同居人+1 作:CBR
誰にでも、恐怖は人間の内側に存在する。
あくまで個人的な意見だが、あの男の出発地点には自分が「弱者」であることの怒りや絶望があったのかもしれない。
養子という立場と、周囲の人間に嘲笑される鈍臭い性格。田舎はしかも人びと間の団結力が強く、輪の中に混ざるのが難しい彼はどんどん孤立したに違いない。
そんな人間は側から見れば「弱者」だ。
積もり積もったドス黒いものが、やがて
ドッピオの恐怖も死の今際で発露した。彼は孤独に死ぬことを恐怖した。
誰しもが抱える恐怖はもちろん、私の中にも存在する。
私は死ぬことが怖い。人生ではじめて死が怖いと感じたのは身内が死んだ時やペットが亡くなった──時ではなく、漠然と自分の人生を考えた時である。
私は気づいた。自分の人生にいずれ終わりがあることを。両手で数えられるほどの年齢だった私は、その事実に体が地中深くへ沈んでいくような重さ(これは恐怖なのか?)を感じた。
将来に目を向けてしまうと、さらにその先にあるいつ来るんだかわからない人生の終わりが否応にもよぎる。
すると私という人間は将来を意図して考えないようになり、
(ネモッ! 僕に代わってよ、ネモ!!)
「変わったって、しゃーな、いっ、だろ…」
「ああ? 何一人でブツブツ言ってんだ?」
勝手に逃げ出そうとしたお仕置きだって、天井から宙吊りにされて鞭のようにしたベルトでぶっ叩かれている。
空気を割くような音が響くたびに激痛が走って、その部位が赤みを伴いじわじわと痛む。
ずっと叩かれているわけではなく、一定時間が経つごとに見にきては何発か打たれる。
宙吊りにされてから何時間くらい経っているのかわからない。地下は窓がなくずっと小さな明かりがあるだけで、時間感覚がわからなくなる。
(人間が宙吊りに耐えられる限界ってどのくらいだったか? 大人でも1日ぐらいか?)
重力で内臓が下がるから呼吸もしにくい。脳にも血液が溜まる感じがして、皮膚を押し上げ脈を打っている感覚がする。
思考力も下がっていって、このままだと意識を失う。
『ネモ、靴の中に破片がある! それで抜け出せる!!』
「抜け出したって、イミねーじゃんよぉ……あいつら、
シャツの内側に妙な膨らみがあった。あれがおそらく銃だ。もしくは武器の類。
私にスタンドがあったら戦闘不能にして抜け出したんだが。『矢』は今エジプトにあるのか…。
『ああもうっ、だから僕に体を渡して!』
「だめだぁ、いてぇーもん……」
『このまま何もしなかったら、僕らは死ぬんだぞッ!!』
ブレイブな。やっぱ、こういう時の彼はドッピオらしい勇敢さを見せる。
黄金の精神? 私には彼のように立ち向かう勇気はない。死にたくないからだ。
……あれ? 何もしなかったら死ぬのか? 彼が言っていた。
「死にたくねぇ……」
分かった。足の縄だけは解こう。
音をなるべく立てないようイモムシのようにくねくね動いて、その反動と腹筋の力を活かして足元をきつく縛る縄を掴む。片手は縄のこぶをつかんだままもう片方の手で靴の中から破片を取り出した。よくあの土壇場でガラスを靴に仕込んでいたよな、彼は。おかげであのギャング二人に見つからずに済んだ。どうやって抜け出したのか吐かなかったから顔面に一発食らったけど。
『ネモ、抜け出そう。君はジャッポーネでスシが食いたいんだろ?』
「スシ……」
その言葉はなんかとってもまずくないか? ナランチャも「アツアツのピッツァが食いたい」って言ったらすぐに殺されたんだぞ?
「く、食いたくない……!!」
『なんでさ!?』
彼が私のおぼつかない手に手を添えて、縄を切らせる。
不思議だな。同じ肉体にいるのに、私たちはサッカーボールがゴールした時にハイタッチをすることもできない。孤独ではないが、時折その事実に寂しさを抱く。
だがこのままでいいんだろう。このままでいい。一つの卵に二つの黄身が入っていた方がお得だろ?
「切れ……!」
『あっ、ネ』
ずるりと体が落ちて、そのまま頭に大きな衝撃を感じた。
†18†
『彼』の手には酒瓶の破片が握られている。縄を必死に切ろうとした影響で破片が擦れた手のひらは血まみれだった。
血の滴は手のひらからこぼれ落ち、白い床の上に落ちる。
血の水滴がさながら道のように続き、その先で彼は立ち止まる。
鏡があった。その鏡は風呂場の鏡のように曇っており、映し出される世界は濁っている。
彼は手を伸ばし、その鏡に触れようとしたところで横から声がかかった。
「ねぇ、どうするネモ?」
声をかけてきた
「お前、片目がッ…」
「君は死にたくないって言ったけど、僕も死にたくないよ。まだ可愛い女の子と手を繋いだことだってないのに」
「……な、なあ、ここは何なんだ? どこなんだ? オレたちはいったいどうなったんだ?」
「さあ? でも、君も何となく分かってるんじゃない?」
「………」
「僕らは別々の精神だけれど、その本流はもとを辿れば同じなんだ。下流から遡って源流に行き着くように」
「……じゃあ、お前は『私』が何か知ってるのか?」
「いや、知らないよ。だって君が言ったんじゃないか」
「?」
────
彼は目を丸くして、それから苦笑する。
「知ったら君を共有して、もっと同じ存在になって、生きるのがつまらなくなっちゃうよ」
ハハ、とボッチオは笑った。彼もつられて笑い、鏡へ視線を向ける。
「そうだな…まあ、何とかなるんじゃないか? 悪運はいいだろ、オレたち」
彼は鏡に触れ、曇りを取るように横へズラす。自分の片目が覗き、そして────。
「ねぇネモ、聞きたかったんだけど」
ボッチオは鏡の前で固まってしまった彼に近づく。手の平からはなおも血が滴っていて、小さな血だまりを作りあげる。
ブリキのようにギギギ、と彼の顔がボッチオに向く。
「君の一人称って、『オレ』だったっけ?」
ボッチオは不思議そうに首を傾げた。彼は体を震わせながら後ろへ下がる。その拍子に血だまりに足を取られ転倒した。
「………ハハッ」
「ネモ?」
「ああ、何をオレは勘違いしてたんだ? いや、違うッ。『
彼は片目を手で押さえ、ハハ、と断続的な笑いをこぼす。
自分は何を勘違いしていたのだろうか?
なぜ自分は
なぜ
ネモ・テルツォとて、彼ら自身なのだ。
ならば悪魔は、彼の内側にも存在する。
「オレも、悪魔なのか」
666。これは悪魔の数字であり、
全部足したら18だ。
「………ボッチオ。いや、
「何だい、ネモ」
「オレは死にたくないんだ。でもオレにとっての「死ぬ」定義は、命を失うことだ」
「うん」
「……ああ、まずいよな。もう悪魔が起きそうになってるんだったら」
「僕らはもう、前の僕らじゃなくなってるのかもね」
「いや、オレらはオレらだろ……と、思いたいな」
『彼』の手にはいつの間にか銃があった。ひどく震えた手で彼はその銃身を握りしめ、自分のこめかみに持っていく。
「これが精神の内側なら、頭をぶっ壊せば記憶はリセットしてくれるはず…だよな?」
「声が震えているよ、ネモ。僕が手伝ってあげようか?」
「…………いい。自分で撃てる」
セーフティーを外し、引き金に手を置く。この時ほど人生で震えたことはない。歯がガチガチと音を立てる。それでもこの過程は必要だった。悪魔が自分を支配し、『知識』を得てしまう前に。
「かけ声は、『スリー、ツー、ワン、バンジー』で頼む」
「何でバンジーなの?」
スリー……。
ツー……。
ワン、
バンジィー!!
●
「連絡が来た。船は手筈通り港に午前6時に着くと」
「了解」
今の時刻は午前3時。予定の時刻まではあと3時間ある。
男の一人は赤らんだ顔で椅子に座ると、コップに酒を注ぐ。
「結局あのガキはどうやって抜け出したのか吐いたのか?」
「いや、まだだ。吐かせがいのある小僧だぜ?」
一方、もう一人の男は時計を確認してからベルトを片手に階段の方へ向かっていく。
「ガキってのはベルトで叩くといい音が出るんだよォ。あのガキは『ラ』の音だ」
「相変わらず気持ちわりぃ性癖してやがるな…」
男が階段を降りていった後、椅子に座っている男はグラスを揺らし、一気に飲み干す。「プハァ」と酒気帯びた息を吐き、また腕時計に目を通す。無意識に膝が揺れた。
「しかしあのガキ、嬲られても方法を話さなかったが……あの口の硬さ、
誘拐グループは彼ら以外にも複数おり、さらってきた子どもたちはそのままシチリアへ移送する。
そのあとどのような過程を経て売られるかは、下っ端組員の知る由ではない。
「…ん?」
不意にその時、地下室の方から何かが倒れる音がした。もしやガキが死んでしまったのだろうかと、男はグラスに口をつけながら地下室につながる扉へ向かう。
「ッ」
直後パリンと音が鳴り、地下室の明かりが消えた。奥は暗闇が覗き、カビ臭いにおいがやけに鼻に伝わる。
男は気色の悪さを感じながら懐の銃に手を伸ばした。
そのままゆっくりと下に降りていき、開けっぱなしの扉の前に立つ。後ろから差し込むわずかな光も彼の体に遮られ、己の影が重なり中はいっそう闇に染まる。感じたち血なまぐささに一気に背筋が伸びた。
「………おい、何があっ…うおっ!」
男の体が思わず前のめりになる。いったい何なのかと手を伸ばして触れたそれは大きく、まだ温かい。それにやけに湿っている。湿気じみているわけではなく、もっと液状である。
瞬間、舌打ちをした男は銃を前に向ける。前方は暗闇だ。しかしこの部屋のどこかにあの子どもが潜んでいる。
「おいガキ!! 考えられる中で一番苦痛な死に方をしたくなきゃあ出てこいッ!!!」
仲間が殺された場合彼らの
相手がガキだろうと関係ない。青筋を浮かべた男は銃を発射しようとして、首筋に冷たい何かが触れた。
男の体は蛇に睨まれたカエルのように硬直する。
「人間の頸動脈が完全に切れた場合、人はおよそ5秒から10秒ほどで意識を喪失するそうだ」
「ぁ……」
「血とは人体に酸素を送る重要な役目も持つ。ならば大量の血液を失った時、どのくらいで生命維持が止まるか予想できるか?」
「話をッ……」
「時間だ」
一切の躊躇なく破片が男の首に押し込まれ、そのまま勢いよく横へ引き抜かれた。
血がシャワーのように吹き出す中、地下室の中にいた人物は階段を上がっていく。
「その答えは身をもって知るといい」
暗闇の中から上階の光を受けて眼光が反射する。
その目はボッチオのものでも、ネモのものでもなかった。
【おべんきょ】
「ねぇネモ、血液が酸素を運んでるって最近勉強したんだけど」
『おん』
「太い血管を切ったらどのくらいで人は死んじゃうのかな?」
『おおん……』