放課後。赤く染まった夕暮れ時。オレンジ色の太陽が、ゆくりと沈んでいく。細く千切れた雲も、白地に橙を載せてゆったりと西の空へと流れている。
体育館で活動する部活動も終了し、周辺は広く閑散としている。
――告白するには、絶好のシチュエーションだ。
駒王学園の体育館裏。佐藤は動悸する心臓を落ち着けるべく、深い深呼吸を繰り返していた。痛む胸を押さえ、必死の表情で。しかし心を鎮めようとどれほど意識しても、これからやってくるであろう人物のことを思うと……全身が緊張でこわばり、熱を持ってしまう。
それも、やむなし。佐藤は、彼女の人生で初めての一大事を為そうとしているのだから。
相手は、同じ部活動の先輩だ。苗字を聞けば、駒王の生徒ならば直ぐに誰か分かってしまうほどの有名人。女子生徒が黄色い声で毎日歓声を上げるほどの美形。その上性格まで良しとくれば、人気が出ないはずもない。
惹かれた理由は、入部したてで右も左もわからかった彼女に、やさしく丁寧に接せられたから。
ありがちな片思いの理由に、ありがちな告白のシチュエーション。告白対象が有名人という条件も合わせれば、どこの乙女ゲームかと突っ込まれるだろう。相談した友人にも、いかにもなテンプレートだとぼやかれた。同時に、絶対に無理だからやめておけ、という忠告ももらった。
佐藤ももちろん理解している。今まで幾人もの女子生徒が彼にアタックをしてきたか――幾人もの生徒が振られたか。付き合っている女性の存在は確認できなかったが、彼が兼部している部活動の噂を聞けば、彼女がいても不思議ではない。そもそも自分の名前も憶えられていないかもしれない。彼が指導した生徒は他にも大勢いる。いちいち自分の名前なんて記憶していられないだろう。
9割9分不可能だ。あらゆる意味で、この告白は失敗する――
佐藤は両の手で頬を張った。落ち込みかけた自分の気持ちを奮わせる。おそらく、この告白は失敗する。理解している。それでも、一度抱いたその感情を、吐き出さずに溜め込むなど――佐藤には我慢ならなかった。どれだけ可能性が低かろうと、どれだけ不可能な蛮行であろうと――気持ちをぶつけずにはいられなかった。理解はしていても、納得することはできなかったのだ。
しなかったことを後悔するよりは、やって後悔するほうが何倍もましだ。そういう意味で、佐藤は前向きな少女だった。
……やがて、その時が来た。
「やあ、佐藤さん。さっきぶり」
「あ……!き、木場先輩!」
彼の姿を見た途端、佐藤の全身を覆っていた熱は一気に燃え上がった。鼓膜が破れるのではないかと思うほど大音量の鼓動が佐藤の耳へ轟く。木場が来ることは分かっていたはずなのに、彼女は動揺してしまっていた。
「あまり話したことがなかったのに、急に呼び出されてびっくりしたよ」
「うぅ……すみません、あの、その……」
「いや、いいよ。驚いたってだけだから。それで、呼び出しの理由は?」
「ええと、その……」
どこまでも穏やかな木場の声。対して佐藤はしどろもどろだ。言うべきセリフが頭からすっ飛んでしまった。相対して時間がたつほど、焦りが焦燥に変わってゆく。
ふと、木場は考え込むそぶりを見せた。
「……ふむ。もしかして、僕はカツアゲされてしまうのかい?」
「な、ち、ちが……!」
唐突な木場の言葉に、佐藤は絶句してしまう。
「うーん。佐藤さんには悪いけど、今手持ちがあんまりなくてね……どうしてもというなら、後でまとまったお金を持ってくるけど」
白々しいほどに棒読みな木場の口調。だがしかし、佐藤は先刻の衝撃でそれを演技だと見抜けなかった。
「とりあえず、少ないけど今はこれで勘弁して……」
「違いますっ! 私、カツアゲなんかしません!」
財布を取り出そうとした木場を、必死な大声で佐藤は制止する。木場はにこやかな表情で、佐藤に言った。
「うん、知ってるよ。佐藤さんはそんなことしないってことぐらい」
「え……?」
ここにいたり、佐藤は自分が目の前の先輩にからかわれているのだと気が付いた。
「うぅ、先輩、酷いです……」
「アハハ、ごめんゴメン。でも、緊張はとれたみたいだね」
「え……?」
しどろもどろだった口調は、はっきりとしたそれに戻っていた。木場は、佐藤の緊張をほぐすためにあえて彼女をからかっていた。それに気が付かないほど、佐藤は鈍感ではなかった。
「先輩……」
「うん、何だい?」
木場は微笑みながらも、佐藤の目を真摯に見つめている。頬の照り具合は依然として変わらず、しかし今度ははっきりと、佐藤は自分の想いを告げた。
「先輩、あなたのことが好きです。部活動に真剣に打ち込む姿が好きです、素人同然の私に優しく指導してくださったあなたが好きです。こんな私のことを気遣って下さる、そんな先輩が大好きですっ!」
言った。言ってしまった。佐藤は想いを告げ終えた途端、ぎゅっと目を閉じた。全ての想いを込めた、彼女の告白。とうとう伝えてしまったのだ。
さて、そんな佐藤の、初めての恋は。
「……ごめんなさい、佐藤さん」
残念ながら、成就することはなかった。
「あ……」
佐藤の中で、何かが転がり落ちていった。彼女は目を開ける。そこには、悲しそうな表情を見せる木場の姿があった。
「君が僕を好いていてくれた、というのは本当にうれしい。だけど……僕は、君の好意に応えられない」
沈痛なまでに痛ましく顔を歪め、木場は言う。佐藤はそんな彼を見て、ああ、この先輩は真剣に私を振ってくれているのだと、どこか遠いところから眺めるかのように思った。
「……そう、ですか」
「……」
「……すみません、先輩。空気悪くして……いえ、こんな時間に呼び出して」
「いや、謝るのは僕の方だ。佐藤さんは悪くない」
「アハハ。こんな時でも……先輩は、優しいんですね」
「佐藤さん……」
佐藤は大きく伸びをした。暗みつつある思考を、閉ざすように。
「……先輩、今日は本当にありがとうございました。また……部活で」
「……ああ、また明日」
素っ気ない別れを告げ、佐藤は体育館裏を後にする。分かっていたことだ。自分なんかでは、先輩には釣り合わない。さんざん友達に言われ、自分でも分っていたことだ。
それでも、期待していたのだろう。木場が振り向いてくれることを。だからこそ、それが砕けた時の衝撃は、重すぎた。
思考は空白のまま、自転車置き場まで歩き。ふと、彼女を制止する友達の言葉を思い出す。
「……初恋は実らない、か。ホントだね、トモちゃん……」
ぽつりと呟いて。
佐藤は、静かに涙を流した。
木場祐斗はしばらく、体育館裏を動かなかった。むっつりと目を閉じ、腕を組んで。そうして日が落ちかけたころ、木場はぽつりとつぶやいた。
「ごめんね、佐藤さん……」
精一杯の想いを込めて、木場に告白した佐藤。誇張でもなんでもなく、木場は素直に嬉しかった。かわいい後輩から告白されて、嬉しくないはずがなかった。それでも、木場には彼女の想いを受け取れない理由があった。
組んでいた腕を下ろし、一つ息をつく。ポケットから携帯電話を取り出し起動させた。
「……やっぱ、言えないよね……」
悲しげに、木場は待ち受けの画面を見つめる。
「二次元の嫁がいるなんてさ」
木場祐斗。駒王学園に通う高校二年生の悪魔。神器を持つ、リアスグレモリーの