同居人+1 作:CBR
首が絞まってゆく。母親の顔がたちまち真っ赤になり、爪で腕を引っかき必死に抵抗する。
その光景を眺めている私も精神世界で『彼』に首を絞められている。
彼は「殺してやる」と言いながら、ボロボロと涙をこぼしていた。
私に壊され、母親に裏切られた。記憶が破壊されてもなおその憎悪と怒りが彼を突き動かしている。
「死んじ、まうよ…」
「殺してやる」
「
それを売れば借金が返せたはずなのに、息子を利用して金を盗らせたなんてひどい女だよな。母親の風上にも置けない。
死んでも同情できない人間だろう。ただ、自分の手を汚すのは違うだろ。いくら憎くても。殺したら
「殺したらもう戻れねェんだ!!」
「殺してやるッ!」
盗みより人殺しはダメだろ。もうまともに生きていけなくなる。お天道様の下を歩けなくなる。社会的に『死』んで
(
手を伸ばして床に落ちていた銃を拾う。銃口を彼の額に突きつけたが、やはり返ってくるのは理性ある言葉ではなく、「殺してやる」という言葉だけ。
「
あいつは──自称:悪魔は何をやってるんだ!
私って、『オレ』だったか? あれ……。
(
色の違うスライムをさ、混ぜ合わせて大きなスライムを作るみたいな。
あるいはこの小僧の激情が、すべてを壊そうとしているのか。
「う゛っ…!!」
撃つのを躊躇していた腕が折られ、銃が地面に落ちた。少年の姿だったはずの彼の体が大人のものに変わっている。長い髪が
「ぐっ、う」
首にミシリと嫌な音がした。このままだと首ごと頭が壊されそうだ。『死』んじまう? いや、
「止まらないなら、
あの女は唆したとして捕まるかもしれないな。
だが殺しさえしなければ最悪の事態にはならない。
母親は泡を吹き、今にも失神しそうだった。
「ごめんな、さ、いっ」
気づけば
ついには僕の意識も、私の意識もなくなった。
●
白のタクシーが小さな村の入り口で止まる。
ローマやミラノのような都会なら9時を過ぎてもそこそこの人通りがあるが、田舎となれば遅い時間になると人っ子一人歩かない。
近場の波の音に紛れるように、ズルズルと音が続いた。
「んー! んっー!!」
恐怖に引きつった声が家の内部から聞こえる。同時にカンカンと、硬質なものがコンクリートにぶつかる音も聞こえる。
ろうそくの火が揺らめき、人間のシルエットを映し出す。まるで炭鉱堀のような姿が浮かび上がり、カァンと高い音が室内に響いた。
汗と血と、土の匂い。
それらが混ざり合い、発酵する。
「フゥー……」
「んんんっ!!」
声を荒げていた女は自分に近づく存在に尋常ではないほどの震えを見せる。その者の手にはナイフや針、それに糸などが握られていた。
自分はこれからいったい何をされるのか。拷問され、殺されて埋められる?
彼女はテープで覆われた口で何度も謝罪の言葉を口にする。
そして何度も神に祈った。「私を助けてください」と。
「安心するといい。私はお前を殺さない」
「ん゛んっ」
「なぜオレが殺さないか分かるか?」
女の頬を手がするりと撫でる。その手は下に移動し、彼女の首をつかんで前へ引き寄せた。
「そこに『愛』があるからだ。だから僕はお前を殺さない」
「んんんっ!!」
「そういえば、人間は長時間閉鎖空間に閉じ込められると精神的な錯乱を起こすんだったか? …まあいい」
その後は耳にするのも嫌になる音と絞り出すような悲鳴が響き、やがて静寂に包まれた。
●
朝の日差しが窓から差し込む。眠い瞳をこすりうーんと大きな伸びをした『彼』は、ベッドから立ちあがろうとしてよろけ、そのまま本棚に衝突した。
「うげっ」
朝一番から彼はアンラッキーだった。
服を着替え、顔を洗いリビングへ向かうと、ふんわりと甘い匂いが漂ってきた。
イタリアの朝食は甘いメニューがほとんどで、パンを主食にビスケットやカプチーノを楽しむ。
クロワッサンが乗った皿にはビスケットも乗っており、ちょうど義父がジャムを小皿に移していた。
「
「ふわぁ……
「ハハッ! まだお前は夢の世界にいるみたいだな」
二人で食卓を囲み、雑談をしながら朝食を食べすすめていく。
『いつも思うが、朝から甘いラインナップで胃に来ないのか…?』
「そう言うネモは朝からしょっぱいものばかり食べようとするじゃん」
特にネモはローマの日本料理店で和食を食べて以来、執拗にしょうゆなるものと、ミソなるものを所望するようになった。
が、しかし、首都のアジア専門店で手に入るような調味料がイタリアのしかもド田舎で手に入るはずもなく──。
ネモ・テルツォに朝食を任せた暁には、ライスに塩や海の幸で味付けされた見た目も文字通りな「ライスボール」が提供されることになる。
「義父さんも健康に悪いと思うよね!」
「ネモが出した料理は血圧が高くなりそうでね…。それに朝はやはりパンがいいかな」
「だってぇ、ネモ」
『砂糖の過剰摂取も絶対健康に悪いだろ…』
朝の討論はそこそこに、学校へ向かう時間になる。ネモに促され忘れものチェックをする彼に、義父は「ああ、そうだ」と思い出したように言った。
「なに、義父さん?」
「そういえばつい2、3日前に近くの浜辺で男性のご遺体が上がったんだよ。調べたらタクシー運転手で、警察は物取りの線で調べているらしい」
「ええ…物騒だなあ」
「それで一応だが、見知らぬ人に話しかけられても着いて行かないようにして欲しい。何か買ってあげると言われてもな」
「………義父さん、僕もう13歳だよ」
彼はジト目で義父を見つめた。義父は苦笑しながら「一念のためだよ」と再度付け加える。
『でもお前だったら美人な女性に「道に迷っちゃったの」って言われたら、ホイホイ着いていくだろ』
「もうっ! 君までうるさいな!!」
プンスコ怒った彼はバックパックを背負い外に出る。義父に「行ってきます」と告げ、バス停へと向かった。
「今日もいい天気だね、ネモ」
『地中海の晴天は世界一だからな』
変わらない日常がまた今日も始まる。
憎悪と愛情の頭上で、穏やかに。