同居人+1 作:CBR
家に帰った後、掃除の手伝いをしているうちに気づけばお昼になっていた。
出されたのは定番のスパゲッティで、もりもりと食べた。おばさん曰く息子の好物だったらしい。食べる僕の様子をおばさんは微笑ましそうに見つめて、時折涙を拭っていた。
昼食を食べたら皿洗いも手伝う。義父さんが貼り付けた「ドンクサ」のレッテルをいち早く挽回したかった。
「これ、お手伝いをしてくれたお駄賃よ」
「えっ、いいんですか!?」
いつもアイス屋に行く時に義父さんが財布に入れていたのは2000リラだ。豪華なアイスで約500リラで、残りはバス代や万が一のために余分に包んでいる。
おばさんがくれたのは5000リラだった。
………5000リラ!?*1
「こ、ここっ、こんなにいいの!? ありとあらゆる贅を尽くしたアイスが10個も買えちゃうよ!!?」
「いいのよ、たくさん遊んでいらっしゃい。ただし、おばさんの買い物に行くついでにね」
「う…うん! わかった…!!」
おばさんは街の中心部へ買い物に行くそうで、バスに乗って一緒に向かった。
街にはアーケードゲームができる
僕の住む方じゃバールはあってもゲームがないし、昼間から酔っぱらった年寄りばかりいる。
「ピンボールは確か一回100リラくらいだったかしら? おばさんはやったことがないから分からないんだけど…」
「んー……僕もやったことないし、あんまり興味はないかな」
「あら…じゃあ本当に豪華なアイスを10個も?」
「お腹壊しちゃうよ!」
「うふふ…そうね」
「それにおばさんの料理が食べられなくなっちゃう」
「………そう」
見慣れない街の景色は新鮮で、流れゆく景色を眺めていたらふいにおばさんの声が止まる。
視線を向けたらおばさんは柔らかい、教会のステンドグラスから注ぐ淡い光を瞳に宿して、微笑みながら僕を見つめていた。
「一つだけ……いいかしら?」
「どうしたの? …あっ、どうしたんですか?」
「ふふ、うちにいる間は無理に敬語で話さなくてもいいのよ。…あなたの頭を撫でてもいいかしら?」
「頭を? 大丈夫だけど…」
伸びてきたおばさんの手は僕の頭に触れる前に一度猫のように引っ込んで、おそるおそるまた伸びてくる。
「あなたの髪はサラサラしてるわね。でも、頭の分け目がちょっとヘン」
「それ、僕も気にしてるんだよぉ……」
「そう? 私は素敵なジグサグだと思うわよ。サッカー選手がドリブルを描いているみたいじゃない」
「そ、そうかなあ…?」
そう言われると、僕のジグザクな分け目もそんなに悪くない気がしてきた。
やっぱり船乗りもいいけど、夢を追いかけるならサッカー選手でもいいかもしれない。
おばさんと話しているうちに、バスは街の中心部へと着いていた。
◯
おばさんが買い物をしている場所から離れすぎないことと、待ち合わせ場所を広場の噴水の前に決めて、僕は早速買い物に出かけた。
アイス屋もあったけれど、このお金をアイスに消費するのはもったいない気がして、思案しながら道を歩いた。
『よそ見して自転車に轢かれそうになるんじゃあないッ!!』
途中でうっかり自転車に轢かれかけたけど、髪にも現れている生まれ持ったドリブルの才能が開花して、轢かれる直前で見事な回避をし、電灯に頭をぶつけた。痛い。
「食べたら無くなるものより、残るものを買おうかな…」
少し考えて、足が止まったのは古本屋だった。本屋も近くにあったけど、古本屋の方がお宝が眠っている気がする。
見つけるのはネモが欲しがりそうな本だ。スシを食べる頃にきっと戻ってくるはずだから、サプライズで用意してあげたら喜ぶに違いない。
彼は本当にしょっちゅう本を読んでいた。グルメ雑誌を見ていたと思ったら、永遠にクロスワードをやっていたり、『山猫』を読んだりしている。
二人それぞれでやることが異なり、片手に本を持ちながらサッカーをする、なんてこともあった。
(……ネモ、本当に帰ってくるよね?)
本屋の中は図書館のような古紙独特の匂いがする。でもこっちの方がもっとカオスな感じだ。
中にはイタリア以外の本もあり、一部英語のタイトルを読める本もあった。
「わあ、爬虫類に関する本だ! へぇー…」
カエルや蛇だけでなく、さまざまな種類の爬虫類について描かれている。
毒カエルや毒蛇の記載もあった。この『ヤドクカエル』なんかは、捕食した昆虫から毒素を体内に蓄えているって。中でも最強の毒を持つと言われる『モウドクフキヤガエル』は成人を10人も殺す毒の強さを持つって!
蛇の項目はさらに興味深い。この本を買おうかな…。
「あっ、違う。僕が欲しい本を買いに来たんじゃないよ」
しかも古本で3500リラとかかなり高いぞ…。豪華アイスが7個も食べられる。
「何にしようかなあ…」
そこでふと、『人体解剖学』の本が目についた。かなり高い位置に置いてあり、背伸びをしてギリギリ届くか否かの位置にある。
あの本も結構面白そうだな。教科書で見たものよりより詳しい人間の中身を知ることができそうだ。例えば草食動物の腸は肉食動物の腸よりはるかに長いけど、雑食動物の人間の腸の実際の長さはどれくらいか、誰でも一度は気になるだろ?
この質問をネモをした時に「分かんないッピ…」って可愛こぶった返事をされた。(僕はこの時、その可愛こぶった姿にちょっとムカついた)
この本なら人間の腸の正確な長さが記載されているかもしれない。買う・買わないは一旦置いといて、つま先立ちで手を伸ばした。
「ん?」
「わっ!」
僕の指先が、別の指先に触れ合う。映画のワンシーンみたいだった。
慌てて手を引っ込めた拍子に僕は別の本をつかんでしまい、そのまま重力に沿って倒れた。
『ッ………貴様、いくら何でも鈍臭すぎるぞ!!』
反射的に動いた手が、棚のへりをつかんだおかげで頭を打たずにすんだ──かに思えたが、本を抜いた拍子に飛び出たいくつもの本が僕の上に落ちてきて、そのうちの一つが額にクリンヒットする。
「ぐえっ」
何で僕は昔からこんなにアンラッキーな体質なんだろう? 出かけた時、犬のクソを踏むのも、鳥のクソに当たるのもいつも僕だ。ネモがクソの被害を受けたところは一度も見たことがないのに。
「大丈夫か、おまえ」
「え、あ、うん……」
指が当たってしまった子が僕に手を差し出す。
服は白いシャツに短パンで、ほっそりとした足が裾から覗いている。
髪は長くて背中を覆っている。目元は気怠げな感じだ。
(か、かわいい……背がかなり小さいけど…僕より多分年下だよな?)
「本」
「え?」
「おまえもこの本を取ろうとしたのか?」
目の前に『人体解剖学』の本が差し出される。辞典ほどあるそれは分厚くて、もしこれが僕の額に落ちていたら気絶では済まなかったかもしれない。
「ここらじゃ見ない顔だが、引っ越してきたのか?」
「いや、その……僕は
「ふうん………」
『彼女』は相変わらず気怠げな目で、こちらのつま先から頭のてっぺんまでじっくりと見る。その視線が気恥ずかしくて視線を逸らしていたら、彼女はニヤリと笑った。僕の顔はきっと真っ赤だ。
「その…見ようとしただけで、買うつもりはない……から、君が買っていいよ」
「『手に取ろうとした』ってことは、少なからずおまえはこの本の内容に興味があったってわけだ」
「うん……まあ」
「その興味の正体がわたしは気になる」
しゃがみ込んだ彼女は、両手を頬につけてからかうように笑う。普段は人にそんな笑みを向けられると腹立たしくなるのに、今はドキドキしている。この子、笑う時にエクボができるんだ。
「その……君に「変な人だ!」って思われたくないけど、正直に言うと、人の腸の長さに興味があったんだ」
「人間の腸は小腸が約6〜7メートル、大腸が約1.5メートルから1.7メートルと言われている」
彼女は本を開くと、分厚いその中から当該のページを一瞬で探し出した。
確かに腸の図とともに、小腸と大腸の長さについて詳しく書かれている。
「すごいね! もしかして君はこの本を読み込んでいるの?」
「前から買おうと思っていたが、中古でこの値段だ」
「うっ、中古で15000リラ………」
お手伝いをして一日100リラ貯めたとしても、150日はかかる。その間にアイスを買ったりしたら、宇宙が爆誕して地球ができるくらいの途方もない時間がかかる…。
『誇大比喩が過ぎるぞ』
「…なあ、おまえは今いくら持ってる?」
「えっと、財布には5000リラあるけど…」
「………」
彼女は少し考え込んで、指をパチンと鳴らす。今彼女の手持ちは1000リラしかないそうだけど、家に5000リラはあるらしい。
「おまえ
「いや、欲しいとは……」
「欲しいんだろ?」
彼女は首をこてんとさせて、じっと僕を見つめてきた。
────そうだ、僕は思い出した。
僕はこの『人体解剖学』を買うために、遠慮はるばるサルディニアからこの偏屈な田舎に来たんだ! そしてこの子と一緒に人体の不思議に迫りながら楽しくおしゃべりするためにッ! この5000リラがある!!
「すごく欲しいです!!」
『貴様というやつは……』
大声で叫んだ僕に、彼女は自分の口元に人さし指を当てた。
「本屋では
「あっ、はい…」
彼女は僕の財布と本を手に取り店主の元へ向かうと、数分話して6000リラを払いまた戻ってきた。高揚からか、顔がわずかに赤らんでいる。
「4000リラ分まけてくれることになった。これまで足を運んだかいがあったぞ」
「残りのお金は?」
「もちろん後で払いに来るとも。これでわたしはもう誰かの手に渡るスリルを味わわずにすむんだ!」
彼女は心底嬉しそうだ。本を掲げて大きく伸びまでしている。ただその重さによろめいて2、3歩後退し、うっかり転びそうになったから背中を支えた。
「手で持って帰るにしても重すぎるか……おまえが一度持って帰ってくれないか?」
「僕が? 君はどうやって読むの?」
「この近くに図書館がある。明日同じ時間にそこへ来てくれ。…それとも今日にでも帰ってしまうのか?」
「いや、あと何日かはここに滞在してるよ。わかった、明日のこの時間に、図書館で待ち合わせね!」
どうしよう。女の子と二人きりで遊ぶなんて人生初めてだ! ネモが知ったら「オーマイゴッド!」って言うかもしれない。
……あっ、僕ネモに本を買いに…………まあいいか!
「ところで、君の名前はなんて言うの?」
「わたしはチ………
「そっか、チェッカか! 僕の名前は『
「そうか……よろしく、ソリッド」
どうしよう、握手までしちゃった! 僕今日この手を洗えるかな…。いや、外から帰ったら手を洗えってネモが言ってたから洗うか。
楽しみだな、また明日チェッカに会うの!
『こいつに本名はやめておけ。……どうも胡散臭い』
原作キャラの少年期が中性的だった設定にして、ドッピオを(将来的に)怖がらせましょう!