高慢令嬢は、毎晩毛布で反省会をしている 作:高校ジャージ10年目
王立大聖堂の鐘の音が、雲一つない秋の空に高らかに響き渡っていた。
今日は建国以来、最も美しく、そして最も「不穏な」結婚式が執り行われる日である。
純白のウェディングドレスに身を包んだセレフィーナ・ルクセリアは、控室の鏡の前で、かつてないほどの緊張に震えていた。その白磁の肌は、緊張で普段以上の透明感を放ち、ヴェールの下で揺れる瞳は決意に満ちている。
「…リタ。最終確認ですわ。私の髪に乱れは? ドレスの裾に汚れは? そして…私の喉のコンディションはどうかしら?」
「お嬢様、外見は女神が嫉妬するレベルで完璧です。喉の方も、先ほどから聞こえてくる低いうめき声から察するに、世界を滅ぼす呪文を唱えるには十分な仕上がりかと思われます」
「…ふん。当たり前ですわ。今日という日は、私の『高慢令嬢』としての集大成。神と皆の前で、この上なく淑やかな、愛に満ちた誓いを立てて差し上げますわよ」
(嘘よリタ! 今、私の脳内では愛の言葉が爆発して、出力バグが臨界点を突破しているの! 緊張のあまり、心臓がビールの発酵タンクみたいにボコボコ鳴っていて、普通に喋れる自信がこれっぽっちもないわ!)
重厚な扉が開かれ、父であるルクセリア公爵に導かれて、セレフィーナはバージンロードを歩み出した。
祭壇の奥には、正装に身を包んだアルベルトが待っている。その銀髪は陽光を反射して神々しく、彼がセレフィーナを見つめる眼差しは、言葉を超えた慈愛に満ちていた。
神官が厳かに問いかける。
「汝、アルベルトは、セレフィーナを妻とし、健やかなるときも、病めるときも…」
アルベルトは一瞬の迷いもなく、真っ直ぐに彼女の目を見て答えた。
「誓う。生涯、彼女を愛し、守り抜くことを」
そして、運命の瞬間がセレフィーナに訪れた。
「汝、セレフィーナは、アルベルトを夫とし…」
セレフィーナは深く息を吸い込んだ。
(愛しています、アルベルト殿下。私を選んでくれてありがとう。あなたの隣にいることが、私の人生の唯一の誇りです。一生、あなただけを支え続けますわ!)
全魂を込めた愛の告白。
しかし、彼女の喉にある「出力バグ回路」は、神聖な大聖堂の空気さえも暗黒の色に塗り替えた。
「…ふん。誓うも何も、今日この時から、あなたの魂の所有権は私が永久に差し押さえましたわ。返してほしければ、来世まで私の足元で跪いて慈悲を乞うことですわね! 逃げ出そうとしたら、首輪を付けてルクセリアの地下牢に一生閉じ込めて差し上げますわよ!」
静寂。
参列していた他国の使節は椅子から転げ落ち、神官は聖典を落として震え上がり、参列者たちは「やはり婚姻ではなく奴隷契約だったのか!」とパニックに陥った。
しかし、祭壇の上のアルベルトだけは、堪えきれないといった様子で吹き出した。
「ああ、喜んで。君という名の監獄に一生閉じ込めてもらえるなんて、これ以上の幸福はないよ。差し押さえられた俺の魂、大切に扱ってくれよ、セレフィーナ」
アルベルトは彼女の震える手を取り、そっと引き寄せた。
セレフィーナの顔は、屈辱ではなく、溢れんばかりの羞恥と喜びで真っ赤に染まっていた。
披露宴の会場では、二人の門出を祝う(あるいは解読する)人々の姿があった。
「見なさい、エミリア。これこそが愛の真理よ」
ソフィアが、狂ったような速度で羽ペンを走らせている。彼女の執筆する『セレフィーナ伝』は、今まさに最終章を迎えていた。
「第百八章:永遠の監禁という名の救済。…ああ、高慢という名のヴェールに包まれた、なんと純粋な独占欲。これこそが、民が仰ぐべき聖なる愛の形ですわ!」
エミリアは涙を拭いながら、お祝いの豪華なパイを頬張っていた。
「日曜セレフィーナ様が笑っていらっしゃる!きっと、あれはルクセリア家流の『ずっと一緒』っていうおまじないなんです! そうに決まってます!」
一方、会場の隅で静かにグラスを傾けるクラリスは、遠くから二人を見つめ、小さく微笑んだ。
「…結局、最後まで私には理解できない言語でしたわね。けれど、あんなに幸せそうな『不敬罪のオンパレード』、この国の歴史上二度と見られないでしょう。…おめでとう、セレフィーナ。あなたには、完全にお手上げですわ」
彼女は気づいていた。
セレフィーナの言葉がどれほど歪んでいようとも、彼女を見つめるアルベルトの瞳が、一点の曇りもなく「幸せだ」と語っていることを。それは、言葉というツールを凌駕した、魂の直接対話だった。
宴の喧騒を離れ、二人は王宮のバルコニーへと出た。
夜風が心地よく、セレフィーナの長い髪を揺らす。夜空には満天の星が広がり、地上の騒がしさを忘れさせるような静寂が二人を包み込んだ。
「…殿下。いえ、アルベルト」
セレフィーナは、手すりを握りしめて俯いた。
(さっきの差し押さえ発言、やっぱり言い過ぎだったわ。神様の前でなんてことを…。謝らなきゃ。本当は『私を見つけてくれてありがとう』って、それだけを伝えたいのに)
彼女が唇を噛み、言葉を選ぼうとすると、案の定バグが牙を剥く準備を始める。喉の奥がチリチリと熱くなる。
「…あ、あの、先ほどの無礼は…」
「言わなくていいよ、セレフィーナ」
アルベルトが、彼女の言葉を遮るように優しく声をかけた。
彼はセレフィーナの隣に立ち、彼女が握りしめている「手」をそっと上から包み込んだ。
彼は彼女の手の甲にある、薄い傷跡を見つめた。
それは八話の料理実習で、彼のために慣れない包丁を握り、何度も失敗しながら刻んだ愛の証。
「君の言葉がどれほど尖っていても、君の手はいつもこんなに温かくて、震えている。…俺はね、君の口から出る呪いを聞くのが楽しみなんだ。だって、それを逆さまにすれば、世界で一番甘い愛の言葉になるだろう?」
セレフィーナは、顔を上げることができなかった。
アルベルトの指が、彼女の絆創膏の跡が消えた綺麗な指先をなぞる。
キスを交わすよりも、その指先のぬくもりが、彼女の頑ななバグを溶かしていく。
「君はそのままがいい。毒を吐きながら、俺を支配して、ずっと側にいてくれ。俺が一生かけて、君の言葉を世界で一番正確に翻訳し続けるから」
セレフィーナの目から、一筋の涙が溢れた。
彼女は初めて、言葉で伝えなければならないという強迫観念から解放された。
言葉が事故を起こしても。
形が呪術的になっても。
この人だけは、中身にある「正常出力(本物)」を見失わない。
「…ふん。勝手な解釈は困りますわ。私はただ、あなたが私無しでは生きていけない体になるように、じっくりと時間をかけて毒を回しているだけですもの」
(訳:私も、あなた無しでは生きていけません。見捨てないでくれて、本当にありがとう)
アルベルトは笑って、彼女の手をさらに強く握り返した。
「ああ、もう手遅れだよ。とっくに全身に毒が回って、君以外の薬は効かない体だ」
星空の下、二人は言葉の裏側にある熱を分かち合い、長い時間、ただ手を繋いで夜風に吹かれていた。
深夜。新居となる離宮の寝室。
大きな窓からは、王都の灯りが宝石のように煌めいて見える。
いつもなら、この瞬間に地獄が始まるはずだった。
一人で毛布を被り、今日の失言を思い返しては「あああ!」と叫び、ベッドの上でゴロゴロとのたうち回る。孤独と羞恥に耐えながら、明日のための仮面を修復する作業。
だが、今夜は違った。
「お嬢様。…いえ、王太子妃様。本日のハーブティーです」
リタが温かいカモミールティーを運んできた。
「本日の失言数、もはや歴史の教科書を数ページ書き換えるレベルでした。ですが、殿下の幸福度は、既にこの国の年間予算を上回る状態にあります」
「…リタ。相変わらず一言多いですわよ」
セレフィーナは、ふとクローゼットの隅に置かれた「あの毛布」に目をやった。
ルクセリア家からわざわざ持ち込んだ、彼女の孤独な夜の唯一の相棒。
「リタ。明日、あの毛布は寄付に出してちょうだい。…いえ、リタにあげるわ。寒がりなあなたが使いなさい」
「よろしいのですか? お嬢様の『反省用決戦兵器』だったはずですが」
セレフィーナは、隣でカモミールティーを飲みながら、呑気に「次はどんなお弁当を作ってくれるんだ?」と聞いてくるアルベルトを見た。
彼女は静かに微笑み、そして、いつものように傲然と言い放った。
「…ふん。殿下を常に監視するためには、毛布にくるまって震えている暇などありませんもの。私はもう、前だけを見て歩むと決めたのですわ」
(訳:あなたの隣が、世界で一番温かいから。もう一人で毛布に隠れて泣く必要なんて、なくなったのよ。…大好きよ、アルベルト)
アルベルトは、その微笑みの「正常出力」を完璧に受け取り、満足げに頷いた。
「そうか。それは心強いな。俺も負けないように、君を一生追いかけるよ」
セレフィーナは、毛布を被ることなく、柔らかな布団に身を沈めた。
リタが明かりを消し、部屋に穏やかな月光が差し込む。
隣にいる人の体温を感じながら、セレフィーナはゆっくりと目を閉じた。
明日もきっと、彼女の言葉は事故を起こし、周囲を困惑させ、とんでもない罵倒が飛び出すだろう。
けれど、もう怖くはない。
その事故のすべてを、愛という名の旋律に変えてくれる人が隣にいるのだから。
高慢令嬢は、もう毛布で反省しない。これからは、二人で明日の幸せを語り合うのだから。
番外編をを執筆して、この物語は終わります。
それまでお付き合いください。