高慢令嬢は、毎晩毛布で反省会をしている 作:高校ジャージ10年目
王立アカデミーの家政実習室。そこは普段、令嬢たちが淑やかな手つきで刺繍やティーマナーを学ぶ場であるが、今日は違う。
室内に満ちているのは、焼けた醤油の香ばしい匂いと、包丁がまな板を叩く不規則な音、そして…
「…リタ。これは、何ですの?」
セレフィーナ・ルクセリアは、目の前にある「物体」を指差して、隣に立つ侍女に問いかけた。
「お嬢様が『愛情の三角形』と称して作った卵焼きです。…視覚的には、古代遺跡から発掘された呪術用の石板に近い仕上がりとなっております」
「…そんなはずはありませんわ。私は確かに、可愛らしい三角形の卵焼きを目指したはずですのに」
セレフィーナの内心は、荒れ狂う嵐のようだった。
(嘘でしょ!? 形にしても事故るの!? 言葉がダメなら形で伝えようと思ったのに、形すらも私の善意を裏切るというの!?)
今回の課題は「親しい者へ贈る弁当の製作」
セレフィーナは決意していた。言葉にすれば罵倒に化ける。ならば、黙ってお弁当を渡せばいい。手作りの温もりが、言葉以上の雄弁さで「あなたを大切に思っています」と伝えてくれるはずだと。
しかし、現実は非情だった。
彼女が丹精込めて作ったお弁当箱の中身は、お世辞にも「愛情」とは呼べないオーラを放っていた。
卵焼きは角が鋭利すぎて、何かの魔法陣のパーツのよう。
人参の飾り切りは、複雑な幾何学模様を通り越して「未知の文明の紋章」へ昇華。
整然と並べられたミートボールは、串に刺さった姿が「生贄を運ぶ行列」に見える。
全体の色調がなぜか暗く、蓋を開けた瞬間に「…召喚?」と呟いた生徒がいたほどだ。
「セレフィーナ様、お弁当…できましたか?」
エミリアが恐る恐る覗き込み、一瞬で石化した。
「…エミリア。どんな思いを込めたか、聞いてもよろしくてよ?」
「…あ、愛情…ですよね?」
「当然ですわ。これほど分かりやすい愛情の形が、他にありますこと?」
(ごめんなさいエミリア! 今すぐそれをゴミ箱に捨てて! 私が作ったのはお弁当じゃない、何かを呪い殺すための儀式用具よ!)
ふと隣の調理台を見ると、クラリス・ド・マルクが完璧な手つきでお弁当を仕上げていた。彩り、栄養バランス、そして「食べてほしい」という意思が伝わる、あまりにも完璧な仕上がり。
(…正確だわ。クラリスの言葉と同じ。彼女のお弁当には、一寸のバグも、呪術的な気配もない…)
セレフィーナは、そっと自分の「儀式用具」の蓋を閉めた。
昼休みの憩いの広場。
セレフィーナは、重い足取りでアルベルト殿下を探していた。
(渡せない。あんなもの渡せるわけがないわ。毒見を疑われるどころか、宣戦布告だと思われてしまう。やっぱり、余剰在庫としてリタに処理してもらうべきだわ…)
踵を返そうとした、その時。
噴水の前で、アルベルトがクラリスと向き合っているのが見えた。
「殿下、良ければ。私の故郷の料理で作りましたわ。お口に合うと嬉しいのですが」
「ありがとう、クラリス嬢。いただこう」
クラリスが差し出す、宝石箱のように美しいお弁当。
アルベルトの穏やかな微笑み。
それを見た瞬間、セレフィーナの胸に、説明のつかない熱い塊が込み上げた。
「負けたくない」。それはこれまでの高慢なプライドとは違う、もっと泥臭くて、痛切な感情だった。
(…渡さなきゃ。あんな不気味なものだけど。でも、私が作ったの。初めて、指を切りながら作ったのよ)
セレフィーナは、震える手で包みを握りしめ、二人の前へ踏み出した。
「…殿下」
アルベルトが振り返る。彼の視線が、セレフィーナの手元にある不器用な包みに落ちた。
「セレフィーナ。君も、弁当を?」
「…これを。別に、あなたのために作ったわけではありませんわ。我が家の厨房で発生した、余剰在庫の処分ですわ。捨てるのも忍びないので、あなたにその権利を譲って差し上げますわよ」
(訳:あなたに食べてほしくて、一時間かけて作りました。手が何度も切れました。今も絆創膏が三枚貼ってあります。お願い、見て見ぬふりをして食べて!)
アルベルトは、クラリスの弁当を脇に置き、セレフィーナの包みを両手で受け取った。
蓋を開ける。
周囲の学生たちが「ひっ…!」と息を呑むのが聞こえた。白昼の広場に、突如として現れた「呪いの儀式」。
クラリスも、絶句している。
(…あのお弁当。あの不吉な形。あれも計算? 殿下の精神を揺さぶるための、高等な戦術なのですか…?)
しかし、アルベルトだけは違った。
彼はじっと、その不気味な造形の卵焼きと、生贄のようなミートボールを見つめていた。
そして、おもむろに箸を取る。
「殿下! それは…流石に…」
クラリスが止めようとしたが、アルベルトは迷いなくそれを口に運んだ。
沈黙。
セレフィーナは、自分の心臓の音が広場中に響いているのではないかと恐怖した。
「…味は、いい。いや、驚くほど美味しいな」
「当然ですわ。ルクセリアのレシピを甘く見ないでいただきたいものですわね」
(本当!? 味は死んでなかったの!? 神様、ありがとう…!)
アルベルトは次々と、その「紋章」のような人参や「石板」のような卵焼きを食べていく。
そして、最後の一つを飲み込むと、ふっと目を細めてセレフィーナの手元を見た。
「…セレフィーナ」
セレフィーナは、反射的に手を後ろに隠した。
「…料理実習ですもの。少しくらいの不手際は、公爵令嬢としての余裕というものですわ」
「そうか」
アルベルトが、そっと彼女の手を取った。
大理石のように白い彼女の指先に、彼はそれを、まるで壊れ物を扱うような手つきで確認した。
「次は、怪我をしないで作ってくれ」
「…っ」
セレフィーナの喉が、熱くなった。
皮肉を言われると思っていた。笑われると思っていた。
でも、彼は中身だけを見てくれた。不気味な形の奥にある、彼女の「本当の努力」を。
高慢フィルターが起動しようとして、しかし、今度は彼女自身の意思がそれを押し止めた。
「…次は、もう少しうまくやりますわ」
正常出力。事故なし。
アルベルトは、この日一番の、偽りのない笑顔を見せた。
「…ああ。楽しみにしている」
その夜、ルクセリア公爵邸。
セレフィーナは、ベッドにダイブするなり、毛布を時速百キロで巻き取った。
「余剰在庫の処分!! 余剰在庫の処分って何よ、私!! 愛情を込めたお弁当を、在庫扱いする令嬢がどこにいるのよ!!」
「お嬢様、落ち着いてください。本日のお弁当の形に比べれば、その発言はまだ『詩的』な部類に入ります」
リタが淡々とお茶を淹れる。
「本日のリポートです。失言数、二件。…ですが、最後に『次は、もう少しうまくやりますわ』という正常出力が記録されました。これで通算二例目です。おめでとうございます」
セレフィーナは毛布から少しだけ顔を出した。
「…また、出たのね。正常出力」
「はい。今回は意識的にバグを止めたのではなく、心から出た言葉が、そのまま口を突いて出たようです。お嬢様、変化を恐れてはいけません」
セレフィーナは、指先を見つめた。
「次」と言われた。
形が呪術的でも、言葉が事故を起こしても、あの人は「次」を待ってくれている。
「リタ」
「はい」
「…明日から、料理の練習を増やすわよ。あの、石板みたいな卵焼きじゃなくて…ちゃんと、卵の形をした卵焼きが作れるように」
「承知いたしました。厨房の料理人たちには、防火訓練を強化するよう伝えておきます」
「え?リタ、あなた今、失礼なことを言わなかった?」
「気のせいです」
その夜、セレフィーナは反省する代わりに、頭の中で卵焼きを焼くシミュレーションを繰り返した。
形はまだ不格好かもしれないけれど、彼女の「出力」は、少しずつ、けれど確実に書き換えられようとしていた。