Isolated Days―搾取された先にある誠の生き方―   作:完結の陽炎

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第7話:二重盲検のくじ引き

後期の委員選出。

黒板の前でチョークを弄ぶ担任の苛立ちが、乾いた音となって教室に響く。

教室内には「シーン」という、鼓膜に痛いほどの静寂が横たわっていた。

 

それは決して、厳粛な静寂ではない。

誰かが視線を上げれば、そこに役割の呪いが押し付けられる。

それを本能で察知している生徒たち。

一様に机の木目を見つめるか、虚空を眺めている。

自らの存在を消去しての透明化。

そうすることで学校への抵抗を試みていた。

 

(誰も、なりたがるわけないよな)

 

窓際の席で、誠はその様子を冷徹に観測した。

自分の時間、意志、そして尊厳。

それらを削り取ってまで、学校という機構に奉仕することの空虚さ。

「早く決めろ」と急かす教師の言葉。

それは誠の耳には別の意味で聞こえた。

 

――俺が楽をしたいから、早く生贄を差し出せ。

 

もはや教育者の指導ではない。

身勝手な権力者による搾取の命令に思えた。

管理責任を放棄し、生徒に無償の労働を要求する。

誠が図書館で見つけた例えを借りるのなら、それは魂を削る『鰹節の削り器』だ。

今まさに目の前で、次の標的を求め、ギチギチと音を立てて回っている。

 

誠は再び、視線を窓の外へと逃がした。

嫌なものは嫌だ、と沈黙で防衛する。

たとえ教室がどれほど凍り付こうとも、

教師の機嫌がどれほど損なわれようとも。

自らの『凪』を、この無意味な生贄の儀式で汚させはしない。

 

誠は、指先でポケットにあるメモ帳の感触を確かめる。

そこには、図書館の静寂の中で得た。

自分を守るための言霊が刻まれている。

 

(どうせ最後はくじ引きだ。見え透いている)

 

図書館での読書が誠の知性を研ぎ澄ませたのか。

教壇に立つ教師の思考。

その限界が手に取るようにわかった。

案の定、即席のくじが用意されようとした。

その瞬間――。

 

「先生、前期の清浦さんが引き続きやったらいいと思います」

 

静寂を切り裂いたのは、卑怯な保身の声。

このままでは自分に火の粉が降りかかる。

そう直感したクラスメイトの一人が、ターゲットを明確に指し示した。

 

「そうだ、それが一番いい」

 

「田中君も続投でいいんじゃないか」

 

堰を切ったように、無責任な同調が教室を埋め尽くす。

自分たちが助かるためなら相手がどうなろうと構わない。

その集団心理の醜悪さに、誠の奥歯が軋んだ。

 

当事者の刹那は、微動だにしない。

肯定も否定もしない。

その背中は、石造りの彫像のように静まり返っていた。

 

「……清浦、どうだ? 周りもこう言ってるが」

 

担任が、獲物を追い詰める猟師のように言う。

刹那がゆっくりと、その小さな唇を開こうとした。

周囲の期待という重圧が、彼女の喉元を締め上げようとした。

その時――。

 

「……私は、辞退します」

 

間髪入れずに誠が割って入った。

 

「すでに清浦は前期で任務を達成した。そして本人はノーと言った。だったらやることは一つ。公平にくじで決める。これ以上、清浦を不当に追い詰めるのはやめてほしい。正直みていて気分が悪い」

 

黒田光も吐き捨てるように続いた。

 

「癪だけど伊藤に同感よ。自分たちがやりたくないからって、一度やった人に寄ってたかって押し付けるなんて、恥を知りなさい!」

 

鋭い一喝である。

教室を支配していた卑屈な同調圧力。

それを一瞬で霧散させた。

この剣幕に押され、気まずそうに目を逸らした生徒たち。

 

自分の嫌という気持ちを正直に伝えた事実。

それを後押しをしてくれたのが誠と光。

守られるというのは、こういうことなのか。

刹那の瞳が揺らぐ。

その沈黙を破るように、担任がついに折れた。

 

「分かった。公平にくじで決めるぞ」

 

「……待ってください先生」

 

「伊藤、今度は何だ。くじで決めることに文句あるのか?」

 

「いいえ、決め方に異論はありませんが、その後の『運用』に条件をつけたいのです」

 

誠は席から立ち上がることなく、だが教室の隅々まで通る声で告げた。

その瞳には、もはや周囲の顔色を伺う流されやすさの欠片はない。

 

「もし、前期に委員を務めた清浦や田中がくじで当たった場合、それは『続投』ではなく『アドバイザー就任』とするべきです」

 

教室がざわついた。

「何だそれは」「二度手間じゃないか」という無責任な囁きが漏れる。

誠はそれを冷徹な一瞥で黙らせた。

 

「二重の負担を強いるのは、組織としてあまりに効率が悪い。一度任務を完遂した人には、すでに休息の権利があるはず。だから、もし清浦または田中が当たった場合、前任者として『知恵を貸すだけ』の立場に置く。実働は、くじで次に選ばれた未経験者が行う。つまり、『やり方を知っている教育係』と『動ける実務者』のペアを作るんです」

 

「……そんな面倒なこと」

 

担任が口を挟もうとしたが、誠は言葉を重ねる。

 

「先生。これは生徒の負担軽減だけでなく、先生自身の『管理コスト』を下げる提案ですよ。未経験者を一人で放り出して、パニックやミスが起きるたびに先生が呼び出されるより、横に経験者が座っている方が、先生に相談が回ってくる回数も激減するはずです」

 

楽をしたい、という教師の本音を、誠は見事に射抜いた。

さらに彼は、クラス全体を冷ややかに見渡して付け加える。

 

「もしこれに反対するなら、自分たちが未経験のまま選ばれたときに、誰も助けてくれない地獄を自ら選ぶ、ということになりますが……それでもいいんですか?」

 

自分に火の粉が降りかかる可能性。

それを突きつけられ、不満を漏らしていた生徒たちが押し黙った。

しかし――。

 

「ちょっと待って伊藤。一つ気になるんだけどさ」

 

「なんだ?」

 

「それってさ、もし二人が当たらなかった場合、アドバイザーなしの未経験者だけでやれってこと?」

 

光の鋭い指摘に対し、誠は微塵も動じない。

むしろ、その反応すら織り込み済みであったかのように。

視線をゆっくりと光の方へ向けた。

 

「そうだよ黒田。ここで勘違いしないでほしいんだけど」

 

誠は淡々と、しかし突き放すような冷徹さで続ける。

 

「俺が言っているのは、前期に役割を果たした『人間の権利』であって、これから役割を担うべき人間の怠慢じゃない。未経験者が自分の番を押し付け合うのは勝手だけど、それに一度義務を終えた人間を巻き込むのは、ただの『甘え』だろ」

 

「不安に思うからこそ、やりたくないってものでしょ?」

 

「そんなに未経験者だけでやるのが不安なら、それこそさっきの提案を逆手に取ればいい。くじで選ばれた人間が、個人的に清浦や田中に頭を下げて、やり方を教わる。それは組織の強制じゃなく、個人のコミュニケーションの問題。少なくとも、教室全体で『お前がやれ』とリンチにかけるよりは、よっぽど健全な姿だと思うけど?」

 

教室に冷ややかな緊張が走る。

誠はそこで言葉を切ると、教壇の教師に視線を向けた。

 

「先生、時間は限られています。早くくじでやりましょう。それとも、まだ誰か他人の時間を奪う正当な理由を持っている人はいますか?」

 

光は、誠の理路整然とした、しかしあまりにドライな正論に黙り込んだ。

周りもこれ以上言えば、無傷では済まないという圧を感じてしまう。

 

(癪だけど、言い返せない。あいつ、いつからこんなに頭がキレるようになったのよ)

 

怒りよりもむしろ、得体の知れない不気味さ。

教室を支配したのは、もはや誰が犠牲になるかではない。

自分たちの未熟さを突きつけられた気まずさだった。

 

先生としても、早く終わらせたい。

そこにつけ込み、誠があたかも協力しますと申し出る。

先生には2つの箱を用意してもらうだけでいい。

公平性を担保するため、図書館の実用書で学んだ手法『二重盲検(ダブルブラインド)』。

そのアプローチをして採用をもぎ取った。

 

テキパキと準備を進めていく。

その手際の見事さに、担任は口を挟むタイミングを失う。

主導権を明け渡すことで楽を得たのだ。

 

「伊藤、手伝う」

 

刹那が隣に立ち、誠が書き上げた短冊を丁寧に折っていく。

二人の間に流れるのは、感情ではなく、共通の目的を持つ作業者としての共鳴だった。

こうして準備が整うと、誠は教室全体を見渡して宣言する。

 

「ルールの説明だ。責任の所在を分散させるため、二重の抽出方式で行う。Aの箱にはクラス全員の出席番号が入っている。そして、Bの箱には『当たり』が2枚と、残りはすべて白紙だ」

 

誠はクラスの力関係を中和するように、引き役を指名した。

 

「Aの箱を引くのは黒田。誰かをランダムに決める役割。そして、Bの箱を引くのは、泰介。お前が運命そのものを引く役割だ」

 

指名された二人が戸惑いながらも前に出る。

Aの箱、Bの箱、そしてこのシステムを構築した誠。

責任が三点に分散された。

こうすることで、当選者が一人を一方的に逆恨みすることは困難になる。

人間は特定の一個人を責めるのは得意だが、責任が多層化すると、その圧力に沈黙せざるを得ない。

 

誠は、自らが敷いた論理の檻で、静かに箱を見つめた。

 

「それじゃあ、ちゃっちゃとやるわよ」

 

光がAの箱からくじを引いて取り出す。

その短冊の番号を読み上げると。

 

「えっ、アタシ!?」

 

甘露寺七海の出席番号だった。

信じられないという目で光を見つめる。

光はバツが悪そうに視線を逸らした。

親友の手によって、最初の生贄の候補が、白日の下に晒された瞬間である。

 

「次は俺だな。任せろ甘露寺! 俺が白紙を引いてやるからな!」

 

泰介はBの箱という運命に手を突っ込む。

その最中、七海が明らかに拒絶の目をしていた。

引くなよ引くなよと外れを願っている。

ゆっくりと手を引き上げていく。

彼の指先に握られていたのは……。

 

「あ……」

 

泰介の顔が、絶望に染まる。

彼が広げた短冊には、はっきりとこう記されていた。

 

『委員長」

 

やっちまった、と泰介は笑って誤魔化すしかない。

七海は絶望の表情を浮かべる。

だが、泰介を責めようにも、番号を引いたのは光だ。

責任の所在が霧に包まれ、怒りの矛先を失った七海。

ただ立ち尽くすしかなかった。

そしてその後は、延々と白紙が続く。

 

「誠、なんか白紙ばっかだぞ。本当に当たりあるのか?」

 

「ある。そのまま続けろ」

 

誠、刹那、田中、泰介、光も白紙。

呼ばれるたびに安堵が教室を通り過ぎる。

それと引き換えに、まだ呼ばれていない者の顔色が土色に変わっていく。

確率は、一回ごとに無慈悲に上昇していく。

そして……最後の一人となった。

 

「えっ……」

 

山県愛。

クラスの隅でいつも静かにしている眼鏡少女。

すっかり真っ青な顔色に染まっていた。

 

ひと思いに楽にしようと、光が最後の一枚を引く。

彼女の出席番号が呼ばれた。

自分の番号にビクリと肩を揺らし、泣きそうな顔で周囲を見渡す。

彼女のような自己主張の弱い人間。

この教室の集団心理においては、最も格好の生贄だ。

 

「山県、もしかしたら白紙かもしれねえから引いて確かめるよ」

 

泰介がそう慰めながら、残り一枚のくじを取りだす。

そこには。

 

『副委員長』

 

はっきりと書かれていた。

まさに公開処刑待ったなし。

残りものに福ではなく厄災があった。

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