嫌い。テストもつまんない。役に立つの?」

 

「はっきり言って、中身はほとんど役に立たないだろうな」

 

誠は嘘をつかない。

それが子への誠実さだと知っているから。

役に立たないのに、勉強を押し付けられるのか。

そんな子の不満に対して私見を述べる。

 

「テストは知識を測るものじゃない。決められたルールの中で、文句を言わずにどれだけ動けるかの訓練だ。一言で言えば『我慢大会』だな」

 

「なんで我慢しなきゃいけないの?」

 

「社会にとっては、自分の頭で考えすぎる人間は扱いにくいからな。だから、決まったことだけをする『お人形』になれるかを試しているんだ」

 

「人形じゃない、人間だよ!」

 

子の爆発はもっともなことである。

誰だって人形扱いされたくはない。

ちゃんと子にも尊厳が宿っている。

そのこと対して、父親の誠は内心で喜んだ。

 

「その通りだ。だからこそ、俺もお母さんも、人形にされないための『知恵』を自分で選んで学んだ。学校のテストで良い点を取るのは、通行料みたいなものだ」

 

「通行料?」

 

「『この子、優秀だから大丈夫』と周りを安心させて、黙らせるためのチケットだ。それさえ払えば、誰も邪魔しに来ない。空いた時間で、自分の好きなことをやればいい」

 

子は満足したのか、あるいは別へ行きたいと思ったのか。

気まぐれな猫のようにリビングの母のもとへ駆けていった。

 

「ねえお母さん、どうして私を産んだの?」

 

父と同じ問いを投げる比較の知的な遊び。

言葉は読みかけの資料を閉じて応じた。

 

「それはね……お父さんとお母さんが、この広い世界で、一文字の誤差もなく『ぴったり重なる』相手を見つけてしまったからよ」

 

「?」

 

「お父さんからも聞いたでしょ? これは私たちのわがまま。この平和な時間を、あなたに引き継いでもらいたかったの。私たちは、あなたにこの場所をプレゼントしたかった」

 

子はジーと本を見つめる。

当然、母としてそれに気付かないはずもない。

 

「……この本が気になるの?」

 

「難しい?」

 

「ええ、とっても。あなたがもっと大きくなったら、一緒に読みましょう。辛いときに迷わずに済むための『地図』になるわ」

 

子ども思考は次々と切り変わる。

まるで不思議の国のアリス。

ワープするかのように話が飛んでいく。

 

「学校、じっとしてるのしんどい。退屈」

 

「そうね。エネルギーに溢れるあなたにとって、教室は檻みたいに感じるかもしれない」

 

授業でおとなしく聞くだけの苦痛な時間。

そこに不満を漏らす子の反骨精神。

母の言葉は穏やかな微笑みを絶やさなかった。

 

 

ある日、叔母である桂心が、大きな書店へ出かけた。

買い与えたのは、一振りのペンと、名刺サイズのカードたち。

子が始めたのはルパンごっこ。

書店で面白そうな本を見つけ、気に入った一文だけをカードにさらりと書き写す。

本一冊につき、使うカードは一枚。

家に戻れば、子は持ち帰った「盗んだ言霊」のカードを床に並べた。

 

それは心の書く、決まった物語の形をした小説とは違った。

バラバラのカードに書かれたキーワードたち。

それを、パズルのように組み合わせて作る断片的な表現。

誠や心の使うミミズ暗号を美的に派生させた。

誰にも所有されない自由な『カード文学』。

 

「お母さん、見て。今日盗んできたお宝」

 

誇らしげにカードを掲げる子。

そこには、親から与えられた『凪』の中。

自らの足で知の荒野へ踏み出していく。

そんな新しい生命の鼓動が記述されていた。

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