高慢令嬢は、毎晩毛布で反省会をしている   作:高校ジャージ10年目

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ただ「おめでとう」と言うだけなのに

 ルクセリア公爵邸の朝、セレフィーナは天蓋付きのベッドの中で、毛布という名の絶対防壁に立てこもっていた。

 

 「…リタ。もう一度だけ、確認させてちょうだい」

 

 「はい、お嬢様。アルベルト殿下の自室にある額縁ですが。昨夜の時点で、ロウソクが左右に配置され、もはや祭壇のような趣になっているとの報告が入っております」

 

 「ああああああああああ!!」

 

 毛布が激しく波打つ。

 

 及第点。その四文字が今や聖遺物のような扱いを受けている事実に、セレフィーナの胃は悲鳴を上げていた。

 

 「もう嫌。今夜の夜会なんて行きたくない。仮病。仮病を使いましょう。リタ、今すぐ医者を呼んで、『不治の失言症』という診断書を書かせて!」

 

 「往生際が悪うございます。今夜は剣術大会の祝勝会も兼ねた重要な夜会。婚約者であるお嬢様が欠席すれば、殿下は悲しみのあまり額縁の前で一晩中祈りを捧げることでしょう」

 

 「重い! 重すぎるわよ!」

 

 セレフィーナは意を決して、毛布から這い出した。髪はボサボサだが、その瞳には奇妙な決意の光が宿っている。

 

 「…リタ。今夜、私は決めているの」

 

 「何をでしょうか。新しい罵倒の言葉でも開発なさいましたか?」

 

 「違うわよ! 今夜こそ、殿下に『おめでとう』を言うの。剣術大会から三日も経ってしまったけれど、今夜こそ、五文字の祝福を届けるのよ」

 

 リタは無表情のまま、手帳を取り出した。

 

 「お嬢様の失言パターンを分析しますと、主な原因は三つです。一、緊張による語彙の収縮。二、高慢フィルターの起動。三、褒めようとする意識が強すぎて脳がパニックになること」

 

 「え…分析されてたの、私」

 

 「三ヶ月前から。対策としては、殿下を『英雄』や『婚約者』として見るのをやめることです。ただの、額縁に失言を飾る風変わりな知人…つまり『等身大の変な人』として認識してください」

 

 「等身大の変な人……」

 

 セレフィーナは反唱した。確かに、額縁の一件を考えれば、あの王子はかなりの変わり者だ。そう思えば、少しだけ肩の力が抜ける気がした。

 

 登校中、馬車がアカデミーの門をくぐる直前、一人の少女が駆け寄ってきた。エミリアだ。彼女は周囲の目を気にしながら、小さな布包みをセレフィーナに差し出した。

 

 「あの、セレフィーナ様! これ…お守りです。夜会、頑張ってください!」

 

 「…何の話? 私はただ、公爵令嬢としての務めを果たすだけですわ」

 

 「はい。でも…セレフィーナ様が、殿下に伝えたいことがあるって、なんとなく分かったので。これは私の故郷に伝わる、勇気が出る香草の袋です」

 

 セレフィーナは、おずおずとお守りを受け取った。

 

 (この子、なんで全部わかるの…? 聖女よりよっぽど予知能力があるんじゃないかしら…)

 

 「…ふん。無駄な気遣いを。ですが、捨てて道端にゴミを増やすのも不本意ですので、預かっておきますわ」

 

 「はい! いってらっしゃいませ!」

 

 エミリアの笑顔に見送られながら、セレフィーナは胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じていた。

 

 夜会。王宮の大広間は、千の宝石を散りばめたような輝きを放っていた。

 

 シャンデリアの光がシャンパンの泡を黄金色に染め、弦楽器の調べが空気を華やかに震わせている。

 

 セレフィーナは、会場の端で壁の花に徹しようとしていた。しかし、その圧倒的な美貌と威圧感は、周囲を「処刑待ちの列」のような静寂に陥れていた。

 

 (落ち着いて、セレフィーナ。殿下はただの変な人。ただの変な人よ。まずは小手調べに、誰かに挨拶して喉を鳴らしておきましょう)

 

 近くを通りかかった知人の令嬢が、怯えたように会釈をしてきた。

 

 (「お会いできて嬉しいです」…これくらいなら、脳の負荷も少ないはず!)

 

 「…本日もご健在で何よりですわ」

 

 (な ぜ !! なんで生存確認になっちゃうの!? 「死んでなくてよかった」って言ってるみたいじゃない!!)

 

 令嬢は「ひいっ」と小さく鳴いて、脱兎のごとく去っていった。

 

 周囲の貴族たちが「さすがセレフィーナ様…一言で家系の存続まで危ぶませる存在感…」とざわめく。

 

 そこへ、眩い光を放つような少女が現れた。聖女ソフィアだ。

 

 「セレフィーナ様! お会いできて光栄ですわ! 昨日の御言葉、さっそく経典にまとめてみましたの。第一章のタイトルは『聖なる雷鳴』にいたしました!」

 

 「やめなさい!出版も流通も、ルクセリア公爵家の名において差し止めますわよ!!」

 

 (私の失言が教義になるなんて、世界が滅ぶ前兆よ…!)

 

 ソフィアはクスクスと笑い、セレフィーナの耳元で囁いた。

 

 「…アルベルト、今夜ずっとセレフィーナ様を探していますよ。あの人、不器用だから自分から来られないんです。私が言ってもいいですか? 『あそこに、あなたの女神が立っているよ』って」

 

 セレフィーナは、赤くなる頬を扇で隠した。

 

 (ソフィア様…あなた、なんていい人なの。嫉妬していた自分が恥ずかしいわ…)

 

 しかし、口から出るのは、やはり別の言葉だった。

 

 「余計なことをなさらないで。私自身が、参ります。あの方の不手際を、私が正しに行くだけのことですわ」

 

 ソフィアの瞳が、これまでにないほど強く輝いた。

 

 「『自分で行く』 ああ、なんて能動的な救済! セレフィーナ様…っ! 尊い…尊すぎますわ!!」

 

 (崇拝はいらないの! でも、きっかけをくれてありがとう!)

 

 セレフィーナは、バルコニーへと続く扉を一人で抜けた。

 

 夜風が、熱くなった頬を心地よく撫でる。

 

 テラスの端。月明かりを浴びて、銀髪の青年が一人で夜空を仰いでいた。

 

 アルベルトだ。

 

 (今よ。今。ただの変な人。额縁に変なものを飾る、ただの不器用な男の人。怖くない。緊張の必要なんてないわ。「おめでとうございます」。たった五文字よ)

 

 靴音が、大理石の床に静かに響く。

 

 アルベルトが振り返った。その瞳がセレフィーナを捉えた瞬間、彼の表情から王族としての硬さが消えるのを、彼女は見逃さなかった。

 

 「—セレフィーナ」

 

 「…殿下」

 

 夜の静寂が、二人を包み込む。遠くで聞こえる音楽が、まるで異世界の出来事のように感じられた。

 

 「何だ。こんな人気の無い場所へ」

 

 「…先日の、剣術大会の件ですが」

 

 「ああ」

 

 アルベルトの声が、少しだけ緊張したように低くなった。

 

 (言うのよ。お・め・で・と・う・ご・ざ・い・ま・す!)

 

 セレフィーナは深呼吸をした。胸の中のお守りが、ほんのりと香草の匂いを放っている気がした。

 

 「あなたの戦い…」

 

 一拍。

 

 彼女の脳内で、言葉が複雑なフィルターを通り、予期せぬ化学反応を起こした。

 

 「…見ていて飽きませんでしたわ」

 

 (……あ)

 

 (おめでとうが!! なぜか鑑賞後の感想文になっちゃった!! 「飽きなかった」って、それ娯楽の感想じゃない!!)

 

 沈黙。

 

 アルベルトは数秒間、固まっていた。

 

 セレフィーナは絶望し、そのままテラスから飛び降りて湖の藻屑になろうかと考え始めた。

 

 しかし、次の瞬間。

 

 アルベルトは、肩を震わせて笑い始めた。

 

 声を抑え、しかしこらえきれないといった様子で、少年のような笑顔を見せたのだ。

 

 「…ははっ、そうか。飽きなかったか」

 

 彼は笑い涙を拭うように目元を指でなぞり、セレフィーナを優しく見つめた。

 

 「君に言われると、それが一番嬉しい気がするから不思議だ。『おめでとう』というありふれた言葉よりも、ずっと君らしくて、心に響いたよ」

 

 (…ずるい。そんな顔で笑われたら、もう何も言い返せないじゃない)

 

 セレフィーナの顔が、今度こそ限界まで赤くなる。

 

 「…セレフィーナ。一つ聞いていいか」

 

 アルベルトが、一歩、歩み寄ってきた。

 

 「…何? 文句ならリタを通してくださる?」

 

 「君は、いつも何を考えているんだ」

 

 セレフィーナは、心臓の鼓動が早まるのを感じた。

 

 「君の言葉は、いつも私の想像を裏切る。鋭くて、冷たくて、けれど……その目が、嘘をついていないように見えることがあるんだ。まるで、言葉とは別の何かを、必死に隠そうとしているような」

 

 沈黙が、重みを増す。

 

 アルベルトの直感は、セレフィーナが最も恐れていた場所に、正確に触れようとしていた。

 

 仮面が、剥がれそうになる。

 

 「私は小心者なんです」「あなたが好きなんです」と、すべてを吐露してしまいたい衝動。

 

 しかし、その瞬間。

 

 サロンの方から、誰かがグラスを割ったような大きな音が響き、談笑の渦がテラスまで漏れ出してきた。

 

 セレフィーナは、反射的に鉄の仮面を再構築した。

 

 「…深読みをなさりすぎですわ。私にあるのは、高貴な義務と、それに基づく正確な評価だけです。おやすみなさいませ、殿下」

 

 彼女は翻るドレスを翻し、踵を返した。

 

 「…おやすみ、セレフィーナ。また明日、アカデミーで」

 

 アルベルトの穏やかな声が背中に届く。

 

 セレフィーナは、彼に見えない角度で、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

 それは、今夜初めての、偽りのない微笑みだった。

 

 その夜、ルクセリア公爵邸の寝室では、もはや恒例となった「毛布反省会」が繰り広げられていた。

 

 「見ていて飽きませんでした! 飽きませんでしたって、私、殿下をサーカスの熊か何かだと思ってるの!? なんでおめでとうが言えないのよ!!」

 

 「お嬢様、落ち着いてください。ベッドのバネが既に悲鳴を通り越して諦めの境地に入っています」

 

 リタが、涼しい顔で夜食の果物を置く。

 

 「本日の失言数、一件。ついに過去最少記録を更新しました。素晴らしい成長です」

 

 「成長じゃないわよ! 緊張で口が癒着して、それしか出なかっただけよ!」

 

 セレフィーナは毛布から這い出し、お守りをじっと見つめた。

 

 (…でも、笑ってた。あの人、また、あんな顔で。私の変な言葉を、嬉しいって言ってくれた)

 

 「嘘をついていないように見える」というアルベルトの言葉が、耳の奥でリフレインする。

 

 (怖い。気づかれたくない。もし中身がただの小心者だと知られたら、すべてが終わってしまう。…でも)

 

 (…気づいてほしいような気も、する)

 

 セレフィーナは再び毛布に潜り込んだ。今夜の毛布は、いつもよりも少しだけ、柔らかい気がした。

 

 「リタ」

 

 「はい」

 

 「…私、今日、自分から殿下のところへ行ったわ。一度も背中を押されずに」

 

 「ええ。初めてのことです。お嬢様が、ご自分の意志で一歩を踏み出した」

 

 沈黙。

 

 「………もう、寝るわ」

 

 高慢令嬢の反省会は、今夜、ほんの少しだけ誇らしさを伴って幕を閉じた。

 

 彼女の「嫉妬」という感情が、いつの間にか「恋」という文字に書き換えられようとしていることに、彼女自身はまだ気づいていない。

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