if超かぐや姫 5人のかぐや   作:あいずーも

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一話

 三連休。カレンダーに赤い数字が三つ並んでいるのを見るだけで、眼球の裏側がじんと痺れる。

 慢性的な睡眠負債でドロドロになった二十七歳の脳みそにとって、それはもはや信仰の対象に近い。

 

「今日こそは……絶対に、死んでも一日六時間は寝てやるんだから……」

 

 固く心に誓いながら、私は生ぬるくなったエナジードリンクを胃に流し込んだ。

 

「……うぇ。なんでこれ、ぬるくなると三倍マズくなんの……」

 

 舌にへばりつく暴力的な甘さと薬品の匂いが鼻腔を抜けていく。

 二十代も後半になると、この手のカフェインは胃の粘膜を直接紙ヤスリで削ってくるような暴力性を帯びてくる。

 息をついて視線を上げると、壁中を埋め尽くす黒い演算機群が低い駆動音を唸らせていた。

 ここは地下のプライベートラボ。

 兄が「妹の狂気的な執念にベットする」とか何とか言って、億単位の金をポンと出して揃えてくれた機材たちだ。

 

『ヤオヨロー! いやはや、我が愛しの彩葉の執念、お見事・天晴れ・大明神! 

 まさか本当に神様のうつわをこの世にポンと出しちゃうなんて、

 ヤッチョの胸の鼓動もドンドコお祭り騒ぎだよっ!』

 

 頭痛をこらえる私の傍らで、ホログラムモニターに映し出されたAIライバー『月見ヤチヨ』──いや、八千年の時を越えて私を待っていた『かぐや』本人が、和傘を肩に担ぎながら無邪気に笑っている。

 

「……あのさあ。こちとらあんたのために、世間の女子が恋だの仕事だのに

 現を抜かしてる貴重な二十代を、まるごと全部ドブに捨ててんのよ。

 少しはプロデューサーの苦労を労いなさいよね」

 

『あははっ、平にご容赦! でもさ、そこまで人生賭けてくれるなんて、

 彩葉の愛の重さは蓬莱の玉の枝よりずっしりきちゃうね。

 ヤッチョの頭のからくりも、嬉しさで知恵熱が出ちゃいそう。ふふっ』

 

「知恵熱出す前にもう少し静かにできないわけ? 

 こちとらエナドリ五本目で胃が死にかけてんの」

 

『ひぇ〜、おばあちゃんみたいなこと言う〜』

 

「八千年生きてるあんたに言われたくないんだけど」

 

『あはは、たしかに。ヤッチョの方が大おばあちゃんだった』

 

「あっさり認めんな! おばあちゃん同士みたいな空気になるでしょ」

 

『え〜、いいじゃん。おばあちゃん仲間〜』

 

「よくない。私はまだ二十七」

 

 ……いや待って。八千年って実際おばあちゃんなのか? 

 宇宙の年齢が百三十八億年だから、八千年なんて誤差みたいなもので、

 そう考えるとむしろ若い方に……。

 

 何を真剣に考えてんの私。

 集中しよ。

 今日はそれどころじゃないんだから。

 くだらない思考を振り払って、部屋の中央に目を向ける。

 

 そこには巨大な円柱形の培養槽が鎮座していた。

 青白い光に照らされた羊水のような液体の中を、無数の気泡がゆっくりと昇っていく。

 そこに浮かんでいるのは、金色の長い髪を揺らした一人の少女──十年前、私の目の前からふっつりと姿を消してしまった、愛しくてたまらない人そのものだ。

 

 医学も科学も倫理もどうでもよかった。

 私のすり減った寿命の全てを注ぎ込んで、細胞から培養して創り上げた、かぐやのためのまっさらな肉体。

 

「……あんた、ほんとに昔と変わんないね」

 

 金色の髪が液体の中でゆらゆら揺れている。

 目を閉じた顔はびっくりするほど穏やかで、温かい布団の中でぐっすり眠っているみたいだ。

 

「ねえ、起きたらまず何したい? ……私はね、パンケーキ焼きたい。

 あの、水と粉だけの、めちゃくちゃチープなやつ」

 

 返事はない。

 当たり前だ。

 ここにあるのはまだ空っぽのうつわで、かぐやの声はホログラムの向こう側にしかない。

 わかってる。

 わかってるけど。

 

「……十年分、話したいことが渋滞してんの。

 くだらないことばっか。今日の天気がどうとか、

 コンビニの新作がおいしかったとか、そういうの。

 ……全部、画面越しじゃなくて、隣で、聞いてほしいの」

 

 指先がガラスの表面をゆっくり滑り落ちる。

 

「だから、ちゃんと帰ってきなさいよ。……お願いだから」

 

 少しだけ声が震えた。

 だめだめ。

 泣きそうな顔でお迎えなんてかっこ悪い。

 一つ深呼吸して、ガラスに当てた指先をぱっと離す。

 

「お迎えの準備はできたよ、かぐや」

 

『うんっ! それじゃあ、長〜い長〜い月の都でのお留守番はこれにておしまい! 新生かぐやの現世へのおでまし、いざ盛大に、はじまりはじまり〜』

 

 ヤチヨがいつもの配信のように、元気いっぱいに宣言する。私はデスクの前に座り直し、キーボードに両手を置いた。

 ディスプレイには、仮想世界《ツクヨミ》の最下層からヤチヨ(かぐや)の魂をすくい上げ、目の前の生身の肉体へと注ぎ込むための最終工程が表示されている。やることは単純だ。

 

「いくよ」迷いなくエンターキーを叩いた。

 

 乾いた打鍵音がラボに響き、周囲の機械が重い唸り声を上げる。

 培養槽の真上に設置された空間投影装置から眩いほどの純白の光が降り注ぎ、ゆっくりと水中の少女の胸元へと吸い込まれていく。

 ずっと暗い場所で待たせてしまったかぐやが、ようやく私の手の届く場所へ降りてくる。

 

 どうかそのまま目を開けて。

 祈るように両手を組んで息を止めた。

 

 ──その瞬間だった。

 

 培養槽の中の肉体が、不自然な角度で激しく海老反った。

 大量の気泡が吹き出し水面が荒れ狂う。

 生命維持装置のモニターが耳を劈くような警告音を鳴らし始め、肉体が全身の骨が軋むような恐ろしい動きで身悶えしている。

 吸い込まれようとしていた純白の光が激しく明滅し、肉体の表面で弾かれ始めていた。

 

「や、やめて、待って! 何これ!?」

 

 制御盤に飛びついた。

 生体数値がおかしい。

 正常範囲を飛び越えて、見たこともない桁を叩き出している。

 

『あれ……あれれ、こりゃだめだ』

 

 モニターの端でヤチヨの輪郭が崩れ始めていた。

 

「なんで……全部合ってたはずでしょ……!」

 

 ヤチヨに振り向きたい。

 でも制御盤から手を離せなかった。

 数値の出どころを辿る。

 細胞組織の応答パターン、神経接続の同期率、どれも設計通りに組み上がっている。

 壊れている箇所が見つからない。

 

『ん〜……ヤッチョにもよくわかんないけど、なんかこう、うまくはまんないみたい。靴のサイズが合わないときの感じ?』

 

「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! 今すぐ調整するから、耐えなさい!」

 

 培養槽の中で、肉体がまた大きく痙攣した。

 生命維持のグラフが一段階落ちた。

 直せる。直せるはず。でもどこを? 

 もう一段グラフが落ちた。考えている時間がない。

 このまま原因を探り続ければ肉体が先に保たない。

 強引に工程を断ち切ろうとした直後、肉体に収まるはずだった光が、衝撃と共に弾け飛んだ。

 

 赤、青、黄、緑、紫。

 

 五つの色彩に散ったそれは、空中でふらふらと漂うと、お互いを探し求めるように天井の光ケーブルへと吸い込まれ、あっという間に《ツクヨミ》の広大な仮想の海へと逆流して消えてしまった。

 警告音が鳴り止む。

 静まり返ったラボの培養槽の中で、かぐやの肉体は再び静かな眠りにつき、ただの空っぽの人形に戻っていた。

 

『……彩葉のパンケーキ、食べたかったな』

 

 ヤチヨの消え入るような声を最後に、ホログラムの通信も完全に途絶えた。

 私は冷たい床にへたり込み、赤く染まったモニターを見つめた。

 パニックになりそうな頭を必死に押さえつけ、滝のように流れる文字列から現状を読み解いていく。

 

 飛散した五つの光を探し出し、焼け焦げた機材を直して途切れた経路を強引に繋ぎ直すための修繕費。

 それを計算し、私は息を呑んだ。

 導き出されたのは、目が眩むような莫大な金額だった。

 私は暗算で弾き出した天文学的な数字の羅列を見て、床に座り込んだまま思わず乾いた笑いを漏らした。

 お金なら兄が出してくれた。

 肉体も私が執念で作った。

 

 なのに最後の最後で理が狂い、今度は自力で途方もない額の修繕費を稼ぎ出さなければならない。

 まともに現金をかき集めていたら何年かかるか分からない。

 手っ取り早く稼ぐなら、十年前と同じように仮想世界で『ふじゅ〜』を荒稼ぎして、すべて支払いに充てるのが一番早い。

 

「……こちとら必死に学費稼いできたっていうのに、今度は機材の修繕費稼ぎかよ……」

 

 立ち上がり、ゴミ箱にエナジードリンクの空き缶を乱暴に投げ捨てる。

 待ちに待った私の三連休は完全に終わった。

 でも、不思議と絶望はなかった。

 必要なコストを払えばかぐやは私のところに帰ってくる。

 やるべきことが明確になっただけだ。

 

 私はデスクの引き出しを開け、黒い専用ケースを取り出した。

 中にはオレンジ色の光を放つスマートコンタクトレンズが静かに私を待っている。

 世界中を巻き込んで莫大な『ふじゅ〜』を稼ぐ。

 愛するかぐやをこの手に取り戻して本物のパンケーキを一緒に食べるためなら、私の睡眠時間も残された二十代の有給休暇も全部くれてやる。

 

「待ってなさいよ、かぐや」

 

 目にスマコンをはめると、視界の端に起動のサインが走り抜けた。

 

「また私が、あんたをプロデュースしてあげるから!」

 

 私はまぶたを閉じ、意識を光の奔流へと乗せて仮想世界《ツクヨミ》へとダイブした。

 凄腕プロデューサー『いろP』の、十年ぶりの帰還だった。

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