「はい、立てこもりはもうやめるっスよ〜」
平日真っ昼間の工事現場の騒音がマシに感じるほどの銃声はもうしなくなっていた。
正確に言えば、「しなくなっていた」のではなく「間隔が開いた」のだ。
仲正イチカはその違いをよく知っていた。弾切れではない。立てこもりの犯人が撃ってくるのは、こちらが動いたときだけだ。
つまり相手は冷静で、弾を無駄にしない。訓練を受けている。
「色々と事情があるのはわかったっス、だから早いうちに出てきてくれるとこちらも助かるっスよ〜」
返答はなかった。その代わりに一発の銃弾が撃ち込まれてきた。
(厄介な相手っスね。)
窓はふたつ、どちらも内側からシャッターが下ろされた。後部に非常口があるが、あちらへ回った後輩が一人、さっき銃撃を受けて負傷した。かすり傷だが。
バンッ
乾いた音が石畳に反響し、白く大きな筒状のものに命中。
プシューーーー
ここはキヴォトス、死が最も縁遠い場所。
刃物に銃弾、爆弾でさえ彼女たちを害せない。
外の世界にとってはお花畑のような世界。
ただし、催涙ガスの類は目に染みるため取り扱いに注意が必要である。
・・・・・・
仲正イチカの判断は迅速であった。
「総員退避っス!!!動けるものは風上の方へ移動!上着なんかも脱いでガスから距離を取るっスよ!!」
まったく、どうしてこうも面倒なことになるのだろうか。
犯人が立てこもりをした原因もわかっている。あの娘はイジメ被害者を救出する際、加害者を傷つけてしまったらしい。それで加害者が正実に通報、私達が駆り出されてしまったというわけだ。
あぁ、嫌になる。
イジメをやっていた奴が被害者のような顔をしている。自分はそのことを咎められずにいる。善人そうな娘を犯人として追い詰めたにも関わらず、痛い反撃をもらって後輩に手傷を負わせてしまった。
こんな陰湿なトリニティが嫌になる、こんな無力な自分が嫌になる。
しかし、投げ出すことはできない。私はみんなの先輩で正実のメンバーなのだから。
(なんで、正実に入ったんだっけ。)
少なくとも無実の生徒を犯人として捕まえるためではない。
いや、後輩に手を出されたのだ。もう真面目に対処する必要がある。最悪自分一人で対処すれば...
(あっ、そういえば)
犯人が閉じこもっている大聖堂近くの小屋から見て上座の位置。
風に流れる赤ともピンクともいえない下品な空気の塊を見て、
正義実現委員会2年生仲正イチカは思い出した。
「あー、今日はコハルが補修授業部に編入する日だったっスか。この後も忙しくなりそうで大変っスね。」
少し困ったところもあるが、誰よりも正義感が強く優しいところがある後輩のことを。
「ん……。ターゲット確認。ショット。...命中を確認。」
立てこもりの犯人こと、白洲アズサは冷静であった。
「これで少しは楽になるはず。何か打開策を見つけないと。」
小屋の内部を低い姿勢で横切り、壁際へ。扉には近づかない。窓にも近づかない。外から見えるところには立たない。これはアリウスで叩き込まれた基本だ。
目の前で行われた卑劣なイジメを見て動かないアズサではない。
たとえ命よりも大事な家族に不利益を与えるとも、彼女の強さ、正義の心が黙っていることなどあり得ない。
それゆえに、アズサは少しの反省はしたけれど、後悔なぞしていない。
自分の心に嘘をつくことの愚かさを彼女は人一倍知っている。
あの赤い大人でさえも、彼女を塗りつぶすことはできなかった。
しかし、今の自分はスパイ。家族のためにもこれからのためにも、ここで捕まるわけには行かない。
きっとここは物置なのだろう、古びた木の棚に、錆びた工具。積み上げられた椅子の足。隅には何故か光り輝く埴輪まである。
棚を動かしたとき、床に気がついた。
石畳の一枚が、周囲と微妙に色が違う。摩耗の具合も異なっている。
最近動かされた、あるいは元々別の目的で設置された石だ。
アズサはしゃがんで端に指をかけた。重い。
両手を使って引き上げると、その下に鉄製の蓋があった。マンホールと同じ構造だ。
引き手に指をかけて持ち上げた。
「これは...地下通路か。」
風は通っているようだ。下から来る空気は冷たく、土と古い石の匂いがした。
ガスが溜まっている心配もない。
それにここはトリニティ、無駄に長い歴史と広い土地がある。
全ての地下通路の把握なんてできていないに違いない。
籠城をするにも食料などが心許ない、一度逃げ出して体制を整えるべきだ。
これはいいチャンスだ。
運気がむいてきた。そう感じたアズサはゆっくりと梯子を降りて地下へ進む。
ようやく地面に足がついた。懐中電灯は持っていない。スマートフォンのライトを使った。壁は石積みで、所々に水染みが広がっている。天井は低い。背の高い人間なら頭をぶつけるだろう。アズサにはちょうど良かった。
暗くて不気味だが、風通りは良い地下通路。少々不潔なところもあり、年頃の女の子には敬遠されるような場所だが、アリウス育ちの彼女には関係ない。もっと劣悪な環境で訓練を積んできた。石畳の隙間から滴る水が足元を濡らしても、表情ひとつ変えない。
ずんずんと進んでいく。
途中に扉を見つけた。こんなところには似つかないオシャレな扉だ。
その扉だけが磨かれた木材で作られており、縁に細かい彫刻が施されていた。
年季は入っているが、朽ちていない。大切に使われてきたか、あるいは誰も触れなかったかのどちらかだ。
こんな地下だ。きっと後者だろう。
どこか既視感を覚えたアズサ。
よくよく見ると、扉の縁から光が漏れていることに気がついた。
蛍光灯の白い光ではなく、揺れる暖かい色の光だ。炎の光。
中に誰かいるのかもしれない。
正実の彼らと挟撃でもされたらたまらない、制圧してしまおうか。
体が発する不安を抑え込む。
扉を蹴れば左側に開く。その瞬間に踏み込んで右へ。
一呼吸。
扉を蹴り開け、素早く銃を構える。
「ふむ……か、棺桶っ?!」
部屋の中には、あまり意味がなさそうな光しか発さない燭台。
机と椅子、コップ一つに棺桶があった。
アズサは怖いものが苦手というわけではない。
だが、怖いもの知らずというわけでもない。
突拍子のないことには驚くし、人並みに怖がる。
顔にはあまり出ないけれど、感性豊かな女の子なのだ。
銃を構えたまま、部屋を一周するように視線を走らせた。
人間はいない。隠れられる場所もない。棚も壁際の棚も、すべて開いて確認できる。
残るのは棺桶だけだ。
黒塗りの木材。金具は真鍮製で、くすんでいる。蓋の隙間から光が漏れていない。中は暗いはずだ。それでも。
ギギギ...ギィッ
もう一度言っておこう。
彼女は、顔にはあまり出ないけれど、感性豊かな女の子なのだ。
だから、部屋にあった得体の知れない棺桶の蓋が開こうものなら、びっくりして大声を出してしまうものなのだ。
「ッうわあああぁッッッ!!!!!!!!!!」
「・・・・おおおおえええええええええ!!!!!!!」
驚くアズサに共鳴したのか、叫び始める正体不明の女。
「おっ、お前は誰だ!正実の仲間か!!」
銃を構えて、問い詰めるアズサ
「待って待って!正実ってなんのこと?!何もしないよ!!だから銃を下ろして!!」
棺桶から上半身を起こした人物が両手を上げた。金色の瞳。巻いたような髪。白い服。
見慣れない制服だった。いや、どちらかというと宗教服の要素を感じる。
少なくともトリニティではない。
「そんなの信じられるか!!じゃあなんでこんな棺桶に入ってたんだ!!けっこう怖かった!!」
「わー!!ごめんね!でもちょっと私も説明できなくてさ!ここから出てもいいかな!?」
叫ぶように会話をする二人。
燭台が映す影が揺れる。
「あのね!私の名前はロメ!まずは自己紹介から!どうかな?」
「…………。」
アズサは相手を観察した。両手は上がっている。
ツノはない。翼もない。
敵かどうかはまだわからない。
「・・・あぁ、構わない。でもまずはロメから状況を話して、もちろんわかるところまででいい。」
頷いて、あたりをキョロキョロとするロメ。
「うっうん。えっとね、私がいるこの部屋の名前はアーケ...だと思う。霊安室的な扱いを受けてたと思うんだけど...」
「れっ、霊安室!!」
アズサは反射的に半歩下がった。部屋を改めて見回す。
ゾッとした。
「...なるほど、わかった。ロメはお化けということか。」
「おっお化け!?違うよ!生きてるよ!」
「お化けめ、覚悟しろ。今、楽にしてやる。」
Vanitas vanitatum et omnia vanitas.と少女は唱える。
「わー待って待って、話し合いをしよう!!ってその言葉....」
ロメの声が、一瞬だけ変わった。
驚きではない。何か違うもの。認識したような、懐かしむような、あるいは何かを思い出したような、微妙な色が声に混じった。
しかしそれを確認する前に。
コツコツコツ。
足音が、廊下から聞こえてきた。
「私たち、正義実現委員会もその話し合いに興味があるっスね。」
仲正イチカが立っていた。
「片方は白洲アズサさん。...もう片方は見たことないっスね。とりあえず武器を捨てて跪けっス。」
イチカは二人を等分に見た。燭台の光で顔が見える。状況把握は素早かった。アズサが銃を構えている。棺桶から出かけた人物が両手を上げている。部屋の中に他の人間はいない。
「せっ正実!!もうバレたのか!」
「いやー、どうしたらこんなとこまで逃げようって思えるんスか。今日はいつにもまして忙しいんスから、とっととやるっスよ。」
バババババッ
数瞬の後、白洲アズサは制圧された。
「さーて、そこにいるあなたもご同行願えるっスか?見たところトリニティの制服じゃなさそうっスけど。まぁツノもなさそうだし、悪いようにはならねえっスから。ついてきてもらえると助かるっス。」
ロメは棺桶の縁に手をかけたまま、イチカを見た。
燭台の炎がまた揺れた。
ロメの金色の瞳が、一瞬だけ何か別のものを見ているような色になった。
遠くを見る目でも、恐怖の目でもない。確かめるような目だった。
一瞬のことであったので、誰も何も気づかなかった。
「ひっ、ひぃん。わかりましたぁ...聞きたいこととかあったのにぃ...」
ロメはわかりやすく怯えて、頷いた。
イチカは表情を変えずに後輩に顎で合図した。
後輩がロメの前に立ち、廊下の方向を示した。
全員が廊下に消えてのち、炎の映すゆらめきだけが残った。
炎は大きく揺れ、やがて消えた。
私の役割はここまでだというように、フッと消えた。
後から考えると分岐点はここだったのだろう。
もしアズサがこんな部屋を見つけなければ...
そう思うかもしれない......
「ククッ...これはこれは...」
誰もいないはずの暗闇には、一人の男が姿を現していた。
公会議当時のいざこざを妄想で描き起こせたらなぁと思って、手を動かしてみたり。
想像したところまでかけたらいいなぁと