高慢令嬢は、毎晩毛布で反省会をしている   作:高校ジャージ10年目

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学園祭がはじまった。

 

 王立アカデミーが一年で最も華やぐ三日間。それが学園祭である。

 

中庭には色とりどりの屋台が並び、校舎の至る所から歓声と香ばしい食べ物の匂いが漂ってくる。

 

しかし、セレフィーナ・ルクセリアが所属するAクラスの出し物は、その賑わいとは対極に位置していた。

 

出し物の名は、お化け屋敷「忘却の監獄」

 

そしてセレフィーナに与えられた役割は、順路の中盤で来客を待ち構える「亡霊令嬢」である。

 

「…リタ。改めて聞くけれど、なぜ私がこの配役なのですか? 私はただ、公爵家としての品位を保てる出し物を提案したはずですわ」

 

準備室で、セレフィーナは血のように赤いドレスを纏い、青白いメイクを施された己の姿を鏡で見つめていた。

 

リタが淡々と答える。

 

「お嬢様が『貴族の真髄を見せつける、静寂に満ちた空間』を提案した結果、クラス全員が『それってお化け屋敷のことですよね』と納得した結果です」

 

「解釈違いだわ…!」

 

セレフィーナは扇を握りしめた。

 

外面は完璧な「亡霊令嬢」だ。

 

しかし、その内面は学園祭どころではないパニックに見舞われていた。

 

(無理。絶対に無理。私、暗いの嫌いなの! 幽霊なんて概念自体が怖いの! なんで幽霊役の私が、幽霊が出る場所に一人で立っていなきゃいけないのよ!)

 

「お嬢様、顔色が一段と青白くなりましたね。さすがの役作りです」

 

「…当然ですわ。ルクセリアの名を冠する以上、妥協など許されませんもの」

 

(違うの。これはただの貧血。恐怖による血行不良よ!)

 

そこへ、お化け屋敷の案内役を務めるエミリアが駆け寄ってきた。

 

「セレフィーナ様、準備はいいですか? …あの、お顔がすごく不気味で…あ、いえ、素敵です! 本物の幽霊みたい!」

 

「…褒め言葉として受け取っておきますわ」

 

(エミリア、あなた今『不気味』って言ったわね? 正解よ! 私も鏡を見て泣きそうになったもの!)

 

エミリアが少し心配そうにセレフィーナの顔を覗き込む。

 

「セレフィーナ様、もしかして……暗いところ、苦手ですか?」

 

「…は? なぜそのような根拠のない推測をなさるの。私を怖がらせるものなど、この世に存在しませんわ」

 

(バレてる!? なんでバレてるの!? この子、私の隠し事が筒抜けじゃない!)

 

「それなら良かったです! セレフィーナ様がいる持ち場、一番奥の『処刑の間』になるんですけど、そこが一番暗くて怖い仕掛けがあるって評判なんです。頑張ってくださいね!」

 

(死んだ。私、あの中で心臓が止まって本物の幽霊になるんだわ…!)

 

お化け屋敷がオープンすると、セレフィーナの持ち場である「処刑の間」は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 

セレフィーナはただ、椅子に深く腰掛け、扇を口元に当てて座っているだけだった。

 

しかし、極度の恐怖で体が硬直し、瞬きすら忘れて一点を凝視するその姿は、入ってきた学生たちを戦慄させるに十分すぎた。

 

「ひ、ひいっ…! 本物の亡霊だ!!」

 

「目が合った…今、魂を吸い取られた気がする…!」

 

(吸い取ってない! こっちが吸い取られそうなのよ! 誰かこの部屋の明かりをつけて! 今すぐシャンデリアを三つくらい持ってきてもちょうだい!)

 

客が怯えて逃げ出すたび、セレフィーナの「処刑宣告(実際にはただの恐怖からの呻き)」が変換されて出力された。

 

「…次は、あなたがその椅子に座る番ですわ」

 

(訳:お願い、誰か隣に座ってて。一人にしないで!)

 

「…地獄の底まで、案内して差し上げますわよ」

 

(訳:出口はどこ!? 私を今すぐ外に連れ出して!)

 

その噂は瞬く間に広がり、お化け屋敷は「死ぬほど怖い公爵令嬢がいる」と大評判になった。

 

トラブルが起きたのは、学園祭の二日目の午後だった。

 

お化け屋敷の演出用魔導具が暴走し、館内が一時的に完全な停電状態に陥ったのだ。

 

スタッフの学生たちが復旧に走る中、セレフィーナは「処刑の間」で一人、完全な暗闇に取り残された。

 

(…っ、ああ、もう無理。限界よ)

 

完璧な令嬢の仮面が、音もなく崩れ落ちる。

 

扇を握りしめる手がガタガタと震え、視界が涙で滲む。

 

暗闇は、彼女の小心な心に冷たい棘を突き立てていた。

 

「…誰か。誰か、いらっしゃいませんの…」

 

その声は、いつもの高慢な響きを失い、消え入りそうな少女の震えだった。

 

 

「セレフィーナ」

 

不意に、名前を呼ばれた。

 

扉が開く音もしなかった。

 

暗闇の中から、迷いのない足音が近づいてくる。

 

銀髪の青年—アルベルトだ。

 

「…殿下? なぜ…」

 

「視察に来ていたんだが、停電と聞いてな。君がこの区画にいると聞いて、真っ先に来た」

 

アルベルトがセレフィーナの隣に立つ。

 

暗闇の中、彼の体温が微かに伝わってくる。

 

「手を」

 

「…は?」

 

「暗い場所が苦手なんだろう。手が、これほど震えている」

 

(なんで……誰にも言ったことのない弱点を、この人はあっさりと見抜くの…?)

 

「…苦手ではありませんわ。ただ、視界が不自由なのは不本意なだけで…」

 

言い訳を最後まで言わせる前に、アルベルトは黙ってセレフィーナの右手を包み込んだ。

 

大きな、節くれだった、温かい手だった。

 

セレフィーナの思考が、一瞬で真っ白になる。

 

 

「…殿下。不躾ですわ。離しなさい。私は、一人でも…」

 

(離さないで! そのまま、ずっと離さないで。お願い、どこにも行かないで!)

 

「剣術大会で、君が私に『情けない』と言った時…正直、嬉しかったんだ」

 

アルベルトが、暗闇の中で穏やかに語りかける。

 

「あれは怒鳴られたはずなのに、なぜだか心強かった。君の言葉はいつも逆から来る。でも、向いている方向は、いつも私の背中を守ってくれているように感じるんだ」

 

「…それは…深読みしすぎですわ。私はただ…」

 

「ああ、分かっている。君は高慢な公爵令嬢で、私への評価も厳しい。だが…」

 

アルベルトの手が、少しだけ強く握り直された。

 

「今、この暗闇の中で私を頼ってくれている温もりだけは、嘘だとは思えないんだ」

 

 

沈黙。

 

セレフィーナは、自分の鼓動がアルベルトの手に伝わっているのではないかと気が気ではなかった。

 

恐怖で早まっていた鼓動は、今や別の、もっと熱く、切ない理由で跳ね上がっている。

 

(この人は…本当に、ずるいわ。私の言葉を全否定しているのに、私の全部を受け入れようとしてる…)

 

やがて、魔法の光がボウッと灯り、館内に明かりが戻った。

 

明るくなった瞬間、セレフィーナは弾かれたように手を引いた。

 

「…明かりが戻りましたわ。もう必要ありませんわね」

 

アルベルトは、寂しそうに微笑んだ。

 

「…そうだな。君はやはり、光の下がよく似合う。だが、もしまた暗闇に迷うことがあれば、いつでも呼んでくれ。私は君の『情けない』という叱咤を聞くためなら、地獄の底まででも駆けつけるから」

 

アルベルトはそう言い残し、視察の同行者たちが待つ出口へと歩いていった。

 

セレフィーナは、残された自分の手のひらをじっと見つめていた。

 

(温かかった。それ以外の感想を、今すぐ全力で消去しなさい、セレフィーナ・ルクセリア…!)

 

「お化け屋敷、大成功でしたね! セレフィーナ様!」

 

終了後、エミリアが興奮気味に話しかけてきた。

 

「…ええ、まあ。及第点といったところでしょうか。お化け役の学生たちが、私の顔を見るなり逃げ出したのは心外でしたけれど」

 

「あはは、それはセレフィーナ様が迫真の演技をしていたからですよ! …あ、そうだ。さっき、殿下と手を繋いでましたよね?」

 

セレフィーナの動きが止まった。

 

「…っ、見ていたの!?」

 

「はい。停電のとき、扉の隙間から。なんか…すごくお似合いだなって。王子様とお姫様みたいで」

 

セレフィーナは、扇で顔の半分を覆った。

 

「…余計なことを言いますわね。あれはただの人道的な救護措置ですわ」

 

「あと、セレフィーナ様が暗いところ苦手なの、初めて知りました。なんか……ちょっと、安心しました」

 

「何が安心なのよ」

 

「セレフィーナ様も、普通の女の子なんだなって。…私、セレフィーナ様のそういうところ、もっと知りたいです」

 

セレフィーナは、返せる言葉が見つからなかった。

 

いつもなら「不敬ですわ」とか「馴れ馴れしいですわね」とか、頼んでもいない事故発言が飛び出してくるはずだった。

 

しかし、今は喉の奥が温かくて、言葉にならない。

 

セレフィーナは、小さく、誰にも気づかれないほどの微かな笑みを浮かべた。

 

「…ふん。物好きですわね。エミリア」

 

それは、この物語が始まって以来、彼女が初めて見せた「本物の笑顔」だった。

 

その夜。

 

ルクセリア公爵邸の寝室では、毛布の塊が静寂を保っていた。

 

いつもなら「あああああ!」と叫びながらのたうち回っているはずのセレフィーナが、今夜はただ、じっとしていた。

 

「…お嬢様。本日のリポートを申し上げます」

 

リタが手帳を開く。

 

「本日の失言数、ゼロ件。史上初の快挙です」

 

「……ゼロ?」

 

「はい。一件もございませんでした。お化け屋敷での威嚇は、すべて『役作り』として処理されましたし、何より、殿下とのテラス…いえ、処刑の間での会話においても、お嬢様は一度も不適切な発言をなさいませんでした」

 

「…そう」

 

「怖すぎて口が動かなかった。それが理由でしょうが、後半…殿下に手を握られたあとに口が動かなかったのは、恐怖とは別の理由ですね」

 

沈黙。

 

「…………うるさい。寝るわ」

 

セレフィーナは毛布の中に潜り込んだ。

 

手のひらに残る、あの温もり。

 

暗闇の中で、アルベルトが自分を見つけてくれた瞬間の安堵。

 

(…ゼロ。失言が、ゼロ)

 

それは、彼女がどれだけ完璧な令嬢を演じようとしても届かなかった、一番正直な自分になれた証拠だったのかもしれない。

 

手のひらの熱を胸に抱きながら、セレフィーナ・ルクセリアは今夜、一度も反省することなく、深い眠りへと落ちていった。

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