同居人+1   作:CBR

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週1投稿が大変そうだったら…か、隔週くらいで…。


17話 裏切り、(さんかく)

 手がビリビリと痺れる。その痺れが腕を伝わり鎖骨を伝わり、脳へと行きつく。

 肺に酸素を送るのが難しく、眼球が燃えるように熱い。私は今自分の踵を地面にくっつけているのか?

 世界がマーブル模様を描くが如く、歪んだ波に沿うように自分の体が傾く。

 ただ現実──精神世界で「現実」という表現が正しいのか疑問であるが──の私は、地面と垂直を保って立っていた。

 

「お前はバカだよ」

 

 不幸続きの時に「このつぼを買えば…」なんて話を持ちかけられたら、喜んで買ってしまうような人間だ。

 よく転び、よくぶつかり、よく死にかける。

 赤ん坊と同じで目が離せないせいで、こちらの気苦労は増すばかりだ。

 

 そんな君も少しずつ大人の階段を登っていたんだ。いつかその隣には素敵なレディが立ち、私は時折おせっかいを焼くくらいの立ち位置で平凡だが幸せな毎日を遅れたら、それ以上の望むことはな……いや、最低でも一週間に一度は寿司が食いてぇな。毎日でもいい。

 

「本当に、バカだよ……」

 

 彼の体は地面に転がっていた。あたりには硝煙の匂いが漂っている。

 握っていた銃が手からこぼれ落ち、地面に落ちた。

 

 彼の頭は左半分が大きく欠け、砕けた破片が散乱している。さながら肉体は陶器のようで、内側がぽっかりと空洞になっていた。

 うめき声も聞こえず、指はピクリとも動かない。瞳はかすかに開いていて、口元は私が撃つ前の表情のままだ。

 

 その笑顔の意味は何なんだろうな。何だろうか。うまく思考がまとまらない。

 

 頭を撫でようとしたらヒビの入った部分が崩れ、パラパラと地面に落ちた。

 

 さっきは涙が出ていたのに、今の私はこの空洞のように空っぽだ。罪悪感や後悔が私の内側にあるはずなのに、頭が動いていないからその感情を処理できない。

 

「なあ……自分が『死』なないためにお前を殺せてしまう私は、本当に悪魔なのか?」

 

 返事はない。ただの屍のようだ。

 

 この子を屍にしたのは私だ。

 

 

「ごめん、なぁ…」

 

 

 これで終わりではない。私には彼の記憶を選別する作業がある。

 震える指で破片を一つ摘み、そしてまたもう一つ摘む。

 

「えっ」

 

 そうして破片を分け始めたその時、彼の片目がギョロリと動いた。

 

 その瞳に宿るのは、真っ直ぐに立てない小根の曲がった(さんかく)のマークである。

 

 

 

 

 

 ●

 

 

 時刻は8時に差しかかろうという時間。

 タクシーから降りた女は運転手を上で待たせ、下でモールス信号を刻むように数回点滅した場所へ向かった。

 懐中電灯を忘れたまま、月明かりを頼りに慎重に階段を下った。

 

「待たせてごめんなさいね」

 

「いえ、わたしも先ほど着いたばかりですよ」

 

 暗がりで転ばないようにとの配慮か、手が差し出される。彼女はお言葉に甘えてその手を握った。

 

「こうやって握ってみると、私と同じくらいか…それより少し大きいのね」

 

「ああ…確かに身長は最近伸びてますよ」

 

「何年か前はもっと小さかったのにね…」

 

 目線はほぼ同じだ。この年頃の少年はちょうど第二次性徴期の盛りであるから、身長はもっと伸びるだろう。

 彼女の記憶が触れた手を通してフラッシュバックする。

 獄中で産んだ我が子。その手は同じ人間なのか疑わしくなるほど小さく、熱くて、心が満たされていた。ただ一方で、頭は一夜にして急激に膨らみ赤ん坊が生まれたことに恐怖を感じていた。

 

「不思議よね」

 

「何がですか?」

 

「人間でも動物でも、子どもを産むと母性本能で頭が支配されるんだから」

 

 いくら『異質』な赤ん坊でも、自分の胎から生まれたことで脳も体も母親の構造につくり変えられる。

 獄中の中で彼女は、自分の赤ん坊と離れたくないとベッドのシーツをつかんだ。だがそれは叶わない。彼女が罪人であったからだ。

 

「冷静に考えると生き物を作り変えてしまうのって、グロテスクだと思わない?」

 

 例えばムカデも母ムカデが子どもに自分の体を食わせて死んでいく。

 ここには生存競争の策略があるにせよ、人から見ればその姿は子のために自分の体を捧げる

 ように見えるだろう。

 

「自分で言うのもなんだけど、私は母親向きの性格ではないのよ」

 

「どうしてそれをわたしに言うんですか?」

 

「…いや、独り言みたいなものよ。気にしないでちょうだい」

 

 まるで言い訳のように彼女は語っていた。

 母親の資格がないから、自分が産んだ子どもに盗みをさせることは罪ではないのだと。

 彼女のうちにある良心が痛んでいる。

 

「わたしには親の愛情というのはよくわかりませんね」

 

「そりゃあ、まだ子どもだもの」

 

「でもそれはきっと、素晴らしいものなんでしょう」

 

 微笑んだ少年の顔を見た彼女は、苦笑とも似つかぬ曖昧な笑みを浮かべようとして、止まる。

 それは『年上の方』の息子が浮かべる人当たりの良さげな笑みだ。『年下の方』と違っていつも猫をかぶっている。

 その笑み。だが拭いきれない違和感がある。気づかないうちに人形の髪が数ミリだけ伸びているような。目に見えているはずだが気づけないほどの違和感。

 

「どうしたんですか?」

 

「いえ……」

 

 しばし沈黙したのち、彼女は口を開いた。

 

 

「あなた誰?」

 

 

 少年の目が丸くなる。その表情だけは上下の息子たちに似ていた。

 その次の瞬間に変わった表情は、まったく知らない別人のものになる。

 

「なるほど。()()が親の情というものか」

 

 同じ肉体でもその内側が変わることにより、顔の動かし方ひとつ大きく変わる。

 彼女の目の前にいる『人物』はあの二人ではない。こめかみからじっとりした汗が流れた。

 

「あの子たちに変われないの? 私、あなた?…と、お話ししたことないし…」

 

「わたし()貴方の子どもなのだろう? なぜ後ろに逃げる?」

 

「それは……」

 

 赤ん坊の時から『異常』だった我が子。しかしどんなに異常でも、その子どもは自分の血を分けた存在である。母親の本能が「愛しさ」を感じさせる。

 だがこの少年を前にした時、彼女を支配したのはあの恐怖である。異質な赤ん坊に対して抱いたあの恐怖だ。

 

「私…は、お金を受け取りにきたの。持ってきてあるんでしょ?」

 

「ああ」

 

「私ね……期限までに借金を払えないと、どうなるか分からないの。ヤク中にされて、廃人になってしまうかもしれないのよ…」

 

 彼女には金が必要だった。婚約者の命を救うには、あと500万リラがどうしても必要だった。

 そのためにドレスもアクセサリーもすべて売った。彼女に残されていたのは着の身着のままの衣装とわずかな金銭のみ。

 彼が教会に献金があることを教えてくれなければこの計画を思いつかなかっただろう。

 

「私を助けて欲しいの。お願いよ……お母さんの一生のお願い」

 

「助けたら、()()も一緒に暮らしていいの?」

 

「……! え、ええ。もちろんよ! こんな田舎より、都会の方が刺激も多いわよ。二人で…そうね。パン屋なんてやりながら生活するのも悪くないわね」

 

 夜の世界は満たされるが、その内側はどこまでも空虚である。空っぽの彼女にそこは居心地が良かったが、時折昼の街の姿を見ると眩しくなる。人工の灯りに照らされたものではない、自然な光が溢れ、人々の営みが築かれている。

 行きつけのパン屋で働く女を見ると、自分が犯罪を犯していなければ、今頃は息子を養いながら懸命に働いていたかもしれないと思った。

 

「…母さん」

 

 息子が彼女の胸に飛びつく。

 彼女はヘンテコな分け目を見ながらその頭を優しく撫でた。

 

 愛に飢えた、愚かで愛おしい息子。

 

 彼女は声色を柔らかくする。

 

「ねえ、愛しい私の×××。荷物はどこにあるの? 母さんに教えてちょうだい…」

 

「……荷物は盗まれたら大変だから、岩の後ろに隠してあるんだ」

 

 こっちだよ、と息子が手を引き彼女を大きな岩の後ろに案内する。

 

「うわっ!」

 

「もう…気をつけなさいよ」

 

 暗がりのせいか、石の地面に足を取られた息子が滑って転びそうになったところを彼女が寸前で引っ張り助ける。

 本当にそそっかしかった。この子どもは。

 

 荷物は確かに岩の後ろに隠してあった。彼女はバックパックを開き、中身を確認する。厚さある束が5つ。10万リラ紙幣ではなく1万リラ紙幣の束が100枚ずつといった具合だろう。

 

 彼女は自分のカバンに金を入れようと膝の上にそのカバンを置いた。

 

 背後から手がゆっくりと伸びる。

 

 彼らの頭上では空全体を覆っていた雲が流れ、ちょうど二人に月明かりが差し込んだ。うなる波の音が響き渡る中、ふいに少年の動きが止まる。

 

 彼の視界が吸い込まれたのは、女のバッグの中身だった。

 

 

 

「その時計はなんだ?」

 

 

 

 低い、男の声だった。

 背後から聞こえたその声に彼女の肩が跳ねる。とっさに振り返ったそこにいたのは息子であったが、息子ではない。

『あの子』に変わっていなかったのか? 彼女は混乱する。

 

「ラピスラズリの文字盤……前に腕につけていた時計か」

 

「ッ……!! ちんぽ触ってもろくに洗わなそうなその小汚い手でッ! あたしの腕時計に触るんじゃあねェわよォ────ッ!!!」

 

 彼女は奪われた時計を慌てて引ったくり、自分の胸に抱える。その取り乱しように少年は鼻で笑った。

 

「見下げたものだな。それ一つで500万リラはくだらなそうだが」

 

「これはあたしの『象徴』なのよッ!! 命にだって変えられないものなのよ!!!」

 

 美しい相貌を歪め、血走った目で自分の息子を睨みつけるその姿は醜悪のひと言に尽きた。

 少年はバッグから金を戻し、バックパックを閉める。

 

「あっ! あたしのお金!!」

 

「……吐き気がする人間というのは、貴様のことを言うのだろうな。醜く、汚い」

 

 少年は手を伸ばしてきた女の手を踏みつけ、もう片方の足で頭を踏んだ。

 

「お前は所詮、人間社会の底辺なんだ。弱者は弱者の身の程を知れ」

 

「ハッ……! だったらあんたはその弱者から生まれた同じ虫ケラだろうがよォ!!」

 

「違う。オレは『選ばれた人間』だ。『選ばれた人間』は貴様らのような弱者にはなり得ない」

 

 きっと頂点に立ち、人々を意のままに操ることだってできてしまうだろう。圧倒的な優越感。それがこの少年の内側に存在する。

 

「ね、ねえ…お願い! 行かないでよっ!! あたし使い倒されたら、最後はバラバラにされて内臓が売られちゃうかもしれないわ!!」

 

「気絶させて運ぶ算段だったが……」

 

「ねえってばァ!!!」

 

 女の手が少年の足をつかむ。眉を寄せた少年の目がその時ギョロリと動いた。

 まるでテレビの映像がブレたかのように。瞳孔は上を向き、白目に変わる。

 

「……ろ、してやる」

 

「へ、えっ?」

 

 少年の手が、女の首をつかんだ。

 

 

「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる」

 

 

『彼』の瞳から、一筋の涙がこぼれた。

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