同居人+1   作:CBR

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10話 バック・トゥ・ザ

 夜寝る時、小さな明かりを付ける派か、それとも付けない派か。

 

『私』は小さな明かりを付けておき、100均で買ったアイマスクを装着して眠る。だったら最初から真っ暗闇にして眠ればいいだって?

 小さな明かりは『安全』という保険だ。その明かりがある事によって、私にとってのベストな睡眠環境が成立する。

 さあ、あとは寝るのみ。スマホのアラームをセットして、安全圏の中で眠りにつくべし。

 瞼を閉じれば闇がある。自分の呼吸の音とCASIOの秒針を聞きながら、寝ることに集中しようとした意識は5分が経ち、10分が経ち、30分が過ぎたあたりで「はたして人間はどうやって寝るのか?」という難題にたどり着く。

 脳からメラトニンが分泌してとか、そういった理屈じみた考えは余計に頭を使って眠れなくなるので、ひたすら己を無にする。

 無とははたして。『無い』っていうのは何なんだ? 無いっていうのは意識が無くなるってことで、死ぬ時も意識ごと命が無くなる。

 なら睡眠は死ぬことに似ているんだろうか? 死ぬのは怖い。誰だってそうだ。

 死は子どもの頃から恐ろしかった。

 自分()という人間がこの世から消えることが恐ろしかった。

 

 

 

 くらやみが、

 

 そこに。

 

 

 

 

 

『────死にたく、ないよ。ネモ………』

 

 

 

 

 

 声がした。私と同じように『死』を恐怖している子どもの声だ。

 耳に馴染んだ声だが、それが誰なのかはいまいち思い出せない。ただ、一つ分かったのは──、

 

 私が『ネモ・テルツォ』という人間であることだった。

 

 

 

 

 

 ◯

 

 

 文字どおり「ハッ!」と目を覚ました私は飛び起きた。その拍子にガチャガチャと騒がしい音が鳴る。

 

「ここは…どこだ? 白い部屋? ……痛ッ!」

 

 手の平に痛みを感じ見れば、何か鋭い刃物で切ったような傷が無数にあった。流れ落ちた血が白い床を汚している。

 ガチャガチャと音を立てていたのはガラスの破片だ。手に取ってみたが何の変哲もないただのガラスで、映し出されたその中には顔が半分以上崩壊している人間の顔があった。

 

「怖ッ!」

 

 思わず破片をぶん投げた。床を滑っていったそれはベッドの下にゴールインする。

 もしやあのガラスの破片に映った顔は私の顔なのか?

 触れてみるとやはり無い。こうして『視る』ことができているのは、幸いにも片目が残っていたかららしい。

 

 

「ようやく起きたか」

 

 

 ふいに声がした。私以外にもこの部屋に人がいたのか。部屋といっても、この部屋には扉も窓もないのだが。

 声の正体はベッドの上からである。先ほどは気づかなかったが、この白い部屋にさながらカメレオンのように真っ白なシーツをかぶって壁と同化している人物がいた。

 声は低く、成人の男のもの。シーツの盛り上がりも大・中・小から選べば「大」だ。

 

「君は誰だ? 私は『ネモ・テルツォ』だ。…おそらく」

 

「………」

 

「君は……もしやかなりの恥ずかしがり屋か?」

 

「オレに名はない」

 

「え? ああ……そうなんだ…」

 

 気まずい空気が流れる。私は……私も自分についてよく思い出せないのだが、彼ももしかしたら──そう、そうだ。記憶喪失というものではないのか?

 

「…この破片を片づけろ。これでは歩くこともままならない」

 

「私が倒れている間に君が片づければよかったんじゃないか?」

 

「汚した自分で片づけろ。それに万が一オレが怪我をしたらどうする」

 

 私は仕方なく手で破片を拾い集めた。「ほうきがあったら便利なのに」と想像すると、不思議なことに次の瞬間には自分の手にほうきが握られている。

 それで破片を集め、ゴミ箱に捨てた。

 

「あれ?」

 

 アハ体験みたいに(アハ体験とは?)、いつの間にか部屋の中央にテーブルとシックなダイヤル式の電話がある。

 似た形の電話をどこかで見たことがあるような……ないような。

 

「かけろ」

 

 相変わらず名無しの彼は命令口調で指示を出す。

 いったい私に誰にかけろというのか。チラリと視線を向けたが、シーツの中から片目がこちらを見つめるのみで、それ以上の指示はない。

 

「………」

 

 手が自然に動く。ダイヤルを回して、しばらくの間ののちに繋がる。

 少年の声がした。私はその声を聞いたことがある。ついさっき、夢の中で聞いた少年の声だ。

 

『へぇー、これがスシかぁ!』

 

 元気なその声に、胸の中に温かな感情が生まれた。まるで自分の子どものような──いや、自分に息子はいなかったような気がするが。

 

 その少年は今まさに、レストランで寿司を食べようとしている。寿司は美味いぞ、と私はなぜか断言できる。

 

「よくは分からないんだが……、私は戻ることにするよ。君はどうするんだ?」

 

「………オレはここにいる」

 

「君は社会不適合者なのか? まあ私もそうである可能性があるが」

 

 この場にいた方が彼が『安全』を得られるなら、それでいいだろう。

 ガラスの破片で傷つくことを恐れるくらいのメンタルなのだとしたら。

 

「じゃあ、私は行くよ」

 

「………」

 

 返事はない。

 現れた扉から外へ出る時、シーツの中にこもる彼が私にはどうしてか、少し寂しく感ぜられた。

 

 

 

 

 

 

 

『寿司にソースをかけるなあああああっ!!!!!』

 

「うわっ!? ビックリした!」

 

 

 

 

 

 ◯

 

 

 一つの体に複数の精神が宿る病気。それが私や『彼』、それに精神世界と呼ぶべき場所にいた謎の男の症状だった。

 彼から私が神父に頼んでいた本を読んだ限り、私に記憶がなくなっているのも何かしら病が起因しているのかもしれない。

 

「僕もアイス屋に行ったあの日の記憶が途中からなくてさ。どうしてボロボロになって家の前で倒れてたのか、さっぱりだよ」

 

 彼が肩を竦めてみせる。その姿はドラマの役者のように大仰めいている。

 

『待て、ボロボロになって帰ってきただって?』

 

「そうだよ。周囲は僕が大人に粗相をして殴られたんじゃないかって」

 

 彼がそそっかしいのはまだ間もない同居生活だが何度か目の当たりにしている。その度に体が勝手に動き、彼を守る動作を取っていた。

 

『「シビル」にもあったが、私や君が知らない記憶をアイツが持っているんじゃないか?』

 

「アイツって?」

 

『知らないのか? 我々のもう一人の同居人だよ』

 

「…………えっ!!?」

 

 なんだ、彼はあの男──「あの男」じゃ殺風景だから、『慎重居士(しんちょうこじ)』とでも呼ぼうか──を知らないのか。

 

『おいやめろッ、オレに変なあだ名を付けるんじゃあない!』

 

「あり得ない! だって僕らは今まで僕とネモだけだったはずだよ!!」

 

『シビルでもあったが、主人公は過去の虐待が原因で人格が増えてしまったわけだろ?』

 

 私たちは彼女のように凄惨な過去を持っているわけではない。しかし逆を言えば、そのような過去がない状態で精神が複数ある私たちには()()()()()()()()があると考えていい。

 ならば彼と私は口にするのも恐ろしいような体験をし、それが原因であの慎重居士が生まれてしまったのかもしれない。

 

『だから人の話を聞けェ…!!』

 

「僕もシンチョーコジさんに会えるかな?」

 

『やつは私たちの精神世界…のような場所に引きこもっていた。あの世界にどうやって行くかも分からないしな…』

 

『………』

 

 まあ流れゆくサルディニアのあの白い雲のように、なるようになれ、といったところか。

 私が記憶を失ったことや同居人が増えたことも。

 

「ネモは相変わらず楽観的だなぁ」

 

 そう言った彼は、心底嬉しそうに笑っていた。

 

 ちなみに私はこの後彼からローマ近くの田舎町で出会った「ヤバい少女」の話を聞き、はじめての一人暮らしでゴキブリに出会してしまった時のような恐怖を味わうことになる。

 

 いや、この少年の精神も大概おかしかったのだが。

 

 


 

 ・ネモ・テルツォ

 記憶が無くなっているが、現状に特に困っていない。時折「ニート」だったり知らないはずの単語がその意味もセットで出てくる。

『彼』が車に轢かれそうになったり、階段で足を滑らして転がり落ちそうになるたびに肝を冷やす。

 

 ・『彼』

 ネモの記憶が無くなっていたが、まあ戻ってきたしそれで十分かなあ、な軽い気持ち。悩み込んでもしゃあないし。

 最近悲しかったことは、久しぶりに行ったアイス屋のお姉さんが辞めていたこと。

 

 ・『慎重居士』

 これでガキのお守りをせずに済むと思っていたら変なあだ名を付けられた。電話をかける時もベッドから動かない。

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