同居人+1   作:CBR

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当時の伊男性の平均身長は173cmくらい。


21話 普段怒らないやつほどキレると怖い

 ジュークボックスからポップスの音楽が流れる。夜のバールで一度息を吸えば、煙と安物のワインの香りが肺を満たす。

 場はサッカー談議に白熱する男たちの熱気でムワついていた。

 

「フゥー……」

 

 イタリア(1980年代)は16歳を過ぎれば酒やたばこが合法となる。特にワインは子どもでも「少しくらいなら」と家庭で口にする機会が多い。

 

「至福の時だ…」

 

 テラス席で燻る煙の正体はたばこではなく、葉巻きである。

 若者が気怠げに葉巻きをふかす姿は大人の男の仲間入りを果たした象徴だった。ただし、知人がいれば揶揄する言葉の一つや二つが飛んでくるだろう。

 

『ねぇネモ、葉巻きってそんなに美味しいの?』

 

「風呂上がりに牛乳飲むみたいなもんかな」

 

『? 何でミルク?』

 

 ネモの例えはわかりにくかったようで、ドッピオは首を傾げる。かく言うネモも自分で言っておいてよくわからない例えだと思った。

 

『君はいつも葉巻きを真っ二つにしてるけど、それってどうして?』

 

「ほれ、よく見てみろ」

 

 ネモはポケットに入れていた葉巻きの箱を取り出す。そこから取り出した一本を手のひらに乗せた。

 

「直径だけで手のひらくらいはあるだろう?」

 

『うん。お札の横幅くらいはあるね』

 

「普通のたばこはこれの約半分の長さだ。純粋にこの長さのまま吸ったら時間がかかるだろ?」

 

『でも君ってまるまる一本楽しむじゃないか』

 

「あの悪魔やろうが2週間に1本にしろなんて言うからさ!」

 

 トスカーノの葉巻き(フルサイズ)を吸うのにかかる時間は1時間ほど。

 たばこや葉巻きが健康にリスクがある研究もなされている。

 だが一般社会の「たばこ=害」という認識はほとんどなく、医者ですら診察室で煙をふかしているくらいだ。

 ネモにとっても喫煙が合法になってから、ワインとともにトスカーノの葉巻きを嗜むのが至高の時間になっていた。

 が、しかし、それを快く思わない者が1名いた。

 

『吸いたいなら月1回にしろ』

 

 いつの間に用意していたのか、悪魔の男は医学的な証拠をドッピオの前に叩き出し、「葉巻き(たばこ)くらい好きに吸っていいんじゃないの?」と言っていた彼を自分の派閥に引きずりこんだ。

 

 週に一本吸いたいネモとそれに反対する2名。この論争の末、折衷案として2週間に一本の喫煙で話がまとまった。

 

「お前も吸ってみるか? うまいぞぉ〜」

 

『僕はいいよ。たばこも煙くって好きじゃないし』

 

『隙を見て小僧を自陣に引き込もうとするんじゃあない』

 

「ちぇっ」

 

 ネモは不貞腐れたまま葉巻きに口をつけた。普段はどこか大人びいているどころか、年寄り臭ささえ匂わせる男の、年相応な表情である。

 

『そもそも自分の考えが矛盾しているとは思わないのか?』

 

()()()()()()のに、自分から死ぬリスクを上げてどうすんだって話だろ」

 

『フン…わかっているなら尚更だ』

 

 葉巻きを吸う頻度を上げたら健康へのリスクも高くなる。医学的な証拠がいくつもあるのだ。

 それでもネモが煙を手放したくないのは葉巻きを吸うその時が『自身が解放される』瞬間だからだ。

 人が自分の好物を食べたり、趣味に打ち込むのと同じ。

 幸せを感じるのだ。もちろん死にたくはない。だが無味乾燥とした人生を生きるのは退屈だ。つまらない。

 

「人生には『華』が必要なんだ」

 

 ネモにとっての華の一つが葉巻きだった。だから彼は煙を吸う。

 今日、この時も。

 

 

 

 

 

 ◯

 

 

 最近米国の映画を見たが、向こうはティーンがたばこを吸う場合、そいつ(イコール)で不良であることを知った。

 イタリアは学生(16歳未満)が吸っていてもかなり寛容的というか…いや、ダメではあるんだが。

 私たちが思う不良はもっと先を超えている奴らで、路地裏でたむろしている連中を指す。

 学校にも行かず、麻薬売買の使いっ走りをさせられているような──。

 

「どこ見て歩いてんだよ、ナァ?」

 

「俺の服が汚れちゃったじゃんかよォ」

 

「す、すすっ、すみません…!!」

 

 真っ当に生きていれば関わることのない連中である。……のだが、そそっかしいドッピオがベスパに2ケツしていた男たちにアイスをぶちまけてしまった。

 そのまま胸ぐらをつかまれ路地裏に連行され、今にいたる。

 

『お前のそのドジさもどうにかならんものかな…』

 

(た……助けてよネモッ!!)

 

 まだギャングの方が話が通じたかもしれない。『彼』がもう少し小さい頃、いかにも裏の人のシャツを汚してしまったことがあったが、その時は半泣きの彼に「ガキに手を出すのはな…」とギャングなりの矜持で許してもらえた。

 

 しかし相手は不良より悪に染まり、ギャングのような高潔さを持たない人間だ。

 こういう奴らが一番厄介だったりする。

 

『悪知恵が利く相手ならまだいいんだが…』

 

(コイツらナイフ持ってるよ!!)

 

 一人が取り出したナイフがドッピオの首筋に当たる。彼は「ヒィッ」と間抜けな悲鳴をこぼした。

 

「財布には1万とちょっとしかなかったぜ」

 

「なぁ…わかるだろ? 俺の服を汚したそのけじめを付けてもらわなきゃあ困るんだよ…」

 

 どうやって逃げようか頭を回すが、多対一でしかも相手が凶器を持っている状況。今私たちの手元にあるのはアイスのコーンのみ。これで相手を突き刺せってか?

 

(叫んで助かりそうな状況でもないしな…)

 

 この路地裏で叫んでも表の喧騒にかき消されてしまうだろう。

 あるいはみっともなく泣き叫んで慈悲を乞う? 醜態をさらすことになるが、攻撃に出て逆上した相手に刺されるよりはマシだ。

 

「……わかりました。服の弁償代は払います」

 

「アァ?」

 

「払わせて…ください」

 

「フンッ、最初からそう言えばいいんだよ」

 

 胸ぐらをつかんでいた手が離れる。今なら隙を見て逃げられるかもしれないが、向こうにはスクーターがある。歩道でも小回りが利くから、人混みに紛れて逃げるのも難しそうだ。

 

「その……お金は明日ここに持ってくればいいですか?」

 

「ダメだ。そうしたらテメェが逃げっぱぐれンだろ」

 

「じゃあ、いったい……ッハ!!」

 

 生娘のように自分の手で体をかばったら、「気色わりー真似すんな!」と怒鳴られた。私だってひん剥くならともかく、ひん剥かれる趣味はない。

 

「ッ──……」

 

「お前のようなアイスを食べるBambino(お子ちゃま)には縁のねェ代物だろうぜ……ヒヒッ」

 

 男の一人が懐から取り出したのは小袋に入った白い粉。脳内で青色のランプ*1が灯り、サイレンを鳴らす。

 

 

(麻薬────ッ!!)

 

 

「俺たちに()()()金を運ぶアリになってもらいながら、かつポリ公にも話せないようにしてやるのさ」

 

「……私にこの場で吸わせる気か」

 

「ご名答ッ! なあに、一度体験したら忘れられない味になるぜ…」

 

 逃げようとしたが背後に回り込まれ退路を塞がれた。ナイフの先が背中に当たっている。

 麻薬には依存性がある。この場で吸わせて客にしようって魂胆だ。ついでに吸えば私も犯罪者になり、警察に他言できなくなる。

 

(クッソッ……!)

 

 こめかみどころか背筋にまで冷や汗が流れた。ドッピオはすでに覚悟を決め、「闘う(ヤる)しかないよッ!」と言っている。

 

 知ってるか? グーで殴っただけで拳は痛くなるんだ。殴り方一つでも例えばボクサーのプロとアマじゃ明確な差がある。

 私はそのアマでさえないズブズブの一般人だ。オレンジは握りつぶせても、りんごは握りつぶせない。

 

(どうすれば……)

 

 

 

「──えっ?」

 

 

 

 その驚いた声は私のものではない。私の背後から聞こえた。

 

 いや、違う。私は動いていない。だが、()()()の肉体が動いている。

 

「こいつ、急に動ッ──ガハッ!!」

 

 後ろの男の腹を蹴りぬいた拍子に、その手からナイフが落ちた。それが地面に落ちきる前に拾い直し、立ちあがろうとした男の顎を再度蹴り飛ばして昏倒させる。

 

 時間にしたら1秒にも満たない出来事。ほかの男たちが固まる中、彼──やつは冷徹な目で彼らを見下ろした。

 お互い立っているのに、見下(みお)ろしながら見下(みくだ)した。

 

 

「命までは奪わずにおいてやる」

 

 

 その後に降り注いだのは文字どおりの暴力。

 糞尿くさい路地裏に、血なまぐさいにおいが加わった。

 

 

 

 

 

 ◯

 

 

 その後、ディアボロが気絶させた連中は私が警察を呼んでおいた(やつは渋ったが)。麻薬を所持しているからそのまま捕まるだろう。

 

 そして帰宅……ではなく、ドッピオの所望でアイスを買い直すことになった。この状況でアイスを食おうとする彼の気持ちがイマイチわからない。私は食欲を無くしているというのに。

 

「ネモはいらないって言うけど、ディアボロさんはアイス食べる? ……そっか、ディアボロさんもいらないんだ…」

 

『だいたいお前がアイスをあいつらにぶつけたから…』

 

「もう! だからそれは僕が悪かったってば!」

 

『……ハァ』

 

 もう彼も18歳になったというのに、この見守りはいつまで続くんだろうか。ドジさが直ることがないなら一生か? 私は一生育児の気分を味わなくちゃあならないのか? 勘弁してくれ…。

 

「うーん、手が痛くてアイスが食べにくいや…」

 

 ドッピオは片手を左右にブラブラと振る。

 その手に残っていた痺れと痛みがより強く残っていた時、私は受話器を握った。

 あまりいい気分ではない。あの手の感覚は。

 

『奴らの自業自得だ。なのになぜ貴様は気を病んでいるのだ』

 

「そうだよ、ネモ。あれは100パーセント向こうが悪かったって」

 

『……ああ、わかってるよ』

 

 でもやはり人に暴力を振るったら罪悪感を感じるだろ。そいつが吐き気を催すようなどうしようもない悪人だったら話は変わってくるが、あの男たちはおそらく何かしらの理由で社会からあぶれた者たちだ。

 私たちも肩身の狭い人生経験をしている。今こうして改めて考えると、多少の同情心を抱いてしまう。

 

『やつらは弱者であり、()()()()()()()()。それだけだ』

 

『心まで弱者…か』

 

 ……結局どんなに同情される人生を送っていても、()ちたらそこに同情の余地を持ち出すべきではないってことか。あいつらに苦しめられた人も必ずいるだろうし。

 

『…そうだな。これは私の考えが甘い』

 

 ただそれでも、避けられるなら暴力の手段は選びたくない。

 

 

 

『………あれ? というかお前、夜以外でも活動できたのか? てっきり私たちが寝ている時以外は体を動かせないと思ってたが…』

 

 そう言った私に、やつは「悪魔=夜行性の偏見は差別主義的じゃあないか?」とか何とか言ってきた。

 

「? ディアボロさんが夜行性って何の話?」

 

『アッ』

 

「………それってもしかして、僕の身長がイタリア人の平均身長を超えられなかったのと関係ある?」

 

『コイツは16になる前から葉巻を吸っていた』

 

『夜ふかしの方が成長ホルモンの分泌を妨げるって研究結果がッ』

 

「…………ちょっと、三人でお話し合いしようか」

 

 

 (オレ)、はじめて知ったよ。

 (ドッピオ)がこんなに邪悪に笑えるってこと。

*1
イタリアの救急車やパトカーに設置されている警告灯の色は日本と違って青。

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