同居人+1 作:CBR
ライトの光が天井から降り注ぐ中、深夜にも関わらずそこはアルコールとともに熱気渦巻く舞台へと変わる。
人々が歓声をあげる中心で、ダンサーはポールと絡み合いながら自分のドレスに手をかける。
「なあ、俺の上で踊って見せてくれないか?」
「プライベートなお願い? えぇ、いいわよ」
ただし、と女は座る客の上に跨りながら持ち上がりかけた手の甲をつねる。
「お触りは禁止よ」
奥で黒服が様子を窺っていることに気づいた客の男は、「もしかしてチップを挟むのもなしかよ!」と悪態を吐いた。
◯
サンタレディが再び現れたのは5月の頃だった。ちょうど3か月周期で訪れている。
「もし時間が空いているなら海に行きませんか?」
「海? いいわよ」
ここから一番近い海はコスタ・ズメラルダだ。タクシーで向かいながら私がサーフィンが好きであることを話したところ、「貢がせたいの?」と言われたので慌てて首を横に振った。
「サーフィンが盛んなのは
「ええ、でも子ども一人で車で何時間もかかる場所に行けないですから」
「そうなのよぉ。
それからタクシーでぼったくられそうになる場面もありつつ、海岸に着いた。
これまた高級そうなカバンでタクシーの顔面をぶん殴ったレディは、ヒールの音を響かせながら私の隣に立つ。
潮風が吹き、サルディニアの風がこの体を包み込む。抱擁されているような感覚を味わいながら横目でレディを見た。
エメラルドグリーンの海をじっくりと眺めていた彼女は、ヒールを乱雑に脱ぎ飛ばし、私の手を握る。えっ?
「行くわよ!」
「ちょっと待ぁ──っ!?」
まだ靴も脱いでいないのに私は海藻女にさらわれ、海の中へとダイブした。
尻もちをつくことになったせいで、ズボンどころかパンツまでもびしょ濡れになる。ため息をつく私に、レディはおかしそうに笑った。
「海で遊ぶなんて子ども以来だわ! ちょっと楽しくなってきちゃった」
「水着は一応穿いてきたけど、手加減してくださいよ…」
レディは水着を持っていなかったため一方的に水をかけられたり、『彼』と一緒に砂の城を作って遊んだ。
遊んでいるうちに時間はあっという間に過ぎていき、蒼い海が赤い色に包まれる。
砂にすっぽり埋められながら、私は地平線で揺らぐ灯火を見た。
「あんたって……やっぱり変な子ね。キザったいイタリア男みたいだと思ったら、急にガキになるし」
目の前でコロコロと彼と私が行き来していれば、そりゃあ当然訝しまれるわけだ。
彼は不安に満ちた表情で私とレディの顔を交互に見る。
「
問うた。彼女は地平線から視線を移してこちらを見る。
「逆にそれでまともだって言う方が無理があるんじゃない?」
「まあ…そうですけど」
「髪の分け目もヘンで、性格も変。きっと生まれた時から………生まれる前からあんたは変だったのよ」
『……っ』
彼の目に涙が浮かぶ。違う。楽しい思い出を作ろうと海に来たはずで、君を──この子を泣かせたかったわけじゃない。
ああ、頼む。泣かないでくれ。
「じゃあ僕は、親に愛されてなかったの?」
争ったが、肉体の主導権を奪われる。
彼は鼻水をすすりながらレディを睨むように見つめた。進行形で彼は砂の中に埋まっているから、状況と内面のギャップがえらいことになっている。
「僕は『変な子』だったから…、普通の子どもじゃなかったから親に捨てられたの?」
「……さあ、私が知る由はないわ」
「答えてよッ!!」
海藻のごとき髪が吹き込んだ風にさらされて、生き物のようにうごめく。空中が水中であるかのように。
「………神父様から聞いたことないの? あんたの生い立ちとか」
「知らないよッ。義父さんはもう少し、あともう少し大きくなってからって、いつも…」
「……そう」
レディは遠くを見つめた。その目が見つめる先はしかし海ではなく、もっと遠いどこかを見つめる。
「…私は
「ッ!」
「あんたの親はあの神父様なのよ。あんたをここまで立派に育ててくれたのは…それは分かるでしょ?」
レディの手が彼の──私たちの両頬を包んだ。まっすぐな目で、レディ自身も目尻に涙を浮かべて。
「あんたは変な子だけれど、普通の子よ。鈍臭くて、サッカーが大好きで、キザだったり生意気ながきんちょだったりする……親から愛されている、ただの子どもよ」
夕暮れがちょうど影になりその表情が隠れてしまったが、女は微笑んだのだろう。さざなみの中に吹き飛んだ滴のかけらが混ざり込む。
「女は海」と言うらしい。どこかで聞いた覚えがある。イタリアだと「
(なるほど確かに。『女は海』だな)
包み込むようなこの感じは海と呼ぶに相応しい。
まあ、アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』では海を「la mar(女性名詞としての海)」と呼び、慈しみと同時に時に残酷な気まぐれを見せる女性のような存在として扱っている。
一面だけでは女を語れない。まさしく深い。海のようである。────が、
こうして溺れるのも、悪くない。
◯
あの日以降3か月経ってもレディは現れず、彼は中学校(Scuola Media)に進学した。
中学は成績が悪ければ普通に留年するので勉学により励まなければならない。あまり勉強が好きではない彼は憂鬱そうだった。
私も留年は嫌だから最悪手を貸すよ。できることなら彼の実力で頑張ってもらいたいが。
イタリアの義務教育は中学までで、その後はリセオ(進学校)に行くか技術学校に行くか、自分の将来に沿って進路を選ぶ必要がある。
14歳は大人になる節目だ。単独で飛行機に乗ることも、ディスコに行くこともできるようになる。
彼は「サッカー選手になりたい」と思っているが、現実的に考えると難しい話だった。それは本人も薄々分かっているようで、進路の話になると随分と悩む。
「ネモは寿司職人になりたいんだっけ?」
『おいおい、私はそんなことを言ってたのか?』
「言ってたよ。将来を考えるなら……船乗りの方がいいのかなあ」
船乗りをしつつ、寿司職人を並行して学んではどうかと。そうなるとジャッポーネに行く必要があるなあと彼は呟き、金銭を工面するためにバイトする必要があると犬のように唸る。
『割と本気で寿司職人になってもいいが、私はお前の希望を優先するよ』
「でも、
『私は寿司さえ食えればいいんだ。三食寿司だっていい。船乗りなら三食寿司を食べるのは余裕だろ?』
「……ねえ、やっぱりサッカー選手を目指すのはナシ?」
『それはお前が決めることさ』
「うわぁ……!!」
頭を抱えて一所懸命に自分の将来について模索する。私の記憶は中途半端になくなってしまったが、彼の成長を心から望んでいるのは間違いない。
◯
田舎は娯楽が少なく、時間を潰すなら外で遊ぶに限られる。
休日のまとまった時間でサーフィンに行くこともあったが、私は家でゆっくりと過ごす時間も愛していた。
ボードゲームも彼がいるので二人で楽しむことができる。大概私が勝つので彼がぶすくれてしまうことが多い。加減すると、それはそれでバレるとさらに怒ってしまうから面倒ものだ。
『ネモは本が好きだねぇ』
(別に好きってほどじゃない。暇な時に読むのにちょうどいいってだけさ)
小さな村に図書館はなく、隣町まで遠出をする必要がある。
図書館は古い造りで、西洋じゃよく見かける古き良き、な感じだ。
選ぶ本は適当に。時折彼が興味を持った本も選び、貸し出し限度冊数まで借りる。
「一冊多いですよ」
「あっ、すみません。気づかなかったな」
彼が選んだと思しき見覚えのない本は残して、適当に自分が選んだ本を一冊返却した。
バックパックに本を詰めるとずっしりと重さがのしかかる。第二次性徴期まだ本格的に始まっていないこの体にはなかなか辛い重さだ。
『帰りはアイス屋に行く約束だからね!』
「へいへい。分かってますとも」
借りた本は基本、夜寝る間に読むことが多い。
就寝前のちょっとした儀式のようなもので、文章に目を通すことでいい具合に睡魔が来る。
「彼はもう寝たか…」
睡魔に関する私たちの精神と肉体がどのように連結しているかは興味深くあるが──、そんなことを考え始めたら眠れなくなりそうだ。
寝る前にトイレに行き、手を洗った。その途中で義父の部屋から明かりが漏れていることに気づく。
(おやすみくらい言っておくか)
そう思い、義父の扉をノックした。気づいた義父が私を部屋に招き入れる。どちらか言わずとも私が「ネモ」だと分かった。
「どうかしたのかね?」
「ああ……おやすみを言おうと思って」
「そうか。………そうだな」
義父はチラリと時計を見て、私に視線を戻す。彼はもう眠ったのかと聞かれた。
「私が本を10ページめくったあたりでぐっすりと」
「よければ少し話をしたいんだ。お前たちも中学生になったことだし…」
何か大切な話だということはわかった。それも、私たちのことに関するもの。
「でも、『彼』は眠っていますよ?」
「……お前に先に話しておきたい。あの子は君よりも幾分か幼いからね」
義父は私に紅茶を用意し、ソファーに腰かけてポツポツと話し始めた。
それは、私たちの生い立ちに関してであった。
●
その赤ん坊は夏のある夜、孤島の女子刑務所で母親の胎の中から生まれた。
母親は強盗と傷害の罪ですでに2年服役していた受刑囚。そして赤ん坊の父親である存在も2年以上前に亡くなっていた。
さらに不可思議だったことは、妊娠の兆候がなかったその母親の腹が一夜にして膨れたことである。
赤ん坊が生まれた当初、看守だけでなく母親までこの赤子が何か、『異質な』存在であると感じた。
子はそのまま母親の出身地であるサルディニアの、小さな田舎町に引き取られることになった。
引き取ったその人物こそ、ネモに経緯を語った神父である。
話を聞いたネモはしばらく呆然としていた。そして義父の顔を見、唾を飲み込んで視線を彷徨わせる。
「自分たちのことながら、人間じゃあないみたいだと思っちまったんですが……あなたは、その…」
「お前たちを恐れているかどうか、ということかな?」
「……ええ」
「ならば答えはNOだ。私はもっと恐ろしいものを知っているからね」
神父は紅茶のおかわりはどうかと尋ねた。夜中にトイレが近くなりそうだと思ったネモは断る。
「神父様が彼に言い淀んでいた理由もはっきりとしました」
「ネモがいいと思うなら、伝える所存だよ」
「…いえ、まだ彼が受け止めるには尚早な内容だと思います」
母親が囚人であったことや、何より自分が異質な生まれ方をしていること。ネモの脳裏には二つの言葉がよぎった。しかしすぐに首を横に振る。
「その……一ついいですか?」
「何だい?」
「私たちの実の母親は…私たちがここに住んでいることを知っているんでしょうか?」
「そうだな…仮に知っていたとしても、サルディニアの神父の元に預けられたということくらいだろう」
「そうですか……ありがとうございます」
偶然出会ったのか、はたまたあのレディが何年も前から自分たちを探していたかはわからない。
しかしその愛情は本物なのだろうと、ネモは確信を得た。