高慢令嬢は、毎晩毛布で反省会をしている 作:高校ジャージ10年目
秋の王立アカデミー恒例行事、登山遠足。
色鮮やかに紅葉した山々は絶景であるが、セレフィーナ・ルクセリアにとって、これはレジャーではなく「雪辱戦」であった。
「見ていなさいリタ。今日こそは、練習した『正常な形の卵焼き』を入れたお弁当を、殿下に完璧なシチュエーションで披露して差し上げますわ」
「お嬢様、意気込みは結構ですが、そのヒールの高さで登山道に挑むのは、雪辱戦というよりはもはや『自爆特攻』に近いかと」
リタの冷静な指摘を背に、セレフィーナは「公爵令嬢の歩みに地形など関係ありませんわ」と豪語して歩き出した。
…そしてその一時間後、彼女は濃霧に包まれた予定外の断崖絶壁に、エミリアと共に立ち尽くしていた。
「せ、セレフィーナ様、道が…道がありません!」
「…落ち着きなさいエミリア。道がないなら、作ればよろしい…っ、きゃあああ!?」
足元の岩棚が、無情にも崩落した。
エミリアを咄嗟に安全な内側へ突き飛ばした反動で、セレフィーナの体が宙に浮く。
(終わった。私の人生、高慢なまま、お弁当も渡せず、ここで崖の苔になるんだわ…!)
「セレフィーナ!!」
鋭い叫びと共に、逞しい腕が彼女の手首を掴んだ。
アルベルトだ。彼は岩場に身を乗り出し、片手だけでセレフィーナの全体重を支えていた。
「…殿下!? 離して、危ないわ! 足場が不安定です、このままではあなたまで…!」
(訳:殿下、早く逃げて! あなたまで落ちたら、この国の未来がなくなってしまうわ!)
必死の制止。
しかし、極限の恐怖は彼女の脳内回路をズタズタに引き裂き、出力バグは史上最悪の「不吉」を選び取った。
「…ふん。一人で死ぬのが寂しいから、あなたも道連れにして差し上げますわ。地獄の底まで、私と一緒に堕ちてくださるかしら?」
その場にいたエミリアが「ひっ…!」と息を呑む。あまりにも邪悪な道連れの誘い。
だが、アルベルトの瞳に揺らぎはなかった。
「…ああ、そうか。君はそんなに俺を離したくないんだな。…わかった、死んでも離さない」
(ええええ!? なんで!? なんで今の『死ね』に等しい台詞で、私の『離さないで』が100%伝わっているの!? この人…なんなの?)
しかし、状況は予断を許さなかった。
救助を呼ぶエミリアの叫びが響く中、アルベルトの支えにしている岩に亀裂が入る。彼の腕は、セレフィーナを落とすまいと限界を超えて震えていた。
アルベルトの顔に、一瞬だけ「力尽きる」ことへの不安がよぎる。
(ダメ。殿下が弱気になっているわ。励まさなきゃ。私を支える力なんて、あなたには有り余っているはずだって、そう伝えなきゃ…!)
セレフィーナは、渾身の力を込めて、彼を「激励」した。
「…安心なさいな。ここで無様に果てるのが、あなたに最もふさわしい最期ですわ。歴史に名を残す間もなく、ただの死体として土に還りなさい。それが私からの、最高の餞別ですわよ!」
…沈黙。
崖の下を吹き抜ける風が、その呪詛を冷たく運ぶ。
エミリアは「もうダメだ、殿下の心が折れる…」と絶望して目を閉じた。
だが、その直後。
「…ははっ」
アルベルトの口から、乾いた笑いが漏れた。
彼の目に、凄まじいまでの「生」の光が宿る。
「…そうだな。君にそんなひどい結末を見せるわけにはいかない。『あなたはここで終わる男じゃない、歴史に名を残す英雄になるはずだ』…そう言いたいんだろう? セレフィーナ」
「…え?」
「君の期待に応えなくてはな…うおあああああ!!!」
アルベルトの腕に、奇跡的な力が戻った。
彼は割れる岩場を蹴り、驚異的な筋力でセレフィーナの体を一気に岩棚の上へと引き揚げた。
転がり込むように安全な場所へ戻った二人。
セレフィーナは、泥だらけのドレスで呆然としていた。
「…助かった…の?」
「ああ。…君の激励のおかげだ。あんなに熱烈に『死ぬな』と言われたのは初めてだよ」
「…………死ぬな、とは一言も言っていませんわよ」
その夜、公爵邸の寝室。
セレフィーナは、泥と涙でぐちゃぐちゃになったプライドを抱えて、毛布の中に引きこもっていた。
「道連れ…無様に果てろ…歴史に名を残さず消えろ…」
自分の発言を反芻するたびに、ベッドの上で激しいローリングが発生する。
「リタ!! 私、もう外に出られませんわ! 殿下の命を救った言葉が『死ね』だなんて、どんな悪役令嬢でもやりませんわよ!」
「お嬢様、落ち着いてください。本日のお弁当の中身…岩場で粉々になったはずの卵焼きを、殿下は泥を払ってすべて召し上がったそうです」
「…食べたの?」
「はい。『形は崩れても、意思は伝わった』と。…もはや殿下にとって、お嬢様の言葉も料理も、三段階くらい深読みして『愛』として受理するシステムが構築されているようです」
リタが淡々とココアを置く。
「本日のリポート。失言数、二件。ですが—殿下は救助隊に『彼女のしごきがなければ、指が滑っていた』と報告されました。お嬢様の罵倒は、今や殿下を守る『聖歌』です」
セレフィーナは、毛布の中で静かに息を吐いた。
崖の上で握られた、あの熱い手。
自分の最悪な言葉を、最高な意味として受け取ってくれた、あの真っ直ぐな瞳。
(…次は。次こそは、せめて「ありがとう」くらい、普通に言いたいわ)
「リタ。明日の朝食、もっとスタミナが出るものにしてちょうだい。…あの方が、歴史に名を残す英雄になれるように」
「承知いたしました。…お嬢様。ちなみに…今の言葉、正常出力ですよ」
「…………寝るわよ!!」
今夜の反省会は、いつもより少しだけ、誇らしい気持ちの混じった静寂に包まれていた。