高慢令嬢は、毎晩毛布で反省会をしている 作:高校ジャージ10年目
ルクセリア公爵邸の朝は、規則正しい静寂から始まる。
私、リタの仕事は、主人の寝室の重厚なカーテンを開き、この世で最も不器用な太陽を迎え入れることから始まる。
「…おはようございます、お嬢様。起床の時間です」
ベッドの中央には、高級なシルクのシーツに包まれた「巨大なマユ」が鎮座していた。日々の学園生活で放たれた「失言」の数々を反省し、主人が自らを閉じ込めた聖域、通称『反省用毛布』である。
私は手慣れた動作で、毛布の形状を観察する。
しわの深さは平均以上。回転の形跡あり。毛布の端が微かに湿っているのは、昨夜、自らの語彙力のなさに枕を濡らした証拠だろう。
「…判定。昨夜の悶絶レベルは(レベル5)想定の範囲内です」
私が淡々と告げると、毛布の中から「ヒッ」という短い悲鳴が上がり、続いて聞き慣れた、しかしこの上なく毒のある声が響いた。
「…リタ。なんですの、その無愛想な面は。まるで朝露に打たれて腐り落ちる寸前のジャガイモのようですわ。鏡を見るのが怖くないのかしら?」
(訳:おはよう、リタ。今日も時間通りに来てくれてありがとう。あなたがいてくれると安心するわ)
「お褒めに預かり光栄です、お嬢様。その腐りかけのジャガイモが、本日のドレスを選ばせていただきます」
私は表情を一つも変えず、クローゼットから一着のドレスを取り出した。アルベルト殿下の瞳の色と同じ、深い蒼のアセントが入ったものだ。
主人は「そんな忌々しい色、誰が着るものですか!」と罵りながらも、実際にはそのドレスを羽織る際、耳元まで真っ赤に染めていた。
これが、私の日常だ。
セレフィーナ・ルクセリア。我が主人は、思考と出力の間に致命的なバグを抱えている。彼女が「死ね」と言えば「愛している」であり、「消えなさい」と言えば「側にいて」を意味する。
この国家機密級のシステムエラーを、世間に露呈させることなく『高慢令嬢』というパッケージの中に収め続けること。それが、侍女である私の生涯をかけたデバッグ作業なのである。
学園の昼休み。お嬢様がエミリア様やソフィア様、あるいはアルベルト殿下と「有意義な罵倒の応酬」を繰り広げている間、私は別の戦場にいた。
学園の裏庭。人目を忍ぶ大きな樫の木の影。
そこで待っていたのは、アルベルト殿下の第一従者であるハンスだった。彼もまた、私と同じ「鉄仮面」の徒であり、主人の無謀な行動を支える同志である。
「…リタ殿、本日もご苦労。そちらの主人は?」
「先ほど、殿下に向かって『貴様の銀髪をすべて引き抜いて、冬用のラグにして差し上げますわ』と仰いました」
「なるほど。我が殿下はそれを聞き、『彼女は私の体温を心配して、冬の準備を促してくれているのだな』と頬を染めておいでだ」
「…完璧ですね。殿下の翻訳機能は日々向上しているようです」
私たちは淡々と、主人たちの現状を確認し合う。
お嬢様が発する猛毒の言葉を、アルベルト殿下がどう受け取ったか。もし誤解が生じそうであれば、私たちが影で「解釈の補足」を流布する。
例えば、お嬢様が殿下にお弁当を投げ渡した際、「毒を盛りましたわ」と言えば、私はハンスを通じて「お嬢様は昨夜、その『毒』を調合するために五時間も厨房に籠り、指を三箇所も切っておいででした」という事実をリークする。
「…ところでリタ殿。お嬢様が最近、『殿下の首をへし折る』という表現を多用されているようだが」
「それは『あなたの胸に飛び込んで、首に腕を回したい』という独占欲の表れです。殿下には、万が一に備えて首周りの筋肉を鍛えておくようお伝えください」
「承知した。殿下も『彼女の重みなら、骨が砕けても本望だ』と仰っている」
主人たちの会話が「暗殺」や「暴行」の語彙で埋め尽くされていても、私たち従者の間では「最大級のノロケ」として処理される。この情報の断裂こそが、ルクセリア公爵家と王家の平和を守る防波堤なのである。
「リタさん! 見てください! 経典『セレフィーナ伝』の最新章ですわ!」
目を血走らせたソフィア様が、分厚い原稿を持って駆け寄ってくる。
彼女はお嬢様のバグを「神の慈愛」として勝手に神格化している、最も厄介で、最も強力な味方だ。
「…ソフィア様。ここの『セレフィーナ様が殿下を地獄へ誘うのは、現世という名の煉獄から救い出すための聖なる儀式である』という記述ですが」
「ええ! 素晴らしい解釈でしょう!?」
「不敬罪で公爵家が取り潰されます。削ってください」
私は筆を取り出し、迷いなく線を引きまくる。
ソフィア様の妄想は、時として真実を突き抜けて宇宙まで到達する。それを「少しばかり過激な、しかし愛に満ちた公爵令嬢の行動記録」という枠に押し戻すのも、私の重要なデバッグ作業だ。
「リタさんは、セレフィーナ様の本当の凄さが分かっていないのですわ!」
「…分かっておりますよ、ソフィア様。お嬢様はただ、あなたが思うよりも数百倍、不器用で、可愛らしい方だということを」
私は心の中でだけ、そう呟く。
お嬢様が時折見せる、自分の言葉に傷ついて泣きそうになる瞬間の美しさ。それを知っているのは、私とアルベルト殿下だけでいい。
一日の公務が終わり、夕闇が公爵邸を包む頃。
私はお嬢様の自室で、ティーセットを片付けていた。
お嬢様は窓の外を眺めながら、不機嫌そうに呟く。
「…リタ。この紅茶、淹れ方が雑ですわ。まるでお湯に泥を溶かしたような味。もう二度と私の前に姿を見せないでちょうだい」
(訳:リタ。今日一日、私のバグのせいでたくさん苦労をかけたわね。ゆっくり休んで。明日もあなたの顔が見たいわ)
「申し訳ございません。明日は泥ではなく、お嬢様の好みに合わせた最高級の茶葉を用意させていただきます」
お嬢様は「ふん!」と鼻を鳴らして、ベッドへ潜り込む。
その背中を見つめながら、私は遠い日のことを思い出していた。
私がルクセリア家に引き取られたばかりの、幼い頃。
平民出の私を、周囲の使用人たちは「異物」として扱っていた。孤独に震えていた私の前に、当時まだ五歳だったお嬢様が現れた。
彼女は、自分が大切にしていた高級なお菓子を、私の足元に乱暴に投げ捨ててこう言ったのだ。
『…拾いなさい、リタ。こんな下品な味、私には合いませんわ。あなたが私の代わりに、この毒を処理してちょうだい』
当時の私は、その言葉の意味が分からず泣きそうになった。
けれど、投げ捨てられたお菓子の袋には、彼女の手書きで「リタへ。いっしょにたべようね」というメモが、不器用に貼り付けられていた。
お嬢様は真っ赤な顔をして、私がそれを食べるまで、物陰からずっと見守っていた。
あの時から、何も変わっていない。
彼女の吐き出す毒は、いつだって、誰かを守るための、もしくは、愛するための不器用な「盾」なのだ。
そして、物語は最終話の後へと続く。
アルベルト殿下との成婚を終え、もはや「反省会」の必要がなくなったお嬢様の寝室。
クローゼットから運び出される、あの厚手の毛布。
「…リタ。それを寄付に出す際、間違っても私の名前を出さないでちょうだい。ルクセリアの呪いが付いていると、受け取った者が発狂してしまいますわ」
(訳:リタ。長い間、この毛布と一緒に私を支えてくれてありがとう。今の私にはもう、これより温かい場所があるから大丈夫よ)
「畏まりました。この『呪いの毛布』は、寒がりの私が責任を持って、大切に使わせていただきます」
「…は!? な、なんですの!? あなた、私のお古を欲しがるなんて、どこまで卑しいのかしら!」
(訳:まあ、あなたが使ってくれるの? 嬉しいわ。風邪をひかないようにね、リタ)
お嬢様は満足げに、そして少しだけ寂しそうに微笑んで、新居となる王宮へと向かっていった。
私は、抱え上げた毛布に鼻を寄せてみる。そこには、お嬢様が幾夜も流した悔し涙の匂いと、それを何倍も上回る、彼女自身の清廉な花の香りが染み付いていた。
そう。主人は、もう毛布で反省しない。
彼女の隣には、どんな猛毒も愛の詩(うた)へと書き換える、世界で唯一の「翻訳家」が座っているのだから。
「…お嬢様。これからは、お二人の幸せな日々を『記録』することに、私の筆を使わせていただきます」
私は、お嬢様から譲り受けた毛布をそっと抱きしめた。
それは、世界で一番温かく、そして世界で一番不器用な愛の形をしていた。
鉄仮面の侍女の唇が、ほんの僅か、誰にも気づかれないほど微かに、弧を描いた。
完結です。読んでいただきありがとうございました。