空の花筏 作:パインサイダー
最後まで書ききれるように頑張るんだ。未来の己。
「あー、まずはおめでとう。今日から君達の肩書は、高校生だ。」
口下手な祝意が教室に集う新入生達に対して贈られる。言葉としては普遍的な意味でしかない筈なのに、自覚させられる意図としては深みがある。……気がした。
今日は羽丘学園の入学式。体育館で在校生と保護者達に祝福を受けてから、教室に移動したばかりだった。周囲を盗み見ると、そこには新品の制服に身を包んだ同級生たちがずらりと座っていた。
「私はこのクラスの担任として一年間君たちを受け持つことになった。よろしく頼む」
今日から担任となった大人が厳かな表情をしながら告げる。これは神聖なる儀式だと言わんばかりに、教室にはピンと張りつめたような空気が漂っている気がした。
事実、教卓を陣取る男性の表情に遊びはない。中坊から一段階繰り上がったばかりの未成年が逆らえる雰囲気でもなかった。
「プリントは全員受け取ったな?まずは、―――」
偶然にも一番左後方の座席を確保した自分は、窓の外を眺めて唯々面白味のないチュートリアルを聞き流す。真面目に傍聴、なんて億劫なことをするのも馬鹿らしい。
反抗期よろしく明確に抵抗の意思を見せるつもりは毛頭ないが、興味のないことにキャパを割くつもりもなかった。この態度こそが反抗期だと指摘されてしまえば、否定はできないかもしれない。
穏やかな陽気と共に桜花がひらりはらりと滑空する。緩やかな風に身を委ねて、少しでも多く羽ばたきたいと言わんばかりに。誰かの始まりを祝福するために、何度だって咲き誇るのだろう。
らしくない感傷だ。一つ前の三年間が終わったことで、刷新された現実を目の当たりにしたからだろうか。
「この後で教科書は配布するから、―――」
親友として毎日バカ騒ぎしていたあいつは自分よりも偏差値が上の高校に進学した。春休みに暇を持て余してボウリングに通いまくって以来、連絡も取っていない。別々の環境に順応していけば自然と疎遠になっていくのだろうか。
クラスで気になっていた女子も同じ学校にはいないようだ。声をかける度胸を持ち合わせていなかったから、どこへ行ったかも知らない。付き合いたいと努力する程執着していなかったけれど、初恋に当て嵌められるぐらいには忘れられない思い出だ。
他にも色んな人と交流を重ねた。部活でタッグを組んでいた相棒に、熱血故に周囲からは疎まれていたけれどなんだかんだ嫌いではなかった教師。その環境が当たり前だったから気にも留めていなかったけれど、もう二度とあの日々に戻れないと自覚すれば妙に胸を締め付けられるような気がした。
「とりあえず、男子は―――」
そして、別れの季節にも桜は自分たちを彩っていた。……ああ、だからか。
桃色の風景に紐づいた訣別の日がこんな後ろ髪を引かれるような痛みを思い返させるのだ。まだ高校生として積み上げた記憶がない今だからこそ、らしくない回想に思いを馳せていたのだろう。
幼稚園の頃の記憶なんてほぼ残っていないし、小学校6年間も高学年辺りの記憶がギリギリ残っている程度。今の自分としての自我を確立したのが思春期に片足を突っ込んだ中学生から。
そんな自分にとってあの3年間は心の根幹を形成するに至った輝かしい日々だった。だからこそ、あの舞台から降りた今となっては、眩しすぎた。
「……ねぇ」
横から囁かれた声にぼやけていた意識がはっきりする。眠気を引っ張っている時のような酩酊感がかすかに残っていたが、無理やり押し返した。
そのまま流れるように右を向いて、そこには太陽がいた。
太陽はミルクティーを溶かし込んだ様な綺麗な髪を結え、飼い猫の様に人懐っこい笑みを浮かべていた。目が眩んでしまいそうな笑顔を浮かべた彼女は、何処か愉快げに頬杖をついていた。
どうやら気を抜いていたのを見られていたらしい。その事実に若干頬が熱を帯び始めた、ような気がする。
「……すまない、ぼうっとしていた」
「あ、やっぱり?なんとなくそう思ったんだよね〜」
彼女はクスクスと笑った。初見でも見惚れてしまいそうな、まるで一枚絵みたいに完成された微笑みだった。初見ではあるけれど『らしい』表情と評するべきなのだろうか。
なんて着飾った言葉を内心で並べているけれど、なんてことない。ただただ、一目惚れしてしまったことが一目瞭然な己の存在を誤魔化してしまいたくなっただけだった。
「それより、良いの?」
「何がだ?」
「なんか教科書の受け取りに行くとかで、男子全員廊下に連れて行かれたよ?」
「マジで!?」
反射的に廊下側に目を向けると、そこにはゾロゾロと教室から出ていく男子一同の姿があった。
まずい。普通に思春期拗らせて話聞いていなかった弊害が出ていた。やっぱり慣れないことはするもんじゃない。
幸いなことにまだ廊下で整列している最中だった様で、今から合流すれば間に合いそうなのが救いだった。
「スマン、ありがと。急いで行ってくるわ」
「アハハ、気にしなくても良いよ?お隣さんのサービスってやつ?」
「なんじゃ、そりゃ」
言葉を数回交えた程度だというのに伝わってくる善性に妙にむず痒さを覚える。コミュニケーションに対する適正が低いことを自覚している身としては、初対面なのに優しい異性とか猛毒にしかなりえない。異性に優しいギャルは存在したのか。
むず痒さに似た恥ずかしさを抱えながら慌てて席を立つ。流石に登校初日に尖った行動をするのは費用対効果に釣り合わない。平均的で模範的であれとまでは主張しないが、せめて5、6月辺りまで経てそれ相応に交友関係を構築してから個性を出すべきだろう。
「あ、そうだ。言い忘れてた」
「……何をだ?」
一刻を争う場面で彼女に呼び止められた。男子達の列がぞろぞろと何処かへと流れ始めているのが見えている以上、立ち止まっている猶予なんてないというのに。
いたずら猫のように目を細めて微笑む顔を見つめると、やがて喉を鳴らすような緩い声で話し始めた。
「名前だよ。まだアタシ達はお互いの呼び名すら知らないじゃん」
「それ急いでいる時にすることかなぁ!?」
「自己紹介は大事だよ。『ふぁーすといんぷれっしょん』ってやつ?」
けらけらと愉快気に笑う彼女は第一印象から外れなかった。人の尺度をぬるりと抜け出してくるような、そんな自由奔放さがあった。
これまでの人生で交流してこなかったタイプだった。女性に対する免疫なんて然程獲得していないのだから当然ではあったが。
「アタシは、今井リサ。一年間ヨロシク~」
けれどそれに嫌悪感を覚えることがないのは、愛玩動物のような存在感を無意識に受け入れてしまったからなのかもしれない。
確実に言えることがあるとするならば。此度の桜も出逢いを載せてきてくれたのだ。自分の名前を伝えながら、そう思うことにした。
今井リサの隣の席に座って何気ない会話を楽しみたい人生だった。