同居人+1 作:CBR
狼は赤ずきんを美味しくいただいてしまいました──なんてことはなく、ディナーにマルゲリータを食べてドナテラと別れた。
あからさまに同衾に誘われていたが、私は狼でも子連れ狼。レディーの誘いを断るなんて言語道断だと思いつつ、ドッピオを裏切ることはできない。
その代わりに臍を曲げてしまった彼女を宥めるために難儀した。
『ドナテラが君にキスした時、呪い殺そうかと思っちゃったよ』
「物騒な男だな…でもまぁ、お前が選んだブレスレットを喜んでくれたからよかったじゃないか」
彼女は貝殻と珊瑚で作られたブレスレットを受け取ると、つっけんどんな態度が嘘のように直った。
いやしかし、ドナテラはあそこまで積極的なレディだったか? ホテルに行く前も恥じらいだとかはあったはずだが…。
『ねぇ、ネモ…やっぱり指輪の方がよかったんじゃないかな? 僕の瞳の色の宝石とか…』
「いや…重いだろ。それに貢ぐ男認定されたら愛が金次第の関係になっちまうぞ」
『……君って本当は、酸いも甘いも体験し尽くした老人だったりしない?』
「どこがだ。ピッチピチだろ、ピッチピチ」
スキンケアだって結構しっかりしてるんだぜ? イタリアは紫外線が強いからな。
『僕は君がいずれ化粧して、口紅なんて塗り出すんじゃないかって心配だよ…』
「美意識でするなら別にいいんじゃないか? 私はそこまでしないと思うが」
私はバスに揺られながら夕暮れに染まる街並みを眺める。
乗客は老人など数名のみ。街灯が黒い尻尾を引いて後方に消えていく。窓には私の顔がうっすらと映っていた。
「なあ、お前は……ドナテラ・ウナと結婚したいか? 将来的に」
『きゅっ、きゅきゅっ、急に何さッ!?』
「何となくだが、彼女は
『……うん』
「だからまぁ、後悔のない選択をしてくれ」
ディアボロが渋ったら、何としてでも説得してやるさ。
ドナテラは旅行でここへ来ている。ゆえに去る前にアプローチをする必要がある。その告白はドッピオに任せるとしよう。
『……なんて伝えればいいかな?』
「お前にありのままの気持ちを伝えればいいさ」
心から愛しているなら、「I Love You」だけで伝わる。結局、気持ちが一番重要なのさ。
『君でリハーサルしていいかな?』
「ええ……練習するなら†悪魔の男†に頼んでくれ」
『──────おい! ふざっ』
『わかった! よろしくねっ、†悪魔の男†さん!』
ドッピオの告白練習を聴きながら、私は車窓の景色を眺めた。合間で私に向けられた呪詛の言葉も聞こえてくる。
(そういや…)
ふとドナテラとコスタ・ズメラルダに行っていた場面を思い出す。
彼女が持ったカメラを向けられた時、私は自分が被写体になることに強い嫌悪感を覚えた。元々写真を撮られるのが嫌な性格だったのだ。…と、いうことを、忘れていた。
「……あれ?」
そもそも
『どうかしたのか?』
────いや、私たちの名前はロレンツォか。
どうもまだ若いはずなのに、最近もの忘れが多いみたいだ。
家に着いたころには陽も地平線に消えようとしていた。ドアを開く途中で手が止まる。
「………?」
ニンゲンにも備わっている野生の勘と呼ぶべきか。
何か拭いきれない大きな違和感があった。毛根一本一本の上をその違和感がなぞっていくような。
はたしてそれは何だろうかと考え、気づいた。
(少し……カビくさい?)
湿った土のにおいが内側から外へと流れていた。それが扉を開いた拍子に伝わってきたのだ。
頭の中で青のランプが明滅をくり返す。嫌な予感がした。
心臓がドクドクと大きな音を立て、過剰に送られた血流に耐えきれず頭が痛み出す。
私はいったいどこへ向かっているのだろうか? なぜこんなにも
旅行に行く前に水はきちんと止めたのかとか、電気は消したのかとか、これはそういったレベルの話じゃない。
それで一気に私の人生は崩壊してしまうような、大きな何か──。
「ハァッ、ハァ、ハァ…!」
あたまが──ッ。
「ただいま、義父さん」
●
義父が気を利かせ、ガレージに宛てがうべくツルハシで掘った床下から出てきたのは、一人の女だった。顔は整っており、歳は一見すると若く見える。
口は縫われており、声を発することはできないようだった。それどころか瞳に浮かぶのは漆黒の色。その目を見た瞬間、神父の肌に鳥肌が立つ。『彼女』はすでに正気を逸しているようだった。
だがその瞳の中には深い深い──愛情のようなものが浮かんでいる。同時に同じくらいの憎悪を。
(なぜ、ここに女性が? いったい誰が──)
そこで彼は発見してしまう。その特徴的な髪の色を。女の体の上に落ちていた、その髪は──。
「ただいま、義父さん」
現実に引き戻されるように、神父は後ろを振り返った。そこにツルハシ片手に立っていたのは、今彼が手にしている髪の色と同じ人物。
義理の息子が浮かべるその笑みに神父は体の血が凍っていく錯覚を覚えながら、唾を飲みこんだ。
「……これは、お前がやったのか?」
「これって? ………うわっ! 人が埋まってるッ!?」
様子からして『彼』はネモではなく、ドッピオらしい。長年生活を共にしていれば歩き方一つで誰かわかるように、神父も瞬時にどちらかわかった。
ドッピオはツルハシと義父、そして穴とその中にいる女を交互に見つめ、アンサーを出す。
「義父さん、まさか…」
「違う、待て。私が埋めたわけじゃあない」
「じゃあ、誰が……」
ドッピオはツルハシを持ったまま、穴の中を覗き込んだ。その女性の顔に────見覚えはない。
だが、この女を見ていると呼吸がしづらくなるような、明確な不調が起きる。
「……ドッピオ」
神父は慎重に言葉を選びながら、穴の中から出てきた髪を見せる。その髪を見たドッピオは自身の髪に触れた。その、特徴的な色の髪に。
「どうして…僕の髪が? どうして……?」
「大丈夫だ、落ち着きなさい。お前は何も知らないのだね?」
「……うん」
「なら、ネモに変われないか? あの子にも話を聞いておきたい」
「分かった………ネモ────ネモ?」
ネモからの応答はなかった。まさかこれをネモがやったのか? ──と、不安を募らせたドッピオの肩を、神父は軽く叩いて首を振る。
「あの子が人を埋めるような子じゃないことは、私が知っているよ」
「でも……いや、そうだね」
10数年の積み重ねがあるからこそ、ネモの犯行ではないとドッピオは信じることができた。ならばこの髪を踏まえて見出せるあともう一つの可能性は、
「ディアボロさんなら…」
「もう一人の……お前たちのことか。私の前には一度も出てきたことがない…」
「………するかもしれない」
神父の目が大きく見開かれる。額には隠し通せぬほどの冷や汗が浮かんでいた。
ドッピオはネモの代わりにディアボロへ声をかけてみるが、こちらも応答はない。
「で、でも……ディアボロさんは僕らが危ない目に遭った時、いつも助けてくれたんだ! ゴロつきに麻薬を吸わされそうになった時だって…」
「……………初耳だぞ」
「義父さんに心配をかけたくなかったんだよッ!! だから……その、
ネモでも対処できない急場で、暴力という方法を用いて解決していた男。この女も何か、自分たちに明確な害をもたらしたからここに埋まっていたのだ。ならば、
「そうだよ。
神父の口からかすれるような音が漏れた後、しばしの沈黙が降りた。
最初に言葉を発したのはドッピオである。
「義父さんは…このことを警察に言う気なの?」
「………」
「義父さんッ…!」
「私は…聖職者だ」
『モーセの十戒』において、聖職者は偽証を禁じられており、それを破るということは髪の教えに反することに他ならない。
知らなかったならまだしも、彼は今日、養子の秘密を知ってしまった。正確には息子たちでさえ知らなかったであろう秘密を。
一度知ってしまったことを、
彼は拳を強く握りしめた。
「私は何十年も神に仕えてきた身だ。恐怖と苦痛が時代を支配していたあの頃から…」
明日死ぬかもしれないという時、人びとは神に縋った。彼はそんな人びとを一人でも多く救うべく、奔走した。
それから時は流れ、時代は平和になった。それでも、形は変われど信者は救いを求めて教会にやってくる。
だからこそ神に仕える身として、彼は清廉潔白であらなければならない。
「……そう」
ドッピオは瞳を伏せ、ツルハシを握る手に力をこめた。
「僕は…捕まっちゃうのかな? 捕まったら彼女と結婚することも、これから真っ当に生きていくことも、できなくなるのかな……」
「………」
「ああ…義父さんに紹介しようと思ってたけど、仕方ないよね、もう」
ドナテラがドッピオに想いを寄せてくれていたとしても、犯罪者になったら拒絶されてしまうだろう。
結局そうなのだろうか? と、彼は思った。
この女のように。
自分も、結局。
犯罪者の子どもは、犯罪者でしかないのか。
「………あ、れ? 犯罪者?」
ドッピオは頭を押さえる。犯罪者?
穴の中にいる女の顔は見覚えがないと思っていたが、違う。知っている。その顔を彼は見たことがあった。どこで見たのだろうか? 思い出そうとすると、激しい頭の痛みとともに、片目の眼光がギョロギョロと、自分の意に反して動く。
(……殺さなきゃ)
これから自分が生きていくために、義父は大きな障害になる。ゆえに殺なければならない。
────殺さなければならない?
彼は大きく首を振る。何をとちった考えをしているのだろうか。義父を殺せるわけがない。義父は、この老人は自分を愛情をかけて育ててくれたのだ。そんな義父を、この手で?
でも、始末しなければ彼の今後の人生は滅茶苦茶になる。老人の生い先短い人生と、自分のこれからの『絶頂』に満ちた人生。どちらが大切なのだ? そんなもの決まっている。
(
前髪の隙間からのぞいた彼の目と、義父の目が合った。
義父は苦しげな表情を浮かべる彼を心配の表情で見つめている。
「………ッ、ちがう、
義父。
「悪魔」の子だってまわりに言われても、意にも返さない。
愛してくれた。ぼくらを愛してくれた。たった一人の義父さん。
血は繋がっていないけれど、繋がっていないからこそこの繋がりは尊いものとなる。
そこの床下にいる女と違って。
「この人は、ぼっ、ぼく? ぼくらの母さんで……会いにきたんだ。なっ、何年も前に…義父さんが、いない時に………」
「お前たちの…!?」
「そしたらこの人が困ってたから、ぼく…お金を………ネモはなんて言ってたんだっけ…よく思い出せないけど……教会のお金を盗って来いって。だからっ、ぼく……!!」
まるで子どものようにドッピオの瞳から涙がこぼれた。
彼は謝った。自分がしてしまったことを。母の愛に目が眩み、義父である神父を裏切ろうとしてしまったことを。鼻水を流し、義父にしがみつきながら謝った。
「でもぼくは……この人の“モノ”以下だった………」
「………そうか」
「ぼく、どうして…ッ、忘れてた…」
「…ゆっくりと、深呼吸しなさい」
義父は宥めるようにドッピオの背をさすった。
断片的ではあったが、なぜこの女性──彼の証言が正しいならドッピオたちの母親が床下に埋められるに至ったか、義父は理解した。
悍ましさを感じるが、同時に母親に裏切られ殺意を抱きながらも『殺す』選択を選べなかったところに、ドッピオの優しさを感じてしまった。
そこには愛情がある。とても歪んだものが。
「……わかった」
絞り出すような声だった。義父はゆっくりと顔を上げ、小さく頷く。
「この件は誰にも他言しないと誓おう。私の墓場まで持っていく」
「義父、さん…」
「その代わりに、この女性を…君たちの母親をこんな暗くて狭い場所に監禁しておくことは、もうよしなさい」
「で、も…そうしたら……」
「………もう彼女は、人とまともに会話することも難しいだろう」
長期間に及ぶ監禁。ヨーロッパあたりで知られているならフランスのブランシュ・モニエの件だろうか。
この件の女性は母親が望んだ相手との結婚を拒んだことにより、実の母親によって25年もの間日の当たらない屋根裏部屋に監禁されていた。
彼女は発見されたのちも正気に戻ることなく、そのまま死去した。
この女性はモニエの25年と比べればはるかに少ない監禁期間であるだろう。
だがこの床下という空間。日は当然当たらず、体を動かせるスペースもほとんどない。口も開けず(おそらく声も出せなくなっているのかもしれない)、できることといえば真っ暗闇の中で床下の天井を見続けることのみ。
そんな状態で人は数日も正気を保っていられないだろう。
もう人と話すことはおろか、自分が何者かさえわからないに違いない。
「むごいことを…したものだ」
生かさず殺さず。あるいは殺すよりも残酷な方法である。
「彼女がお前のことを他言することはない。…
「………」
「だから、解放してあげてくれ」
「……わかっ、た」
ドッピオは不安げな色を残しながらも頷く。
幸いと言うべきか、神父ならば色々と手回しがきく。
監禁されていた女性を発見したことにして、精神病院に送ることもできる。
「それと…
「義父さんに?」
「違う。神にだ」
「……わかった」
「そして、最後にもう一つだ」
「…何?」
聖職者になりなさい、と義父は言った。目を丸くしたドッピオに彼は続ける。
自分がした行いを、聖職者となり見つめ、悔い続けるようにと。
「悪いことをした人が聖職者になるなんて、無理だよッ!!」
「だが、
「………」
「それが守れぬなら、私は神に告白しなければならない。それほどまでにお前がしたことは悪しきことなのだと、自分の魂に刻みつけなければならないのだ」
「……じゃあ、僕は、ドナテラと結婚できない…?」
「そうだ」
「……ッ、………」
ドッピオの脳裏にドナテラの笑顔が浮かぶ。潮風に煽られた焦茶の髪に、スカイブルーの瞳。
彼女とこれからの人生を共にすることができない。押し寄せた絶望に膝をつく。
彼の肩に義父の手が乗せられた。
「食い続けることをやめなければ、やがて神はお前にお赦しをくださるよ。その時こそ改めて自分の人生をやり直す時だ」
「そんなの、いつ来るかわからないのに…」
「
「…………わかった。わかったよ…」
今、ドッピオの体にのしかかるその重さが、罪の重さなのだろう。
この罪を清算するためにはどれほどの歳月がかかるのだろうか? もしかしたら一生かけても『その時』は来ないかもしれない。
それでも、ドッピオは罪と向き合う選択を選んだ。義父との『
「ねえ、義父さん…」
「何だい?」
「………聖職者は毎日寿司を食べても、問題ないかな?」
ドッピオの問いに、神父はため息をついてから言った。
「食べ放題だよ」
──と。